第1章 「新しい一歩」(5)                      BACK | TOP | HOME




「セフィ先生。人間にはできないこともいっぱいできるの?」
 昼休みのプレイルームの陽だまりで、セフィロトは何人かの子どもたちに囲まれていた。
「そうですね。みなさんより少しだけよくものが見えて、小さい音が聞こえます」
「ふうん」
「人間には見えない波長の光を見ることで、暗いところや隠れたところのものが見えたりします」
「すごいねー」
「それからコンピュータと、とても早くたくさんの話をすることもできますよ」
「なあんだ。それでいたずらを仕掛けても、すぐ見破られちゃったんだね」
 みんなが大騒ぎしているのを、私は少し離れたところから微笑ましく見ていた。
 セフィロトがロボットであることを告白してから、ずっとこの調子で午前も授業にならない。
 気味悪がったり、馬鹿にしたような態度をとる子どもがひとりもいないのは、うれしい誤算だった。きっとそれまでにセフィロトと子どもたちのあいだに強い絆が結ばれていたからだろう。
「じゃあ、人間にはできてセフィ先生にはできないことはある?」
「はい。水に濡れるのが苦手なので、お風呂やプールに入ることができません」
「え、じゃあ、体育のプール授業は?」
「だから、見学しかできないのが残念です。それから食事も……」
 そこに、さくらちゃんがばたばたと走ってきた。
「あ、胡桃先生。副園長先生がいらっしゃいましたっ。すぐにみんな集会室に集まるようにとのことです」
「わかった。庭にいる子どもたちは、私とセフィで集めてくるから」
 いよいよ、新しい教育省の派遣教師が赴任したのだ。水木園長の話によると、とても研究熱心で、子どもたちに対して並々ならぬ情熱を持っておられる方だとか。教育省でも数々の改革を提言してこられたという。【すずかけの家】に新風を巻き起こしてくれるとよいのだが。
 園庭に散らばって遊んでいた子どもたちを全員集めるのに手間取り、私とセフィロトがドアからそっと部屋にもぐりこんだときには、すでに壇上では、園長による紹介が始まっているところだった。
「栂野健(つがのたける)先生です。今日からこの園の副園長先生として来てくださいます」
 水木先生が一歩わきに退くと、新任の先生が講壇の前に立ち、部屋をゆっくりと見渡す。
「はじめまして! ただいまご紹介にあずかりました、栂野でございます!」
 一同、度肝をぬかれた。部屋中が震えるような大音声だったからだ。
 年齢は想像していたよりずっと若く、まだ30を少し越したあたりに見える。男らしい整った顔にさっぱりした髪型。ぴんとそらした背筋。堂々とした体格とあいまって、水木園長と並ぶと、どちらが園長なのかわからないほど威厳がある。
「副園長の大任をいただき、これからは水木園長のもとで、【すずかけの家】の改革のために粉骨砕身する所存です!」
 水を打ったように静まりかえる。
「わたくしの考えはおいおい皆さんにもお伝えしますが、今日はひとつだけ気づいたことを申し上げます。
さきほどここへ到着したとき、園内で清掃ロボットが枯葉を集めているのを見かけました。わたくしはこれを見て、大変残念に思いました。 この【すずかけの家】はみなさんの学園です! なぜみなさんが自分の手で落ち葉を集めないのでしょう。なぜロボットなどに掃除をまかせるのでしょう!」
「……」
 タイミングがタイミングだけに、一同、声も出ない。
「社会ではともかく、教育の場にロボットを導入するのは、わたくしは大反対です! 掃除はすみずみまで人間の手で。それが子どもの教育に欠かせないことであり、ごみを捨てない美しい社会を築く一歩だと思っております!
ですので、わたくしの改革は、この【すずかけの家】から、いずれすべてのロボットを追い出す! このことをまず第一に掲げて努力していきたいと存じます!」
 気のせいか、頭が痛くなってきた。手のひらにじっとりと冷や汗がにじんでいる。
 セフィロトはさっきから、凍りついて動けないみたいだ。
 部屋中のみんなも、心配げにちらちらと彼の方を見ているのを感じる。
 ようやくけたたましい挨拶がすんで、子どもたちも教師もそれぞれの午後の授業へと散っていった。
 とととっと栂野先生が、私の方に駆け寄った。
「古洞胡桃さんでいらっしゃいますか?」
「は、はい」
「お噂は教育省にいたときからうかがっておりました。あの桐生直人教育学博士のご令嬢でいらっしゃるとか」
「は、はあ」
「わたくし直接師事したことはありませんが、高名な桐生先生のことをいつも尊敬申し上げております。先生のお書きになった『ロボット不要論』は、学生時代からわたくしのバイブルです!」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
 頭の痛くなった原因がわかった。栂野先生って父にそっくりなのだ。
 政府に三行半をつきつけてさっさと海外移住してしまった父に心酔して、教育省で堂々と20年も昔の父の持論をぶったとなると……。
 ……左遷されたな。この人。
「いやあ、それにしても感激です。桐生博士のご息女といっしょにお仕事ができるとは」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「おまけに、こんなにお美しい方でいらっしゃるとは……。わたくし、不覚にも一目ぼれしてしまいました」
「は?」


 この栂野副園長が、これから私とセフィロトの長いトラブルの種になっていくことを、私はひしひしとそのとき予感していた。


「セフィ、だいじょうぶ?」
 心なしかしょんぼりとした足取りで部屋を出て行ったセフィロトを、私はあわてて追いかけ、廊下で呼び止めた。
「あ、はい。だいじょうぶです」
「なんだか、変な人が来ちゃったね。熱心なのはいいんだけど」
「わたしがロボットだとバレたら、やっぱり追い出されるんでしょうか?」
 彼は泣きそうな顔で私を見た。
「心配しないで、みんなで絶対秘密にするから」
「ロボットであることを打ち明けなければよかったです。子どもたちに嘘をつくようにお願いしなければならないなんて、教育者として失格です」
「元気を出して、セフィ」
 私は回りを見回して、人目のないのを確かめると、すばやく彼の唇にキスした。
「みんなあなたの味方よ。そんなにがっかりしないで。きっとうまく行くわ」
「はい。だといいのですが」
「あーあ。ロボット全盛時代の日本で今どき、父の時代遅れの本を読んで信奉している人がいるとは思わなかったわ」
「え? 栂野先生は桐生さんの信奉者なのですか?」
「そう言ってたけどね」
 とたんにセフィロトに、いつもの輝くような笑顔が戻った。
「なあんだ。それなら安心です」
「え? なぜ?」
「だって、桐生さんもロボット嫌いをやめると約束してくださいました。桐生さんの信奉者なら、栂野先生もきっと将来はロボットのことを見直してくださるに違いありません」
「そ、そりゃそうかもしれないけど……」
「よかった。希望が出てきました。これで張り切って授業に向かうことができます」
 セフィロトは、足取りも軽く体育館のほうに行ってしまった。
 だって、セフィ。父がロボット嫌いをやめるのに、20年かかったんだよ。人間はなかなか変わることができない、意地っ張りの頑固な生き物なんだよ。
 そのことばを私は喉の奥深くに飲み込んだ。


 ま、いいか。
 どんな困難が待ち受けていても、セフィロトならきっとそれを乗り越えられる。
 いつも絶えず古い自分を脱ぎ捨てて成長している、自律改革型ロボット。新しい未来に向かって着実な一歩を踏み出そうとしているセフィ。
 ぼやぼやしてると、いつか追いつかれ、追い抜かれてしまうのかもしれない。
 私も負けられない。
 そんな晴れ晴れとした気持ちになり、私は胸を張って廊下を歩き始めた。
 


                      第1章 終


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