第3章 「秘密を知る者」  (2)                  BACK | TOP |  HOME




「失礼します。少し、お時間をください」
 私は監査官たちにそう断ると、質問にひとことも答えないセフィロトのもとに近寄った。
「セフィ」
「胡桃」
 彼は頼りなげに私を見上げた。
 私は椅子に座っている彼を抱きしめた。
「落ち着いて、セフィ。何も怖がることはない」
「はい……」
「家にいるのと同じ気持ちになって。私はそばにいるから。あなたなら、きっとできる」
 彼の頬にキスすると、私は役人たちに一礼して、元の席に戻った。
 彼らはしばらくひそひそと言葉を交し合っていたが、やがて質問をしていた男がわざとらしく咳払いをした。
「では、質問を続ける」
 そのあとのセフィロトは見違えるようだった。
 難解でしかも無意味に聞こえる質問に、ことごとく即答した。
 三十問ほどの問答が終わり、セフィロトと犬槙さんは退室するように求められた。
「古洞胡桃さん」
 リーダー格の人の右隣に座っていた男性が、残った私への質問を始めた。
「あなたは、AR8型とともに暮らし、教育を担当していますね。またご自身、保育教諭として児童施設で勤務しておられる」
「はい」
「あのロボットがどんな状況であるか、あなたのご意見を聞かせていただけますか」
「セフィロトは、日々成長しています。昨日できなかったことが今日はできている。脅威的な学習能力です。あらゆる物事に、ロボットとは思えないくらい人間的な反応を示しつつあります。知能的には一般の成人よりもすぐれているし、情緒面でも安定しています」
「でも、さっきはかなり不安定でしたね。簡単な質問にも答えられなかった」
「それは、このような状況ではしかたないのではありませんか。失礼な言い方ですが、いきなり知らない人たちからモルモットを観察するような目でじろじろ見られて、緊張するなというほうが無理です」
「では、あなたはAR8型は緊張していたと。しかも、知らない人間に囲まれてパニックを起こしていたと」
 驚いたように、質問者は問い返した。「それではまるで、小さな赤ん坊が人見知りしているようじゃありませんか」
「そのとおりです」
 私は同意して、うなずいた。
「顔を識別し、相手との距離を感じとり、脅威を感じるかどうか見きわめる能力を持つことは、人間の発達には当然のことです。今の彼は、それらの乳幼児の発達段階を順調になぞっています」
 監査官のあいだから、信じられないというつぶやきとため息がもれた。
「自律改革型ロボットとして、AR8型は成功しているとお考えですか」
「難しいことはわかりませんが、私は彼をひとつの人格だと思って接しています」
「先ほど抱きしめたり、キスをなさっていましたね」
 質問担当者は、口の端をゆがめるように笑った。
「はい」
「あれも、一個の人格として接するということですか。機械にそういうことをするのは、気持ち悪いとは思わないのですか?」
 同僚の中から、かすかな忍び笑いが洩れた。
 私は、かっと頭が熱くなるのを感じた。
「人はものとして扱われれば、ものとして応答します。大切な存在として扱われれば、その通りの反応を示してくれます。それは、人間だろうがロボットだろうが同じであると私は思います」
 声がにじんでくるのも構わず、続けた。
「セフィロトは古洞樹が心血を注いで完成した存在です。私は古洞の妻です。彼を自分の子どもとして愛しています」
「わかりました。どうも失礼なことを申し上げたようで」
 質問が終わり、私は会議室の外へ出た。
 悔し涙がとたんに目からあふれる。
 彼らは科学に造詣の深い人たちであるはずだ。それなのに、その彼らのロボットに対する意識が、これほど冷ややかで差別に満ちたものだなんて。
 そういう人たちの視線にさらされたセフィロトは、どれほど深く傷ついたのだろう。
「胡桃ちゃん」
 犬槙さんが、エレベーターホールの方から駆け寄ってくる。
「ごめん。辛い思いをさせたみたいだね。すまないと思ってる」
「犬槙さん、……私こそ、感情的になって心象を悪くしたかもしれません」
「だいじょうぶだよ。あの連中はいつもああなんだ。全く、どっちがロボットかときどきわからなくなるよ。あっちのほうがよっぽど、重油の血でも流れていそうだ」
「……ふふっ」
 彼は私の肩を、いたわるように軽く撫でた。
「今度は、僕が質問を受ける番なんだ。軽く一時間は越えると思う。セフィロトは研究室のほうに帰らしてあるから、胡桃ちゃんも少し休んだら、家に戻っていてくれないか。
結果がわかったら、すぐに連絡するから」


 家に戻って一時間ほどして、犬槙さんからの連絡が入った。
「合格だよ。研究の成果は高ランクの評価を受けた」
 はしゃいで声がはずんでいる。
「監査官のあいだでも少し意見が分かれたようだが、全体としてAR8形式の自律改革型ロボットとしての有能性が認められたんだ。中には手放しでセフィロトのことを絶賛していた人もいたよ。人間にしか見えないってね」
「うわ、それじゃ研究室は存続ですね」
「ああ。それどころか、助成金の大幅な増額も認可されそうだ。正式な結果は返事待ちだけど。
ありがとう、胡桃ちゃん。お礼に今度、セフィロトと三人ですげえレストランに連れてってやるよ」
「セフィ」
 私は、不安な顔をしてソファから私を見ていた彼に飛びついて、抱きしめた。
「よかったね、セフィ。あなたはうまくやったのよ。人間みたいだってみんな誉めてくれたって」
「本当ですか?」
「セフィ、大好きよ。あなたのことを誇りに思う。きっと樹も喜んでいるわね」
「それなら」
 彼は、今日はじめて心からの微笑みを見せた。
「夏休み、ニュージーランドへ行って、胡桃のご両親に会えますね」
「うん、絶対ロボットだなんてバレないよ。今度犬槙さんに会ったら、相談しよう。確か旅行用の携帯充電装置も開発してあるって言ってたもの」
 そのとき、ホームステーションの呼び出し音がまた鳴り響いた。
「はい。……、あれ、お父さん?」
 私はびっくりしてしまった。ニュージーランドの父だ。噂をすれば何とやらというのは、やはり宇宙の真理だ。
「どうしたの。……こっちは元気よ。うん、……うん、――え?」
 通信を切ったあと、私の声色から不穏な空気を感じ取ったのだろう、セフィロトが「どうしたのですか?」とたずねた。
「それが、……夏休みの相談どころじゃなくなっちゃった」
「何があったんです?」
「父が今、急な仕事に日本に来てるって。あと一時間でこっちに着く、2、3日泊まっていくって……」


 ロボット嫌いの父が、ロボットのセフィロトとともに我が家で過ごす。
 この大変な事態が1時間後に押し寄せると聞いて最初半泣きだった私も、とにかく「落ち着いて」と自分に言い聞かせて、チャイムの音にドアを開けるころには、もうすっかり笑顔を取り戻していた。
「お父さん。久しぶり」
「胡桃」
 私たちは抱きしめあった。半年前、樹の葬儀のときに会ったきり。50歳を過ぎたばかりの父は相変わらず日に焼けてたくましかったけれど、自慢のあごひげには白いものが混じっていた。
「元気そうだな。最初てっきり【すずかけの家】に行ってるものと思って電話したら、休んでいると言われて心配したよ」
「あ、そうだね。今日は用事があって休んだの。ここにいるセフィの大学の面接のことで」
 私は、口から心臓が飛び出しそうなのを堪えて、彼を指し示した。
「こちら、三ヶ月前からうちに下宿している、留学生のセフィ」
「はじめまして、桐生先生」
 セフィロトは最高の微笑みを見せながら、片手を差し出した。彼にとって今日2度目のテストのようなものだ。
「おお、よろしく。セフィくん」
 父は、愛想良く握手に応じながらも、
「胡桃、なぜ今まで彼のことを全然話してくれなかったんだ」
 と痛いところをつく。
「あ、それが手続きやらなんやらで、しばらくとてもあわただしかったの」
 そして、彼が夫・樹の留学生時代の恩師であるアメリカ人教授の息子で、日本の文化を学ぶために来日し、9月からの大学入学に備えている―ーという急ごしらえのシナリオを話した。
 父は、とりあえずその説明に納得したようだ。ましてやセフィロトがロボットだなどということは全く疑ってもいない。
 私たちは、ダイニングテーブルで麦茶を飲みながら歓談した。
「それにしても、わずかな期間でよくそこまで日本語を習得しましたね、セフィくん。まったく訛りもないし」
「ありがとうございます」
「それなら、今日の面接はうまくいっただろうね」
「はい、政府助成金も増額されることになりました」
「政府助成金?」
「あ、あ。それ奨学金のことよ。セフィったら言い間違えてる。あは、あはは」
 ふう。あぶない。
 ことばのはしばしまで細かく打ち合わせをする時間がなかったため、何を言い出すかわからない。
 セフィロトにはまだ、架空のストーリーに話を合わせていくというイメージ力は十分ではない。人間の幼児でも、「ごっこ遊び」ができるのは3歳を過ぎてからでないと難しいのだ。
 和食が食べたいという父に、鯛の潮汁、もずく、山芋の短冊の梅肉あえ、豚の角煮などを作って、食卓を囲んだ。
「セフィくんは、ほとんど食べないけど、どこか悪いのかい?」
「ああ。実は彼、胃を悪くしていて、医者から2、3日絶食を勧められているの」
「それはいけないね。梅雨明けの日本の暑さに慣れていないと、よくそういうことが起きる」
 父はうなずいて、彼に問いかけた。
「セフィくん、アメリカのほうはどんな様子ですか。放射能除去も進み、主要都市の復興は順調だと聞いていますが」
「はい。ええと」
 セフィロトはあわてて、人工知能のデータをさぐっている。
「ニューヨークは以前の53%まで人口が回復し、ロサンゼルスは70.5%まで回復しています」
「よかった。日本とアメリカは世界でただ二つの被爆国ですから、これからも協力して助け合っていきたいですね」
 私は、会話を聞きながら、食べ物の味なんか全然感じずに、機械的に箸を動かしていた。
「胡桃、……胡桃?」
「は、はいッ!」
「明日の予定のことだが、おまえは明日は【すずかけの家】に行くのだろう?」
「ええ」
「私も久しぶりに水木園長にお会いしたいのだが、いっしょに連れて行ってくれないか?」
 さっと血の引く音が自分で聞こえるような気がした。
 水木園長と父は、いわば恩師と愛弟子の関係にあたる。私が日本で教職の資格を取ったあと、【すずかけの家】で働くようになったのも、その伝手があったからだ。
 だが、もし父が【すずかけの家】に来たら、水木園長はともかく他のスタッフから必ず、セフィロトがニュージーランドで父の教え子だったという話題が出るだろう。
 そんなことになったら、今までの努力が水の泡だ。
「そ、それが残念だわ、園長は今日から3日の予定で出張なの。だから今来てもいらっしゃらないわよ」
「なんだ、そうなのか」
「せっかく来てくれても、水木園長に会えないんじゃ意味ないわよね。あははは」
 ……まったく、私の寿命は今日だけで2年は縮んでいるにちがいない。
 ともかくも、なんとか【すずかけの家】訪問を思いとどまってもらって、ほっとした私は、食卓の後片付けを済ませたあと、キッチンから顔をのぞかせ、ソファでやたらとセフィロトに話しかけている父に呼びかけた。
「お父さん、客間のベッドに新しいシーツを掛けたから、今晩はそっちで寝てね」
「なんだ、客間はセフィくんが寝てるんだろう。僕はここのソファでいいよ」
「ううん。セフィは樹の書斎を使ってるの」
「樹くんの?」
 父は、意外と言った顔をして私を見る。
「うん、樹の研究に興味があるみたいで。ほ、ほら、セフィのお父さんもロボット工学博士だから。それで書斎を使ってもらってるの」
「そうか」
 ひとつの嘘をつくと、それを隠すためにまた嘘を重ねる。
 愛する肉親に偽りを言い続ける私は、ひどい罪悪感を感じていた。いっそのこと真実を話してしまいたい。
 でも、父がセフィロトがロボットだと知ったらどうなるだろう。途端に彼を冷たくあしらうのではないか。
 今日、心無い監査の人たちの目にさらされたばかりの彼をこれ以上傷つければ、人間に怯えるようにだってなりかねない。
「ところで、胡桃、明日の予定のことだが」
「え」
「今、セフィくんと話していたのだが、彼も明日はフリーのようだし、一緒に【江戸ミュージアム】に行こうかということに話がまとまったんだ」
「……」
「彼も日本のことをいろいろ知りたいだろうし、僕も息子と遊びに行くみたいでうれしいよ。明日はふたりで思いっきり、歴史について語り合いたいね」


 私は、もう少しで卒倒するところだった。
       



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