第6章 「からみあう想い」  (1)                 BACK | TOP |  HOME




「カユイトコロハ、ゴザイマセンカ?」
「ええ、だいじょうぶ」
 勢いのある水の音とともに、ふたたび指が頭皮を心地よく刺激する。
(癒されるなあ……)
 休みの日の午後、私は行きつけの美容院へ来ていた。
 幻想的なBGMの中での低重力マッサージ、全身粒子パックというお決まりのコースのあと、ハーブティーを飲みながら髪の毛をいじってもらうのは、女性にとって最高のぜいたくだと思う。
 このところの忙しさにかまけて数ヶ月ぶりだったからなおさらだ。気がつけば、シャギーも伸び切って顔にバサバサかかる、ひどい髪型だった。
「たまには、自分のために時間を使えよ。自分の顔をじっと見つめるって言う時間が、女には必要なんだぜ」
 【すずかけの家】の伊吹織江先輩が、いつくしむような笑顔で忠告をしてくれた。私よりずっと年上なのに、化粧もヘアスタイルも寸分の隙もない織江さん。見習わなければならない。
「ありがとう」
 洗髪が終わり、私は名残惜しく立ち上がった。洗髪をしてくれたのは黒光りするメタル製のロボットだ。
 人間型なのだがエステ専門のため特殊防水加工をほどこし、手は大きく柔らかい。
 鏡の前に座ると今度は、人間の男性の美容師が近づいて来た。
「お久しぶりです。今日はどうなさいますか?」
「いつものスタイルでお願い」
 魔法のような鋏さばきで、次々と私の髪の毛が梳きとられていく。
 私はまっすぐに鏡の中の、もう若いとはお世辞にも言えない女の顔を見た。
 夫の樹が亡くなって、もうすぐ1年。三月になれば私は26歳になる。ちっとも身なりをかまわなくなってオバさんになって、私は年老いていくのかなあ。
 老いることは怖いことではない。年齢を重ねることで輝き出る魅力があるのも知っている。
 でも、私の中に満たされない女の部分があるのも、また事実だ。
 美容師の手が髪の中に入れられるたびに、ざわざわと皮膚が粟立ち、身体の奥で何かがうずく。
 ――私はどうかしている。
「いいロボットね。あの洗髪係」
 不毛な思考のスイッチを切り替えようと、話しかけた。
「丁寧でとても気持ちよかったわ。最新型?」
「このあいだ取り替えたんですよ。前のヤツは客の顔に水をかけたり、ヘマばかりやらかしたもんでね。廃棄処分にしたんです」
 軽蔑しきったように唇をゆがめる美容師の顔を目の端に見て、ちくりと心が痛んだ。
「ロボットっていうのは、いつまでたってもなかなか優秀なのが出ませんね。やはり所詮は機械ということかな」
 誰かに命令されたらしく、黙々と床掃除を始めるロボットの姿が鏡の奥に映った。
 どうしても、私にはセフィロトが彼と同じロボットだとは思えない。
 セフィロトは、この頃ずっと何かを考え込んでいる。「悩んでいる」と言ったほうがいいかもしれない。
 大げさに言えば、生きることそのものの意味について悩んでいるように思えるのだ。私には何も話してくれないけれど、その薄い茶色の瞳に、いろいろな表情が浮かぶ。時には深く、時にはせつない色をたたえて。
 その瞳を見るたび私は、心をからめとられるような不安に襲われるのだ。


「手がお留守になってるよ」
 犬槙博士の半分からかうような声で、セフィロトは我に返った。
 今自分の人工知能の中で何を考えていたか、正確にトレースすることはできる。でも、それは何日も前からずっと決まった図式のループしか描いていない。
「まあでも、せっかくだからちょっと休憩しようか」
 犬槙博士は、部品をトランプの塔みたいに積み上げた作業台のそばを通って、コーヒーのカップをふたつ手に持って来る。
「ありがとうございます」
 一口、口に含んだ。豆の挽き方のせいか、酸味が浮きすぎている。古洞博士なら、もう少し深いコクのある味が好きだった。
「きみのおかげでこの研究室もようやく足の踏み場ができたなあ」
 犬槙博士は眼鏡をはずして、周囲をぐるりと見渡した。
「さっき、ここに入ったときは驚きました。まるで豚小屋です」
「うーむ。レトロな表現だが、言い得て妙、だな」
「本当にこのガラクタの山に埋もれて、おふたりはわたしを生み出したのですか? なんだか信じられません」
「混沌の中から秩序は生まれる。アミノ酸のスープをかき回したら生命が生まれたようにね。ガラクタをかき回したら、心のあるロボットができたというわけだ」
「ひどい侮辱を受けているような気がします」
「まあ、実際は樹が生きていたときは、奴が片付けてくれてたんだけどね。けっこう見かけによらず綺麗好きだったからな」
「正反対だったんですね、おふたりは」
「これ以上ないってくらいね」
 眼鏡を元通りにかけると、ぼんやりとマグカップの黒い湖面に見入っている。
 犬槙博士にもきっと悩みがあるに違いない、とセフィロトは最近気づくようになった。それはたぶん、胡桃にも。
 人間はみんな何かを悩みながら、それを隠して生きているのだと思う。
「博士。ご相談したいことがあります」
「ん。なんだい?」
「おふたりはわたしを作ったとき、何をわたしに望まれたのですか?」
「どういうこと?」
「つまり、私は何をするために作られたのでしょう。ずっと考えています。介護ロボットは介護のために、クリーナーロボは家を綺麗にするために作られた。
作られたものは作ったものの意志に従うべきです。犬槙博士と古洞博士はわたしを、何の意味のために作られたのですか?」
 犬槙博士は、少しふざけた調子で口笛を吹いた。
「レゾン・デートル(存在理由)の問題か。……もうそこまで思索するようになったのか」
「何かがしたいのです。今の生活がいやなのではありません。でも、わたしはあまりにも何もしていない。胡桃の保護のもとに暮らし、自分の充電代さえ賄えないのです。今のままでは、わたしは胡桃の役に立てず迷惑をかけているだけです」
「やっぱり、胡桃ちゃんだね」
 博士は、くすくす笑う。
「本当は、胡桃ちゃんの中で、自分がどういう位置を占めているかのほうが気になってるんじゃないのか、セフィロト」
「え?」
「きみは最初、物理的な強さを求めた。それが満たされたら、より高度な強さを求める。自分の確かなアイデンティティ。経済的・社会的な自立。
つまりは、男として胡桃ちゃんに認めてもらいたい。そういうことだろう」
「男として……?」
「今はそこまで意識してるわけではないのだろうけどな」
「犬槙博士。ときどきあなたが理解できなくなります」
 とまどってセフィロトがつぶやいた。
「いつも、何かを隠しているようなことをおっしゃるからです。いったいどこまでが真実なのですか? 博士が胡桃のことを好きだというのは、冗談ですか。それとも本気なのですか?」
「やたらとそのことが気になるみたいだな」
「それは……」
「もし、本気だと言ったらどうする?」
 彼のいつもの冗談めかした態度は消えている。まるで試されているようだと思った。セフィロトはゆっくりと慎重に答えた。
「胡桃がそれを受けいれるのなら、素晴らしいことだと思います。わたしは胡桃も犬槙博士も好きですから。おふたりが幸せになるのを見るのはうれしいです」
「ほんとうに?」
 犬槙博士は、眼鏡の奥から険しい目でじっと彼を見つめた。
「ほんとうに、心の底からそう思って言っているのか。セフィロト? 胡桃ちゃんが僕と付き合えばいいと」
 彼はその瞬間、身体のどこかがズキンとするのを覚えた。眠っていた回路が活動を始めたような、そんな感覚。
 それは何か未知の衝動が解放された合図でもあった。


「おかえりなさい、セフィ」
 私が玄関で彼を出迎えると、びっくりしたような表情で私を見つめた。
「ただいま、胡桃」
「犬槙さんに研究室の掃除に駆り出されてたんだって? 遅くまで引き止めてすまないって、今連絡があったわよ」
「そうですか」
「大変だったでしょう? 樹が知り合った頃の犬槙さんの研究室は豚小屋みたいだったって、よくそう言ってたもの」
 玄関で靴を脱ごうとしないセフィロトを、私は不思議に思って振り返った。
「どうしたの?」
「胡桃の様子が違います。肌がいつもより水分を含んでなめらかで、髪の毛の形が違っています」
「ああ、だから午後は美容院へ行くって言ったでしょう。カットとエステしてきたのよ」
「とても、……とても美しいです、胡桃」
 頬が赤く染まるのを感じた。
「お世辞がじょうずね。セフィ」
「お世辞は、相手をほめるために嘘をつくことでしょう? わたしは本当のことを言っています」
 どきどきがやまない。私は大きく深呼吸した。
 亡くなった夫の樹は、私が美容院に行ったなどとは全く気づいたことがなかった。それに比べて、どうしてセフィロトは一目で見分けられるのだろう。
 単純だけど、掛け値なしにうれしい。女のプライドが満たされる。
 私たちは一緒ににダイニングルームに入った。
「もう、支度できてるわよ。いっしょに食べましょう」
 奥のキッチンからきれいに盛り付けたお皿を運びながら、私は食卓の前にじっとたたずんでいる彼の表情を見て、首をかしげた。
「どうしたの、セフィ? 何か変」
「何と言えばいいのかわかりませんが、感激してしまって」
「感激?」
「つまり、わたしがここで暮らすようになってから、胡桃に玄関まで出迎えてもらったのは初めてだったんです」
「あ、そうだっけ?」
 話しながら、ふたりでテーブルにつく。
「おかえりなさいと言ってもらったのも、食事の用意が整っているのも、初めてでした」
「そうかもしれないわね」
「なんだかまるで、……新婚さんみたいです」
「ぶーっっ」
 私は、思わず飲んでいた水をふいてしまった。
「新婚の奥さんがご主人に、「すぐに食事にする? それともお風呂?」って言うんですよね。ああ、でもわたしはお風呂には入れないから、それは無理なんですけど」
「あはは……、ち、ちょっと、セフィ」
 うっとりとあらぬ方を眺めて、妄想をふくらませているセフィロトを見て、私は七転八倒した。
「それって、どこから仕入れた情報?」
「【エリイ】のファイルに入っていた小説です」
 そして、ちょっと傷ついたような顔をする。
「胡桃、そんなに笑わなくても」
「ご、ごめん。ふ、ふふ。でも、そうやって空想ができるっていうのは、人工知能が進歩した証拠だよ。【すずかけの家】の子どもたちだって、役割を決めて上手に「おままごと」をするのは大きい子どもたちだもの」
「胡桃はいつも、私のことを【すずかけの家】の子どもたちと比べるのですね」
 少し沈んだ声で、彼が言った。
「わたしのことを小さな子どもだと思うのはやめてください。わたしは、胡桃から一人前に扱ってほしいのです」
「セフィ……」
 私は愕然とした。
 そこには、親鳥の翼を離れて巣立つことを願っている小鳥がいた。


     



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