第6章 「からみあう想い」 (2)
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「わたしは、【すずかけの家】の先生になりたいんです」 「……へ?」 「水木先生、どうしましょう」 苦りきった顔の私の相談を聞いて、また園長先生はくすくすと笑っている。 「ずいぶん【すずかけの家】を気に入ってくれたんですね、セフィは。うれしいことです」 「保育教師になるためには専門の教育大学を卒業しなきゃだめだって説得したんですけど」 「確かに正式な資格を取るためには、今はそれしかありませんね」 「第一、ロボットが教員免許を取るだなんて、将来だって認められるはずがありません。かわいそうだけどあきらめてもらうしかないと思うんです」 「胡桃先生、そう性急に結論を出さなくても」 園長先生は、せっかちな性格の私にはお手本のような人だ。 「実は今度の人事異動で、笠原先生が教育省に行かれることになりそうなんです」 「え……、そうなんですか?」 「本当は当事者以外にはまだ秘密の話なのですが、なにしろご栄転でめでたいことですから、ついしゃべりたくなってしまいますねえ。 ですから、ここから若い男の先生がひとり減ってしまうんです。そういう意味では、新しい先生が来てここに慣れてくださるまで、セフィに手伝ってもらえるととても助かりますね」 「はあ」 「もちろん、あくまでも非常勤の助手という身分になりますし、お給料もそんなには出せないのですが」 「お金のことは、全然こだわらないんです。ただでもいいくらいです」 「そうはいきませんよ。お給料は仕事の評価の証ですからね。胡桃先生にはピンと来ないかもしれませんが」 先生は、黒目がちの目でウインクする、「それが男のプライドというものですよ」 水木園長は、私よりずっとセフィロトの心の奥にある欲求をわかっていたのだ。 「それでは、善は急げ、です。さっそく来週から来てもらうことにしましょう」 「あーあ」 園長先生が立ち去ると、私はがっくりと肩を落とした。 「大変なことになったなあ」 「いい、セフィ。子どもたちは新任の教師には、とにかくちょっかい出したがるんだからね。それにまともに乗っちゃだめなのよ」 セフィロトの初出勤の日。 「教師の持ち物にこっそり蛙を入れたり、自動ドアをロックして教室に入れなくしたり、そりゃもう、ありとあらゆるいたずらを考えてくれるんだから。私が新米のときもずいぶん泣かされたのよ。セフィも気をつけなくちゃだめ」 「わかっています、胡桃」 「【すずかけの家】の門をいったんくぐったら、「胡桃先生」よ」 「はい、胡桃先生」 その朝、彼以上にボルテージが高かった私は、あとでよく考えてみたら、嬉しさのあまりはしゃいでいたのだと思う。私はセフィロトとずっと一緒にいられることを驚くほど喜んでいたのだ。我ながらイヤになるくらい単細胞。 全体朝礼で園長先生に紹介してもらったセフィロトは、チョコレート色のシャツのボタンををきちっと胸元まで留め、なんだか本当に教師のようだった。ちらちらと盗み見てしまうくらい、かっこいい。 「セフィさん、ステキだわ〜」 見とれていたのは私だけではなかったようだ。朝礼後の職員室で、北見さくら・伊吹織江のふたりは言うに及ばず、ほかの女性教師たちからも彼はため息の集中砲火を受けていた。 「これから、毎日仕事に来るのが楽しくなるよなあ」 「あのね、伊吹先輩、セフィは当分は週3日勤務なんですよ。毎日じゃありません」 と律儀に訂正する私に、 「いいんだよ。ほかの日は、園内に漂っている残り香を吸って生きるんだから」 それに反して、仏頂面をしているのは男性教師たちだ。転任が決まっている笠原先生ともうひとりの50代の先生は例外だが、特にふたりの若手教師、体育担当の椎名先生と、数学担当の小松先生は露骨におもしろくないという顔をしている。 「なんだか、前途多難」 私は不安になって、そっとつぶやいた。 セフィロトは、私の授業のあるときは私の補助として、ないときは体育の椎名先生の補助として勤務することになっていた。 一時限目はいきなり、8歳児7人のクラスだ。 いきなりというのは、8〜9歳の子どもたちというのが一番パワフルで、こと悪巧みに関してはクラス中の結束が固いからだ。 新任教師にとっては、ここが第一のハードル。 セフィロトは【すずかけの家】へ来ることが決まってからずっと、教育学や児童心理学を猛勉強していた。その努力が報われるといい。 『Good Morning, everyone』 教室に入るなり、お決まりの英語の挨拶をする。今日の私の担当は、社会のバイリンガルクラスだ。 「今日から、セフィ先生がこのクラスを手伝ってくれることになりました。今日のサブジェクトは、世界各地の大規模農園の特徴についてですね。私が日本語で、セフィ先生が英語で授業を進めます。いいですね」 「はあい!」 威勢のいい返事が返ってくる。どうも元気がよすぎると感じた。不思議に思ったけど、教室を見渡しても特に異常は見当たらない。 「じゃあ、セフィ……先生。そちら側の机を使ってください」 「はい」 彼は言われたとおり、教壇のわきの教師用の机に近づいた。その途端、くすくすとしのび笑いがあちこちから聞こえるような気がした。子どもたちが何か企んでいるのだろうか。 不安になったとき、セフィロトが椅子に座ろうと身をかがめ、そのままの姿勢で止まった。 「どうしたの、セフィ?」 「おもしろいものを見つけました」 「え?」 机の下をさぐった彼の手がつかみだしたのは、いっぱい水の入った風船状のものだった。口のところに小さな機械の部品がついている。彼はそれを眺めて、微笑んだ。 「リモートスイッチで爆発するようになっています。手作りですね。よく出来たおもちゃです」 教室内の子どもたちは、一斉にひそひそとささやきだす。 「ど、どうして見つかったんだよ」 「絶対にわからないように隠したのに」 セフィロトは誰にも見えないように、私に目配せした。 たぶん、子どもたちの不穏な気配と目線の向く方向を察して、机の中を赤外線透視したのだろう。 「これは、誰のですか?」 もちろん、返事はなし。 「誰のかわからないので、みんなに返します」 言うなり、彼は風船を高く空中に放り投げた。 「きゃああっ」 クラス中の子どもたちの悲鳴が上がる。彼の投げた水入り爆弾は、狙いあやまたず天井に当たって弾け、子どもたち全員の頭の上に、盛大に色つき水が降り注いだ。 「まったく、冗談じゃないわ」 私は、藤棚の下に腰かけて、ぷんすか怒っていた。 セフィロトの投げた水シャワーのおかげで教室中が大騒ぎになって、授業にならなかったことはよしとする。だっておもしろかったし。 問題は、もしあれが彼にまともにかかっていたら、どうなったかということだ。水分厳禁の彼は、最悪の場合故障してしまったかもしれない。 「やっぱり、子どもたち相手の仕事は、彼には無理なのかなあ」 彼が国立応用科学研究所の最高機密、AR8型ロボットであることを内緒にしたまま、果たして【すずかけの家】でやっていけるのだろうか。 でも私の心配をよそに、セフィロトはさっきの一件で、8歳児クラスで一躍尊敬のまなざしで見られるようになったみたいだ。 もともと、子どもたちに彼をいじめてやろうなどという邪念はない。ただ子どもたちなりに、新米教師の力量を試しただけなのだ。セフィロトは見事にそのテストに合格したと言っていいだろう。子どもたちはその点、とても素直で純粋。 ――そう。いろいろな思惑に縛られる大人と違って。 次の時間は、セフィロトは体育の補助だった。 担当は4歳児クラス。あのアラタくんのいるクラスだ。 私は2時限目は授業がないので、はらはらしながら園庭の隅からセフィロトの様子を見守っている。 「今日は、セフィ先生の歓迎の意味もこめてサッカーをやろう」 体育の椎名先生は、サッカーボールをくるくる人差し指で回しながら子どもたちにそう宣言して、歓声を浴びている。 「みんなも知ってるとおり、サッカーにはそれぞれのポジションというものがあるね。全員が攻撃に回ったら、防御ができない。ひとりひとりが自分の役割を果たすことが大事だよ」 「あ、セフィ先生だ」 私のそばに、いつのまにかさくらちゃんが立っていた。彼女もこの時間はフリーで、職員室から外の様子を見て飛び出してきたらしい。 「セフィって、会うたびにかっこよくなってるような気がするんだけど、不思議ですぅ」 「そうかなあ」 私は、眼の前の様子に心を奪われていて、上の空だ。 「別にこの1年間、どこも変わってないよ」 「見かけとかじゃありません。なんていうか、とても大人になったというか、もともと大人なのにこんな言い方変なんですけど」 「攻撃をするのがフォワード、防御をするのがディフェンス、攻撃も防御もするのがミッドフィルダー。そして、自分のチームのゴールを守るのがゴールキーパーで、ゴールキーパーだけは、手や全身を使ってボールを受けてもいいんだよ」 園庭では、まだ椎名先生の説明が続いている。 「胡桃先輩。先輩は、セフィのことをどう思っているんですか?」 「え?」 「愛してる、とか、そういう気持ちはありますか?」 「あの、ねえ」 私は苦笑いしてみせる。 「だってセフィはロ……わ、私よりずっと年下なんだよ。そんな気持ちあるわけないじゃない」 「たった7歳じゃありませんか。私だって4歳近く年上です。それでも……」 「そうだ、ゴールキーパーのことを説明するのに、セフィ先生に実例になってもらおうか。先生がシュートするから、身体のいろいろな場所でボールを止めるところを、セフィ先生に見せてもらおう」 「え、えええっ」 私はベンチから思わず立ち上がっていた。 椎名先生の名誉のために言っておく。先生は普段はとても大らかで優しい、すばらしい保育教師なのだ。 ただ、今日は少しムシの居所が悪かったに違いないと思う。 だって今まで、子どもたちの蹴るボールにさえ銅像のように突っ立ったまま反応できなかったほど超運動音痴のセフィロトに、プロの体育教師の椎名先生のシュートを止めろだなんて。 そんなこと絶対できるはずがないって、椎名先生だってわかっているはずなのに。どうしてそんな意地悪を言い始めたのだろう。 その原因がさくら先生のゆえだったと知ったのは、もう少し後になってからのこと。 今の私は、なす術もなくおろおろと見ていることしかできなかった。 「わたし、セフィを本気で好きになってしまったみたいなんです」 さくらちゃんの頬を染めながらの重大告白は、そのとき私の耳にはまったく入ってきていなかった。 NEXT | TOP | HOME Copyright (c) 2003 BUTAPENN. |