ゲーム編



 私は審査の結果が気になり、ドアに耳をあてて中の気配を探ろうとしていた。

「古洞胡桃さん」
 私は飛び上がった。いきなり背後から声をかけられたからである。
「あ、あなたは……」
 それは、さっきまで私の面接の質問官を務めていた男性だった。「機械にキスするのは気持ち悪くないですか?」と言った人。
 まだ審査は続いているはずなのに、なんでここにいるのだろう。
「科学省審議官の柏といいます。あなたにどうしても個人的にお耳に入れたいことがあるのです」
「いったい何でしょう」
 私はこわばった表情をくずさず、にらみつけた。
「そう警戒なさらないで。こちらへどうぞ」
 廊下の突き当たりの談話スペース。研究所の庭を見晴らす窓のそばに背を向けて、彼は立った。
「AR8型といっしょに暮らしていて、何かおかしなところはありませんか?」
「と、おっしゃいますと?」
「ただの自律改革型ロボットとしては、あまりに成長が早すぎる……とか。何かの意図を秘めているような行動をする……とか」
「意味がわかりません」
「犬槙博士が提出したデータを詳細に分析させました。すると驚くべきことがわかったのです。AR8型には「隠しプログラム」がある」
「隠しプログラム?」
 柏は鋭い眼光をきらめかせて振り返った。そのごつごつした容貌は、官僚というよりは軍隊の将校に近い。
「犬槙博士もその存在を知らないようだ。きっとあなたの亡くなられたご主人、古洞博士の手になるものでしょう。
何のためのプログラムなのかはわかりません。だがとても強力なものです。これが発動すれば、ロボットに必ず組み込まれている絶対禁忌――「人を殺すな」という命令も簡単に打ち崩すことができる」
「そんな……」
「単刀直入にいいましょう。あなたがたがセフィロトと呼んでいるあのロボットは、大変危険です。今すぐ私たち科学省に引き渡して、綿密な調査をさせていただきたい。
犬槙博士も説得中ですが、科学者というのは自分の作ったものを見る目は素人より曇っている場合があってね。
あなたのご協力をぜひあおぎたいのです」
「お断りします!」
 私は恐怖に駆られながら立ち上がった。
「何かの間違いです。夫はそんな恐ろしいものを作る人ではありません。
私は夫と犬槙さんを信じているし、セフィも信じているわ。……あなたなんかよりもずっと!」
 そう言って私は、一度も振り返らずに廊下を歩き出した。

 それから数日が経った。
 犬槙さんとの夕食のあと、私たちは応用科学研究所に向かった。
 【テルマ】が何者かにハッキングされそうになったという。セフィロトのデータが盗まれそうになった疑いがあるのだ。
 私は口をつぐんではいたが、それは柏審議官のしわざだと思った。
 まだ性懲りもなく、セフィにあらぬ疑いをかけようとしている。
 私たちは、「犬槙・古洞研究室」に侵入しようとした呉中という生物博士の研究室の前で、息を殺して見張っていた。
 そのとき、犬槙さんが私をうしろから抱いて、聞こえないくらいの小声で「好きだよ」とささやいた。
 動揺した私は、聞こえないふりをした。
 結局、呉中博士は現われなかった。

「胡桃、あれから事件はどうなったのですか?」
 外出していたセフィロトが帰ってきて、私にそう問いかけた。
「あ、そう言えば、きのう犬槙さんから連絡があったわ。呉中博士はあのまま行方不明なんですって。ハッキングの件もうやむやに処理されてしまうそうよ」
「そうですか」
彼は、私のカップにコーヒーのおかわりを注いでくれる。
「胡桃は、なぜ嘘をついたのですか?」
「え?」
「犬槙博士が好きだとおっしゃったとき、胡桃の心拍数が跳ね上がりました。本当は聞こえていたのに、なぜ聞こえないふりをしたのですか?」
 私は手が震えて、思わず持っていたスプーンをかちゃりとソーサーの上に落とした。
 やわらかく微笑んでいるはずのセフィロトの表情が、誰か別人のもののように見えたのだ。とても残酷で凶悪な……。
「あなたが犬槙博士のことを、ほんとうは好きだからですか? ずっとずっと昔から。古洞博士よりも」
「な、何言ってるの、セフィ?」
「やっぱり古洞博士の勘はあたっていたんですね。親友のふりをしてあいつはずっと、胡桃のことを狙っていた」
 くすくすと笑う。
「だから、きちんと罰は受けなくてはね。今頃、私が入っていたカプセルの中でコードにがんじがらめになって、恐怖に泣いていますよ。そろそろ数万ボルトの高圧電流が流れる頃でしょうか」
「セフィ?」
 私の座っていた椅子ががたんと音を立てて倒れた。
「それでも、呉中博士に比べたらましな死に方だと思います。自分の研究室で、凶暴化した食虫植物に少しずつ肉を食いちぎられるのに比べたらね」
「セフィ……。嘘よね。……まさか」
 セフィロトは冷たい目で、まっすぐに私を見た。
「何かいけないことでも? わたしは、古洞博士に命じられたとおりにやっています。胡桃のそばにいて、全力で守ること。ふたりの平和な生活を邪魔する者は、すべて排除すること。たとえどんな手段を使っても」
「そ、そんな……」
「胡桃、誰一人としてあなたに近づかせたりはしません。古洞博士の代理であるわたし以外は」
「やめて、いやぁっ。そばに来ないで!」
 後退る私の後ろには、もう壁しかなかった。濡れた目を力なく上げると、怒りに満ちたセフィロトの顔が映った。
「なぜわたしを拒むのですか? あなた自身がまさか、わたしたちの平和な生活を邪魔するとは」
「いや……、来ないで」
「赦しません」

 ソファの上に横たえられた私に、セフィロトが乗りかかる。
 混乱と絶望で、もう心は何も感じない。
「さあ、キスしてください、胡桃」
 セフィの唇が私の唇と重なったとき、温かい液体が彼の口から流れ込んだ。
「こ……れは……」
「あなたが以前、預けてくれたものです。最後にきちんと役立ったでしょう?」
 その手に握られていたのは、
 ずっと前、捨ててと彼に渡したシアン化合物の容器。
「おや、まだたくさん残ってますね。そうだ。あの科学省の役人たちのお茶にでも入れようかな」
 薄れていく意識の中で、私は狂ったロボットの笑い声をいつまでも聞いていた。


 No.5「ターミネーターエンディング」 ―― 初期化する?

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