番外編  霞恋湖畔の怪                 back | top | home







(1)

 夏休みもあとわずかで終わりを迎えるという朝。
 秋を思わせる高い青空のもと、ビルのはざまの洒落たオープンカフェのテラスには、楽しい笑い声が響いていた。
「本当にこの数ヶ月、詩乃さんにはお世話になりました」
 金髪をツンツンに立てた、一見業界人風の服装の男が言った。
「これからも当分この町にいることになったので、一度お礼をしたいなと思いまして」
「こちらこそ、久下さんにはいろいろ助けていただきました」
 女子高生らしい少女がにこやかに答える。
「それに、こんな美味しい朝食は初めて。ご馳走さまでした」
「やっぱり一人前の男は、食事に誘う店からして違うのう」
 テーブルの上にちょこんと乗っていた小さな白い狐が、にまにまと笑った。
「ハンバーガーしかご馳走できぬ誰かとは大違いじゃ」
「……」
 黒い髪の少年は不機嫌そうに、サラダの野菜をばりばりと食んでいる。
「それはそうと詩乃さん、もうすぐ夏休みも終わりですが、宿題のほうは順調ですか?」と、久下。
「はい。なんとか」
「詩乃どのは宿題など、もうとっくにやり終えているぞ。ちゃんと毎日こつこつと計画的に机に向かっていたからな」
 詩乃といっしょに暮らしている草薙が、自分のことのように自慢した。
「……ところで統馬、おまえはどうなのじゃ」
「宿題? なんだ、それは」
「……」
「……」
「聞いたわたしが、馬鹿じゃった……」
「夜叉追いは、漢字だけ読めたらいいんだって、矢上くんいつも言ってるものね」
 詩乃が苦笑をこらえて、フォローする。
「いいや、ただこいつは阿呆なだけじゃ。平安時代生まれのわたしが横文字をすらすら読めるのに、六百年もあとの戦国の世に生まれたこいつが、エービーシーさえまともに書けぬのじゃからな」
「なんだか、スケールの大きな比べかたよね」
 詩乃は笑いながら、カフェのパラソル越しに澄み切った秋空を見上げた。





 弓月詩乃はこのひと夏のあいだ、彼ら三人と関わって多くの不思議な経験をしてきた。
 夜叉追いの矢上統馬。
 人間を苦しめる夜叉を祓う矢上一族の最後の生き残りである彼はまた、内に封印された夜叉を宿す存在でもあった。
 その彼の持つ霊剣・天叢雲(あめのむらくも)の一部であり、白狐に変化することのできる草薙。
 そして、統馬を助けながら江戸時代から転生を繰り返してきた密教の僧侶、久下尚人。
 彼らの何百年にも及ぶ運命(さだめ)と絆の中に、詩乃は自分の意志で進んで飛び込んだ。それがまた、自分自身の運命だと信じるがゆえに。


「そう言えば、ひとつ聞きたかったことがあるんですけど」
 詩乃は物思いをふりはらうかのように、久下に訊ねた。
「はい、なんでしょう」
「久下さんて、確か5回転生したんですよね。それってやはり、全部男だったんですか?」
「は?」
「転生した体がたまたま女の人だなんてことはなかったのかなあって。
久下さんて絶世の美人になりそうだし、矢上くんもひとめ惚れしちゃったりして。うふふ」
「……」
「……」
 無邪気な詩乃のことばに、久下も統馬も困った様子で、互いの顔をそむける。
「まさか……本当に?」
「な、なんかそんなことも一度あったような」
 久下が頭を掻くと、
「誤解を招くようなことを言うな。干からびたジジイの生まれ変わりに誰が惚れたりするものか」
 憮然とした表情で、統馬がつぶやく。その様子を見て、からかわれているのではないことを詩乃も悟った。
「冗談じゃなくて、本当にあったんだ……」
「厠(かわや)に行ってくる」
 統馬は逃げるように席を立ってしまった。
「詩乃さん、心配しなくても、女性だった僕に統馬は見向きもしてくれませんでしたよ」
 久下は、安心させるように微笑んだ。
「けっこう僕のほうは真剣に恋したんですけどね。……あ……と言っても、それは前世の話です。今は男同士ですから、そんな気持ちは微塵もありませんよ。ね、草薙」
「ふっふふ。ノーコメントじゃ」
「へええ。いいこと聞いちゃった」
「ははは。詩乃さんも、案外と腐女子なんだなあ。目が輝いてますよ。
――それより、今日詩乃さんを食事にご招待したもうひとつの理由なんですが」
 咳払いをすると、久下はあらたまった調子で言う。
「あなたと統馬に、また夜叉追いの仕事をお願いしたいんです」
 統馬が戻ってくるのを待って、久下は詳しい話を始めた。





「岐阜県に、「霞恋湖」という美しい湖があるのです。「霞」に「恋」と書いて「かれんこ」」
「うわあ、ロマンティックな名前ですね」
「昭和になってから地主が観光用に改名したのでしょう。小さな湖で、交通もとても不便なのですが、名前のおかげで、若いカップルのあいだでは知る人ぞ知る観光地で、湖畔にペンションも一軒立っています。
実は、そのペンションのオーナーから今度の調査の依頼があったのです」
 久下は意味ありげに声をひそめる。
「このところ、ペンションに来るカップルに異変が起きているらしいのです。みんなペンションに来るときは、とてもラブラブなのに、帰るときまでに、ほぼ100%仲たがいしてしまう。
中には、それで結婚が破談になってしまったカップルもあり、悪い噂が口コミであっというまに広がって、ペンションのお客も激減してしまったそうなんです。
あまりの異常さに、これは何かのたたりではないか。そう思ったオーナーがうちの心霊調査事務所に相談に来たというわけでして……。
そこで、2日の予定で詩乃さんと統馬に現地に行っていただき、カップルになりすまして、そのペンションの周辺を調査してもらいたいのです。
宿題ももう終わっているということですし、夏休みの最後の思い出がてら……いかがでしょうか」
「泊りがけの調査になるんですね」
 と、詩乃が訊ねる。
「はい、そのほうが原因をつきとめやすいと思うんですよね。
ただ、カップルが必ず破談するという因縁のお仕事なので、おふたりにはちょっと可哀そうかなと迷ったんですが」
 久下の気遣う様子に、詩乃はあわてて手をひらひらと振った。
「あ、で、でも、私と矢上くんは全然カップルなんかじゃありませんから、だいじょうぶですよ。引き受けます」
「統馬は、どうです? 引き受けてくれますか」
「どうせ先方には、もう行くと返事してあるのだろう?」
 いつものこと、と言うように、統馬は吐息をついた。
「はは……、まあそうなんですけど。じゃあ決まりですね」
「ふふふ、久下もなかなかやるのう」
 テーブルの上では、草薙がひとり、ごちていた。
「だが、読者のみなさま、安心めされい。
「詩乃どのの貞操を守る会会長」のこのわたしがいる限り、統馬には詩乃どのに指一本触れさせんからな」




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