Ignition イグニッション



02



 油をさし、車軸のナットを締めなおした手押し車は、からからと軽やかな音を立てて坂道を上っていく。
「僕の名はベルトゥリ。みんなベルって呼ぶ」
「……ミルッヒといいます」
「歳は15歳。きみは?」
「同じです。15歳」
 うわ、もっと年上だと思っていた。老けているってわけじゃないけど、髪が白いから、そう見えるんだろうな。それに僕よりずっと背が高い。くっそー。明日から牛乳をもっと飲まなきゃ。
 歩いていると、人々の視線がやたらに険しく突き刺さる。魔法使いはいつも、こういう視線を浴びているんだろう。
 僕を知っている人は、「あれ、ベル。どうして」と驚いたように声をかける。
『どうして、嫌われ者の魔法使いなんかといっしょに歩いてるの』という意味。
 ミルッヒはきゅっと肩のあたりをこわばらせた。
「あの、ベルさん、お仕事があるんでしょう。もうそろそろこのへんで」
「風車村まで送るって、言っただろう」
 僕はわざと元気良く、足を踏み出した。
 だって、こういう理屈に合わないことって腹が立つじゃないか。別にミルッヒが悪いことをしたわけでもないのに。
「それに、風車村の風車を一度間近で見てみたかったんだ」
「風車を?」
「僕が今作っている機械の開発に、何かヒントをもらえるような気がするから」
「でも、風車は、ずっと昔からあるものよ」
「古いものの中にヒントがあるって、父さんがよく言ってた。長い間、たくさんの人の手を経て、改良を重ねて使われている日用品の中に、とてつもない発明が隠されているんだって」
「……発明」
「あ、僕の父さんは発明家だったんだ。たとえば、昔から使われている帆船の帆の形を見て、今の水平軸プロペラ型の風車が発明されたって知ってる? 風の方向に垂直に働く力を揚力っていうんだけど、揚力と抗力との比が大きくなるような形のプロペラがあれば、小さな風車でも大きな力を……」
 僕は、口をつぐんだ。ミルッヒは心ここにあらずという顔をしている。
「ごめん、こんな話、興味ないよね。きみの花のことを聞かせてよ。どんなふうにしたら、あんなにきれいな花が咲かせられるの?」
 返事はなかった。しばらく無言で歩いたかと思うと、彼女の体がぐらりと傾いだ。日傘が落ちそうになり、僕はあわてて腕をつかんだ。
「だいじょうぶ?」
「ごめん……なさい。眠くて」
「眠い?」
「……日かげ……どこか、横に」
「ちょ、ちょっと待って」
 僕は横になれるような木陰を探したが、あいにくゆうべの雨のため、地面はじゅくじゅくにぬかるんでいる。
「つかまって」
 僕は彼女のわきに頭を差し入れ――ああ、チビだからできることだよ――片手でミルッヒを支え、片手で手押し車を押した。
 風車村への最後の坂道にさしかかったとき、ひとりの男が村の門から走り降りてきた。
「何をする!」
 男は、持っていた杖を振り回し、ミルッヒを僕から奪い取るように引き寄せた。
 ミルッヒは、すっかり目が覚めた様子だ。「長老さま」
 真っ白なざんばら髪、羊皮紙のように艶のない皺だらけの肌。垂れた瞼の下から、氷のように青白い目で僕を睨む。
「この娘に何をしようとした」
「長老さま。誤解です」
 ミルッヒは必死にとりなそうとしてくれる。「ベルはグレニッツ商会の技師です。あやしい人じゃありません」
「技師だと? なおのこと、我らの敵だ」
「違う。重い荷物を運ぶ私を気遣って、親切に村まで送ってくれたの」
 男は振り上げていた杖を降ろすと、まだ忌々しげに僕をにらみ、くるりと背を向けて、村門に戻っていった。
 ああ、一瞬どうなるかと思った。怖い人だなあ。いくらなんでも、技師だからって敵呼ばわりするなんて。
 でも、なんとなく見おぼえがあるような気がする。以前どこかで会ったことがあるのだろうか。
「ごめんなさい。ベル」
 ミルッヒは、頭を下げた。「このごろ、魔法使いが何人も襲われて、ドゥマさまは気が立っていらっしゃるの」
「襲われた?」
「夜、後ろから突然頭を殴られたり、道に鋲がまかれていて、そのせいで馬から振り落とされて骨折したり……」
「ひどいな」
「本当は私も、村の外に出るなと反対されたのだけれど」
「誰がやったか、心当たりはあるのかい?」
「魔法使いは、みんなに嫌われているって、ドゥマさまはおっしゃる。おそろしいもの、得体のしれないもの、悪魔と契約したものと呼ばれているって。この国に機械が普及してからは、特にそうだって」
「ばかばかしい。そんなこと、僕たち思ってやしないよ!」
「ありがとう」
 ミルッヒは目にたまった涙を振り払うように、笑った。「よかったら私の家に来て。テラスでお茶をごちそうするわ。そこなら、風車がよく見えるから」

 ミルッヒの家は、大きなニレの木立の陰のこじんまりとした小屋で、窓は色鮮やかなゼラニウムやベゴニアで飾られていた。お父さんもお母さんも早くに病で亡くなり、彼女はひとりで住んでいるのだという。
 板張りのテラスに通されると、床の節穴から覗いていたリスが、あわてて頭をひっこめた。
 家々の屋根の向こうに、大きな風車がそびえたっていた。
「すごい、でっかい。うわあ、あのブレードの絶妙の迎角と言ったら」
 子どもみたいに歓声を上げていたら、ミルッヒがくすりと笑った。テラスに出るときでさえ、茶色のフードをすっぽりかぶって、日傘を差している。
 「どうぞ」と、バタークッキーの乗った皿と、お茶のセットをテラスのテーブルに置いた。
「わあ、花のお茶だ」
「花びらを乾燥させて、お茶の葉に混ぜたの」
「いただきます。きれいな色。それに甘くて、いい香りだ。なんの香りだろう」
「私が育てたマゼライトっていう新種の花。ちょうど今、温室にたくさん咲いている。見てみる?」
「見たい!」
 即座に答えた僕は、花が見たいというよりも、せっかく仲良くなったミルッヒと、なるべく長くいっしょにいたかったんだと思う。
 ガラス張りの温室は広く、ドーム状の天井はとても高かった。湿気の多い空気は、強い香りに染まっている。
 広い野菜畑を囲むようにして、見たこともない色とりどりの花が咲き乱れ、さまざまな形の葉や果実をつけた木々が枝を広げている。つる草や下生えの草にいたるまで生き生きと繁茂していた。
 子どもの頭よりも大きな果実や、暗がりの中で光る花。僕には、見たことのないものばかりだ。
「この温室ができてから、雪の降る冬でも野菜を収穫できるようになった。その一角を私も貸してもらっているの」
 ミルッヒは、頭巾を脱いで、大きく深呼吸した。白い髪がぼうっと煙るように輝いて、葉っぱの陰にいたら、白い花が咲いていると錯覚してしまいそうだ。
 小鳥が鳴き交わし、蝶がひらひらと飛ぶ。まるでおとぎ話の国にいるようだった。
「なんだか、別の世界みたいだね。魔法でこんな植物が作れるなんて」
「魔法じゃないわ」
 ミルッヒが少し気色ばんで答えたので、僕は驚いてふりむいた。
「私が、長い時間をかけて、品種改良して育てたの。だって、魔法はいっときで消えてしまう。けれど、植物は種を採れば、いつまでも残るから」
「きみが飾ってくれる花、あんまりきれいだから、魔法で作ったんだと思ってたよ」
「魔法はむやみに使ってはならないって、ドゥマさまにいつも言われているの」
「さっきのおじいさん?」
「おじいさんじゃないわ。まだ四十歳にもなっていないもの」
「えっ」
「ドゥマさまは魔法を使いすぎて、ああなってしまったの。八年前の空飛ぶ馬車の落下事故のとき」
「え。あのときの?」
「事故現場に駆けつけてからずっと朝まで、たくさんの湖の水を魔法で運んで、森に燃え移った火を消そうとなさったの。それで無理をして、老化を早めてしまった」
「……」
「そうでなくとも、魔法使いは短命なの。私のように日光アレルギーの人や、視力がほとんどない人、生まれつき骨がもろくて、歩けない人もいる」
 悲しそうに話す。さっき道を歩きながら眠りそうになってしまったのは、日の光に極端に弱いせいだったんだ。
「魔法を使える人も、どんどん減っていってる。もしかすると、私たち魔法使いは、もうすぐ滅びる定めなのかもしれないな。歴史の流れを見れば、そうだよね。魔法が滅びて、科学や機械の時代が来るって」
「そんな……」
 僕は、やっとのことで声をしぼりだした。
「どちらかが良くて、どちらかが悪いなんて、そんなふうに決めつけなくていいんじゃないかな。僕は科学や機械の側の人間だけど、魔法もすばらしいと思う。科学も魔法も、どちらもがお互いを認め合って暮らせばいいんじゃないかな」
 ミルッヒは、僕を見つめた。彼女の瞳は紅い血の色が透けて見える。
「ほんとうに? あなたは私たちを嫌いとは思わないの?」
「大好きに決まってるじゃないか!」
 いや、前言撤回。つまり魔法使い一般の話で、別に僕がミルッヒを大好きというわけでは……いや、実際はそうなんだけども。
 あわてふためいている僕に、彼女はくすくすと明るい笑みをこぼした。
「ありがとう。とてもうれしい」

 僕が風車村に行ってから二、三日経ったころ、奇妙な噂が街に流れ始めた。
 エーテン・セヴンス社に魔法使いたちが足しげく出入りしているというのだ。エーテン社の広報は、その噂を根も葉もないことと否定したが、酒場や朝市などで、噂はささやかれ続けた。
 いわく、エーテン社は自動車の開発に魔法使いの手を借りているとか。
 反対に、魔法使いが邪魔なので、おびきよせて殺しているとか。
 自動車のボンネットの中には、魔法使いがひとりずつ隠れているのだという、トンデモ系の話もあった。
「笑止千万だね。何者かが我が社を陥れようと、そんな噂を流しているのだよ」
 さも嘆かわしいとばかりに、シグルド・エーテン社長が絹のポケットチーフを片手に立っているのは、いやみったらしくもグレニッツ商会の真正面だ。
「いやみったらしいとは失礼な」
「だから、人の頭の中を読まないでください。言っときますが、僕たちはそんな噂、流してませんからね。そんなことして、どうなるんです」
「次の試乗発表会を妨害するためだよ」
「噂を流すくらいなら、直接乗り込んで、爆弾でも投げ込んでやりますよ」
「ああ、やはり、そういう邪まな計画を、ひそかに進めていたんだな」
「だから、仮定の話です!」
 竹ぼうきでもうもうたる埃を立てて、社長と護衛を追い払おうとしていると、「ベル」と涼やかな声が聞こえてきた。
 いつもの手押し車と日傘を手にしたローブ姿のミルッヒが近づいてくる。
「おはよう、ベル」
「おはよう。今日は体はだいじょうぶ?」
「ええ、曇りだから、だいぶマシ」
 シグルト社長は、「ほう」とアイスブルーの目を皮肉げに細めた。
「青春よ。汝の名は恋。願わくば、ひねくれた哀れな魂が、愛の力で清められんことを」
「失せろっっ!」
 ミルッヒが花や観葉植物の手入れをしている間、僕は手押し車の車軸が真っ直ぐになるように念入りに調整した。
 彼女は温かい紅茶を詰めたポットを持ってきていた。中庭で、カップを抱えながらふたりで座っていると、四方から仲間の技師たちの好奇の視線を感じる。
「僕たちはね、ミルッヒ。飛行機を研究しているんだ」
 ポケットの中からプロペラの模型を取り出して、彼女に見せた。
「空飛ぶ馬車は禁止されてしまったけど、空を飛ぶことは人間が生まれたときから持っている夢だと思う。僕の願いは、いつか自分の作った飛行機で、大空を飛ぶことなんだ」
「そうなったら、すてき」
 ミルッヒはあこがれるように、頭上に広がる空をフード越しに見つめた。
「魔法も、もともとは『なにかを願う力』だったの。ああなればいい、こうしたいという願いを頭の中に思い描く。それを強くはっきりと形にできる人が、魔法を使えたの」
「僕たちが描く、機械の設計図みたいだね」
「魔法使いが減っていくのは、人間が何かを強く願うことがなくなってしまったせいだって思う。私、ベルがうらやましい。すてきな夢を持っているんだもの」
「きみだって、きれいな花を咲かせるという夢を持っているじゃないか」
「でも、それとは、少し違うような気がする。かなえたいと思いつめるほど強い願いを、まだ私は持ったことがない」
「ミルッヒ。きみの魔法って、どんなものなの?」
 彼女は、恥ずかしそうにうなだれた。
「移動の魔法って呼ばれるもの。空飛ぶ馬車を動かすのと同じ、物体を移動させる力なの。でも、もう何年も使ったことがなくて」
「使いすぎると、長老みたいに生命を削ってしまうから?」
「使いすぎないように気をつければ、だいじょうぶだけど……。でも、やっぱり使えない。怖いの」
「怖いって、なにが?」
「街の人の目も怖いし、失敗することも怖い。でも……こんな意気地なしの自分が不相応な大きな力を扱うことが、一番怖い」
「大きな力か……」
「大きな力を使うためには、それに負けない大きな心が必要なんだと思うの。でも、私にはそれがない」
 僕はしばらく、彼女の言ったことを考えた。
 僕の脳みそには余る、いろんなことを考えた。
 でも、やはり僕は15歳で、あまりにも知識も経験も足りなくて、結局は自分が思うとおりにしか進めないのだった。
「ねえ、ミルッヒ。僕は明日、仕事が休みなんだけど」
 フードの陰に隠れている彼女の瞳を覗きこみながら、僕は玉砕覚悟で正面から誘った。
「いっしょに、王立博物館へ行って、空飛ぶ馬車を見ないかい?」

 王立博物館は、王宮広場の東側に面していて、昔は迎賓館として使われていた豪奢な三階建ての建物だ。
 王室の管轄なので、入るにはそれなりの服装が必要だということで、僕は一張羅のベストを着こみ、ミルッヒもローブを脱いで、長袖の薄水色のドレスに、つばの広い帽子を合わせた。
 「デートだ、デートだ」と囃したてる、近所の子どもたちに見送られながらの出発。
 入り口で入館料を払って、円柱の並ぶ正面階段を昇っていった。
 『魔法の時代』と題された展示室に入ると、大昔、この国が魔法によって高度文明を築いていたころの遺跡や出土品が飾られていた。
 昔、この国の人は誰もが魔法を使えた。「魔法」という言葉は、後代にできた言葉で、それまでは単に「力」と呼ばれていたという。魔法使いの長が国王であり、人々は呼吸をするように魔法の力を使いこなしていた。
 だが、文明が爛熟するにつれ、魔法を使えない者が続々と現れた。それから何百年も、魔法を使えない人々と魔法使いは仲良く共存していたが、徐々に機械文明が発達し、それと反比例するように、魔法は衰退していった。
 空飛ぶ馬車は、展示室の一番奥に飾られている。
 馬車と言っても、普通の馬車とは形が違う。地面を走らないので車輪がなく、着陸用の台座だけがついている。馬具もついてない。駕篭は一般の駕篭よりも、前屋根がなだらかで、流線形になっている。
 展示室の壁には、八年前の落下事故の想像図と、くわしい説明文が掲げてある。もちろん、事故に会った本物は、もう黒こげになってしまったから、ここにあるのは別の馬車だ。

『森は、たちまち業火の炎に包まれた。王都消防隊が決死の消火活動を行ない、二日後に火は消し止められたが、近隣の五つの村が焼け、三人が死に、数百人の住民が家や田畑を失った』
『その年の終わりに、空飛ぶ馬車の飛行を全面的に禁止する法令が定められた。魔法によって空を飛ぶ時代は終わりを告げたのだ』

「ミルッヒ。僕はときどき、この展示室へ来て、馬車を眺めているんだ。暗記するまで、この文章を読み返した」
「どうして?」
「ここに『三人が死んだ』って書いてあるよね。三人のうちふたりは、馬車に乗っていた王宮の侍従と操縦者の魔法使い。残りのひとりが、僕の父さんなんだ」
「……え?」

『ベルトゥリ、いい子で待っているんだよ。父さんは、防火布の発明者として、どうしてもこの大火事の現場に行かなきゃならない』

「王都消防隊が父さんの防火布を正式に採用してから、初めての大規模な火災だった。責任を感じた父さんは一緒に出動した。でも」
 何度思いだしても、僕はここで悔しさのあまり言葉を失ってしまう。「消防隊に死者はひとりもいなかった。けれど、同じ防火布のマントを着ていたはずの父さんは、焼死した。発見された遺体は、なぜかマントを着ていなかったそうだ」
 ミルッヒが息をのむのを感じた。
「僕はこの展示室へ来て、いつも考えるんだ。天国にいる父さんは、どう思っているんだろうな。大事故が起こったのは確かだけど、そのせいで空飛ぶ馬車が博物館で展示されるだけになり、人間が空を飛ぶことができなくなったことを、自分が死んだことより悔しく思っているんじゃないかな」
 僕は気持ちを静め、ゆっくりと拳をほどいた。
「空飛ぶ馬車は、人間が長い間かけて培ってきた宝だ。その宝がなくなることを、発明家として父さんは決して喜んでいないと思う。だったら、ふたたび人間が空を飛ぶという夢をかなえるために、僕は飛行機を作りたいと思った」
 泣いているミルッヒに、僕はハンカチを差し出した。彼女は首を振ると、「ごめんなさい」とぼろぼろ涙を流した。
「魔法が……ベルのお父さんを殺したも同然ね」
「違う。謝る必要なんか、全然ないよ。どんな技術にも人の願いがこめられている。魔法は悪いものじゃない。機械だって悪くない。ほんの少しの注意と慎重さと、作った人や使う人の思いをしっかりと受け継ぐこと。それさえあれば、魔法も機械も、人間の願いをかなえるものにできるんだ」
「願いを……かなえるものに?」
 僕は、ハンカチを彼女の頬にそっと当てた。
「そう、だから魔法と機械は、決して相容れないものじゃない。いっしょに手を携えて行けるんじゃないかな」

  恵陽さま主催企画「Other's plot plan」にて、
「パノラマ二進法」の中井かづき様からいただいたプロットで書かせていただいた作品です。