第2章 「未来への設計図」(4)                   BACK | TOP | HOME




「ごめん、胡桃ちゃん。いきなりの話で悪いんだけど。きみもセフィロトと一緒に来てくれないか」
 犬槙さんの優しい声が【エリイ】の画面から流れてきて、私の心臓はトクンと打った。
「とても大事な用事を頼みたいんだ。来てくれると、とても助かる」
 来週開かれる国際会議にセフィロトを出席させてほしいという留守メールの中で、犬槙さんは眼鏡の奥からまっすぐに微笑みながら、そう言ったのだ。
 その目を見ると、胸がきゅっと締めつけられる。


「ずっと好きだった。きみに初めて会ったときからずっと……」
 一ヶ月前、眠り続けるセフィロトのカプセルのそばで、私をむりやり押し倒した犬槙さん。
 あれは酒の勢いだったと、あとで何度も謝ってくれたが、それ以来、私は彼に必要なとき以外は話さないようにしている。研究室も、セフィロトが回復してから一度も訪れていない。
 犬槙さんが怖いという意味ではなく、ただ悔いていた。
 樹が死んでからずっと、私は犬槙さんに頼りすぎていた。セフィロトのことで相談に乗ってもらっていたとは言え、夫を亡くしたばかりだった私は知らず知らずのうちに、彼の優しさに必要以上に甘えていたのかもしれない。それが犬槙さんを追いつめていたことも知らずに。
 でも、彼の気持ちを知った今も、私にはどうすることもできない。私が愛しているのはセフィロトだけなのだから。
「わかりました。行きます」
 簡単な返信を返したあと、私は大きな深呼吸をした。


 それなのに。
「わおお。胡桃ちゃん、久しぶり。いつもに増して美人だねえ。会議なんてすっぽかして、デートしよ」
 セフィロトと国立応用科学研究所を訪ねた私に、犬槙さんはどうしようもなく軽い男だった。少なくとも、軽い男を演じ続けてくれていた。
 心配が杞憂だったことがわかり、思わず笑いがこぼれる。
「相変わらずですね。大事な国際会議なんじゃないんですか」
「国際会議といっても、二国間だけの小さなものなんだ。日本側のロボット工学研究者が8人。アメリカ側から5人。昨年結ばれた「日米最先端技術協定」に基づいて、お互いの最新技術を見せ合いっこしようっていう会議でね。
まあ一応、日本側の代表として、AR8型ロボットを紹介しようってわけだ。……あ、大丈夫。去年のときみたいに、からだの中まで見られることはない」
 不安気な私の表情を読んだのだろう、犬槙さんは安心させるように付け加える。
「設計図を交換するだけだよ。それも肝心なところはブラックボックスにしてね。技術協定なんて一応のポーズさ。最高の機密はお互い、しっかりと隠してる。ところがどっこい……」
 彼は、おおげさに肩をすくめた。
「そのアメリカ側の代表の一員ってのが厄介なヤツでね。まあ、僕の昔からの天敵っていうか」
「天敵?」
 私はそれを聞いて意外に思った。犬槙さんは昔から敵を作らないように、うまく世渡りができるタイプだった。あれだけ女性の心を独り占めしておきながら、不思議と男性からの恨みも買わない。夫の樹とは、あらゆる意味で正反対の男性なのだ。
「その……、胡桃ちゃんに来てもらったのは、そいつの矛先を僕からそらしてほしいっていうか、相手をしてほしかったんだ。同じ女性としてね」
「女性?」
「さあそろそろ、ラウンジで落ち合う時刻だ」


 A号棟の一階のメイン・ラウンジで私たちを出迎え、ソファから立ち上がったのは、輝くようなプラチナブロンドの髪を持つ絶世の美女だった。
「こちら、ミズ・ジョアン・ローレル。ロボット工学博士。アメリカ・ペンシルバニア州カーネギーメロン大学の主任研究員だ」
 犬槙さんが渋面を隠そうともせず、英語で紹介する。
 彼女の美貌にも十分目を奪われたが、それ以上に私とセフィロトの視線を釘付けにしたのは、彼女の斜め後ろに立っている「人」だった。
「そして、その隣が、彼女の作ったロボット。――SR12型自律改革型ロボットのシーダだ」
 横にいるセフィロトが息をつめる仕草をしたのがわかった。
 人工知能が経験によって成長を続ける自律改革型ロボット。世界中に樹と犬槙さんしかそれを作れる科学者はいないと思いこんでいた。だから今、目の前に自分と同じ型のロボットが現れたことは、セフィロトにとっても私にとっても、どれほどの驚きだったろう。
 シーダは一目見て間違いなく、ロボットだとわかる外観を備えていた。美しい白銀の皮膚は金属的な輝きを帯び、頭髪はなく、可愛い少女の顔を模しているが、瞳の色は蒼いクリスタルのような人工的な透明さだ。そして全体に女性的なフォルムはしているものの、衣服は身に着けていなかった。
「そして、ジョ、……じゃなくて、ミズ・ローレル。こちらが古洞胡桃さん、そしてAR8型セフィロトだよ」
 ジョアンは、美しいけれど少し冷たい微笑みをうかべて、私と握手した。
「はじめまして、ジョアン」
「お目にかかれて光栄です、クルミ。ご主人のことは残念でしたわ。イツキの早すぎる死は、世界中のロボット研究者たちにとって大きな衝撃でした」
「お悔やみのことば、痛み入ります」
 私との挨拶が終わると、隣にいたセフィロトに向き直って、手を差し出そうともせず、くすりと笑った。
「聞きしにまさる、ね」
「え?」
 戸惑った表情をうかべたセフィロトを見て、ますます彼女は笑い出した。
「さすがに、あなたとイツキが作ったロボットだわ、カイト。見かけも思考も感情も、人間そっくりのロボット。14年前に三人で語り合った夢を実現させたってわけね」
「14年前から、犬槙さんと樹をごぞんじなのですか?」
 驚いて、頭をよぎった疑問がそのまま口をついて出てしまう。
「あら、クルミはご存じなかったのかしら。私たちが最初に会ったのは、ピッツバーグなの。私が今勤めているカーネギーメロン大学に160年の伝統を誇るロボティクス研究所があってね。夏季特別プログラムで全世界の優秀な研究者の卵たちが3ヶ月そこで研修を受けた。イツキが15歳、カイトが19歳。そして私は17歳だった」
 記憶の窓を覗いているような目をしていたジョアンは、視線を戻し、揶揄するように犬槙さんをにらんだ。
「カイトは、クルミに何も話してないの? イツキと出会った頃の話もしてなかったわけ?」
「5年後に樹と日本で再会したとき、僕のことをまるで覚えてなかったからね。そういうヤツだってことはきみも知ってるだろう」
 犬槙さんは、やや不貞腐れて釈明する。「面倒くさいので、そのまま初対面のふりをしていただけだよ」
 そのときの彼の表情に浮かんだ微妙な色を見て、私はふと邪推したくなってしまった。もしかすると、犬槙さんがアメリカでのことを今まで隠していたのは、ジョアンの思い出が微妙に関わっているからではないかと。
「まあ、立ち話も疲れるから、座ろうよ」
 私たち三人は、ロビーのソファに向かい合って座った。セフィロトはまだ目を見開いたまま、シーダを見ている。
「セフィ」
「あ、はい」
 呼びかけにようやく我に返った彼は、私の隣に寄り添うように座った。
 ふと見ると、ジョアンの座るソファの後ろで、シーダはまだ立ったままだった。
「シーダも座ったら?」
 声をかけると、彼女は少し口を開いた。シーダの顔には表情を形作る筋肉は備わっていないようだったが、それでも、それだけで微笑んでいるように私には見えた。
「いいえ、私はここでけっこうです」
 はじめて、シーダがしゃべるのを聞いた。高い鈴のように綺麗な、でも抑揚のない声。
「クルミ。シーダはいつも私の後ろにいるように命じてあるのよ」
 ジョアンは、子どもに諭すような口調で私に言った。
「人間と同席したことはないの。それはロボットの分を超えているわ」
 私ははっとする。そう言えば、最初の挨拶のとき、シーダは加わろうとしていなかった。明らかに一歩下がって、私たちと一線を画していた。セフィロトは当然のように握手に加わろうとしていたのに。
「ごめんなさい。余計なことを言いました」
 私は騒ぐ気持ちを抑えて、謝罪のことばを口にした。
 隣のセフィロトはしばらく、もじもじしていたかと思うと、
「胡桃。わたしも立っています」
 小声でささやいて、立ち上がった。
「セフィ。あなたはここにいてもいいのよ」
「いいえ。今は、シーダといっしょに立っていたほうがいいような気がします」
 そう言って、おとなしくシーダの隣に立つ。彼の顔には、自分の出すぎた行為を恥らうような表情が浮かんでいた。
「あら、彼に気を使わせてしまったわね」
 ジョアンはまた、愉快そうな笑い声を上げた。
「ごめんなさい。でも、あなたたちがセフィロトを育てたやり方と、私がシーダを育てたやり方は違うのよ。最初にそのことがわかっていないと、後々お互いの間で誤解を生むわ」
 そのとき、ラウンジのウェイターロボットが近づいてきて、飲み物のオーダーを取った。箱型の胴体には前面に透明な調理窓がついていて、磁器のカップがするすると下から現われて、注文のコーヒーを注いでいるところが見える。
 三人分のカップを手早くソファのテーブルに置くと、ウェイターロボットは行ってしまった。
 私はコーヒーを飲めないセフィロトを可哀想に思いつつも、カップとソーサーを手に取った。
「シーダも、セフィと同じ自律改革型だと今うかがいました。感情や意志はあるのですか?」
 できるだけ平静を保って、質問する。
「もちろんよ。でも、それは人間の感情とは少し違うわね」
 ジョアンはくつろいだ姿勢で片手をソファの背に乗せ、左手でコーヒーを口に運んだ。
「感情というより、【快・不快】の感覚に似ているかしら。成功を褒められれば【快】を感じて、自発的にもっと高いレベルの成功を導こうとする。失敗すれば【不快】を覚えて、もう二度と同じ失敗を繰り返さないばかりか、そこに至った状況を分析して回避しようとする。それが積極的な【意志】の芽生えとなる。
シーダは、快追求型の自律改革プログラムによって動いているのよ」
「それは、とても効率的な方法だと思いますが」
 確かに、人間の幼児も、快を追求する本能を持っている。心地よく眠りたい、お腹いっぱいになりたい。褒められたい。認められたい。愛されたい。そうやって、生理的・社会的欲求を満たしていくのだ。
「でも、それだけでは人間の複雑な心理や行動を学ばせるには、不十分だと思いますが――」
「なぜ、そんなことをする必要があるの?」
 ジョアンは、穏やかに私のことばをさえぎった。
「ロボットが人間の行動を真似る必要なんて、どこにもないわ。ロボットはロボット。人間とは違う。カイトの目的は、ロボットを人間のパートナーにすることのようだけど」
 彼女は犬槙さんを横目でちらっと見る。
「ロボットはサーバントだと私は思っているわ」
「サーバント(召使)……」
「そう。大金を使って手間ひまかけて、人間にそっくりなパートナーをわざわざ機械で作る必要はない。それくらいなら、高度な性能を持って人間をサポートし、人間には不可能なことを可能にしてくれる存在のほうが、よほど有用。――人間といっしょに、のんびりと座ってしまうロボットなんかよりね」
 私は腹を立てるよりも何よりも、今の彼女のことばがセフィロトに聞こえていないかとハラハラしつつ、素早く見た。
 セフィロトは話を聞いているどころか、いつのまにか横にいるシーダの手を握っているではないか! それもぽかんと口を開けて、まるで美しい女性にうっとりと見とれる少年みたいな目で。
「もうそれくらいにしないか」
 犬槙さんが、苛立った声を出した。
「どうせ、ロボットと人間の関係について、きみといくら話し合っても平行線なんだから」
「あら、そう言えば、今回の会議は、技術面のみの交流という但し書きがついていたわね。あなたの根回し?」
「僕は、不毛な論議に二日も費やすほど暇ではないんでね」
 犬槙さんは、ひどく荒っぽい動作でコーヒーを飲み干すと、私に向き直った。
「というわけで、胡桃ちゃん、今から2時間の予定で会議が始まる。きみも発言権はないが、オブザーバーとして出席してくれないかな」
「わかりました」
「明日も、朝から夕方までみっちり会議なんだ。悪いけど、セフィ、きみだけは【すずかけの家】を明日も一日休んでもらいたいんだけど」
「はい、そのつもりで、もうシフトを取ってありますから」
 セフィロトと犬槙さんの間に交わされた会話を聞いて、ジョアンは驚いたようにしばらく絶句してから、しみじみとつぶやいた。
「ロボットに『悪いけど』とお伺いを立てるマスターなんて、本末転倒じゃない?」


 夕方になって、犬槙さんの運転する21世紀スタイルの車で、私たちは帰路に着いた。今日は奇数日で、私の車が使えない日だったのだ。
 「途中で食事でもしていく?」と誘われたけど、少し迷ってお断りした。なんだかひどく疲れた気分だったのだ。
「正直言って、僕もそうだよ」
 首都高速のナビゲーションシステムにハンドルを預けると、彼はぐったりと運転席の背にもたれかかった。
「私、ジョアンさんのように歯に衣着せず、思ったことを言ってくれる人は本当は好きなんです。でも……」
「ジョアンは特別だ。僕が彼女を『天敵』と呼んだ意味がわかったろう?」
 犬槙さんは眼鏡を外して、こめかみをもんだ。
「14年前の夏に会ったときは、そうじゃなかったのになあ。人間のパートナーとなりうる最高のロボットを作ろう。そう言って三人で意気投合してたのに。その3年後再会したときには、もう今みたいにコチコチに【ロボット=サーバント論】に凝り固まってた」
「なぜ、はじめの志を変えてしまったのかしら」
「もともと、欧米ではロボットに否定的な見方をされることが多くてね」
 車窓の外に流れる首都高速のブルーのライトを、犬槙さんの横顔は憂鬱げに見つめていた。
「キリスト教的な思想の影響なんだ。人間が人間に似た生命体を創造するという行為が、神への冒涜だと受け取られるんだろうね。ジョアンは次第に、そういう考え方の回りの研究者の感化を受けてしまったのだと思う」
「わかるような気がします。私もニュージーランドで教会に行ってましたから」
「カトリック国の一部では、22世紀の今でもこのことをタブー視して、ロボット導入が進まない国も多い。日本がロボット研究の分野において、世界でもっとも進歩しているのは、宗教の影響がもっとも少ない国だからとも言えるんだ」
「日本人の、すべての木や石や自然には魂が宿っているという汎神論的な考え方も、きっと理由のひとつだと思います」
 樹が生きていたころ、私たちはよくそんな話をしていた。文化人類学、歴史、宗教、哲学。一見して、ロボットしか興味がないように見えた樹は、実は驚くほど、そういう分野に造詣が深かった。
 樹はよく誤解されたけれど、人間嫌いなんかでは全然なかったのだ。そういうポーズをしていただけで、本当に人間を愛していた。彼のその心は、きっとセフィロトの中に生き続けているのだと思う。
 シーダを見ていると、ジョアンは人間が嫌いなのではないかという疑念が、ふと私の中に湧いていた。だからシーダを人間に似せて作らなかったのではないか、と。
 私の考え過ぎだとは思うけれど。
「ジョアンには、家族がいらっしゃるの?」
「ああ、息子がひとりいる。確か9歳か10歳になるはずだ。昔風に言うと、「未婚の母」ってやつでね、息子のことは目に入れても痛くないくらい大切にしているみたいだ」
 私の視線を感じたのか、彼はあわてて補足した。
「言っとくけど、父親は僕じゃないよ。同じ研究所のスタッフのひとりだって話だけど」
「わかってます」
 思わず吹き出す。「犬槙さんは、絶っ対にそんな『ミス』をおかす人じゃありませんものね」
「お褒めに預かり、光栄ですな」
 この冗談めいた会話のおかげで、私はようやく気持ちが晴れるのを感じた。ジョアンに愛する家族がいると知って、ちょっと安心したこともある。
 その勢いで、ふと口をすべらせてしまった。
「犬槙さんが言う『天敵』が女性だと聞いたとき、直感的に思ったんです。もしかしてその人って、犬槙さんが本気で口説いたのに、ついに最後までなびかなかった女性なんじゃないかって」
 笑わせるつもりで言ったのに、犬槙さんは喉の奥がつまったような音を立てたきり、返事をしなかった。
 ……どうやら、図星だったかもしれない。


 家に着いて、真っ暗な部屋のライトが自動的に灯ると、私とセフィロトはダイニングテーブルの椅子に同時に座りこんだ。そう言えば、車の中でも、セフィロトは後部座席の窓際で、ひとことも口を利かなかったようだったけど、何を考えていたのだろう。
「今日はじめて自分と同じ自律改革型ロボットに会って、どうだった? シーダのことをどう思ったの?」
「それが、なんと言うか……」
 セフィロトはしばらく、適切なことばを捜しているようだった。「なんと言うか、とても疲れる話し相手でした」
「疲れる?」
「きっと、慣れればそんなことはないと思うのですけれど。シーダとはラウンジに並んで立っていたとき、たくさんの話をしました。アメリカの最先端科学の情報や、日米の社会や習慣についてのユニークな考え方で、とても興味深かったのですが、話の論理構成が、わたしの知っている人たちとはずいぶん違って、勝手がわからず戸惑いました」
「いつのまにか、そんな会話をしていたの?」
「はい。デジタル音声で、人間には聞こえない音なのですが、短い間にたくさんの情報を交換できるので、便利なのです」
「だって、そばから見てると、彼女の顔をポカンと見つめていたように見えたわ」
「そ、そうでしたか。そんなふうに見えているとは知りませんでした」
 セフィロトは、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「それから、こんなふうにシーダの手を取っていたわね」
「ああ、それはシーダの腕の関節を見せてもらっていたんです。SR12型の非ホロノミック系の関節のメカニズムはとても優れているんですよ。同じロボットとして感激してしまって、触って内部をスキャニングさせてほしいとお願いしたんです」
「なあんだ」
 自分の早とちりに可笑しくなった私は、笑いを抑えるのに苦労した。
 そうとは知らないセフィロトは、いきなり立ち上がると、
「胡桃。ここで座っていてください。今日はわたしがひとりで、夕食のしたくをします」
 有無を言わせず、私をダイニングテーブルの椅子に残して、てきぱきとキッチンで夕食の支度を始めた。
「簡単なのでいいわよ」
「いいえ、しっかりと完璧な夕食を作ります。疲労物質を除去するのに効果的な、炭水化物とビタミンB1とCを中心とした食事を」
 と宣言し、しばらく張り切って小気味よい音を響かせていた。やがてコトコトという穏やかな煮炊きの音とともに、いい匂いが漂ってくる。セフィロトはキッチンから出てきて、悲しそうな表情をのぞかせた。
「胡桃」
「なに?」
「わたしは、今までずいぶん甘え過ぎていたと思います。シーダを見て、わかりました。ロボットは人間が話をしているときに、いっしょに楽しく話したいと思ってはいけないのですね」
「セフィ」
 私はびっくりした。恐れていたことになってしまった。うわの空のようでも、セフィロトの耳はしっかり私たちの会話を聞いていたのだ。
「わたしはいつも、胡桃と同じものを見て、同じ音を聞いて、同じことをしようとしていました。でも、それは分不相応なことなのですね。わたしはこれから、怠けずにもっと一生懸命働きます。胡桃のために、胡桃が心地よく生活できるように」
「セフィ。ここに座って」
 たまりかねた私は、自分の隣の椅子を指差した。
「そして、思い出して。食事のときはここに座って、私と同じものを食べてって言ったのは誰?」
 セフィロトは、言ってよいものか思案してから、おずおずと答えた。
「胡桃です」
「そうよ。私。私が、そう望んだの。シーダみたいに後ろに侍るのじゃなく、いつも私のそばにいてほしいって」
「それでいいのですか」
「あなたはサーバントなんかじゃない。私の一生のパートナーだと決めたんだもの」
「わたしのしていたことは、間違っていなかったのですね」
「間違ってなんかいないわ」
 セフィロトは私の隣にすとんと腰を落として、ようやく満ち足りた喜びに顔をほころばせた。
「わたしは……今までどおりあなたを愛して、あなたに愛してほしいと願っても、ロボットとして分不相応ではないのですね」
「そうよ」
 私は彼の両手を取り、いとおしみながら口づける。
「それはそのまま私の願いでもあるから」
 



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