第1章 「微笑む機械」  (1)                          TOP | HOME




 冬の青空にむかって伸びている巨大なノズルの先が、もわりと透明な湯気を吐き出している。
 私は、首の筋が悲鳴を上げるのも忘れて、いつまでもいつまでも見上げていた。
 あれが、3000度の超高温で分子レベルまで分解されたあの人。
 昨日の朝まで私に微笑みかけてくれたのに。「胡桃(くるみ)」と私の名を優しい声で呼んでくれたのに。
『胡桃、泣くな。俺はいつまでもおまえといっしょにいるから。決してひとりにしないから』
 嘘つき。
 あなたは、ああして大空のかなたに行ってしまうじゃない。
 私を置いて、死んでしまったじゃない。
 私に残されたのは、遺体処理場の職員がさっき渡してくれたニ枚のメダル。
 古洞 樹(こどう いつき)。2113―2142
 つるりとした赤銅色の面に、夫の名前と生没年が刻んである。
 28歳の天才工学博士、世界に並ぶもののない人工知能の権威。そして魂が燃えあがるほどに私を愛してくれた夫。
 彼の体を構成していた鉄や亜鉛、銅などの金属を抽出して混ぜ込んで円く鋳られたそれは、一枚はサンクチュアリ(共同墓地)の台座にはめこまれ、一枚は妻である私の元に残ることになる。
 まだ鋳型から出してほんの少ししか経たないため、わずかに温かい。
 まるで、もうこの世から消えてしまった彼の体のぬくもりが、私の手を温めているように。


「胡桃」
 庭の向こうから、私を捜していたらしい両親が近づいてくる。小柄な母が、24歳の私を子どものように抱きしめた。
「しっかりして、胡桃」
「お母さん。そんなひどい顔だと美人がだいなしよ」
 かたわらにいた父が、目に疲れの色をにじませて私を見つめる。
「しばらくでいいから、ニュージーランドに戻って来ないか。落ち着くまでいくらでも、うちにいるといい」
「やだ、そんなの無理よ。私だって月曜から仕事に戻らなきゃいけないし」
 快活に答えて、空をもう一度見上げる。
「それに、結婚の前からこうなることはわかっていたもの。それが少し早くなっただけ。覚悟はできてたわ」
 思いつめた両親の表情に、クスっと声を立てて笑った。
「またあ。心配性なんだから、ふたりとも。また皺が増えるわよ」
「胡桃」
「……皺を増やしたのは、私ね。余命数年と言われた人と結婚した一人娘が、どんなに心配をかけたか」
 私は笑顔を消して、ふたりに飛びついた。
「お父さん、お母さん。今まで黙って見守っていてくれて、ありがとう」
 ふたりをかわるがわる抱きしめてから、涙をふりはらう意味で元気な声をあげる。
「さ、帰りましょう。何日か泊まっていくんでしょ。晩ごはん、どこで食べようか」
 両親の肩を押して、駐車場に向かって歩き始めると、門のところに立っていた背の高い喪服の男が、こちらを見ているのに気づいた。
「犬槙さん」
 彼は、私たちに向かって丁寧に会釈をした。
「犬槙魁人(いぬまきかいと)さん。樹とずっと共同研究をしていた工学博士」
 結婚式のときに会ったきりだというような会話を、両親は短く彼と交わした。
「胡桃ちゃん」
 縁なし眼鏡の奥から、犬槙さんは私を優しく見おろした。
「君に見せたいものがあるんだ。きみのために樹から預かっている」
「え……?」
「研究室にいつでもいいから、来てくれないかな。今週は無理だろうけど、来週あたり」
「わかりました。月曜から出勤の予定なので、夕方ならうかがえます」
「また、電話するよ」
 にっこりと微笑み、立ち去りかけた彼はもう一度振り返って、
「来週月曜だよ。絶対に約束だからね」
 今思えば彼の口調は、しつこいくらいの念の入れようだったのだ。


 月曜日になって、私は樹が倒れてから8日ぶりに、勤務先に出た。
【すずかけの家】。
 緑がいっぱいのこの広い児童保育施設で、私は保育教師をしている。
「先輩」
 私が門をくぐった途端、ひとりの若い女性が抱きついてきた。
「さくらちゃん」
「胡桃先輩。うわーん」
「やだ。あなたが泣くことはないでしょう」
「だって、だって……」
 北見さくらは、保育教師の資格を取ったばかりの新人だ。ショートカットで、まっ黒な目をくりくりさせて、喜びも悲しみも怒りも、ひたむきにぶつけてくる子。
 昨春にここで働き始めてから、3年先輩の私にとてもなついていた。
 樹の葬儀に出席してくれたあともずっと私の哀しみを思って泣いている、と園長から電話があった。
 その真直ぐさがうらやましいと思う。
「保育者がそんなだと、子どもたちが不安になってしまうわ。さあ、しゃんとして」
 彼女の背中をバシバシ叩いて、エントランスに向かった。
 園長室に入って、挨拶する。
 水木園長は、白髪の物静かな60代の男の人だ。
 あちこちでスタッフにお悔やみのことばをかけられ通しの私に、ひとこと「大変だったね」と、うなずくだけ。
 今日は勤務しないで、職員室からみんなの様子を見ててくれたらいいから、と言う。その気づかいに甘えることにした。
 園庭で子どもたちが歓声を上げて遊んでいるのが、ガラス窓越しに見える。
 私は樹と初めて会ったときのことを思い出していた。
 懐かしそうに目を細めて、庭の隅のすずかけの木を見上げている彼の姿を。
 私は4年前、まだ新米の保育教師。彼はここの出身者だった。


 20世紀末から日本の出生率はドンドン下がり始め、22世紀初頭には、最盛期は一億二千万いた人口が七千万程度に減ってしまった。しかも高齢化・少子化は進む一方だ。
 亡国の危機に、当時の政府が取った政策はふたつ。
 ひとつは減り続ける労働力を補うために、社会のあらゆる分野にロボットを導入すること。
 そして、もうひとつは人工受精と人工子宮による人間の誕生である。
 樹は、この方法によって生を受けた。
 遺伝学的な意味での両親しか持たない彼は、生まれたときから【すずかけの家】のスタッフの愛情を受けて育った。
 全国にはこうした子どもたちの養育施設が、政府の手厚い保護を受けて点在している。
 優秀な素質の遺伝子を持つ受精卵から生まれた彼らからは、天才的な頭脳の持ち主が多く輩出した。
 だが、神ならぬ人間の所業に、失敗はつきまとう。非人間的な野心が、スタートしたばかりの国家的プロジェクトの暗部でうごめいていた。
 一部の科学者によって、遺伝子操作が秘密裏に行われてしまったのだ。
 今は厳しいチェック体制が整ったので、そういうことが起きる危険性はなくなった。
 だから今のところその被害者は、第12代目の人工ベビー世代、いわゆる「第12ロット世代」の数百人に限られる。
 彼らは、ほぼ例外なくIQ150を越える天才だった。ただ皮肉にもそれと引き換えるように、彼らは早逝だった。
 8歳になるまでに死んだ者は全体の40%。13歳までに65%。そして、18歳までに82%の子どもが生命を失った。
 そして、私の夫、樹はその「第12ロット世代」に属していたのである。


 夕方、犬槙さんから電話があり、6時に迎えに行くと言ってくれた。
 エネルギー削減対策のため、首都高速道路は偶数日と奇数日に割り振って、車を規制している。今日は偶数日で私は自分の自動車を使えず、モノレールで通勤していたのだ。
 それまでの余った時間を、自分のロッカーや机の整理に費やした。
「胡桃先輩、すごくカッコイイ人が、門のところに立ってますよ。あれって先輩の知り合いですか?」
 さくらちゃんが、大騒ぎで部屋に飛び込んできた。
「樹が勤めてた研究所の同僚なの。犬槙さん」
「すてきな人だなあ。独身ですか?」
「さくらちゃん、ダメだよ。あの人は女たらしで有名なんだから」
「えー、そうなんですか? がっかり」
 帰り支度を整えて、園長や他の同僚たちに暇を告げると、駐車場に向かった。
「犬槙さん」
 私は彼の車に駆け寄った。相変わらず旧式の手動ドアを、私のために開けてくれる。
 犬槙さんは、21世紀のレトロで不便な物が大好きなのだ。いまだに眼鏡をかけているのもそれが理由だと言っている。
 でも私のにらんだところでは、彼の古風な趣味はすべて女性を口説くためじゃないかと思う。
 こんなふうにドアを開けてくれる男性に慣れていない22世紀の女性は、クラクラと彼に夢中になってしまうのだろうから。
 私が助手席に乗り込むと、彼は運転席に身体を沈め、スターターを入れた。
 車は静かに車体を滑らせ始めた。
「胡桃ちゃん、もう生活は落ち着いた?」
「はい、両親が泊まってるあいだはバタバタしてましたけど、昨日の朝ニュージーランドに帰ったので」
 そんな会話を交わしながら最寄のランプから首都高速道路に入ると、犬槙さんはナビゲーションシステムにアクセスして、行き先を指定した。
 首都高のナビシステムに組み込まれた車は走行を開始し、彼はゆったりと背中をシートに預けた。
「胡桃ちゃん」
 くっきりとした二重まぶたの、優しい目で私を見つめる。
「僕は、樹からくれぐれも君のことを頼まれてる。それは知ってるよね」
 私はうなずいた。
 犬槙さんは32歳。樹より4歳年上の機械工学博士だ。人工知能が専門の樹が研究所に入ったときからの付き合いだ。
 感情の表現に乏しく友だちの少ない樹にとって、彼はほとんど唯一の親友だった。
 いや、悪友と言っていいだろう。私たちが付き合い始めた頃、ちっとも進展しない私たちの仲をさんざんけしかけてくれた。私にべたべた触って、わざと樹を怒らせたり、樹のビデオファイルにこっそりポルノを侵入させて、私が彼の自宅でボー然とそれを見るはめになったり。
 内気な樹と私が結婚するための最後の一歩を踏み出させてくれた人。それが犬槙さんだった。
 この数年、彼らはずっと同じプロジェクトに取り組んでいた。特に樹の容態が悪化するまでの数ヶ月、彼らは寝食をともにしたと言っていいほど研究にのめりこんでいた。
 妻である私よりも、彼のことをよく知っている人。
「僕が君と知り合って4年、こんな美人を口説かなかったのは、ひとえに君があいつの好きな女性だからだった。でも、もう樹はいない。僕が君をものにしても、あの世からじゃ文句ひとつ言えないはずだ」
「犬槙さん」
 私は、思わず声を荒げた。
「冗談にも程度ってものがあります。ここで非常システムを作動してほしいですか?」
「ごめん」
 彼は大笑いしながら、素直に謝った。
「君の反応をすこし試してみたかったんだ。身も蓋もなく落ち込んでいるわけじゃなさそうだな」
「まったく」
「安心したよ。君が樹のあとを追おうなんて、変な考えにとりつかれてるんじゃないかと思ってさ」
「え……?」
 私の口から、カエルが鳴くような素っ頓狂な音が洩れた。
「樹がずっと心配していたんだよ。君はもしかすると、あいつが死んだらすぐにその後を追って自殺することを考えてるんじゃないかってね」
「あ、あの……」
「半分あてずっぽうのつもりだったのに、図星だったかなあ」
 喉の奥でくつくつ笑いながら、犬槙さんの目は決して笑っていなかった。
「やめてくれよ。君にそんなことをされた日にゃ、僕は樹にあの世から呪い殺されちまう」
「ごめんなさい……」
 そう答えるしかなかった。
 彼の言ったことは当たっていたのだ。
 私は死ぬつもりだった。




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