第2章 「未来への設計図」(1)
BACK | TOP | HOME 「胡桃? だいぶ酔っ払ってますね」 セフィロトはしっかりと私の体をわきから支えながら、モノレールの駅からつづくチューブ型の歩道をたどっていた。 「体温が0.3度上昇し、脈拍も1分間に85から90とかなり早く、声もいつもより平均15デシベル大きいです。飲みすぎですよ」 「だぁってぇ。お酒もお料理もすっごくおいしかったんだもん。感激よ。セフィが私の26歳の誕生日に、わざわざあんな素敵なレストランに予約を入れておいて、それを今日まで隠してたなんて。もう、まいった。立派な一人前の男だわ。私、セフィと会えて幸せよぅ」 「はいはい。誰に向かって説明してるのかわかりませんが、やたらと饒舌で多幸感があるのも酒酔いの特徴ですね」 「好き。セフィも私のこと好き?」 「大好きですよ」 「嘘。だって、もう26なのよぅ。あっというまにおばあちゃんになっちゃって、セフィばっかり若いままで。いつか嫌われちゃうんだわ。うわーん」 「今度は泣き上戸ですか。バッグをしっかり持っててくださいってば。さあ、エレベーターに乗りますよ」 「セフィ」 私は誰もいないエレベーターの中で、セフィロトの首筋に両腕を回した。 「お願い……、一生そばにいて。嫌いになったりしないで」 「嫌いになんかなったりしません。胡桃。ずっと愛しています。死ぬまで。……死んでからも」 セフィロトは、酒臭い私の口づけを受け入れて、応えてくれた。 エレベーターが15階で止まると、しなだれかかった私の体を軽々と抱き上げて、外に出た。 廊下を進み、鍵を開けて家の中に入る。その動きをまるで、くるくると心地よい眩暈のように感じながら、私は彼の腕の中で目を閉じていた。 寝室のベッドに下ろされる感覚。 私のドレスの胸元のボタンをひとつ開けてくれたので、すっと息が楽になる。 「水を持ってきます」 「だめ……」 私はなおも彼のぬくもりを求めて両手を突き出し、あえなくそれにからめとられた彼も、ふたたび接吻を落としてくる。 彼の優しい唇の感触がしだいに私の頬から顎、そして首筋へと移動してきた。 「んん……」 私が思わず喘いだとたん、おおいかぶさっていた彼の体が、びくんと後ろに反るのがわかった。 「あっ……」 彼の苦痛に満ちた声に、私は思わず目を開いた。 「どうしたの?」 セフィロトは真っ赤な顔で、当惑したように私を見ると、 「すみませんっ」 部屋を飛び出し、まっしぐらに自分の部屋に走りこんでしまった。 その日しばらく、彼は部屋から出てこなかった。 「セフィ。今日はふたりとも早番の日よ。起きてる?」 それから数日経った日の早朝。めずらしくセフィロトより早く目覚めた私は、声をかけようと彼の部屋のドアのスイッチを押した。 「うわっ」 素っ頓狂な彼の悲鳴が聞こえた。 「あ、開けないでください、胡桃。まだ服を着てないんですから」 「え?」 私はあわててドアを閉めると、首をひねって、ドア越しに声をかけた。 「だっていつも裸で平気で歩いてるじゃない」 「そんなのは、ずっと以前の話です!」 彼は朝食のあいだも不機嫌だった。 「胡桃はだいたい、いつまでもわたしのことを子どもだと思ってるんですね」 「ご、ごめんなさい。悪かったわ」 いつもならそこですぐ笑顔になるセフィロトなのに、今日はいつまでもむくれている。 そしてその状態は、何日も続いた。 【すずかけの家】では普段どおりなのに、ふたりきりになると笑いかけてもくれない。ときどきこわばった顔で私をちらりと見るが、視線が合うと怒ったように私から顔をそむけてしまう。 先にまいってしまったのは私だった。 「セフィ。私を見て!」 ある夜、私はついにたまりかねて、問いただした。彼をソファに座らせ、私はその前で仁王立ちになる。 「いったい、どうしたっていうの。急によそよそしくなって」 「そんなことありません」 そう答えながらも、おどおどと目を伏せる。 「ほら、また目をそらした! 何かに腹を立てているなら、ちゃんとそう言って。ことばで言わなきゃ、自分の思っていることは相手には全然伝わらないのよ」 「腹なんて、立てていません」 「じゃあ、何なの?」 「言ったら……、胡桃は絶対にわたしのことを嫌いになります」 「え? どういうこと?」 「軽蔑されるに決まってます。だから……言えません」 懇願するようなせつない目で私を見る。 「軽蔑なんてしない。嫌いになんかならないから、お願い、話して!」 「いやです」 「命令よ、セフィ」 ロボットは、マスターである私の本心からの命令には逆らえない。ついに観念して、セフィロトは口を開いた。 「胡桃の誕生日の夜が最初だったんです」 「え?」 「胡桃とキスをしているとき……。体の中心が熱くなり、麻痺したみたいになって……、まるで熱湯が細いパイプをすごい勢いで駆け上がるように、一度にいろんなことがイメージとして浮かんできたんです。人工知能が故障したのかと思いました」 「いろんなことって、たとえば?」 「胡桃の……裸を見たい、とかそういうことです。もっとひどいことも……とても口に出しては言えません」 「……」 「それから、胡桃がそばに近づくたびにその記憶が自動的に再生されて、だから恥ずかしくてあなたの顔が見られませんでした。 すみません。わたしはどうかしています。……明日、犬槙博士にバグを消してもらうように相談してきます」 「セフィ」 私は彼のことばをさえぎって、微笑んだ。 「それは、バグなんかじゃないのよ」 「でも、それじゃ、この現象は……」 「正常なことなの。11、2歳くらいの人間の男の子には、必ずあることなのよ。大人になるための準備。 あなたは今、大人の男性の心になりかかっているの」 「これが……」 呆然と、セフィロトは自分の姿をながめる。 「教育心理学で学ぶ、【思春期】というものなのですか?」 「そうね。だから全然恥ずかしいことではなくて、誰でも持っている気持ちなのよ。男も女も」 「では、胡桃も……?」 「ええ。私もセフィを好きだから、全部を見てもらいたいし、触れてもらいたい」 私は彼の隣に腰をおろすと、その手を取った。 「でも、今はまだ早いと思う。愛し合っているだけではだめなの。まだ私たちにはそのときが来ていない。でも、いつかそのときが来たら……」 セフィロトはまぶしげに目を細めた。 「そのときが来たら……?」 「私たち、結婚しましょう」 NEXT | TOP | HOME Copyright (c) 2003-2005 BUTAPENN. |