第3章 「秘密を知る者」 (4)
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HOME 父は翌朝、モノレールの駅で私たちと別れた。 「いろいろ世話をかけたな。胡桃。元気そうだったんで安心して帰れるよ」 「お母さんによろしく言ってね」 「セフィくん、よかったら是非、夏休みにニュージーランドにいらっしゃい。家で牛を飼っているので搾りたてのミルクをご馳走しよう。それまでに胃の調子を治しておくように」 「はい、桐生さん」 「胡桃」 最後に父は私を力いっぱい抱きしめた。 「愛しているよ。これまでも、これからも。おまえがどこにいようと」 「私もよ、お父さん」 「セフィにゆうべいろいろ教えられたよ。私はおまえともっともっと話すべきだったんだろうな」 「お父さん……」 「わたしももうロボット嫌いを卒業しようと思う。セフィがそのことに心を痛めているみたいだからね。「もしわたしがロボットだったら嫌いになるか」というたとえ話で、懇々と諭されたよ」 「あ、ああ。そ、そうなの?」 「セフィなら、樹くんと同じくらい大賛成するよ」 父は意味ありげに笑った。 「え?」 「おまえが彼を大切に思っていることくらい、彼を見るときの表情でわかる」 私は、父を乗せてモノレールのドアが閉まってから、ようやくその言葉の意味がわかり、赤面した。 お父さんたら、ひどい誤解をしている。私が彼を大切に思っているのはそんな意味じゃないのに。 家に帰ると、張り詰めていたものが一気に崩れ落ちた。 とうとう、セフィロトがロボットであることを話せなかった。これでよかったのかな。なんだかもっといろんなことを話したかった。 父が来るまでは、あれほど煩わしかったのに、帰ってしまうとせつない。 セフィロトもそう思っているようだった。 「この家が、なんだか広くて静かです」 と訴える。 「桐生さんが来る前と同じではありません。なんだかからっぽで、とても悲しい気がします」 「それは、寂しいっていうんだよ。セフィ」 「寂しい、これが寂しいという気持ちなのですか」 セフィロトは、じっと考え込んだ。 「桐生さんがおっしゃっていました。胡桃は古洞博士が死んで寂しかったと。それは本当なのですか?」 「え?」 「胡桃は、わたしがそばにいても、やっぱりこの家がからっぽで寂しいのですか?」 「……」 セフィロトの真直ぐの視線に、私は答えられなかった。 それから2日ほどした、ある朝。 ホームステーションに通信が入った。 「胡桃ちゃん」 「なんだ、犬槙さん」 「女性になんだと言われるとは、この犬槙魁人、落ちぶれたもんだなあ」 「ごめんなさい。このところ家のことでちょっとばたばたして、気分的に緊張続きだったんですよ」 「きみももうすぐ出勤だから手短に話すよ。今日の晩、セフィロトと3人で、こないだ約束した晩御飯に行かないか?」 「やった! もちろんOKです」 「それが」 犬槙さんは、秘密めいて声を落とした。 「実は、ちょっとやっかいな相談事もあるんだ」 「乾杯!」 東京湾に浮かぶ新羽田国際空港を地上50階から見下ろすレストランで、私たちは食事を楽しんだ。 ブルーのスーツとネクタイ姿でばっちり決めた犬槙さん。買ったばかりのストライプのシャツにストリングタイをしたセフィロト。ふたりが並んで坐ったときの見目麗しさには、レストラン自慢の宝石のような夜景もかすんでしまいそう。 美味しいお酒と料理に、大変な思いをしたこの数日のストレスがすーっと溶けていくのを感じる。 「研究費の増額が認められたら、次は何をするんですか、犬槙さん」 「ふっふっふ、俺の野望を聞きたいか?」 犬槙さんは、うまそうにシャンペンを飲み干す。 「次の目標は、AR9型の開発。セフィロトの弟分だな」 「え、わたしに弟ができるのですか?」 セフィロトは目を輝かせた。 「いや、9型は量産タイプにしようと思ってるんだ。きみの人工知能のニューロンチップに使ったような莫大な予算はかけられないよ。樹ほどの天才的な技術も僕にはないしね。もっと安価で大量生産に耐える、でもセフィロトの開発で得たノウハウを生かした初歩的な自律改革型にしようと思ってる」 「ふうん」 初歩的な量産型と言われても、私にはなんだか想像がつかなかった。 まったくそっくりなリアルな顔のロボットがたくさん並ぶ姿は、あまり考えたくはない。 「それにしても、今日はセフィロトにはちょっとかわいそうだったかな」 デザートのとき、犬槙さんがすまなそうに言った。 胃を壊して、医者から絶食を言い渡されているセフィロト(レストランの人には、そういうことになっている)の前には、私の皿から取り分けた、スズメの餌ほどの料理が並ぶばかりだったのだ。 「そうですよ、犬槙さん。なんとかちゃんと人並みに食事ができるように改良してあげてください」 という私のことばに、 「そうは言うけど、難しいんだよ。水分のある異物を体内に保管しておくのは。それなりの防水対策を施さなきゃならないしね」 と眉根を寄せる。 「考えてみよう。容量はどれくらい増えればいい?」 犬槙さんがたずねると、セフィロトが即座に答える。 「しぼりたてのミルクがコップに一杯、飲めるくらいがいいです」 「じゃあ、250ccか。でもなぜ、しぼりたてのミルク?」 「それが実は……」 私は、父が来たときの顛末と、ニュージーランドを訪問する計画をかいつまんで説明した。 「なるほど。胡桃ちゃんのご両親は、教師をしながら小さな牧場で牛や羊を飼ってらっしゃるんだったな」 「もう、セフィったら楽しみにしちゃって。なんとか両親にも他の人にもロボットだということがばれないように、犬槙さんも知恵を貸してくださいますか? 携帯型の充電装置もあるとおっしゃっていましたね」 「それはいいんだけど、海外旅行となると、IDカードが必要になるよ」 「あっ」 そうだ、IDカードのことを忘れていた。 人間ではないセフィロトには、戸籍もIDカードもない。 21世紀までとは違い、今の世界ではパスポートもビザも不用になった。IDカードが代わりの役目を果たしているのだ。 「外国に行くときは、IDカードの提示が求められるからね」 「なんとか、セフィにもIDカードを発行してもらえるように、政府の人に頼めないでしょうか」 「人間そっくりのロボットのID発行なんて、前例がないからねえ」 前例主義の日本の官僚たちを揶揄するように、犬槙さんは苦笑した。 「でも科学省のお役人たちになんとか掛け合ってみるよ」 「お願いします」 「セフィロトが身分証不携行で捕まったらどうするんだ、と脅かしてやるよ。きのうのことで奴らも懲りているだろうしね」 「きのうのこと?」 「実は、それがさっき言ったやっかいな相談事ってやつだ」 犬槙さんは、目の光をすっと暗くした。 「そういえば、そうおっしゃってましたね。いったい何のことですか」 「ここでは話せないな。レストランを出よう。……そうだ。時間も早いし、うちの研究室に寄れるかい? 携帯充電装置も渡せる」 「はい、だいじょうぶです」 「その間の車の中で話そう」 車は、自動的に運転者の血中アルコール濃度を計測し、当然のようにレッドランプを点滅させた。もうこうなるとハンドルはロックされてしまう。犬槙さんが交通管理センターを呼び出し、高額の料金を払うと、車は誘導電波による自動操縦で動き始めた。 「実は」 怪談を始めるときのようなおどけた調子で、犬槙さんは話し始めた。 緊張した顔をしている私とセフィロトの気持ちをほぐそうとしてくれたのだろう。 「きのう、うちの【テルマ】の8つあるセグメントのひとつに、何者かが侵入しようとしてね」 「えっ?」 【テルマ】とは、国立応用科学研究所全体を統括するマザーコンピューター。第10世代コンピューターの100台分、うちのホームステーション【エリイ】などと比べると、実に20万台分の記憶容量を持つ、想像を遥かに超えた超量子コンピューターだ。 その【テルマ】に、誰かが侵入しようとするなんて。 「もちろん、ファイアウォール(防御壁)システムが作動して、侵入は阻止されたよ。でも、そのへんの遊び半分のハッカーと違って、敵はかなりの手練らしい。攻撃を受けたセグメントは、システムダウン一歩手前の状態に陥ったらしいんだ」 8つのうちのひとつなら、たいしたことはないと思うのが素人のあさはかさなのか。 「大変、なのですか」 「かなりヤバい。相手は【テルマ】をかなり知り尽くしているヤツ。しかもその手際の良さからすると、個人単位ではないかもしれない」 「組織的な犯行かもしれないのですね」 犬槙さんは、うなずいた。 「一番ヤバいのは、そのセグメントというのが、うちの研究室のあるD号棟のデータが格納されているところだったんだ」 「えっ……じゃあ、うちが狙われたということですか?」 「そうとまでは言い切れない。D号棟には全部で72の研究室があるんだからね。……ただ、うちに監査が入った直後というタイミングが実に気に入らない」 私はざわざわと胸が不快に締め付けられるのを感じた。 「セフィのデータって、それほど盗まれたら大変なものなんですか?」 「おいおい、胡桃ちゃん」 犬槙さんは呆れたように言う。 「樹と僕の研究を、それほど過小評価してたのかい。日本の最先端科学のトップシークレットだよ、セフィロトは。 誰だって、喉から手が出るほど彼のデータが欲しいはずだ。もし彼の存在が悪用されたら、どんなことになるかわからない」 私は思わず、後部座席の隣に座っているセフィロトの顔をまじまじと見た。 私みたいな普通の人間とともに暮らし、毎日観葉植物の水をやったりコーヒーを淹れたりして穏やかに微笑んでいる彼が、それほどの重要機密だったなんて。 応用科学研究所に着き、いつもの検査を通過してからD号棟に入る。エレベーターで9階まで昇る。 廊下でもいつものことながら、誰にも会わない。 夜だからではない。朝でも昼でもそうなのだ。まるでほかの研究所員はいないかのように静まり返っている。 「犬槙・古洞ロボット工学研究室」と看板を掲げたドアの前に立つ。 もう樹はいないのだから、「古洞」という名前を外してと、頼んだことがあるが、 「馬鹿なこと言うな」 と犬槙さんはひとこと答えただけだった。 彼は、いつものように静脈認証システムの装置の前で、手の甲をかざそうとしている。 「犬槙博士、待ってください」 今まで石のように黙っていたセフィロトが、突然声をあげた。 ぎょっとして振り返ると、薄暗い照明の中で彼の目は金色に光っている。 「ドアを開けるのを少し待ってください」 「どうしたんだ、セフィロト」 「数分前まで、ここに誰かいました。この床にも、ドアにも生物の赤外線反応が残っています」 NEXT | TOP | HOME Copyright (c) 2003 BUTAPENN. |