舫い船
両側を山に挟まれた細長い谷は、船に似ていると子どもの頃から思っていた。 最も幅の広い中央部分には、風で吹き寄せられた落ち葉のように、二百戸ほどの集落が固まっている。その回りを取り囲む畝と水路で整然と区切られた緑の田は、北に向かうほど小さな棚田となり、やがて鬱蒼と茂るクヌギの林に取って代わられる。そのすぼみ具合が、まるで船の舳先のように見えるのだ。 反対側の艫(とも)にあたる部分は、やはり小高くせりあがっていて、谷を見下ろす丘となる。私の家はそのあたり、さしずめ舵の位置にあった。 享保の時代から明治の初めまで、代々の庄屋をつとめていた我が家は、古い土塀にぐるりを囲まれている。その土塀の屋根に上がって谷全体を見晴らすのが、幼い頃の私は好きだった。 夕暮れなどに、山肌からひたひたと霧がすべり落ちると、谷全体が白い幻影の海の上に浮かんでいるなどと夢想したものだ。 自分がどれほどこの谷を愛していたかを思う。そして同時に、どれほど憎んでいたかを。 私がこの世に生を受けたのは、明治34年、まさに二十世紀が始まらんとする年だった。 ほかに兄弟はおらず、家には父と母と女中と、四人だけで住んでいた。 父は無口な男で、ほとんど話すこともなかった。たいていは馬で村を見回っているか、家にいるときはいつも、書斎としている奥の座敷の和机で書き物をしていた。母は私の汚れた手足や着物を見るたびに小言を言い言い、女中のおよしと一緒になって私の後を追いかけてきた。 父も母も小学生の親にしてはかなりの歳で、一人息子の腕白をいささか、もてあましているように見えた。 いや、私の悪さは、腕白などという生易しいことばを、とうに飛び抜けていた。 尋常小学校を卒業せんとする頃は、『萩屋敷の烏天狗』という有難くない通り名まで頂戴していた。 軒先の干し柿や干し芋を失敬し、田畑に踏みこんではカエルやナマズを捕る。案山子を倒す。牛を驚かす。大勢の下級生を子分に引き連れて、私はいい気になって村をのし歩いていた。 いったい子どもというのは、どこまでやれば相手が怒るかを試してみるような性癖があるものだ。少なくとも私の場合は、そうだった。大人がこれ以上は我慢できぬという一歩手前を見極めて、ひらりと身をひるがえして逃げるのが楽しかった。 それに、たとえ逃げるのをしくじっても、村人は私のことを強くは咎めなかった。 村の南側一帯の田を全て持つ大地主の跡取り。「困りますよ、ぼん」のひとことだけで、後始末は回りがすべてやってくれる。その特権をいいことに、私はますますいたずらに耽った。 だがひとりだけ、私の悪さをこっぴどく懲らしめた人間がいた。 村のはずれにひとりで住んでいる、トメ婆さんだ。いっしょに暮らしていた息子夫婦が田舎暮らしを嫌い、都会に逃げ出してしまって以来、広いぼろ家にたったひとりで住んでいる。 とにかく変わり者で、地主である私の父さえ、小倅(こせがれ)呼ばわり。何を言ってもまるで意に介しないので、父も弱りきっていた。 天狗の神通力さえ通ぜぬ、幕末生まれの気骨の象徴のような婆さんに、私は敵愾心を燃やした。 トメ婆さんの家の庭には大きな柿の木がある。その柿はそれは見事な実をつけ、山の端を彩る夕焼けに照り映えて、まぶしいほどに紅く輝くのだ。 婆さんが奥に引っ込んでいるときを見計らって、こっそり庭に忍び込む。子分たちの背中を馬にして、柿の木によじのぼり、たわわに熟れた柿をもいでは、下に落としていく。 「こらあっ」 家の裏から竹の棒を振り回してトメ婆さんが飛び出してくると、そこからが勝負だ。 一気に飛び降り、下級生たちに柿を持たせ、私自身は手ぶらで、号令とともに蜘蛛の子を散らすように四方に駆け出す。そして、あとで神社の境内で落ち合って、功労者の順に柿を分配するのだ。 それは私にとっては、単なる盗みではなく、胸を心地よく躍らせる冒険であり、指揮官の采配をふるう極秘任務だった。 たいていは我が軍の一方的な勝利に終わるのだが、一度トメ婆さんは、私の家まで追いかけてきたことがある。門さえくぐってしまえば諦めると読んでいたのに、なんとトメ婆さんはうちの庭に駆け込み、上がりかまちで草鞋を脱ぐこともなく、家の中にまで踏みこんだ。 そして、押入れに隠れていた私を見つけて引きずり出して、泣き叫ぶ私を心ゆくまで竹の棒で打ち据えた。 ちょうど両親は不在で、使用人たちは止めることもできずに、あっけに取られて見ていた。おそらくは内心、愉快がっていたろう。 あの、婆さんの般若のような顔を今も忘れることができない。 村の嫌われ者同士、戦うことによって私たちは、互いの傷をなめ合っていたのかもしれない。 時折、学校をサボタージュしては、山をふたつ越えて、海まで釣りに行った。兵庫と岡山の県境のこのあたりは、瀬戸内の海がほんの目と鼻の先までせまっている。 日生・家島の島々が点在し、沖には小豆島が霞む内海は、波も穏やかで外海の持つ荒々しさはみじんもない。それでも私は、その海にさっそうと船出する日を夢想した。このまま家に帰らないと決めたこともある。腹が空いてたまらなくなるまでの決意だったが。 私は外に向かうものすべてにあこがれていた。激しく強い流れを求めていた。私の乗る船はただ港に舫(もや)われているだけで、どこにも向かっていない。 いつの頃からか私は、この揺りかごのように育んでくれた谷を気づまりに感じるようになっていた。 この谷は、私の好奇心を満たすだけの何物をも提供してくれない。村人たちは一生をここで暮らし、広い世界に何の関心も持たずに死んでいく。どんなに時代が進んでも、ここだけは空気が淀んだように取り残されている。 だが、こんな谷にも時折、外界の空気を運んでくれる者がやってきた。 ひとりは、岡山の農村を中心に巡回していたキリスト教の伝道者だった。明治の初め、九州に「熊本バンド」と呼ばれるキリスト教の結盟ができ、その後継者たちが今治、岡山などに布教に訪れ、次々に教会を創設していた。 継ぎのあたった上着を着て、古ぼけた革靴にゲートルを巻いた男は、村に現れては、神社の鳥居の前で、世界万物を創始したまことの神について、痩せた身体に似合わぬ確信に満ちた声で説いた。 「真理は汝らに自由を得さすべし」 子どもの私に彼の説教の言葉はほとんどわからなかったが、たまにわかる部分が、ことさらに新鮮に聞こえた。 真理とは何だろう。自由とは何だろう。 大人たちは忌むものを避けるように足早に通り過ぎ、悪童の中には石を投げる奴もいたが、いつもなら、いの一番に先頭に立つはずの私は、不思議とこれには加担しなかった。 分厚い聖書を小脇に、風呂敷包みを背にトボトボと歩く耶蘇坊主は、本で見た西洋の壮麗なキリスト教寺院と、およそ似るところがはない存在だった。貧乏でみすぼらしく、それでいて孤高の存在。私にとって彼は、外界に向かってうがたれた、ひとつの風穴だった。 もうひとりは、帝都に住んでいて、たまに帰省してくる父の弟、私の叔父にあたる人だった。 叔父はその当時、とっくに四十を過ぎていたであろうが、色が白く血色もよく若々しかった。仕立ての良い黒光りのする外套を身にまとい、軍人のような髭を生やして、大またで颯爽と歩いた。この村で生まれ育ったはずなのに、地方のなまりがまったくなかった。 そして手振り身振りを交えて、面白おかしく東京の話をしてくれた。 私は叔父が滞在している間、膝にすりよるようにして話をせがんだ。 「敏郎(としお)は、イギリスの豪華船が沈没したのを知っているか」 「何ですって。知りません」 叔父は懐から小さく畳んだ新聞の切抜きを取り出した。明治45年4月18日とある。 「世界の最大汽船、沈没して千五百名溺死す」 ふり仮名のついていた大見出しだけをかろうじて読むと、後は叔父が朗々とした調子で読み聞かせてくれた。 「何等の大惨事ぞ、噫(ああ)之れ航海史上未曾有の大事件なり」 タイタニックなる英国の汽船が、大西洋で巨大な氷山に激突し、千五百名が溺れ死んだとある。 「女子どもは用意された救命艇に乗り移って助かったが、男子はことごとく、船とともに沈んだ。夫婦連れも愛し合う恋人たちも、今生の別れを告げ合い、泣きながら甲板で引き離されたということだ」 演劇の台詞のような芝居気たっぷりの叔父のことばに、私は身をよじるほど興奮して聞きほれた。 「この萩尾の家ならば、母上と敏郎は助かるが、父上と僕は死なねばならん」 「なぜですか、ぼくは男ですよ」 「だが、まだ子どもだ」 「子どもではありません、ぼくもいっしょに死にます」 「まあまあ、何やのん。死ぬだの生きるだのと縁起の悪いこと」 母が眉をひそめながら、台所から座敷に上がってきて、お膳を並べた。 叔父が帰ってくると、父も母も機嫌が悪くなる。 それは、叔父がいつも堂々と、女性をいっしょに連れ帰ってくるからだ。滞在中、村落の古いしもた屋の二階に泊まらせている。叔父に連れられて、私もこっそり何度かそこに行ったことがあるが、毎回違う顔だった。 どの女性も、若くて、目の覚めるような色の洋装をして、階段を上がっただけで、咳きこむほど強い香水の香りがした。 叔父の女遊びは、とっくに村でも評判だったから、両親はさぞ恥ずかしい思いをしていただろう。それが私にとってはいっそう痛快だった。 「沈む船からは、ネズミが真っ先に逃げ出すと言うがな。タイタニックのネズミはどうなったんやろな」 タイタニックの悲劇は、しばらく私の心の大半を占めることとなった。 「イギリスの男どもはみな泳げんかったんか。泳げれば、助かるやろに」 学校への行き帰り、同い年の宗吉や源三と論じ合った。宗吉は漬物屋の息子で、まじめで成績がよく、小作のせがれの源三はおっとりしていて、二人とも私のいいなりになる少年だった。 「北の海で氷山にぶつかったんやで。海に落ちたとしてもすぐ凍え死んでしまうんや」 私たちの話題はいつしか、タイタニックに乗って、どうやったら救助艇に乗らずに生き残れるかという話になった。 「戸板を剥がして、浮かべるんや」 「波に飲まれてまう」 「問題は寒さや。何か暖かいもんを身体に巻きつけておけばよいのや」 「犬はどないや? 犬なら、しがみついておれば暖かいし、何よりも泳げる」 私は家に飛んで帰って、飼っていた雌犬が産んだばかりの仔犬を一匹抱きかかえてきた。 三人は、夏になるといつも水遊びをする大池に走った。 寒さに強く、泳ぎもうまい犬にしがみついて泳げば、暖が取れる。 私たちは、仔犬のうちから泳ぎを訓練して、『救命犬』なるものを売り出そうと考えたのだ。 アザミやヨメナの咲く斜面を滑り降り、着物のふところに入れていた仔犬を出した。 「やっぱり、やめよう」 宗吉が怖気づき、尻ごんだ。 「阿呆か。いまさら、なにを言う」 私はかまわず、犬を大池に放り込んだ。仔犬ははじめはもがいていたが、やがてずぶずぶと沈んでしまった。 あわてて三人で服のまま池に飛び込み、命からがら犬を救い上げた。ぐったりとした仔犬を抱きかかえ、びしょ濡れになって家に戻ったら、珍しく激昂した父にぶたれ、私は夕飯も食べずに納戸に放り込まれた。 一年が経ち、天皇陛下の大喪があり、年号は明治から大正へと変わった。 衣替えのたびに、母は私の着物の丈を見ながら、ため息をついた。 「また大きくなりましたなあ。身上げと肩上げを全部ほどかにゃ」 背が伸びるのは仕方ないのに、母はそういう小言を言わねば気のすまない人であった。 私は高等小学校に進んだ。宗吉は家の商売を手伝うことになり、源三は年季奉公で赤穂の塩問屋にやられてしまった。 私のそばに残ったのは、三人で大池に放り込んだ、あの雄の仔犬だけだった。 父が名づけた「早太郎」という名がほとんど詐欺に近いほど、この犬は弱弱しく、臆病な犬だった。それはもしかすると、私のいたずらで、生まれてすぐ池で死にかけたせいかもしれないのだ。 「こんな神経質な犬は番犬にはならん。おまえが世話をせい」 父が私の顔も見ずにそう宣言してからは、早太郎は私の行くところ何処へでも、のっそりと付き従うようになった。殺そうとした当の本人であるとも知らず私に忠義を尽くす犬を見ると、ときどき胸がつっかえたように痛んだが、だからと言って特に優しくしてやるわけでもなく、時にはあまりののろさに「遅太郎」とののしって、耳をひっぱたいたりした。 沈没する船に、犬とふたりだけで取り残されてしまったような気がした。 私が以前から感じていた、あの漠然とした気づまりな感じは、大人になるにつれて、よりはっきりとした形を取り始めた。 家を継ぐことが決まっているひとり息子の私を、父は将来への勉強だと称して、よく連れ回すようになった。ほとんど毎日田畑に出かけては、稲の実の入り具合や病害虫に気を配る。郡の役人の見回りにも同行させられた。 家にいる日は、米の出来高を記録したり、借り金や貸し金を帳簿につけるやり方を学んだ。嵐の日は蓑をかぶって、溜め池があふれないかを見て回った。 ただ、静かで覇気にとぼしく、何の変化もない毎日。この谷に一生を縛りつけられ、どこへも通じていない未来に私は失望し始めた。 異国についての本をむさぼるように読むことが、私に許された唯一の自由だった。いつかこの村を出て、まだ見ぬ世界に行きたい。満州や露西亜などの大陸に思いを馳せ、その向こうのアラビアや西洋にまで空想の翼を広げた。 そして、年に一度か二度、気まぐれにふらりと顔を見せる叔父がまとう華やかな都会の匂いに、心の底から酔いしれた。 「叔父さんは東京で、どういう商売をしているのですか」 「まあね。いろいろさ」 「人を使っているのでしょう。大きくなったら、ぼくのことを雇ってくれませんか」 板間のほうで、茶碗が落ちて壊れる音がした。母が蒼白な顔をして、引き戸の向こうからこちらを見ている。 叔父はくつくつと声を上げて笑った。その笑いには、愉快というよりどこか冷ややかな響きがあった。 その晩、厠に行く途中の廊下で、母の声が襖から漏れ聞こえてきた。 「お願いです、浩二郎さん。あの子をあまり、そそのかさないでくださいまし」 母は叔父の名前を、懇願するような調子で呼んでいた。 「あの子はこの家の跡取りなのです。この萩尾の家を継ぐ人間なのです」 叔父の返事は私のところまで聞こえなかった。それでも、叔父が母に向かって、さっきのうすら笑いを浮かべているのが見えたような気がして、ゆっくりと肌が粟立つのを感じた。 そのときから二年ほどの間、ぷっつりと叔父は音信を絶った。 だが、ある風の強い夜遅くに、ひょっこりと現れた。玄関の薄暗い三和土(たたき)に立つ叔父は、外套も心なしか薄汚れ、頬がこけて、目は凄惨な色を帯びていた。それを迎え出た父も、電報による連絡を先に受けていたらしく、蒼白な面持ちだった。 挨拶のことばもなく、まっすぐに父の書斎に通されると、やがて激しい口論が始まった。 『小豆相場』とか『負債』という言葉が飛び交い、世情にうとい私でも、それが叔父の事業の失敗を意味することがわかった。母は台所の土間でそっと目をぬぐっている。 書斎での話はさらに数時間にも及んだ。私は自室に追いやられたが、こっそり抜け出して裏庭から回り、小窓から書斎の様子をうかがった。 「……わかった。小関のあたりの田を五町歩売ろう」 ずっと押し殺していた息を吐き出すような、父の声が聞こえた。 五町歩という数字に、叔父の抱えている借金の途方もなさがわかった。 毎日父について見回りをした、青々とした棚田を思い浮かべた。あの一帯すべてが借金の形に取られてしまう。 そのとき私の胸に、ふつふつと怒りが沸いてきたのは、考えてみれば不思議なことであった。この谷を嫌い、逃げたいと思っているはずの自分が、田畑が失われることを惜しんで怒るとは。 「おまえは今までに幾度、萩尾の財産を切り売りしたら気がすむ。目ぼしいもんは、もう全部売り払った。先祖たちが汗水たらして守ってきたものを、おまえはいともたやすく酒と女に注ぎこんできた。それほどにおまえは、この家を憎んでいるのか。この家をつぶしたいのか。それほどにわしと登志子を恨んでいるのか」 叔父の答えはない。父の口調はやがて、いつもの淡々とした口調に戻った。それだけにいっそう憤怒を感じさせる。 「今度が最後や。借金は払ってやる。ただし、この村には二度と帰って来るな」 山おろしの風は裏の雑木林を激しく揺すぶり、軒に積んだ樽をかたかたと鳴らせた。 「あの子におまえのような生き方はさせん。あの子はこの家の子や。おまえがこの家に連れて来たときから、金輪際わしらの子どもや。おまえの血は一滴たりとも流れてはおらん。二度と敏郎に近づくな」 「ああ……、そのつもりや」 投げやりな叔父の答えが聞こえたきり、部屋の中では沈黙の帳が降りた。 私はそっとその場を立ち去ろうとしたが、地面がふわふわと浮いて、なかなかうまく立ち上がれなかった。手足はひどく冷たく、顔だけが石炭を焚いた炉のように熱かった。 谷を吹き抜ける風はまるでむせび泣く女の声に聞こえ、一晩中頭から布団をすっぽりかぶっても、耳について離れなかった。 ある日、村人たちの噂を小耳にはさんだ。あのトメ婆さんが耶蘇に入信したというのだ。 今年の春先から病に取りつかれ、ずっと床に臥せっていたが、その枕元にあの伝道者が来て、洗礼を授けたという。あの我の強い婆さんが、死ぬのが恐さのあまり、借りてきた猫みたいにおとなしくなったと人々は大笑いしていた。 私は犬を連れて、トメ婆さんの家に向かった。 私は、孤独でみじめだった。叔父はそれから数日滞在したが、私の顔を見ても、ひとことも口を利かなかった。父も母も必要なことしか話さない。目にするもの何もかもが遠くに見えて、よそよそしかった。 かつて私をしたたかに打ち据えた婆さんのみじめな様子を見て、私も笑ってやりたかった。 背の高いススキに庭は覆われ、人が通う気配もなかった。早太郎はくーんと隣で心細げな声を立てた。そっと縁側から破れた障子の奥を覗きこむと、真っ暗なぼろぼろの畳の部屋で、婆さんはひとりで臥せっていた。 だが、私に気づいてこちらを見た婆さんの顔は、まるで童女のように穏やかだった。 「萩尾のぼん。よう来なさった」 昔とまるで違う、優しいその声を聞いたとたん、私の心には名状しがたい大きな感情のうねりが押し寄せた。自分と同じ孤独の中にいるはずなのに、憎しみとは無縁な世界に住んでいる者の存在は、私の嫉妬を掻き立てた。 「聞きたいことがある」 縁側に早太郎を残して薄暗い部屋にずかずかと押し入ると、かび臭い畳に尻を投げ出し、かみつくように問いかけた。 「『真理は汝らに自由を得さすべし』って耶蘇坊主が言ってた、あれは、どないな意味や。自由て何や。 え? わからへんのか。いくら耄碌しとったかて、かりにも耶蘇教になったのなら、わかるやろう」 嫌悪をにじませた私の問いに、トメ婆さんは怒るでもなく、冷たくあしらうでもなく、たどたどしい言葉で語り始めた。 真理とは、基督の道。自由とは、その道を通って神のもとに帰ること。 都会に行ってしまった息子夫婦を憎んで恨んで凝り固まっていた人生を、基督は自由へと解き放ってくださったのだと、婆さんは村の子ども相手にではなく、まるで目に見えない神と会話するように、紡ぎ出した。 それから幾度となく、高名な教師の教えを教会で聞いたが、これほどに神々しい教えには、いまだ出会ったことがない。私はすっかり毒気を抜かれて、呆然と押し黙った。 薄汚れた布団に仰臥しているのに、トメ婆さんは翼を広げて大空を飛んでいるように思えた。 「浩二郎叔父さんと、ぼくの両親のあいだには、何があったんや」 私は何度も生唾を飲み込んでから、尋ねた。 「トメなら、父さんと叔父さんを子どもの頃から知ってるやろう。教えてくれ」 老女は、かすかに首を振った。 「それは、他人の口からは言えんことじゃ。旦那さまに直に聞きなさるがよかろう」 「父さんが教えてくれるはずあらへん。けど、苦しくてたまらんのや。本当のことを知って自由になれるのなら、自由になりたいねん」 トメ婆さんはしばらく布団の中で逡巡していたが、しわがれた声で話し始めた。 「ぼん。今から言うことは、わしのひとりごとやと思うて、聞いてくれ」 「ああ」 「奥さまと最初に好き合うておったのは、浩二郎さまのほうやった」 「……」 「ところが、登志子さまのご実家・長谷部家が、萩尾の当主であられる勝治郎さまとの結婚を強く望まれた。結婚とは家と家との縁組。当人たちには逆らうことはできん。おふたりは泣く泣く引き裂かれ、浩二郎さまはそれきり出奔なさったのや」 私は言葉なく、老女の枕元に座っていた。 本当は、一番知りたいことはその先だった。だが真実を聞くことは、やはり恐ろしい。 「だから叔父さんは……父さんと母さんのことを今でも恨んでいるのか」 消え入りそうな声でつぶやく私の顔を、トメ婆さんはいたわるように、しげしげと見た。 「浩二郎さまがそのことを今も恨んでおいでになるかどうかは、わしは知らん。じゃが、相手を心底から憎むことができたら、人は苦しいとは思わんものや」 家に戻ると、黒塗りの車が門の前に停まり、運転手が叔父の荷物を積み込んでいた。 それを見たとたん、内臓がストンと地面にまで落ちるような心地がした。 家人の見送りもなく、叔父が外套をひるがえして出てきた。 知事が来訪するときを除いて、この村で自動車というものはめったに見ることはない。自動車に迎えに来させるなど、破産した者にはおよそ似つかわしくない贅沢だが、それを敢えてやるのが叔父という人なのだ。 私が立ちはだかると、叔父は立ち止まり、にこりと笑んだ。 「長居をした。敏郎、世話になったな」 「……どこへ行かれるのですか」 「天津だ。わしの友人が、天津で貿易の支店を開く。支配人にならぬかという申し出を受けた」 「天津……」 「大陸で一旗上げ、このあたりの田畑を全部買い戻してみせるぞ」 きれいにそろえた髭をぴんと伸ばし、いつもの朗々とした声だった。たとえ死刑台に登る直前でも、この人はこういうふうに笑うのだろう。 私はからからに乾いた喉から、何かことばを搾りだそうと試みた。 聞きたいことは無限にあった。 私はあなたの子どもなのですか。私の母親はどんな人ですか。しもた屋の二階に泊まっていた、あの化粧の濃い女(ひと)たちのひとりなのですか。 あなたは、私の父や母を今も恨んでいるのですか。だから私を預けたのですか。復讐のために、私をこの家に遣わしたのですか。 だが、ひとつも声にはならなかった。 代わりに、私の頬をつうと熱いものが伝った。早太郎が、私の隣でくうんと鳴いた。 無性に悲しかった。この退屈な谷を出て自由闊達に生きていると憧れていた叔父は、実は誰よりも閉ざされた人生を歩んでいるのかもしれない。母を愛したゆえに。父を心底から恨むことができなかったゆえに。 私の涙を別れの涙だと思った叔父は、私の頭に手を置いた。 「達者で暮らせ。父や母を大切にするのだぞ」 「ここには……この谷にはいつ戻られますか」 「たぶん、もう戻らんと思う」 予期した答えだった。私は着物の袖でぐいと涙をぬぐい上げると、叔父の顔を見た。 あまりにじっと長い間見つめるので、叔父は眉をひそめた。 「敏郎、おまえ……」 もの問いたげに口を開きかけたが、やがて固く引き結んだ。 そして、待たせていた車の、泥除けの枠に足を掛けた。 「この村が好きだったよ」 叔父は乗り込むとき、背中を見せたまま、そう言った。 「できるなら、ずっとここにいたかった」 私が叔父を見たのは、それが最後となった。 谷のうねうねと細い道を、陽の光を反射しながら、ゆっくりと車は走っていく。豆粒になり、点になり、山々の重なりの向こうに消えていく。 車が見えなくなっても、私はいつまでもその光景を見つめていた。 自分がよそ者だということを、ひしひしと感じた。私は谷に属する者ではない。もうずっと、はじめから。 使用人たちも村人たちも、私の素性を知りながら、大地主である父に固く口止めされていたのだろう。私を取り巻いていた子どもたちにさえ、ひとことも言わせぬように。 小さいときから付きまとってきた、何か秘密めいた、遠巻きにされているような感覚は、そこから来ていたのだ。 唐突な理解が津波のように襲ってきて、大きな叫び声を上げそうになり、私はひざまずいて、早太郎の首に手を回した。 野の匂いのする毛皮に鼻を埋め、音を出さずに泣いた。暖かさに必死でしがみつかねば、氷の海の中で凍えて溺れてしまいそうだった。 泣き疲れると、立ち上がって、山の陰にゆっくりと沈んでいく谷を見下ろした。 昼間立ち昇っていたかげろうは消え、空気は濃く冷たく澄んで、静かに紫の色彩を帯び始めた。整然と区切られた棚田には、実り間近の緑の稲が毛羽立った天鵞絨(ビロード)のように揺れていた。 なぜこれほどに美しくみえるのだろうか。自分のものだと信じていたときには、あれほど憎んだのに。自分がここにいるべき人間ではないとわかった途端、すべてが美しいのだ。 人はおのれが愛する資格のない者だからこそ、何かを愛するのだろうか。 「敏郎」 ふいに声がして、振り向いた。 いつのまにか門の外に父と母が立って、私を見つめていた。 「明日は大雨になりそうだ」 父は空の雲を仰ぐと、いつもの抑揚のない声で言った。「溜め池の様子を見に行く。おまえもいっしょに来るか」 返事を聞かずに父は厩のほうへ歩いて行った。母は何を言おうかためらっているような、あいまいな微笑みだけを残して、父の後を追っていった。 不意に、じんとみぞおちが痺れた。 たった今まで父と母に背中を見守られた感覚が、身体全体を包んでいる。この感じを、私はずっと以前から知っていた。まだ物心つかぬ幼いころから、ここの空気に宿っていたものだった。 空が風が山が木が、谷そのものが、よそ者にしかすぎない私を見守ってくれていた。 私はここに居て、良いのだ。これからも、この谷の子であって良いのだ。 「はい」 大声で返事をすると、早太郎の首輪を乱暴に引いた。犬はそれを予期していたものか、素早く立ち上がり、逆に私をぐいぐいと引っ張り始めた。 「おい、遅太郎、おまえは……」 言いかけて、私は苦笑した。本当は、おまえは早く走れるのだな。 とんびが蒼穹の高みを舞っている。 父の後を追って走り出す前に、もう一度肩越しに振り返った。 山おろしの風に北の森がさわさわと揺れて、谷はまるで、舳先が波を蹴立てて進んでいるように見えた。 「犬祭3」参加作品です。 小説自由部門で、「金の骨」賞をいただきました。 背景素材: 自然いっぱいの素材集 |