第3章 「柔らかな迷路」(3)
BACK | TOP | HOME 「セフィ先生、ちょっと」 栂野が職員室の向こうから手招きしている。 「はい」とセフィロトは、急ぎ足で副園長机に向かった。 「今度の園外学習のコースについてですが、子どもたちの意見を聞いてプランを作ったのは、あなたですね」 「そうです」 「ここに書かれていることは、本当ですか?」 と、黒い薄型電磁プレートを机越しに渡す。プレートの表面には電子文字で計画のあらましが記され、コンピュータに差し込めば、内蔵ディスク部分でひとりひとりの子どものアンケート結果と細かい日程や予算についてのデータを読むことができる。 「よりにもよって、【東京カジノシティ】の見学とは。うちの生徒たちには、ちと刺激が強すぎませんか?」 「けれど、みんなの提出した研究テーマは、とても多彩で興味深いものばかりですよ。 『ルーレットにおけるツキとRND関数の数学的解析』 『東京都におけるカジノの経済的波及効果と財政負担のバランスシート』 『ポーカーフェイスの心理学的考察』」 「むむむ……」 「わたしも一度行ったことがありますが、見ているだけでも楽しいところでした。子ども向けのショーもありますし、カジノシティ側も、こちらのプランに全面的に協力してくださるとおっしゃっていますし、学習と社会見学とレクリエーションという園外学習の三つの目的に見合った場所だと思います」 「……なるほど。それなら結構です。くれぐれも、あらゆる事態を想定した綿密な行動計画を作成してください。先方との打ち合わせも、おさおさ怠りないように」 「はい。わかりました」 セフィロトはお辞儀をして、栂野の前を去ろうとした。 「あ、ちょっと」 「はい。何でしょうか」 「ついでに、手伝っていただきたいことがあります。来てください」 副園長は有無を言わせず、彼をともなって校舎の裏手に回った。 他の教師たちには細かい心くばりを見せる栂野だが、どうもセフィロトに対してだけは、やたらに人使いが荒い。無意識の私的感情がそうさせるらしい。 「セフィ先生は毎日人の倍動いておられるのに、全然疲れたとおっしゃいませんね。たいしたものです」 「それはもう。若いですから」 「どんなときでも、汗をおかきになっているのを見たことがない」 「はあ。汗があまり出ない体質でして」 「トイレ休憩にも、いらっしゃらない」 「えーと、勤務中は水分を控えるようにしてますので」 「しょっちゅう理髪店に行かれると見えて、髪型も崩れたことがありませんな」 「そ、それは、きっと新発売の形状記憶ヘアスプレーのおかげです」 「へえ。そんなものがあるんですか」 ぼさぼさと伸びきった自分の髪を掻いている栂野の後ろで、もしやロボットであることを疑われているのではないかと、セフィロトは気が気ではない。 「で、今日はここの不要物の処理をお願いしたいのです」 用具入れの扉をスイッチで開けると、副園長は中の物体を指差した。 「え……?」 セフィロトは驚きに目を見張った。 暗がりにころがっていたのは、ついこのあいだまで【すずかけの家】の園内をせっせと綺麗にしていた 掃除ロボットだった。クリンを二回りほど大きくしたようなドーム型で、かなり高度な会話機能も備えていて、いつも子どもたちと楽しそうに話しながら働いていたのに。 「これを……捨ててしまうんですか」 「ええ、掃除はこれからできるだけ児童の手によって行なうと、先週の職員会議で決めたはずです」 「でも、まだ耐用年数が来ていないのに。どこか別の場所で働けるようにしてやることはできないのですか」 「無理ですな。今は、リサイクルのためのプログラム更新料よりも、廃棄料金のほうが安いのです。園にはそんな余分な予算はありません」 熱さにも似た苦い感情が、体の奥底からわきあがってくる。 「どのロボットも、何かのために造られています。園庭の掃除がこのCCL2型の仕事なんです。もしこのまま廃棄されたら、このロボットは何のためにこの世に造られてきたんですか」 「まるでロボットに、この世で果たす使命があるみたいなことをおっしゃるのですね」 「造られたものには、何にだって必ず造られた目的や使命があります。それを果たし終えるまで働きたいと願うのは、人間もロボットも同じはずです」 「そんなことがあるものですか」 セフィロトのあまりの剣幕に、栂野はやや鼻白んで答えた。仮にも『ロボット不要論』を奉じている人間、この件に関しては、決して譲れないものがある。 「ロボットなど、人間の都合で造られたものでしょう。その都合が変わって不要になったから廃棄するというのに、何の問題がありますか。あなたは感傷的になりすぎてロボットを擬人化していますよ。セフィ先生」 「擬人化……」 「ロボットは機械です。人と同じように考えるべきではありません」 そのことばに囚われてしまったかのように急に口をつぐんだセフィロトに、栂野はやや戸惑いながらも、さらに言い募った。 「ロボットには、この世に造られた目的など必要ありません。だってそうでしょう。人間のように永遠に残る価値あるものを、後世に託すこともできないのですから」 「みんなの中で女の子は手を挙げて」 四歳児クラスの今日のテーマは、「わたしたちの社会」だった。 「じゃあ、男の子は?」 学ぶことは、今の日本の仕組みについて。 移民をほぼ認めない単一民族国家。その結果訪れた、人口七千万のうち三分の一以上が65歳という超高齢・少子社会。それらのことを、教室の前のスクリーンに次々とあらわれる画像やグラフで、わかりやすく説明する。 教室の中央に、赤ちゃんを抱く女性と男性のホログラムが大きく映し出された。 「今から百年以上昔までは、このように女の子は大きくなるとお母さんになり、男の子は大きくなるとお父さんになりました。そして家庭を築き、子どもたちを産み育てました。けれど、みんなは家庭で育っていません。どうしてだと思いますか?」 何人かの子どもが、「はいはい」と勢いよく手を挙げる。私はちらりとユキナちゃんを見た。彼女はじっとうつむいて前を見ようともしない。 残酷な授業だと思う。でも、これは【すずかけの家】に入園してきた四歳児が、社会科で最初に学ぶべき重要な単元なのだ。 「はい。ヨクくん」 「ぼくたちは、人工授精で生まれて人工子宮の中で育ったからです」 「そうですね。21世紀になってからの日本では、結婚して子どもを産み育てる女性と男性の数がどんどん減ってしまいました。それにはいろいろな理由があります。子どもを育てると、とてもお金がかかること。地球の環境が少しずつ悪くなっていったことへの不安。子育てをするお母さんをまわりが助けてあげなかったこと」 心の奥底では、さっきから元気のないセフィロトのことが気になっていたが、今はデリケートな授業の最中。子どもたちのことを見る余裕しか私にはなかった。 「けれど何よりも大きな理由は、人と人との結びつきがだんだんと弱くなってしまったことです。おばあちゃん、おじいちゃん、お母さん、お父さん、子ども、孫。何百年何千年とずっと続いてきた家族の結びつきが弱まり、人々は子どもを育てることを嫌がり、怖がるようになりました。そこで日本の国は社会で子どもを育てることを選んだのです」 「胡桃先生、社会って何?」 「社会とは、人々の集まりです」 私は不安な顔をしている子どもたちの顔を、ひとりずつ見渡した。 「この【すずかけの家】も、社会の一部。政府も、先生たちも、お母さんやお父さんたちも、近所の人も、みんなでいっしょに子どもを育てて行こうと決めたのです。大人はみんなで子どものことを愛していこうと決意したのです。だから、みんなにお母さんやお父さんがいないことを悲しいと思う必要はありません。先生たちがみんなのそばにいます。みんなのことを愛しています」 授業が終わったあと、子どもたちひとりひとりを抱きしめる。力いっぱい抱きしめてあげる。 でも、心の中は千々に乱れるのだ。本当に私たち教師が、親の代わりに子どもたちを愛することなどできるのだろうか。それは傲慢な考えではないだろうか。 明日にだって退職して首がすげ替わるかもしれない私たちに、親と同じ愛情が注げるのだろうか。 愛とは、もっとかけがえのないものだと思う。その人でなければ与えられないものだと思う。 そう考えるのは、私が両親の手で18歳になるまで育てられたという、今の日本ではまれな体験を持つからだろうか。 【すずかけの家】で育った樹は、私のことがとてもうらやましいと言っていた。俺にはそうやって愛された体験がないとも言っていた。 わからない。日本という国は、未来に対して間違った選択をしてしまったのだろうか。 四歳児クラスの授業が終わったあと、セフィロトは子どもたちを連れて園庭に遊びに行ってしまった。ほんとうは彼が暗い表情をしていたのが気になっていたのだけど、話す暇もなかった。 校舎から教員室へ向かう廊下を歩いていると、けたたましいチェーンソーの音が響いてくるのに気づいた。 窓から覗くと、裏庭で栂野副園長が、材木相手に必死に格闘している。 本当にこの人は、片時もじっとしていない人だ。私はほほえましくなって、つい進路を変えた。 「副園長先生」 人が近づく気配を察したのか、彼はチェーンソーをオフにして、真っ赤な顔を上げてにっこり笑った。 私はいつのまにか、彼と接することに抵抗を感じなくなっている。 「何を作っていらっしゃるんですか?」 「庭の間伐材で、なにか子どもたちの遊び道具ができないかと思いましてね」 首にかけた手ぬぐいで、栂野先生はしきりに汗をぬぐう。 「うわ、木馬だわ。牧場にいたころ父が乗馬の練習用にって作ってくれました」 「へえ、桐生博士が」 切ったばかりのごつごつした木の断面をなでているうちに、つんと鼻の奥がしびれてくるのを感じた。弱気になっていたのかもしれない。目の前にいる栂野先生は、ほんとうに父に似ていた。 「古洞先生、どうなさいました?」 両手で顔を覆ってしまった私に気づいて、あわてたように問いかける彼の声が聞こえた。 子どもたちを次の授業に送り出したあと、セフィロトは校舎の裏手の用具入れに向かった。 薄暗い倉庫に入ると、片隅に置かれているCCL2型のスイッチを入れる。掃除ロボットは息を吹き返したように、ピピッと音を軽やかな音を立てて、胴体のジョイントをくるくると回した。 「CCL2型、おはよう」 「オハヨウ、ゴザイマス」 床にひざまずくと、セフィロトは持ってきたクロスでCCL2型のボディを丁寧にぬぐい始めた。 窓から差し込むほこりの浮かぶ日光に照らされて、磨かれた金属が鈍く光る。 CCL2型はおとなしくされるままになっていたが、やがて言った。 「掃除ノ、時間デス」 「もう掃除はいいんだよ」 セフィロトは、小さな子どもに言い聞かせるようにささやいた。 「デモ、今日ハ、藤棚ノ下ヲ、掃ク予定、デス」 「……」 「ソレニ、週ニ一度ノ、ぐらうんどノ草取リ、ノ日デス」 「もう、いいんだ」 いっそうの力をこめて手を動かした。 「【すずかけの家】の庭掃除は、きみではなくて、先生や子どもたちですることに決まったんだ」 「デモ、雑草ノ葉は鋭クテ、根ハ、トテモ深イノデス。子ドモタチガ、手ヲ怪我シテシマイマス」 セフィロトはクロスをぎゅっと握りしめると、うなだれた。 「気をつけるよ……怪我しないように、みんなに注意しておく。だから、心配しないで……」 そして、意を決して立ち上がる。 「さあ、おいで」 外に出た。セフィロトが先導して歩く。校舎の裏をぐるりと回ると、森の片隅に作られた廃棄施設に着いた。 セフィロトが処分待ちのゴミの格納庫の扉を開けると、CCL2型は動きを止めた。 「……ワタシハ、廃棄処分ニ、ナルノデスカ?」 「ごめんね」 CCL2型のお椀型の身体に両腕を回して、抱きつく。「ごめんね。きみはまだ働きたいのに」 「仕方、アリマセン。人間ノ選択シタコト、ナラバ、ソレガ最善デス」 「でも……」 セフィロトは、身をよじるようにして叫んだ。 「人間の都合って……人間の都合って何なんだよ! ロボットだって、意味があってこの世に生まれてきてるんじゃないか!」 静かに格納庫に入ったCCL2型のスイッチを切ったとき、その表面に水滴がついているのに気づいた。 何かの拍子にこぼれ落ちた掃除用のクリーナー液に違いない。だが、セフィロトには、それがロボットの涙のように見えた。 「副園長。私、毎年この時期になるとわからなくなるんです」 思わず涙ぐんでしまった自分に戸惑いながら、私は蚕のように切れ目のないことばを吐き出して訴えた。 「この【すずかけの家】で乳幼児棟から移ってくる子どもたちは、いつも愛してほしいと全身で訴えています。四歳で専任の養育スタッフから切り離して、いきなり集団生活に入らせる。私たちが行なっていることは正しいんでしょうか」 栂野教諭は次第に口元をへの字に曲げ、眉根を寄せた。 「私たち保育教師は、ほんとうに子どもたちの心の求めに応えているんでしょうか」 「古洞先生、教育省から派遣されてきた一官僚の立場として言えば」 彼はゆっくりと言った。 「少子化にともなう政府の人口増加対策に、人工授精児の誕生はなくてはならないものです。わたくしたちは、子どもたちに考えうる限りのあらゆる最高の環境を用意し、それは成功してきました。……そう申し上げるでしょう」 自分をあざ笑うかのごとき、皮肉な調子だった。 「でも、わたくしの個人的な意見は違います」 「……え?」 「子どもには、家庭が必要です。それが人間が太古より営んできた、本来のあるべき姿です」 彼は、高ぶる感情を鎮めるように目を二三度しばたいた。 「もちろんわたくしは、人工授精によって生まれた【すずかけの家】の子どもたちを愛しています。彼らは決して間違って生まれてきたのではない。ですが同時に、男女が結婚して子どもを育むことは、この国の将来にとっても何よりも尊いと考えます。そうやって人間という種族は永い時をつないできたのです」 そのことばを聞いたとき、私の胸のどこかが、ずきりと何か重いものに打たれたように感じた。 それは、遠い昔の記憶が動いた痛みだった。 『……樹。私はあなたとの赤ちゃんが欲しい』 用具入れから戻ってきたセフィロトは、遠くから見てしまった。 胡桃と栂野が、向かい合わせに立ち、互いを見つめているのを。 そして、彼の人間離れした聴覚は聞いてしまった。 『男女が結婚して子どもを育むことは、この国の将来にとって何よりも尊い』という栂野のことばを。 (胡桃とわたしが結婚しても、子どもは生まれない。胡桃は人間だけど、わたしは……機械だから) そう考えたとき、全身が冷水を浴びたように凍えた。 (CCL2型とわたしは、何も変わらない。次代に何も伝えることができず、人間の都合でこの世に生まれた存在……) セフィロトはそっとその場を立ち去り、歩き始めた。 (好きな人にヤキモチを焼いてもらえれば嬉しいなんてバカなことを、なぜちょっとでも思ったりしたんだろう) きつく唇を噛みしめる。 (知らなかった。人を妬むということが、こんなに苦しいなんて。自分に欠けているものを思い知らされることが、これほど絶望に満ちたことだったなんて……) そして、すずかけの木のそばまで来ると、彼は梢を見上げた。 (知らなかった? ――いや、……わたしは忘れていたんだ) NEXT | TOP | HOME Copyright (c) 2003-2007 BUTAPENN. |