第3章 「秘密を知る者」  (3)                  BACK | TOP |  HOME




「胡桃先生、今日は元気がないですね」
 水木園長が職員室の椅子に座っている私の背中を、優しくごしごしこすった。
「え、わ、わかります? できるだけ普通に過ごしてたつもりなのに」
「後ろ姿を見ただけでわかりますよ。いつもの胡桃先生なら、背中から元気があふれてますからね」
 あー、やっぱり園長先生にはかなわない。私は自分が接している子どもたちが、もし心のうちに感情を隠していても、まだわからないもの。


 私の悩みの原因は、今いっしょに観光をしているはずの父とセフィロトだ。
 日本の文化を学びにアメリカから留学しているという作り話を間に受けて、父は両国の【江戸ミュージアム】に彼を連れて行ってしまったのだ。
 10年ほど前にオープンした【江戸ミュージアム】は、完全に復元された江戸城や江戸の街をトラムカーで回りながら数々のパビリオンを回る。
 たとえば、関が原の戦いの体感3Dシアター、大岡越前のお白洲や幕末を舞台とした観客参加型の寸劇、家康や秀吉などの歴史上の人物になって天下を動かしていくシュミレーションゲームなど。
 歴代の名勝負のホログラフィーが見られる旧国技館も人気で、大相撲の復活を叫ぶ声も相変わらず高い。
 江戸の下町の情景をそっくり再現した40ヘクタールに及ぶ広大な敷地には、情緒のある日本家屋調のレストランやホテルが立ち並ぶ。
 若者のデートスポットとして、また外国人の観光ルートとして定評のある一大テーマパークだった。
 父は日本に帰るたびに、母の大好きな草加せんべいと濡れ甘納豆を買い込みに、ここの名店街を訪れるのが常なのだ。


「実は昨日、ニュージーランドから父が来まして」
「ほう。直人くんがですか。会いたいですねえ。ここへ寄る予定は作ってくれませんかね」
「それが……」
 私は口ごもった。
「来たいって言ってたんですけど、私が無理に止めたんです」
「ほう?」
「だって、セフィのことが……」
「ははあ」
 私の言うことを察して、水木先生は黒い勾玉みたいな目をくにゃりと細めた。
「もしかして、セフィくんの正体をまだ隠してる?」
「はい、だって、ロボット嫌いの父にセフィがロボットであることを知られたら、どんな騒動になるかわかりません」
「それじゃ、お父さまに隠し事をするのは、さぞ辛いでしょうね」
「そうなんです」
 私は、がっくりと肩を落とした。
「樹と結婚するときも園長先生には愚痴をいっぱい言ってしまったのですが、どうして父はあんなにロボット嫌いなんでしょうか。父の依怙地のせいで、私は自分の国を離れなければならなかったし、いろんな理不尽な目に会ってきたんですよ」
「胡桃さん、直人くんは本当はロボット嫌いなんかじゃないですよ」
「え?」
「ロボットに罪はありません。それくらいわからない人間ではありませんよ、彼は」
「だって、そんな」
 私は信じられなくて、首を振った。
「父はロボットを見ると、顔をそむけるんですよ。うちのクリーナーロボでさえ、「僕の目の前では動かすな」と言うくらいです」
「それは、教育者としての一途なまでの信念です。むやみにロボットを導入することが、今のままでは子どもたちのためにならないと考えたからです」
 水木園長は諭すように微笑む。
「肉体労働をすべてロボットに命じて、人間は頭だけを働かせればいい。そうしてやがて指一本動かすことがなくなるだろう子どもたちの未来図に不安を覚えると、直人くんはよく言っていました。
目で見、耳で聞き、匂いを嗅ぎ、ものの重みを手で確かめる。体を動かして汗を流す。そういう実体験がなければ、人間が人間として正常に発達することはありえない。労働を軽視する今の風潮に、彼は異を唱えて日本を飛び出したのです」
「……」
「ロボットに嫌な仕事を押し付けて、人間は楽に暮らす。そのような傲慢が許されるはずがない、というのが直人くんの持論です。今の日本人にはロボットを差別し、軽んじる傾向があります。むしろ、直人くんと外国で暮らしたあなたのほうが、ロボットを人間と平等なパートナーとして愛し、いつくしむ心を持っているような気がしますが、どうでしょうか」
 ――知らなかった。
 父がそんなことを考えていたなんて。
「だから私は、直人くんがセフィがロボットだと知っても、決して嫌うことはないと信じますがね」


 その日、父とセフィロトは夜遅くになって帰ってきた。
「いやあ、楽しかったよ」
 父はお風呂上りのビールを飲みながら、上機嫌だ。
「思い切り、いろんなところを見て回った。忍者屋敷のアトラクションが一番楽しかったみたいだね。セフィくんのように貪欲なまでの好奇心を持って、あらゆることを体験しようとする青年に会ったのは久しぶりだった。
……まるで、純白のキャンバスに絵が描かれていくように、すべてを吸収していく」
「あ、あの、彼って変なところなかった?」
「変なところって?」
「と言うか、何て言うか、ちょっと普通と違って変わってるかなあってところ」
「日本の風習を知らないで戸惑っているようなので、いくつか教えてはおいたが」
 このときほど、犬槙さんが彼の容貌を外国の元恋人たちに似せておいてくれたことを、感謝したときはない。なるほど、外国人だと思えば、とんちんかんなことをしても疑われないわけだ。
「セフィ、どうだったの?」
 私たちは、キッチンの隅でひそひそと立ち話した。
「どうって?」
「お父さんのことよ」
「桐生先生は、とてもいい人です。今日一日で、胡桃と話し方や行動パターンにたくさん共通点があるのを見つけました」
 昔から私と父はそっくりだとよく人から言われてきたが、セフィロトにもしっかり見破られている。
「わたしたちは、とても仲良くなりました」
 とりあえず、セフィロトがロボットであることは、まだバレてはいないらしい。
 私はその晩、心労にまいってしまい、早々とベッドに倒れこんだ。
 あとでセフィロトから聞いて肝を冷やしたのだが、そのあいだに大変なことが起こっていた。
 深夜近くになって、父がセフィロトの部屋のドアをノックしたのだ。


「セフィくん、ちょっといいかね」
 父は入るとすぐ、中央に置かれてある銀色に光る巨大な充電装置に目を奪われた。
「ほう。これは何だい。以前は樹くんの書斎にこんなものはなかったと思うが」
「犬槙博士が運んでくださいました。わたしはこの中で寝ています」
「ベッドがわりにしているのだね。ふうむ。宇宙旅行に行く夢でも見られそうだね」
 そして、セフィロトをまっすぐに見つめる。
「今日は、きみと時間を過ごせて本当に楽しかったよ」
「わたしもです。桐生先生」
「先生はもうやめてくれ。僕はきみの先生ではないのだから」
 父は苦笑した。
「実は、予定を少し早めて明日の朝、ニュージーランドに戻ろうと思う」
「もうお帰りになるのですか」
「ああ、妻が胡桃のことを心配していると思うので、一刻も早く報告してやりたいんだ。その前にきみにどうしてもひとことお礼が言いたくて」
「お礼?」
「胡桃があんなに楽しそうなのは、きみのおかげだと思う」
「わたしの?」
「きみがそばにいてくれたから、胡桃は樹くんのいない寂しさを乗り越えることができたんじゃないかな」
 父はそう言って、樹が使っていた机の上に灯っている照明を、まぶしげに見つめた。
「樹くんはきみのお父さんの教え子だったね。きみは彼に会ったことは?」
「いいえ、声だけを聞いたことはあります」
 父は、長い長いため息を洩らした。
「樹くんはいい青年だった。無愛想だが優しくて、胡桃を心から愛していることはすぐわかった。
樹くんが亡くなったとき、胡桃はどれほど絶望して打ちのめされただろう。でも私たちの前では元気だ、大丈夫だの一点張りだった。無理しているのはわかっていたけれど、僕たちには何もできなかった。
僕は樹くんとの結婚に猛反対した父親だから、あの子なりの意地があったんだろうな」
「意地……」
「僕は、自分の信念のために胡桃を母国から引き離してしまった。胡桃が日本の大学への進学を誰にも相談せずに決めて、僕たちのもとを去っていったとき、あの子は僕を赦していないのだなと感じた。
でもその一方で、僕と同じ教育への道を歩んでくれたことが、日本の子どもたちのために働こうと決意してくれたことが、口には出さないけれどうれしかったんだ。
胡桃が樹くんと結婚をするというときも、僕は彼女が不幸になることを恐れて大反対した。ほんとうは彼でなければ胡桃を幸せにすることはできないということは、十分わかっていたのに。
でも、僕たちは互いの立場を曲げず、意地を張り通した。
バカな父娘だと思うだろう?」
 父は、自嘲して含み笑った。
「いいえ」
 セフィロトは、懸命に首を振った。
「バカだなんて、思いません。桐生さんは胡桃のことが大好きだし、胡桃は桐生さんが大好きです」
「そうか」
「ただ、今まで本当のことを言わなかっただけです。今から本当のことを言えばいいのです」
「ありがとう、セフィくん。きみはいい子だね」
 父は彼を短く抱きしめて、離した。
「桐生さん。わたしはいい子ではありません。本当のことをまだ言っていません」
「本当のこととは?」
「本当は、本当はわたしは……」
 セフィロトは、秘密を話すことのできないジレンマに、唇をぎゅっと結んだ。
「もし、……もしわたしがロボットだとしたら、もし人間ではないとしたら、桐生さんはわたしを嫌いになりますか?」
 セフィロトがあとで教えてくれたことには、父はしばらくのあいだ真剣に考え込んでから、にっこり笑ってこう言ったそうだ。
「嫌いになんかならないよ。――きみは、きみじゃないか」


         



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