第2章 「未来への設計図」(3)                   BACK | TOP | HOME




 科学省の入り口のセキュリティチェックは苦手だ。
 電磁波の照射で一瞬、末端知覚系統に乱れが生じる。たぶん人間で言えば、手足が軽く痺れたような感覚。何よりも、自分の体がすべて機械でできていることが、大勢の人の前にさらされてしまう。
 しかしそれも今日は、前もって渡されていたカードでほぼフリーパスで通ることができた。
 吹き抜けの広い玄関ホールでは、ふたりのスーツ姿の男が待ち受けていた。
「お久しぶりです」
 セフィロトは丁寧にお辞儀した。
「今年の元旦、ベイエリアの公園でお目にかかりましたね。柏所長とごいっしょに」
「けっ。さすがによく覚えてやがるな」
 年若い青年が、露骨な嫌悪感に満ちた顔をそむける。
「あの頃はさんざん、おまえたちの身辺を警護させられたよ。夜となく昼となく」
「そうだったのですか。ありがとうございます」
「命令だったからだ。これっぽちも、おまえのためなんかじゃない」
「いいかげんにしろよ、勇人。やっかむのは」
 いっしょにいた30代の男が苦笑した。
「やっかむ? 何をやっかむと言うんだ」
「美人の未亡人と暮らして、毎日キスしてもらってるこいつが内心うらやましいんだろ」
「じ、冗談じゃない。僕は人間そっくりのロボットなんて存在、認めないと思ってるだけだ」
 言い合いを始めたふたりを、セフィロトは目をぱちくりして見つめている。
「あの……」
「ああ、すまん」
 年かさのほうが、セフィロトに向き直った。「こっちだ」
 三人は人気のない廊下を選んで歩き始めた。
「自己紹介もまだだったな。こいつは、木田勇人。俺は武藤栄作。科学省の調査官補佐をしている。柏さんが応用科学研究所の所長として赴任して以来、直属の部下からは外れたが、今でも本省との連絡役になっている」
「よろしくお願いします。武藤さん、木田さん」
「今日の仕事は、柏さんから詳しく聞いているな」
「はい。亡くなった鏑木(かぶらぎ)局長の使っていたコンピュータ端末を調査するのですね」


 鏑木局長。
 元科学省の官僚で、1月に起きた軍事クーデター未遂事件の中心人物のひとりだったが、クーデターの失敗とともに逮捕され、留置所で服毒自殺を遂げた。
 それまでの1年あまり密かに彼の周辺の内偵を進めていた柏審議官は、特定できないままの首謀者につながる情報を求めて、今も部下に彼の遺品や記録などを調べさせているらしい。
「しかし、あの柏さんが、ロボットなんぞを信用して任務を任せるなんてね」
 エレベーターの中で吐き出すようにつぶやく木田に、セフィロトはたずねた。
「木田さんは、わたしのことを信用してはくださらないのですか?」
「ああ、そのつもりはないね」
「なぜです?」
「ロボットなんてもんはな。あくまで人間の下で働く、補助道具なんだよ。人間そっくりになる必要もないし、なるべきではない。そんなのは、人間の崇高さをおとしめるだけだ」
「人間の崇高さ……?」
「考えてみろ。どんなに優秀なロボットだって、おまえの複製なんて、作る気になればいくらでも作れるんだ。いくらでも、敵に利用されうるんだ。人間はそうじゃない。ひとりとして同じ存在はない。「人間に限りなく似せたロボット」ということば自体、ロボットは人間とは違う存在であることを露呈しているんだ」
「……」
「おまえを作った科学者たちはそんなことも忘れてるんだよ」
「もうやめろよ、勇人」
 武藤が呆れたように言う。
「今のことばを聞いていたときの、こいつの表情を見たか? はっきりと傷ついた顔をしてたぞ」
「ふん、そんなの、そう見せかけるためのただのプログラムだ。こいつに傷つくような心なんかあるものか」
「たとえそうであれ、おまえの今のことばは、人間の崇高さなんか微塵も感じられなかったけどな。ただロボットにムリヤリ優越感を抱こうとしている、小心者のセリフだ」
「じゃあ武藤さんは、僕たちがロボットと同等に扱われてもいいって言うのか?」
「俺は別に自分の仕事さえ首尾よく果たせれば満足だからな。たとえ任務にロボットを寄こされたからって、柏さんに過小評価されたとは思わんよ」
 エレベーターが目的の階に止まり、彼らは口をつぐんだ。
「ここが、鏑木局長の使っていたフロアだ」
 彼の死後、新たに作らせたキーだろう。武藤がそれを認証装置にかざすと、ドアはなんなく、シュンと音をたてて開いた。
 廊下があり、その両側にいくつかのドアがある。
「フロア全体を、組織のターミナルとして使っていたらしい。局長は用心深く、執念深い男だった。外部の者が触れないように、何か仕掛けが作動したままかもしれん、気をつけろ。一応徹底的に調べたつもりだが」
 廊下をぐるりと見渡すセフィロトの瞳が金色の光を帯びる。赤外線透視をしているのだ。
「盗聴器、監視カメラ、爆発物、レーザー装置の類は見当たりません。だいじょうぶです」
「信用していいのかどうか」
 木田が揶揄するようにつぶやきながら、セフィロトの後に入ってきた。
「おい、AR8型。僕たちが危険になったら、ちゃんと身を挺して守れよ」
 セフィロトは静かに振り返った。
「それは、そのときになってみないとわかりません」
「なんだと?」
「わたしの力の及ぶ範囲ならば、助けます。でも、自分が破壊されることがわかっていて、おふたりを助けるかどうかは、そのときに判断しないとわかりません」
「そんなばかな、ロボットには人間を最優先で助ける絶対命令がプログラムされているはずだ。おまえ、それさえもプログラムされていないっていうのか」
「もちろん、プログラムされています。でも同様に、わたしには自分の身を守るという義務もあります。どちらを優先させるかは、わたしの状況判断にゆだねられています」
 セフィロトはにこっと笑った。
「わたしは、死ぬのがとても怖いのです。わたしは自分のことを複製可能な存在だとは思っていません。何よりもわたしが死んだら、悲しむ人がいます。その人を泣かせることだけは、したくないんです」
「し、し、信じられない! それがロボットの言うことばか!」
「おまえの負けだな。勇人」
 愉快そうに武藤はくつくつ喉を鳴らした。
「俺はそれでいいと思うよ。いや、むしろそのほうが信頼できる。死ぬのが怖くないとほざく奴となんかと、いっしょに仕事したくないね」
「武藤さん!」
「さ、仕事だ。早く終わらせて一杯飲みに行くぜ。セフィロト、その左奥の部屋に、局長の使っていた主端末がある」
 大部分の備品が持ち去られた広い部屋の中央に、鈍い銀色に光る、デスクと一体となったコンピュータがあった。
「これ、ですね」
「試してみたが、最初パスワードを要求される。1文字以上128文字以内のパスワードだ。数億通りの組み合わせがある。さらに厄介なことに、5度パスワード入力を失敗すると、自動的にすべての情報を消去してしまうシステムが働いている。コンピュータにさえ解析は不可能だった。やれるか?」
「やってみます」
 セフィロトは端末装置に近づき、オープンを命じた。画面にゆっくりとうねるような模様が現れ、セフィロトの眼もそれに合わせて金色に瞬いた。口を少し開き、人間の耳には聞こえない音声信号を、ナノセクあたり数千字という単位で発信し始める。
「何をやってるんだ」
 薄気味悪そうに、木田が表情を歪めた。
「この端末コンピュータに……わたしが味方であると……教えています」
 切れ切れにうめくように、セフィロトが答えた。
「どういう意味だ」
「黙って見て……いてください」
 その背中は、自分の全精力を注ぎ込んで作品の構想を練っている芸術家のように見えた。一瞬、眼の前にいるのが本物の人間だと錯覚しそうになり、木田はまぶたを何度も強く閉じた。
「わかりました」
 というセフィロトの元通りの落ちついた声が聞こえる。
「パスワードは、77文字。『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』です」
「旧日本国憲法第2章第9条第1項か!」
 武藤が噛みつくように叫んだ。
「確かに15年前に改正されるまで、国粋主義者どもにとって、この条文は忘れたくても忘れられぬ屈辱の合言葉だっただろう」
「よし!」
 木田は同僚に先んじてキーボードに飛びつき、弾丸のごとき勢いでパスワードを叩き込んだ。
 ディスプレイは数秒間ためらうかのように明滅し、そしてタスク画面を表示した。
「やったっ!」
「よし、勇人。まず通信画面を開け。鏑木が連絡を取っていた人間のIDを片っ端から調べるんだ」


 数分後。木田はいまいましげにコンソールを叩いた。
「だめか……」
「すべて削除されている……」
 科学省の補佐官たちは、がっくりと肩を落とす。
「鏑木は、こうなることを予測して、クーデターの前に情報をすべて消去していたんだな」
「何も、見つからないのですか」
 彼らのうしろで、セフィロトはしょげかえっている。
「ああ、残念だがそのようだ。パスワードでロックしていたのは、俺たちを欺くためだったのかもしれない」
「わたしは結局、お役に立てなかったのですね……」
 武藤は、部屋のドアが開いたのに気づいた。フロアを巡回している一般タイプの定期清掃ロボットだ。部屋に入るときにパネルをオフにしておけばよかったと舌打ちする。
「でも、なぜそんなふうに、わたしたちを欺く必要があったのでしょう?」
 セフィロトは不思議そうに首を傾げた。
「ああ? そんなの決まってるだろう。僕たちががっかりする顔を見たいからだよ」
 木田が答える。
「でも、本人は死んでいるから見られないでしょう? 人間は死んだあとも、どこからか状況を観察する意識が残っているのですか?」
「てめえといちいち禅問答する元気は残ってないよ!」
 彼らがまだ端末機の前で未練がましく言い合っているとき、部屋の隅を掃除していたロボットが、ぴたりと吸気音を止めた。
 前触れもなく、くるりと180度回転したその頭部には、砲身がのぞいている。
 セフィロトはびくんと体をこわばらせた。
「危ない!」
 そう叫びながら、彼はコンソールに張りついている木田を抱きかかえて、床に突っ伏した。一瞬前まで木田の体があったあたりの空気は青白い光線に切り裂かれ、端末装置は砲撃を受けて黒煙をあげる。
「あんにゃろっ」
 同じくとっさに床に伏せた武藤が、懐から銃を取り出し、清掃ロボットに向けた。
「待って! 攻撃を受けると自爆します」
 セフィロトは鋭い声を上げると、一瞬のうちに木田から離れ、ロボットにとりついた。
 砲身のすきまから手をつっこむ。
 2秒後、清掃ロボットのすべてのランプが消えた。
「もうだいじょうぶです。エネルギー系統を強制遮断しました」
 伏せているふたりに近づいて、力なく報告した。
「なんてこった」
 木田が片腕を押さえながら、立ち上がった。「掃除ロボットを、戦闘用に改造してやがるとは」
「誰がやったのか知りませんが、ロボットをこんなことに使うなんて、ひどすぎます」
 同族をもてあそばれた憤りに震える声で、セフィロトもつぶやく。
「データ消去のついでに鏑木のやつが、パスワードの入力と同時に端末を攻撃するようにプログラムしておいたんだろう」
 武藤は銃をしまいながら、吐き出すように言った。
「セフィロト。さっきのおまえの質問の答えだが、おおかた奴は、自分の死後に秘密を探ろうとする人間を抹殺できることをほくそえみながら、死んだんだろうぜ。まったく人間って生き物は崇高どころか、とことん業が深い」
「……」
「気にするな、おまえはよくやったよ。おまえがいなければ、俺たちの誰かが今頃黒こげだ」
 そう言いながら、武藤はしょんぼりとうなだれるセフィロトの頭をぽんと叩いている自分に気づいて、笑いを噛み殺した。
 まるでガキを慰める父親みたいな気分になってるじゃないか、俺は。
「それにしても、やっぱりおまえはロボットだな」
 にやにやしながら、木田が言った。
「え?」
「僕のことを助けただろう。自分の身の危険をかえりみずに。ロボットは自分か人間かという二者択一の判断をせまられたら、人間を助けるという絶対命令には背けないんだよ」
「そうではないんです」
 セフィロトは困ったように笑った。
「なに?」
「わたしは、ちゃんと自分が生き残ると計算したうえで行動しましたから」
「なんだと」
「人間かロボットかという二者択一の問いに対して、片方だけを選ぶつもりはありません。
両方とも生き残ることが、わたしの答えです」
「……くくっ」
 武藤はふきだした。
「勇人。やっぱりこいつのほうが、おまえよりも人間が一枚上だよ」
   



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