第5章 「永久とわなる存在」  (4)                 BACK | TOP |  HOME




 帰りのモノレールの中で、私たちは言葉少なだった。
 さっき犬槙さんに見せてもらった映像。セフィロトが本来持っている脅威的な力。
 あのとき一瞬感じた恐怖は、もう今は感じなかった。あの無表情なロボットは私の隣に立っている彼ではない。あれはデータのための単なる実験だと、犬槙さんも言っていた。
 それでも、私の心の中にはわだかまりがくすぶっている。
 絶対に使わないはずの力がなぜ必要なのだろう。科学者とはなぜそんなものを作りたがるのだろう。
 歴史が証明しているではないか。人類の平和と発展のために発明された力が、破壊へ導く力となることを。
 ノーベルの作ったダイナマイトしかり。キュリー夫妻が発見したラジウムしかり。
 人々の幸せを願って科学者が行った研究を、悪に用いることをを人類は繰り返してきた。
 もしかして、以前コンピューター【テルマ】に侵入しようとした人物は、このセフィロトの能力を知って、それを犯罪に利用しようとしているのではないか。そんな荒唐無稽なことまで頭に浮かんでしまう。
 私は夫や犬槙さんを、そんな悲しみを味わう科学者にはしたくない。何よりもセフィロトを、そんな悪に手を染めさせたくない。


 駅で下車し、公園を突っ切って、光の塔のように輝く高層ビル群に向かって歩いた。
「胡桃」
「なあに」
 セフィロトはいきなり、私を横抱きにした。
「きゃっ!」
「今、なんだか急に力の出し方がわかりました。さっきのビデオを見たおかげでしょうか」
「セ、セフィ」
 彼は軽々と私を抱いたまま、余裕の笑みさえうかべて、すたすたと歩き始めた。
 私たちの住居の近くには商業スペースもあるため、週末の夜はまだ大勢の人でにぎわっていた。みな、びっくりしたように私たちを見つめている。
 みんな私たちをどんな関係だと思っているのだろう。ちょっと風変わりな恋人たち?
 私の着ているワンピースの裾のドレープが、ふわりと風をはらむ。
 頬がほてって、彼の首にしがみついて顔を隠そうとした。
「降ろして」
「だめ。どれだけ長く歩けるかの練習なんです」
 エントランスホールを抜け、エレベーターのところまで来て、
「IDカードを出すから」
 とようやく降ろしてもらう。
 セフィロトの顔がまともに見られない。なんだかずいぶん大人びてしまった気がする。
 心臓が悲鳴を上げている。この音もきっと彼には聞こえているはずだ。
「か、完璧だよ。良かったね、これで桑田さんを抱っこしてあげられるね。このためにずっと練習してきたんだものね」
 もう練習台になれないのかと思うと、なんだか寂しいな。ふと、そんなことを考えてしまった自分が可笑しい。
 乗り込んだエレベーターの中で、セフィロトはわざと私から顔をそむけるように天井を見上げた。
「胡桃。わたしが怖いですか?」
「え?」
「あのビデオを見て、わたしは少し自分が怖かったです。胡桃もあれからずっと心配そうな顔をしているし、わたしのそばにいると脈拍が速くなっているから」
 あ――。それは違うのに。セフィ。私がどきどきしているのは違う理由なのに。
「わたしはあんなことは、決してしません」
「うん、わかってるよ」
 うなずいてみせる。
「あなたのことを信じている」
「約束します。わたしは胡桃より重いものは絶対持ちません」
「うわっ。なんだかそれってすごく失礼。私が一番重いみたいじゃない」
「少なくとも、桑田さんよりは重いです」
 そう言って、彼はうれしそうに笑った。
「あした、桑田さんにお会いできるのが楽しみです」


 だが、その翌日はあいにくの雨だった。
 秋の長雨は、それから記録的なほど降り続いた。
 セフィロトは、雨に弱い。確かに生活防水機能があるので雨に濡れたくらいでは障害が起きることはないのだが、湿気でなんとなく調子が悪くなるらしいのだ。
 だから自分でも雨の日の外出は控えている。
 しょんぼりと1日窓辺に座って、外を見降ろす。もちろん、公園にもいつものような人影はなかった。
 やっと6日ぶりの太陽がのぞいた日、彼は待ちかねるように外に飛び出した。
 でも、桑田さんと介護ロボットの姿はどこにもない。
 芝生が雨を吸っているから、お弁当は別の場所で食べているのだろう。そう思って公園中を見たが、いない。
 次の日も、その翌日も。
 彼は老夫婦の姿を求めて探し回った。
「胡桃、桑田さんはどうしたのでしょう」
「旅行に行ってるのかもしれないわ。田舎に帰っているとか。きっと大丈夫よ」
 と一応慰めるものの、私にも不安が広がる。
 2週間近く経ったとき、彼はついに我慢できなくなって、ホームステーションの【エリイ】に命じて、この付近の住居の登録者ファイルを検索させた。


 セフィロトは、「桑田」と描かれたプレートの掲げてあるドアのチャイムを鳴らした。
 年老いた男性が中から現われて、びっくりしたように彼を見る。
「こんにちは」
「おまえ、どうしてここの家が」
「調べてもらったんです。長い間、お会いできなかったので」
「まあいい。とりあえず入れ」
 通された玄関から中を見ると、古洞家より小さく、ものが積み上げられて雑然とした部屋だった。
「あっ!」
 彼は叫んで、思わず駆け寄った。
 介護ロボットが、まるで要らないもののように、隅にころがっている。
「どうしたんです?」
「スイッチを切った」
「スイッチ? スイッチなんかどこにも」
「背中の扉を開けると、緊急停止用のがある。俺もエンジニアだからそれくらいのことはわかる」
「でも、どうして?」
 セフィロトは訳がわからなくて、首を振った。
「こんなことをしたら、奥さんのお世話は誰がするんです? 困るでしょう」
「……」
「奥さんは?」
 背中を向けて座ったまま、老人は顎をしゃくる。
 その方向に近づくと、小さなテーブル。
 枯れかけた花の花瓶と、写真たて。そこには見知っている老女の顔があった。
 そして、その前には銅色のメダルが一枚。
 確か胡桃が肌身離さず胸にかけているものと同じ。あれは、確か古洞博士の――。
 セフィロトは、思わず拳を握りしめた。
「ばあさんは、先週死んだよ」
 桑田さんが低く言う。
「雨が何日も降り続いたときだった。もう歳だし、心臓が弱ってたんだ。病院に運ばれたときはもう手遅れだった。
葬式をすませてやっとどうにか落ち着いたら、困ったことが起きた。この馬鹿ロボットめ、ばあさんが死んだのがわからないんだ。何度説明しても、2人分の食事を作りやがる。時間になると風呂の用意をして、ばあさんを捜す。散歩の時間になると、弁当を作って車椅子の用意をして、またばあさんを捜す。俺はとうとう腹を立てて殴りつけて、蹴っ飛ばして、それでも起き上がろうとするから、スイッチを切ってやったんだ」
 いつもいからせていた肩ががっくりと下がる。
「区の介護課に連絡しといたから、2、3日中に取りにくるだろう。もうこんな馬鹿ロボットはいらねえ」
 そのことばは、涙で語尾が消えていた。


「セフィ」
 私は靴を飛ばして、リビングに駆け込んだ。
「胡桃」
「メール見た。桑田さんが――」
 そのあとが続けられなかった。彼はおびえた子犬みたいに部屋の隅で膝をかかえていたのだ。
「胡桃。わたしには涙が出ません」
 魂をなくしたようなうつろな声。
「泣きたいのに、どうしても涙が一滴も出ないんです。……今度、犬槙博士にお願いして、泣けるようにしてもらうのは無理でしょうか」
「セフィ……」
「やっと、桑田さんを抱き上げて、いっしょに芝生の上でお弁当を食べられると思っていたのに、一度もそれができなかった。もう少しがんばればよかったのに。もう1日早ければ、間に合ったのに」
 私は、彼の顔に頬を押し付けた。私の涙が彼の頬を伝う。
「ちがう、あなたは、精いっぱいがんばったんだもの。えらかったよ」
「あの大きな声の桑田さんのおじいさんが、小さな声でしゃべるんです。肩を震わせて泣いているんです。何を言っていいかわからなかった。やっぱりわたしは何の役にも立たないのですね」
「ううん。あなたが来てくれただけで、うれしかったと思う」
「CA4型もきっと悲しかったのだと思います。おばあさんがいなくなって、何をしていいかわからなかったんだと思います」
 セフィロトは、まるで自分が泣いているみたいに手の甲で涙をぬぐうと、私を真直ぐに見つめて言った。
「どうして、人間は死ぬのですか? 死んだら、意識はどこへ行ってしまうのですか?」
「わからない、私にも」
「胡桃も、いつか死ぬのですね」
「うん、私もいつか死ぬ」
 彼はうなだれて、そのままいつまでも黙っていた。そして、額をこつんと私の肩に押し当ててつぶやいた。
「死にたくない……」
「セフィ。あなたは死なないのよ。適切なメンテナンスをすれば、半永久的に生きられるって犬槙さんが言ってたもの」
 そう言ってから、はっとした。
 それは夫の生前のことばと、そのときの状況とまったく同じだったのだ。
『胡桃。俺は死にたくない』
 死ぬ半年前。うすうす何かを感じていたのかもしれない。私の肩に額を乗せて、子どものように泣きながら。
 樹がそんな弱音を吐いたのは、そのときが最初で最後だった。
 なぜ、セフィロトがそれと同じことばを言うのだろう。
 私にはほんの瞬間、そこにいるのがまるで樹のように思えた。


「桑田さん、はじめまして。私、古洞胡桃といいます。セフィの保護者です」
 私は、その夜桑田さんのお宅を訪ねて、初めてお会いする奥様の写真に手を合わせた。
「私の勤めている保育施設の上司が、介護法にくわしいんです」
 むっつりと腕組みしているご主人に説明する。
「要介護の認定を受けた方が亡くなった場合、その配偶者が一定の年齢以上の高齢者であるときは、貸与された介護ロボットを引き続き使用できるという特例があるそうです。
桑田さんは、その特例にあてはまります。奥様の代わりにご主人のお世話をするように、プログラムを変更することもできるそうです」
「そんな、必要はない」
 怒ったように、彼は答えた。
「こんな馬鹿ロボットがいなくても、俺はひとりで十分生活できる」
「でもひとりで暮らすより、誰かと暮らすほうがずっといいと思います」
「こいつと暮らす、だと? たかがロボットなのに?」
「でも、今までもいっしょに暮らしてきたじゃありませんか。奥様と三人で」
 私は微笑んだ。
「私も9ヶ月前に夫を亡くしました。でも夫が遺していってくれたセフィが私の心の支えになりました」
「……それはどういうことだ?」
「セフィも、ロボットなんです。夫が作った」
「……」
「セフィといっしょに暮らして、私はもう一度前を向いて歩けるようになりました。彼に夫の思い出を聞いてもらいながら、私はからっぽだった心の中が、少しずつ満たされていくのを感じていました」
 セフィロトがいて、どれだけ私が幸福だったか。どれだけ彼に守られていたのか。
 自分のことばでそのことをあらためて知り、胸がいっぱいになる。
「桑田さん。亡くなられた奥様の思い出を通じて、おふたりは家族になれるのではありませんか?」


 それからしばらくして、公園で桑田さんの散歩する姿を毎日見かけるようになった。
 その横には、あのCA4型介護ロボットがしずしずと歩いている。
「段差ガアリマス。危ナイデス」
「わかっとる、それぐらい」
 桑田さんは相変わらず大きな声で怒鳴っているが、それでも少し照れくさそうだ。
 介護ロボットを「キヨ」と呼んでいるのも、ときどき聞こえる。
 亡くなられた奥様が清美、というお名前だったそうだ。
「よかったね」
「よかったです」
 私とセフィロトは遠くからその光景を見て、顔を見合わせて笑った。
「胡桃」
「なあに?」
「わたしは、胡桃が死ぬとき、いっしょに死にます」
「え?」
「自分から停止します。胡桃のいないところで暮らすのはいやですから」
「そんなこと、言わないで」
 私は困ってしまった。
「あなたは永遠に生きられるんだから、いつまでも生きて。また新しいマスターを見つけて」
「そんなこと、無理です」
「じゃあ。世界中を旅して回って。火星やほかの惑星にも。そしていろんな景色を見ながら、ときどきでいいから私のことを思い出して」
「それが胡桃の望みなのですか?」
「そう。もし私が死んでも、セフィは死なないで幸せに暮らしてほしい」
 永遠の時を生きる存在として。


 樹は自らの短い命ゆえに永遠にあこがれた。だから、彼を作ったのだろう。そして、私に彼を遺してくれたのだろう。
 自分のすべての想いを託して。
 樹。ありがとう。あなたを愛してる。永遠に、あなたを愛してる。


 私は、セフィロトの手をそっと握った。
     



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