第4章 「誇りある生き方」(4)                   BACK | TOP | HOME




 七月の上旬、【すずかけの家】一学期最大のイベントである【園外学習】が、二日間の日程で行なわれた。
 【園外学習】は、毎年工夫をこらした課外活動が計画されるのだが、今年は特に変わっている。
 なんと、【東京カジノシティ】の見学。発案者はセフィロトだ。
 カジノシティと言っても、賭け事だけの街ではない。レストランも一流の味が安く楽しめるし、室内遊園地やサーカスや、子ども向けのキャラクターショーも豊富で、一日平均二万人以上の入場者があるという。
 ただし楽しいばかりではない。多いときには千万ドル、円に換算すると二百万円以上のお金が一日で動くというのだから、不穏な噂も絶えない。栂野副園長が、最後までOKを出すことをしぶっていたのも無理はないのだ。
 しかし、今もなお大規模な地球温暖化防止策を取り続けなければならない東京都にとっては、カジノから上がる税収は、財政の大切な柱となっている。
 それに加えて、カジノのほとんどが、今やアジア経済の中心である中国からの外資系企業によって運営されていることなど、ナマの政治や経済を勉強するには格好の場所であることは間違いない。
 今回【すずかけの家】の園外学習を引き受けてくれたのは、【スリースター】という、カジノシティの中でも特に人気を呼んでいる巨大カジノだ。
 まず子どもたちは、一番の目的である自由研究のために、年齢別にいくつかの班に分かれた。そこに最低ひとりの教師と、カジノからの案内スタッフがひとりついて行動する。
 八歳クラスから経営方針や雇用問題に関する突っ込んだ質問を受け、スタッフは目を白黒させている。
 七歳クラスはルーレット台に張りついて、ディーラーの手の角度や球の速度などをビデオ解析し始めた。
 六歳クラスは、都のカジノ特別区担当の職員を取り囲んで、都財政問題に関する矢継ぎ早の質問をしている。私はこの六歳クラスの付き添いだった。
 五歳クラスは、ポーカーをしている人たちの表情を三次元カメラに取り、コンピュータの画像処理にかけている。ここからいくつかのパターンを割り出す研究だ。
 四歳クラスは、さすがにひとつのテーマを研究するには、まだ早すぎる年齢だった。カジノの全面的な協力もあってエリアの一角を開放してもらい、自由にマシンに触って遊ぶことになった。セフィロトはこちらの担当だ。
「セフィ先生、こっち来て。これどうやったら赤がでるの?」
「セフィ先生、キングと4と6と足したら、いくつになるの?」
 彼は、八人の子どもたちの監督で走り回っていた。
 ユキナちゃんは、ひところよりはマシになったが、相変わらず集団の中では引っ込み思案になってしまう。
「ユキナちゃん、このスロットマシンは面白いですよ。果物の絵がそろうと、チップがたくさん出てきます。やってみませんか」
「いやだあ。そんなのキライ」
 と、セフィロトの首にむしゃぶりついて離れない。
「じゃあ、わたしがお手本を見せましょう」
 五分後。
 ふたりの座っているマシンはジャックポット連発で、チップがバケツからこぼれ落ちそうになっていた。セフィロトの動体視力と運動神経にかかれば、スロットマシンの図柄をそろえることなど朝めし前だ。
 という具合で、一時間後。
「ユキナちゃん。もうそろそろ他のところに行きませんか」
「いやあ、もうちょっとやるぅ」
 今度はひとりでスロットマシンに張りついて、離れない。ユキナちゃんがこれほど乗りやすい性格をしているとは、意外な発見だった。
 ときどき、タイミングよく足し算や掛け算の問題を出したり、確率について考えさせながら、セフィロトは子どもたちをすっかり夢中にさせることに成功していた。
「セフィ先生」
 まるでここの常連かと思うほど、カジノに似合うセクシーな服装をした伊吹織江先生が近づいてきた。
「もうすぐ、食事の時間だ。子どもたちは私たちでレストランに連れていくから、付き添い役の先生方は今のうちに休んでおいてくれ」
「わたしなら、だいじょうぶですよ」
「そうもいかんだろう。少しはトイレに行く真似をしたり、疲れた素振りぐらい見せないと、怪しまれるぞ」
 伊吹先生はいたずらっぽい仕草で、栂野副園長のほうに顎をしゃくって見せた。総指揮役の栂野先生は、朝からロビーの真ん中で、仁王のようにでんと立って全体の様子に目を配っているのだ。
「まだ彼には、ロボットだということを打ち明けていないのだろう?」
「はい、そうでした」
 セフィロトは素直にうなずいた。
 せっかく栂野教諭と心を通わせることができたばかりなのに、ここで自分がロボットであることを知られてはまずい。
 伊吹先生と交替したセフィロトは、同じく休憩に入った胡桃と合流すべく、フロアを歩き始めた。
 そこへ、北見さくら先生が走ってきたのだ。彼女は、五歳クラスの付き添いだ。
「セフィ先生、アラタくんを見ませんでしたか?」
「アラタくん?」
「みんなといっしょにそこにいたと思ったのに、五分くらい前から急に姿が消えてしまったんです」
 不安そうにしながらも、限りない信頼の目でセフィロトを見上げる。
「わかりました。ぐるっと見てきます。さくら先生は他の7人を集合させて、先にレストランに向かってください」
「はい」
 セフィロトは視力と聴力をマックスレベルに押し上げながら、一方でアラタくんがいたという場所の赤外線反応をトレースした。
 木暮アラタは、古洞樹博士に匹敵するほどの天才的頭脳の持ち主だ。
 だが、ひとりでじっとしていることが多かった樹に比べると、対照的なほどの行動派である。しかも、同じクラスの五歳児たちともうまく付き合って、リーダーシップを発揮している。
 アラタくんの居場所はすぐにわかった。トイレの脇に、『スタッフオンリー』と書かれた表示がある。その奥の通路の中でうろうろしていたのだ。
「アラタくん」
 声をかけると、一瞬びくっとしたが、すぐにニヤリとして振り返った。「なんだ、セフィか」
「なんだじゃありません。どうして単独行動などするのですか」
「ここからは、オレひとりの自由研究さ」
 悪びれた様子もなく、アラタくんは、さらに奥に向かおうとした。
「ポーカーフェイスの研究は、オレにはちょっと退屈すぎるんでな」
「で、アラタくんだけの自由研究っていったい何ですか?」
 アラタくんは、意味ありげに声をひそめる。ほとんど口の動きだけの会話だ。
「裏資金の流れの解明さ。武器の密輸、地下銀行、マネーロンダリング。かならず表に出せない金が、カジノにはあるはずなんだ」
 セフィロトは「呆れた」とつぶやいた。
「刑事ドラマの見すぎですよ。そういうものは、ただの作り話です」
「本当のことさ。オレはネットワークに違法アクセスして、普通では知らない情報も得てるんだ」
「それでは、二度とそんなことができないように、【すずかけの家】のコンピュータに命じておきます」
「セフィ。おまえはロボットだから、人間の裏にひそむ欲望ってヤツをまだ知らないんだよ」
「五歳の子に、そんなものを教えられたくありませんね」
 セフィロトはひょいとアラタくんの身体を横抱きにすると、歩き始めた。
「おい、何をするんだ」
「昼食の時間です。早く行かないと、ビュッフェ名物のジャンボプリンがなくなってしまいますよ」
「もう少しだったのに。この奥が絶対にあやしい。オレなら幼児のいたずらってことで、大目に見てもらえるんだぞ」
「どうなさいました?」
 突然、後ろから声がかかった。
 黒いスーツを着た背の高いアジア人の男が、慇懃な微笑を浮かべながら、こちらを見ている。
「すみません。わたしは、園外学習に来ている【すずかけの家】の教師です」
 セフィロトは、お辞儀をした。「この子が迷子になってしまいました。立ち入り禁止の場所に入って、すみませんでした」
「それならいいのですよ」
 男は答えた。「目が行き届かず、こちらこそ失礼しました。お客様にもしものことがあれば、私どもの責任になります。お困りのことがあれば、次は遠慮なくおっしゃってくだされば、可能な限り対応しますので」
「ありがとうございます」
 男に見送られる中、ふたりは通路から、ひとけのないロビーに戻った。
 まだ横抱きにされているアラタくんは、
「な、あいつ怪しいだろ。殺し屋って感じだろ」
 興奮して足をばたばたさせている。
「そうですね」
 セフィロトも、真顔で答えた。アラタくんの勘が正しいことを認めないわけにはいかなかった。
 さっきの男はふところに光線銃をいつでも抜けるように隠し持っていたのだ。それに、とっさに計測した発汗と脈拍数。すごい殺気だった。
 セフィロトはさりげなく、うしろを振り返った。
 さきほどのスーツの男は、一番奥の部屋の扉を開けて、中に消えていくところだった。
 扉の隙間から、部屋の中の様子がわずかに捉えられた。
 映像を再生して、分析する。合わせて、部屋の奥の赤外線透視も行なう。
 中には、三人の男がいた。いずれも、スーツ姿。三人とも銃を持っている。
 部屋全体は一見すると、豪奢なカーペットを敷いた重役室か何かのようだった。
 大きくて重厚な机があり、その後ろの壁に、毛筆の額が掛けてある。
 そこには、中国の漢詩から取ったと思われる『堅忍不抜(けんにんふばつ)』の四文字が墨書されていた。
 そこまで精査したセフィロトは、自分の頭が爆発したような衝撃を受けた。
「セフィ?」
 アラタくんが叫んだ。彼を抱いたまま、セフィロトが床に膝をついて前のめりに倒れそうになったからだ。「セフィ先生!」
「だい……じょうぶ、です」
 うつぶせたままの瞳は、見たこともないほど金色に光っていて、アラタくんは一瞬ことばを失った。
 数秒して、ようやくセフィロトは顔を上げた。
「いったい、どうしたんだよ」
「人工知能がフル稼働して、エネルギーの大部分を必要としたんです。だから身体のバランスを崩してしまいました」
「何のために?」
「長いあいだ解けなかった難問が、今ようやく解けたんです」
「え?」
 セフィロトはすっと立ち上がって、奥の部屋を静かに燃えるような目でにらみつけた。
「パスワードを見つけました。……まさか、こんなところにクーデタの首謀者がいたとは」


「なんだと、もっと分かるように言え」
「だから、社是ですよ。【東京カジノシティ】で、【スリースター】ほか三つのカジノを経営している【越(ユエ)・コンツェルン】の社是が、『堅忍不抜』というのです」
 その日の園外学習が終わり、無事に40人の子どもたちとともに【すずかけの家】に戻ってきたセフィロトは、無人の教員室のコンピュータから、柏所長に緊急通信を送った。
「『堅忍不抜』というのは、北宋の詩人・蘇軾の書いた、
『古之立大事者 不油惟有超世之才 亦必有堅忍不抜之志』
という詩の一文からの引用なのです。で、【テルマ】が提供してくれた暗号のパスワードは、この漢詩を素数式の鍵生成アルゴリズムによって……」
「わかった、わかった、そこの説明は省略していい。で、結局、暗号は解けたんだな?」
「解けました。そしてその結果、鏑木局長が【テルマ】を通じて極秘通信を行なっていた相手とは、【ユエ・コンツェルン】のコンピュータシステムの中の一台であるということがわかりました」
 セフィロトは口を閉じ、【テルマ】はなぜ、このパスワードを選んだのだろうと考えた。
 ことによると、【ユエ・コンツェルン】全体が、日本の国防省と科学省を舞台とする今回の軍事クーデタ計画に加担しているのではないか。そのことを【テルマ】は暗に教えようとしたのではないか。
「【ユエ・コンツェルン】か……。確かにカジノ産業を隠れみのにしたチャイニーズ・マフィアがバックについているとなれば、クーデタ首謀者たちが、あれほど潤沢な資金を調達できたのも、うなずける」
 興奮を抑えた強ばった声を出している柏所長も、どうやらセフィロトと同じことを考えているようだ。
「それにしても、たまたま保育園の遠足で行った場所が、探していた敵の巣窟だったとはな。おまえも悪運の強いロボットだ」
「悪運なんて、強くなりたくありません」
 セフィロトは、うんざりした表情で答えた。
「そろそろ終わりの会が始まるので、行かないと。これで、お約束した任務は果たしました。あとのことは、そちらでお願いします」
「待て、セフィロト」
 柏はあわてて、モニター画面の向こう側からセフィロトの胸倉をつかもうとするかのように腕を伸ばした。
「園外学習のために、明日も【スリースター】に行くと言ったな」
「それがなにか」
 セフィロトは冷たく返した。「言っておきますけど、これ以上協力するつもりはありませんよ」
「向こうで、自由時間くらいあるんだろう」
「とんでもありません。わたしは教師として行くんです。子どもたちを放っておいて、【ユエ・コンツェルン】のコンピュータシステムに侵入する暇なんてありません」
「わかってるじゃねえか、俺が何を頼もうとしているか」
 柏はにやりと笑った。
「ここまで来たら、乗りかかった舟だと思わないか。また別の部下を内偵に入れるには、膨大な時間と危険が伴う。子どもたちの付き添いという名目で明日もフリーパスでうろつけるおまえなら、その手間がはぶける」
「お断りします。今回だけは引き受けられません」
「武藤や木田を、代わりに危険な目に会わせることになるが、それでもいいのか」
 セフィロトは、ぐっと返答につまった。
「脅しなんて、ずるいです。柏所長」
「それだけ、おまえを信頼しているんだ。頼む」
 画面の奥から、柏がじっと彼を見つめ続けている。
 こちらも、目をそらせない。それほどまでに、その視線は切迫した状況を現わしていた。




NEXT | TOP | HOME
Copyright (c) 2003-2007 BUTAPENN.