第5章 「永久なる存在」 (3)
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HOME 日の暮れるのが早い、秋。 私とセフィロトは長い夜にさそわれるように、ときどき外出した。 あるときは、3Dホログラフィー映画。あるときは、とてもめずらしい昔のスクリーンもの。 今流行の低重力「ムーンディスコ」。滑空を疑似体験できる「エアフライ」。 そして、レストラン。 セフィロトは犬槙さんに改良してもらってからは、少なめの一品料理くらいなら十分に楽しめるようになっていた。 暖かい店内から、色とりどりの灯りがまたたく繁華街の通りに出たとき、彼は自分の着ていた上着を脱いで、私に背中にかけてくれた。 「今の気温は13.2度です、胡桃。少し寒い」 「うわあ。セフィ、どこで覚えたの、こういうの。かっこいい」 彼の体温は人間と同じ36.5度に設定されている。ほんのり暖かい。こんなことをされると、中学生のようにときめいてしまう。 夜風がさらさらと、横を歩くセフィロトの前髪をなびかせていく。 樹ともよくこうして歩いた。でも、彼はたいてい、いつも私よりずんずん先を進んでしまい、私は彼の背中ばかり見て歩いていた。逆に自分の見たいものがあるときは、私をいつまでも待たせるくせに。 セフィロトは違う。私がゆっくり歩いていると、ゆっくり歩いてくれる。少し歩調を速めると、それに合わせてくれる。 いつも私の考えていることを知ろうと気を配りながら、じっと私を見てくれている。 ほんとうに正反対なんだな。 でも、どんなに欠点だらけでも、私は樹がよかった。 彼以外の男性を、もう一生愛せない。 そこまで考えて、自分がいつのまにか、樹とセフィロトを同じ男性として比べていることに気がつき、苦笑した。 私って馬鹿みたい。 レストランを出たとき、暗視モードに切り替えたセフィロトの眼は少し金色を帯びる。 胡桃を害するような障害物。危険な人間。なにもないことを確認する。 ロボットの仕事は、マスターである人間を全力で守ること。 でも、そうでなくても、たぶん胡桃のために彼は作られたのだ。人工知能の奥深くに、古洞博士がそうプログラムしているのかもしれない。 それなのに彼は全然、その役目を果たせていない。下手をすれば、胡桃に守られているような気がする今日この頃。 なんだか悲しい。もっと強くなりたい。彼女に笑われないくらい強く。 ふと気がつくと、胡桃がほんのわずか肩をすくめている。 今の気温は摂氏13.2度。今日の彼女はダークローズのオーガンジーのワンピースを着ているだけ。寒いのかもしれない。 桑田さんのおばあさんのことを思い出した。CA4型介護ロボットは、ひざ掛けを掛けてあげていたっけ。 彼はすぐに、自分の着ているものを脱いで、彼女の肩にかけた。 胡桃はびっくりして、うれしそうだ。その笑顔を見るとこちらまで、しみじみとうれしくなってしまう。 冷たい秋の風が、彼女のシャギーの入った長い髪の毛を小刻みに揺らしていく。 胡桃は何も言わずに、空を見上げた。人間の目では、地上のライトに遮られて、彼が見ているような満天の星空は見えていないに違いない。 でも、彼女はじっと空を見上げながら歩く。きっと古洞博士のことを考えているのだろう。 亡くなってしまった古洞博士。胡桃はいつも、彼を思い出している。 いつもいつも。どんなにわたしがそばにいても、同じこと。 彼は自分の中にぽっかりと空洞ができたような気がした。それが何かはわからないけれども。 「やあ、ごめんごめん。毎日日替わりでデートが入っててね。約束したのになかなか招待できなくて」 国立応用科学研究所の【犬槙・古洞ロボット工学研究室】のメインルームに通された私とセフィロトの前で、犬槙さんがビデオファイルを大型スクリーンに映写する準備をしている。 「お盛んで、よろしいですね」 「よくないよ。みんな朝まで離してくれないんだ。33歳にもなると、体力の限界を感じるよ」 まったく、あの廊下での「好きだよ」を真に受けた私が馬鹿だった。犬槙さんにとっては、あれはすべての女性に対するご挨拶みたいなものなんだと思い知る。 平気だと思っていたのに、けっこうムカムカするのが不思議だ。 「本当のわたしを見せてくださるとは、どういうことですか?」 セフィロトがたずねた。 「うん、胡桃ちゃんから、きみが自分の性能に自信をなくしていると聞いてね。初期調整のときの映像を見せてやろうって約束したんだ。データ収集のために限界能力値も測定してるから、それを見ると自分のことがよくわかると思うよ」 「うわあ。早く見たいです」 「まあ、じゃ焦らずに最初から見ていこうか。映画のはじまりはじまり」 照明を落とすと、壁のスクリーンに何かの数字や記号が一面に映し出される。 そして、映像。 「あ、セフィだよ」 「ほんとうです」 カプセルの中で上半身を起こし、眼を閉じたセフィロトが映っていた。 幾本ものコードが体の後ろから伸びている。見ると、後頭部から背中にかけて、カバーが取り外され、むきだしの内部が見える。 私は、彼の内部をこうして見るのははじめてだった。 「すごく複雑なんですね」 畏怖に打たれたようになって、そう言うのがやっとだった。 「ここが、樹の作った人工知能だよ」 犬槙さんは、スクリーンの真ん中あたりを指差す。 「え? 頭にあるんじゃないんですか?」 「頭部には収まりきらなかったんだよ。文字どおりセフィロトの心臓部だけに、体の中央に収めてしっかり何重にも保護してある。頭には彼の胃袋、つまり充電装置が入っているんだ」 「へえ」 人工関節や人工筋肉。犬槙さんが次々と説明してくれるものを見つめる。思ったよりは金属ぽくはなかったが、それでもじゅうぶんに機械を感じさせる。 やはりこういうものを見てしまうと、セフィロトがロボットであることを納得せざるを得ない。 思わず横にいる彼の様子をうかがったが、自分の内部構造はよく知っているらしく、 あたりまえという表情をして見ている。 ビデオは次のシーンに移った。 セフィロトは立っていた。背中は元通りに人工皮膚におおわれていたが、コードはまだ接続されている。 今度は眼が開いている。薄茶色の瞳は、何かの周期に合わせてチカッチカッと金色に光っている。 画面の外から、犬槙さんの声がして、彼は口を開いてそれに答える。 『H&%#Q$@*6?¥』 「は?」 「え?」 何を言ってるのか、全くわからない。 「いやあ、このときはインターフェースの設定を間違えててねえ」 犬槙さんは、決まり悪そうに頭を掻く。 場面は変わり、またセフィロトが何かをしゃべるところだった。なにかとてつもなく大事なことを話しているような、しごく真面目な調子で。 『血価予選の四足スルメ、水底サンマ音頭!』 「……」 「わ、わたしってこんなだったんですね……」 セフィロトは、ぼう然と画面を見つめている。 「このときのこと、覚えてないの?」 「まったく、覚えていません」 「覚えてないのは、無理ないよ。この辺の実験は失敗続きで、全部データから消去したからね」 犬槙さんがおおらかに笑ってごまかす。 「ああ、やっぱりわたしは失敗続きだったんだ」 「犬槙さん、こんな場面ばっかり見せちゃ、余計自信をなくすじゃないですか」 「まあまあ。科学における成功とは失敗の産物だからね。この次から成功オンパレードだからさ」 そのとおりに、次に現われたセフィロトは、理知的で整然としたことばを紡ぎ出していた。 でも、今の彼とは、何かが違う。 まったく瞬きもしない。ことばは合成音声のように抑揚がなく無表情。いくら人間の形をしていても、この画面の中にいるのはロボットそのものだった。 今、私の隣にいるセフィロトとはまるで別人。いかに彼がこの9ヶ月で人間らしく成長したかがよくわかる。 「次は、歩行訓練をしているところだよ」 セフィロトが、床に敷かれた真直ぐの線の上を歩いているところが映し出された。 でも、信じられないくらい、へた。まるで、お酒に酔っ払って千鳥足で歩くおじさんだ。 私は悪いとわかっていながら、とうとう笑いこけてしまい、セフィロトは恥ずかしさのあまり、真っ赤になって頭を抱えてしまった。 「犬槙……さん」 最後にはぜいぜいと息を切らし涙を流しながら、私はまだ声を震わせていた。 「ふふ、これ、これじゃ……、あはは、……セフィがまた落ち込んじゃってますよ」 「ものごとには、順番というやつがあってね。……さあ、この次だ。きみたちに見せたかったのは」 犬槙さんは、今までのひょうきんな表情を消して、真顔になった。 「見せる前に言っておく。ここに出てくるのは、正確にはセフィロトじゃない。彼の人工知能は一時的に接続をはずし、コンピューターがテスト用に直接、ボディに指令を出しているんだ。それをきちんとわかったうえで、見てほしい」 私たちは身を乗り出す。 ふたたび、セフィロトが大写しにされる。 金色のぞっとするほど冷たい瞳。 彼の前に、台座に乗せた分厚い鉄板が運ばれてきた。 映像の左端で、カウンターがめまぐるしく回り始める。 1秒……2秒……。 そして、その次の瞬間、鉄板には大きな穴が開いていた。 もうもうたる白煙が上がる。何が起きたのかわからない。ただ、セフィロトの拳が穴の真ん中をゆっくりと戻って行くのだけが見える。 「犬槙さん。今のは…・・・」 「セフィロトが鉄板をぶち抜いたんだよ。人間には見えないほどの速度で」 私たちは、信じられない思いで犬槙さんがスロー再生してくれる画面を見つめた。 映像の中のセフィロトは、板を破壊する瞬間もぴくりとも表情を変えない。まるで小麦粉をすくうようなあっけなさで鉄に触れただけ。 「これが、彼の本当の力だ」 犬槙さんは、淡々と説明してくれる。 「もちろん、今のセフィロトはこんなことはしない。いや、できないと言ったほうがいいだろう。彼には無用にものを破壊することを禁忌とするプログラムが組み込まれているしね」 「犬槙さん、使うことができない能力なら、なぜつける必要があったんですか」 私は非難するような声を上げた。 それほど恐ろしかったのだ。さっきのセフィロトが。 「胡桃ちゃん。交通規則で制限時速100キロでしか走れない車でも、最高時速は200キロ近くまで設定されている。機械とはそんなものなんだよ。ゆとりの部分が必要なんだ。 それに、ロボットというのは何かあったときには真っ先に、危険な場所で人命を救助することを求められ、またそうプログラムされているんだ。そのためにいざというとき必要な能力は備えなければならない。そして何よりも……」 犬槙さんは、逡巡するように口の中でことばをころがしている。 「怒られるかもしれないが、これは科学者としての性(さが)だ。自分の最高の技術を試したい。そして最高の性能を持つ作品を作りたい。僕と樹は、セフィロトに自分の持てるものすべてを注ぎ込んだ。……今のはその結果だ」 「でも……」 「わかっています」 セフィロトは、まっすぐに自分の創造者を見つめて言った。 「さっき見たのはわたしの中に眠っている力。でもそれは決して使ってはいけないのですね」 犬槙さんは、大きくうなずいた。 「僕は、きみが強くなることを求めているのを聞いて、もう一度教えておきたいと思ったんだ。 セフィロト。きみは、きみがそう望めばもっと多くの能力を引き出すことができるだろう。でも、それが必要かどうか、考えながら行動してほしい。 その力を用いるとき、これは果たして正しいことなのか、どうか。 正当な理由があれば、破壊することは正しいのか。ひとつの命を助けるために、ほかのもうひとつの命を傷つけるのは正しいのか。 この世界には、人間さえも結論を出せていない多くの矛盾がある。 だから、樹と僕はきみにともに考えてほしいと願ったんだ。人間にもっとも近く、人間の心を理解することができ、しかも人間ではないきみに」 NEXT | TOP | HOME Copyright (c) 2003 BUTAPENN. |