TOP | MAP | HOME



The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 18


「じいちゃん!」
 ギュスターヴはそれまでいじっていた机の上の巻物を、突然乱暴に広げた。
「ここにある挿絵は、四つの神殿のことじゃねえか?」
 彼が指先で示したのは、簡略された線画ながら、天に伸びる階段と風車、赤い炎に包まれる山、岩の洞窟、そして湖に沈む氷の宮殿が描かれている。
 さらに中央には、暗黒の真円。
「こんな絵があったとは忘れていたわい。この黒い丸は、畏王のいる異次元の牢を表わしている。その封印の効力を四つの元素の神殿が保っておるのじゃ」
「四神殿さえあれば、異次元の封印は破られないということですね?」
 アシュレイが念を押す。
「四つの神殿とは、畏王を封印すると同時に、そのいましめを解く場でもある。たとえ畏王が復活しても、ふたたび封印する鍵がある場所でもある」
「それが、例の [虚を真に、真を虚に] って言葉の意味なのか?」
 ギュスターヴのことばに、師は深くうなずいた。
「なぜ、古代ティトスの民はそんな方法を選んだのですか? 長老殿」
「人間と魔族は畏王の封印を前に、お互いをけん制し合った。畏王を味方に引き入れることができた者が世界の支配者となれるという、たわけた下心を互いに疑い合いながらな。
その結果、封印は人間の側と魔族の側から二重にかけられることとなった。
魔族はその渾身の魔力を四体の守護者の形に遺した。脆弱な人間の近づくことのできぬ強力な守護者として、畏王を封じ、永遠に神殿を守るようにと。
一方、人間は畏王を封印する呪文の鍵となるものを、四神殿それぞれの場所に隠した。
万が一、魔族の側が守護者を四体とも排除して、畏王の復活を目論んだとしても、その呪文さえ発動すれば、畏王をふたたび封印することができる」
「げええーっ!」
 ギュスターヴがそれを聞いて、椅子から跳ね上がった。
「まさか……神殿の封印ってのは、守護者を倒したら解けちまうもんなのか?」
「今そう申したであろう」
 長老はにわかに色をなした。
「まさか、おぬしら、守護者を倒してしまったのではあるまいな?」
 アシュレイが、絶句している仲間たちの代表として、青ざめながら告白した。
「実は……すでに三体倒してしまいました。残るのは【炎の頂】だけです」
「うつけ者めらが! 何ということを!」
「だってよ、本殿と神像さえ無事なら、封印はだいじょうぶだって、誰だってそう思うだろうが」
 ギュスターヴの口調は、いたずらをこっぴどく叱られた子どものころに戻っている。
「もう、取り戻せないのかよ。じいちゃん……」
「しかたあるまい、過ぎたことは……」
 長老は怒りを処理し、ようやく平静を取り戻した。
「残る【炎の頂】を死守することじゃ。明朝にでも、神殿の警備を大幅に増やす手はずを整え……」
「その呪文の鍵はどこにあるのです?」
 アシュレイが早口で、長老のことばをさえぎった。最後の望みを託そうというように。
「畏王の復活を阻止することのできる人間の魔法というのは? その鍵が隠されている場所というのは?」
 長老は、のろのろと首を振った。
「ないのじゃ……」
「えっ?」
「手がかりはまったく残されておらんのじゃ。わしもかつて、必死に調べたことがある。呪文のことばはおろか、鍵の隠し場所さえ知ることはできなんだ。
畏王の存在すらこの1万年の間に、幾度も忘れ去られた時期があった。封印の呪文とて、不用とみなされたときもあったのじゃろう」
 ルギドの前に置かれていたコップが、机から落ちて割れた。
 部屋にいる者は、いっせいに口をつぐむ。魔族の顔には、憤りが満ちていた。
「ふざけるな……」
 ゆらりと立ち上がると、ルギドは長老に向かって吼えた。
「くだらん話をさんざん聞かせたかと思えば、封印の呪文は忘れただと?」
「ルギドよ」
 長老は静かに諭す口調になった。
「何百年も生きる魔族とは異なり、人間の寿命はたかだか七十年なのじゃ。人間にとっては、辛い過去を次世代に伝えぬことも、生きる知恵のひとつだったのじゃ」
「1万年ものあいだ憎悪をたくわえてきたあいつに対するのに、忘れることが生きる知恵だと言うのか、このろくでなし!」
 ルギドは水かきのある長い指で、長老の襟首につかみかかった。
「ルギド! やめろ!」
「この村にある、ありったけの古文書を俺に見せろ! 貴様のようなもうろく爺には任せておけん。俺が自分の力で突き止めてみせる」
「わかった。言うとおりにしよう」
 長老は、苦しげにふところを探るしぐさを見せた。
「……そ、その前にこれを見てはくれぬか?」
 彼がルギドの目の前に突き出した手には、しかし何も握られてはおらず、そのかわりに手は印の形に結ばれていた。
「オーファール。静かなる水の上に落ちよ」
「な、何をした……」
 ルギドは、ぎりっと歯噛みした。
「ただの眠りの呪文じゃよ。おぬしはもう、限界に来ておる。ゆっくり休むがよい」
「こ……の……くそ……爺」
 瞼がゆっくりと光を失った紅い瞳の上に落ち、ルギドは今まで坐っていた長椅子に、力尽きたように崩れた。


「あの男……。普段なら決してあのような呪文の効く相手ではないのじゃが」
 長老は熱い茶を一口すすると、ため息とともに言った。
「よく寝てるよ」
 ギュスターヴは奥の間の寝室に寝かしつけられたジルとリグを、ついで長椅子の上で先ほどの姿勢のまま、深い眠りに落ちているルギドの様子を調べて、戻ってきた。
 四人は台所の大きな樫のテーブルを囲み、ほの明るいランプの下で、簡単な夕食を取ったところだった。
「きっともう何日も満足に寝ていなかったのだと思うの」
 アローテが、受け皿の縁を指でなぞりながら言った。
「畏王の記憶が絶えず流れこんでいて、ときおり自分なのか畏王なのかわからなくなるときがあるらしくて……。今は意志の力だけで耐えているわ」
「いや、今でも時おり混同していると思えることはあるよ」
 アシュレイが神妙な顔でうなずいた。
「何という過酷な運命を背負った男じゃ」
 長老は顎ひげをしごきながら、沈鬱な面持ちでつぶやく。
「人間と魔族の板ばさみに苦しんだかと思えば、今度は魔王であるおのれとの戦いを強いられるとは」
「ルギドなら大丈夫だよ」
 ギュスターヴが、みんなの気を引き立てるように胸をそらした。
「部下だった死霊兵との戦いで憔悴していたところに、自分が畏王の生まれ変わりだなんて聞かされて、動揺してるだけさ。
時間が経てば、立ち直れる。俺たちがついてるんだ。畏王になんか負けさせやしないさ」
「ギュスよ。おぬしの良いところは、皆が落ち込んでいるときには楽天的で、皆が有頂天のときは悲観的になれることじゃな」
「じいちゃんの教えどおりやってるつもりだけどな、俺は。――魔導士はいつも三歩下がったところから状況を眺めろってね」
「それで、これからどうするつもりじゃな」
 長老の問いかけに、アシュレイはカップを置いて居住まいを正した。
「とりあえずは、一日も早くこの国を出ようと思います。ルギドの体力の回復を待ってから、もう一度三つの神殿を回ってみようかと。何か見落としていた場所が発見できるかもしれません」
「それがよかろう。わしは王都に赴き、魔導士学校の図書館をくまなく調べてみようと思う。新しい発見がなされる可能性は低いが……、フム、それも皆無というわけではない」
「お願いいたします。……それと」
 年若い勇者は、わがままを言う少女のように、少しはにかんだ。
「僕の祖国、サルデスの様子をなにかご存知ではありませんか?」
「ほう、そうじゃ。おぬしはサルデスを追放されて以来、一度も帰っておらぬのじゃな」
 長老は優しく微笑みながら、しかしほんのわずか、目を曇らせて言った。
「サルデス王国は、ついこの間まで、サミュエル王のもと順調な回復ぶりを見せておるとの報告を受けておったのじゃが……」
「もしや、なにか不都合なことが?」
「いや、何と言うわけでもないが、テアテラから派遣していた魔導士軍が、突然帰されてな。
自前の軍備も整ったゆえご心配には及びませんとの丁重な挨拶があったので、特に気にはとめておらんかったのじゃが。それ以来国交も滞りがちでな」
「それは……不自然ですね」
「一度、様子を見に帰ってみるか?」
 アシュレイは強くかぶりを振った。
「いいえ、僕は追放された身です。ルギドとともに行けば、また無用な混乱を引き起こすことにもなりかねません」
「そうじゃな。もし何かわかったら、おぬしのもとに使者を送って知らせるとしよう」
「ご厚情、感謝いたします」
 その瞬間、アローテがビクリと振り向いた。


「今なにか通らなかった?」
「なにかって、何がだよ?」
 ギュスターヴがあたりを見回す。「この部屋にいるのは俺たちだけだぞ」
「そうなんだけど……」
 彼女は自分でも不思議そうに、口ごもった。
「今、なにかの気配が奥からすーっと、この部屋を横切っていくような気がしたのよ」
「そんなバカな」
「いや、そういえばわしも感じたぞ」
 長老が周囲を探るように、目だけをぎょろぎょろと動かした。
「ギュス、広間をもう一度見てきてはくれんか」
 ぶつぶつ言いながら奥に入っていった黒魔導士は、すぐに驚愕の表情を顔に貼り付け、戻ってきた。
「ルギドが……いない!」
「なんだって!」
 一同は、椅子をガタンと鳴らしながら、いっせいに立ち上がった。
「壁に立ててあったはずの大剣もなくなってる」
「いったいどうやって!」
 アシュレイは、我知らず仲間を怒鳴った。
「広間からこの部屋を通らずに外へ出ることはできないはずだ。僕たちはそのあいだ、ずっとここにいたんだぞ」
「俺にも、さっぱりわかんねえよ」
 ギュスターヴも負けずに怒鳴り返す。
「じいちゃんの眠りの呪文をまともに食らった者が、朝まで立てるとは思えねえ!」
「どこへ行ったというの?」
 アローテはがたがた震えている。
「あんなに弱りきっていたのに……。まるで別人のように冷静さをなくして……」
 アシュレイは、それを聞いてはっと顔を上げた。
「前にもこんなことがあった」
「なにっ?」
「覚えていないか? 地の祠で、ルギドがバーサーカーになったあと……、結界の中から一瞬姿を消した」
「あ……」
「次の瞬間、地の守護者の後ろから切りつけていた。目の錯覚じゃない。確かに彼は数秒間、姿を消していたんだ」
「アシュレイ、ギュス、アローテよ」
 長老は、三人が畏怖を感ずるほどの威厳に満ちた声で命じた。
「落ち着いて、よく思い出してみてくれ。いったい、四つの封印の神殿に行くことを最初に言い出したのは、誰なのじゃ?」
 若者たちを、恐怖の沈黙が包み込んだ。
「ルギドだよ」
 ギュスターヴがついに口を開いた。
「でも、あのときは旅の資金が足りなくって、風の神殿にお宝を探しに行こうってみんなで賛成して……」
「理由など、どうでもいいのじゃ!」
 長老は、鋭くことばをさえぎった。
「理由など、いくらでももっともらしいことを思いつける。自分でもそれとわからぬ間にな」
「……」
「守護者を倒そうとしたのは、誰じゃ?」
「風の階【きざはし】では、僕でした、しとめたのは……」
 アシュレイがしどろもどろに説明した。
「でも、最初に倒そうと言い出したのは……」
「ルギドだ」
 観念したように、ギュスターヴがことばを吐き出した。
「自分より強い奴がいるのは許せないから――、精神攻撃に苦しめられたお返しだ――、取り込まれた部下を助けるため――。
そのときに応じて、理由はいろいろだったけど」
「ルギドは、すでにその頃から畏王に操られておったのじゃ」
 長老は、紙のように白い顔をうなだれさせた。
「きっと自分でも気づいていなかったじゃろう。催眠術をかけられたごとくに、畏王の暗示にしたがって、あやつは守護者を倒した。
理屈がつけられぬほど追い詰められていたときは、自分のからだを消してでも、唐突な行動に出るしかなかったのじゃ」
「はじめから……はじめから、あいつは畏王の思い通りに動いていた?」
 アシュレイは、歯の根が合わぬほどに震え始めた。
「守護者を倒す旅に出るために、ルギドは僕たちの仲間に入った。……そういうことなのか? 畏王はそこまで企んで、彼を操り人形のように動かしていたのか?」
「しまった!」
 ギュスターヴは、最悪の真実を口にした。
「ルギドは、炎の神殿の最後の守護者を倒すつもりだ! 畏王を復活させるために!」
 彼らは脱兎のごとく、長老の館を飛び出した。
 夜のとばりの降りた坂道を、村の裏通りを、近道を知り尽くしているギュスターヴが先頭を駆けた。
「おい!」
 村の入り口に立つ門番の若い魔導士に、彼は襲いかからんばかりに叫んだ。
「今、誰かが村の外に出なかったか?」
「は、はい」
 あまりの剣幕に叱られたと勘違いしたのか、おどおどと門番は答える。
「お仲間の魔族の方が馬に乗って出て行かれました。話しかけたんですけど、何も聞こえていないご様子でした」
「どっちへ向かった?」
「あ、あちらです。南東の方角です」
「ちっくしょう。やっぱり、【炎の頂】へ通じる道だ」
 ギュスターヴは目をつぶって、そして決心したように見開くと、アシュレイとアローテに言った。
「行くぞ! 飛ばせば、まだ追いつける」
「待て! ギュス!」
 長老がようやく道を駆け下りてきた。「わしも連れて行け! 何かの役に立つ」
「わかった、じいちゃん」
 馬小屋からむりやり引っ張り出した馬に、もどかしげに鞍を乗せると、ギュスターヴはひらりとまたがり、老人に手を差し伸べた。
「飛ばすぜ、振り落とされんなよ!」


 星明りだけが唯一の頼りの、漆黒の闇の中。
 三頭の馬は狂ったように駆け続けた。
 わずか30分ほどの道程だったが、彼らの心の中では過ぎ去ったこの1年の思い出が去来していた。
 ルギドと旅を始めてから、出会った事の数々。


 草原の商都エクセラで、細密な地図を描いていたこと。風の神殿が描きこまれたその地図は、考えてみれば、もう何日も前から用意されたものだった。


 スミルナでの、魔将軍ラミルとの戦い。
 あのとき、畏王はルギドを本当に裏切らせようとしていたのではないか。土壇場でルギドの意志の力がまさったが。
 ゼリク王の予言。
「やつは、おまえたちを裏切るぜ。……俺の勘はよく当たる」


 エペ王国の村々での大量殺戮。
 アスハ大陸での、ゲハジ軍との戦い。ジョカルの死。
 ことごとくルギドを孤立させるために、畏王が魔王軍を操って起こしたとさえ思える。
 絶望と孤独の中に、すべてを呪い、すべてを破壊する存在となるために。


 途中で追いつけることを一心に祈りながら、しかし無情にも、赤いマグマで夜空を焦がす炎の山が眼前に迫る。
 ぐいと手綱を引いて馬を止めると、四人はころがるように山道への入り口の門に駆け寄った。
 見たくないと念じていた光景が広がった。
 鉄の門は打ち砕かれ、有刺鉄線はぐにゃりと曲がっていた。
 見張り番役だった三人の魔導士は血まみれになって地面に倒れている。
「しっかりしろ!」
 ギュスターヴが後輩たちのひとりを助け起こした。
 彼はうっすらと眼を開くと、「銀の髪の……魔族、紅い……」と言ったきり、頭をがくっと垂れた。
「ちくしょう……、ルギド」
 ギュスターヴは、怒りにわなわなと震える拳を握りしめた。
「赦さん! ぶっ殺してやる!」
 アシュレイとアローテは、ひとことも言わず、山頂への道を駆け上りはじめた。
 長老は、弟子の拳を両手でおおい、ゆっくり開かせた。
「ギュスよ。冷静になれ。憎しみに心を曇らせてはならん。これをしたのは、彼であって彼ではないのじゃ」
「……わかってるよ」
「それから、わしを頂上までおぶっていけ」
「げええっ。何だよ、それ。冗談だろ!」
 冷え切らぬ溶岩が道のわきのあちこちの岩場で暗い赤色を帯び、道をたどる巡礼者を地獄のような暑さが襲う。
 急な勾配とあいまって、一気に頂上まで走り続けることは、至難の業だった。
 しかし、何かに取り憑かれたように、彼らは足を止めなかった。
「じいちゃん、……俺死ぬかも……」
 小柄な老人とは言え、ひとりの人間をおぶって走るギュスターヴが、最初に音をあげた。
「おお、口が聞けるあいだは、人間おいそれと死なぬものじゃぞ」
「そんな……」
 へたへたと、地面に座り込む。
「フン、体力のない魔導士は、早死にするぞ」
 長老は身軽に地面に降り立つと、「しかたないのう。ギュス、置いてゆくぞ」
「何だよ! 俺より早く走れるじゃねえか! 嘘つき!」
 山頂に近づくと、道は途切れ、黒々とした洞窟への入り口が現れた。
 ムッとまとわりつく熱気。ごつごつと奇怪な形に冷えた溶岩が行く手を阻む中、なおも子宮のような内部を進む。
 そして――。
 ぞっとするような冷気が底にただよう広い空洞に出た。
 アシュレイ、アローテ、長老、そしてギュスターヴの順に、せまい入り口から足を踏み入れたとたん、彼らの眼は釘付けにされた。
 広間の天井と言わず、壁と言わず、無残な無数の傷あと。
 床の中央に、巨大な正方形の祭壇がある。
 いや、あった。
 今、目の前のその祭壇は、原型なきまでにえぐれている。
 そしてその奥に、見上げるほど巨大だったはずの石の【イフリート】神像が、腹部でぽっきりと折れた残骸としてさらされている。
 守護者のすがたはどこにもなかった。
 そして、崩れた神像に向かい合う位置に、抜き身の剣を手からぶら下げたルギドが、放心して立ち尽くしている。
 その足元に、水晶を思わせる細かい透明な破片が、いくつもころがっていた。
「遅かったか」
 押し殺した長老の声が、反響して幾重にも響いた。
「炎の守護者は倒れた。……畏王の最後の封印が解かれてしもうた!」
「ルギド……」
 かすれた声でアシュレイが呼びかける。
 だが、みな一歩も近づくことができない。
 目の前にいるのは、畏王なのか。ルギドなのか。
 彼はゆっくりと首だけをめぐらした。その目は焦点を定めぬまま、仲間の顔一人一人の上をなめながら動いた。
「なぜ、俺はここにいる……?」
 うつろな声でつぶやく。「なぜ、俺は炎の守護者【ガーディアン】を……」
「ルギド!」
「俺じゃない……、俺がやったんじゃ……」
 彼は大剣をポトリと落とすと、身体をビクンビクンと痙攣させて、そのまま海老のように身体を折り曲げ、地面でのた打ち回った。
「いかん! 三人とも奴の手足を押さえつけるのじゃ!」
 雷のように、長老が怒鳴った。
「弱った身体であれだけの魔力を使ったのじゃ。身体が暴走を始めておる」
 アシュレイたちは駆け寄ると、暴れる彼の四肢をなんとか押さえ込もうとした。
「ああああーっ」
「ルギド、やめろ!」
「しっかりして。お願い」
 ようやく、アシュレイが左手を、アローテが右手を、ギュスターヴが両脚に全体重を乗せて覆いかぶさり、彼のからだを仰向けに押さえつけた。
 四人の荒い息が静まった頃、崩れかけた天井を見つめていたルギドの両目の端から、涙があふれ出た。
「俺はもう、畏王なのか?」
「……」
「もう、畏王に……なってしまったのか?」
「ちがう!」
 アシュレイは、涙をうかべながら叫んだ。
「おまえはまだ畏王じゃない! 言っただろう。おまえが望まないかぎり、畏王が降臨することはないんだ」
「そうよ、あなたはルギドよ」
 アローテも嗚咽の合間を盗むようにして、ことばをつないだ。
「わたしたちが一緒にいる。あなたを愛している、ルギド。……だから、大丈夫だから……」
「おまえは、世界の破壊者にはならない」
 幼子を諭すように、アシュレイが言う。
「おまえは、世界が滅びることを、望んでいない。そうだろう?」
「……」
「言ってくれ、ルギド! おまえは世界が滅びることなど望んでいないって」
「俺は……望んで……いない」
「じいちゃん、じいちゃんっ!」
 ギュスターヴは、仲間の両脚を抱きしめながら、泣き声で呼んだ。
「来てくれ! はやくこいつを、休ませてやってくれ」
 老人は、重い足をひきずって近づいた。
「オーファール。静かなる水の上に……」
 片手をかざして呪文を唱えかけた長老は、途中で口を閉じた。
「いや、もう意識を失っておる」


 しばらくは、3人のすすり泣きばかりが溶岩の空洞にこだました。
「おや、これはお取り込みの最中、失礼しますよ」
 突然、ぞっとするほど場違いに愉快そうな声が、入り口から聞こえた。
 見れば、五十人ほどの人間の兵士たちが、剣や槍を手に突入してくるところだった。
「おまえたちはサルデス軍!」
 驚愕したアシュレイが立ち上がった。「そして、オルデュース!」
「久しぶりだな。わが友、……と呼ぶのもいまいましい反逆者よ」
 兵士たちが作る壁の向こうから、微笑をたたえた若き騎士が進み出て、アシュレイの正面に立った。
 チラリと地面に横たわるルギドに目を落とすと、彼は短く口笛を吹いた。
「ほう。これは手間がはぶけたようだな。かなりの苦戦を予想していたが。礼を言うぞ、ユツビ村の長老」
「おぬしら、ここでいったい何をしておる?」
 怒りを含んだ声で長老が問いただした。
「サルデス軍がわがテアテラに侵攻してくることなど、聞いてはおらぬぞ」
「非礼は後ほど、幾重にも侘びよう」
 オルデュースは、手のサーベルを腰の鞘にもどした。
「だが今は、危急のとき。わが王を弑〈しい〉した魔族ルギドと、奴に加担せし元サルデス騎士アシュレイ・オーギュスティンをこちらに引き渡してもらいたい」
「オルデュース! なにを!」
 アシュレイは我が耳を疑った。
「一年前、サミュエル陛下の国外追放の命に、僕たちは従ったではないか。今さら何故?」
「アシュレイよ。情勢は変わった」
 オルデュースは冷酷な表情で見つめ返す。
「国内が平定され、人心も平穏を取り戻すにつれ、王を虐殺し王国を破壊した者たちに対する断罪の声は、日増しに強くなる一方なのだ。
民の声を無視していては、サルデス王国のさらなる一致と発展は望めぬ。おまえのように祖国と人間社会全体を裏切った者が、他国でのうのうと暮らしていては、国の威信も保てんのだよ!」
 オルデュースが片手を軽く挙げると、数名の兵が駆け寄り、アシュレイとルギドに鎖をかけ始めた。
「なにをしやがる!」
 ギュスターヴが兵隊の人垣をかきわけようと、もがいた。
「俺たちがよその大陸で何をしていたか知っているのか! ルギドのおかげで魔将軍を三人も倒したんだぞ。スミルナ王ゼリクさまに問い合わせてみろ。ラダイ大陸から完全に魔王軍を駆逐したんだ。ゼリク王はアシュレイに勇者の称号を授けたんだぞ! ……おい、聞いてんのか!」
「長老よ」
 尊大な態度で、サルデス騎士は告げた。
「その魔導士ふたりはテアテラ王国民であるゆえに、こちらで逮捕はいたさぬ。わが国での行状にかんがみて、厳重に処罰してくださるようお願いする」
「おぬしらは、何じゃ!」
 激昂した老人が叫んだ。
「何じゃ、その禍々しい気は。……まるで、魔が乗り移っているような……」
 オルデュースは、鼻でせせら笑った。
「今の侮辱的なことばは聞かなかったことにしよう。わが部隊はこれより帰還の途に着く。これにて失礼つかまつる」
「アッシュ!」
「ギュス! アローテ!」
 アシュレイの悲痛な叫びだけを残して、サルデス軍は去っていった。
 あとに残されたのは、うなだれている長老、放心して地面に座り込んでいるギュスターヴと、泣き崩れるアローテだけだった。
 突如として、運命が大きくうねりはじめた。
 その波に弄ばれる小舟のように彼らは為すすべなく、暗黒の虚空を、そしてその背後にひそむ者の影を見つめるしかなかったのである。  

Chapter 18 End

NEXT | HOME

Copyright (c) 2002 BUTAPENN.