ゲーム編



 「ごめんなさい、犬槙さん。一番つらいのはセフィを作ったあなたのはずなのに。あんなにあなたを責めたりして」
「胡桃……ちゃん」
 眼鏡の奥で私を見つめる目から、幾筋もの涙が流れた。
「でも、私も同じ罪を背負うから……。あなたといっしょに一生苦しむから……」
 そう叫んだ私は、犬槙さんの手に自分の手を重ねた。私たちはふたりで、セフィロトの停止のためのスイッチを押した。

「胡桃。おはようございます」
 セフィロトの透き通るような声で、物思いにふけっていた私は我に返る。
「ああ、おはよう。セフィロト」
「今日は、いいお天気ですね」
 彼はそう言いながら、コーヒーを私の前のカップに注いでくれる。
 相変わらず、まずいコーヒー。いつまでたっても上手に淹れられないのね。

 あれから犬槙さんは、セフィロトを初期化した。そのときに、樹の「人格移植プログラム」まですべて取り除いてしまった。
 だから、今のセフィロトにはもう樹の面影はないのだ。コーヒーの淹れ方も、声の出し方もまったく別人。すずかけの木をなつかしいと言うこともない。
 それに、うれしい、悲しいといった原始的な感情以外のものも取り払われてしまった。
 恥ずかしがったり死を怖がったり、人を愛したり憎んだりすることも、もうない。あの寂しそうな眼をしたセフィはそこにはいない。
 天使のようなセフィロト。
 それでいい、と思う。
「ロボットに愛する心を与えるべきでないと、やっとわかったんだ」
 犬槙さんは、コードにつながれたセフィロトのからだを前に、ぽつりとそう言った。
「この激しく苦い感情を新しい命に味わわせるのは、残酷だ。こんなふうに苦しむのは、人間だけでたくさんだよ」

「胡桃。博士はまだお休みですか?」
 セフィロトが朝食の皿を並べながらそう聞く。
「ええ、そうみたい」
「起こしてきましょうか?」
「いいえ、私が行くわ」
 彼の寝室に入った。
 眼鏡をはずした、子どものように無防備な顔をした彼が寝ている。
「魁人」
 私はベッドのへりに腰かけて、そっと呼ぶ。

「私が愛しているのは、今でも樹、そしてセフィだけなの」
 犬槙さんのプロポーズに、私はそう答えた。
「それでもいい」
 と、彼は微笑んだ。
「ただ僕は、きみのそばにいたいんだ。樹と以前のセフィが果たせなかったその役割を、僕が代わりに果たしたい」

 私と犬槙さんとの間にあるのは、男女の恋愛感情ではないのかもしれない。
 私たちはお互いの瞳の中に、いつも樹とセフィを映している。
 逝ってしまった彼らの生命に対する罪の意識が、哀しい追憶が、互いへのいたわりが、今の私たちをつなぐ絆だ。
 でも、そういう愛の形もあると、そんなふうに思い始めている。
「う……ん」
 彼が、けだるそうに体を動かし、目を開けてふっと笑った。
「おはよう、胡桃」
「おはよう、魁人」

 そして、私たちはいつものようにセフィロトと3人で、静かにコーヒーを飲むのだ。



 No.11「犬槙エンディング」 ―― 初期化する?

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