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Chapter 28
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十年の歳月が流れた。 リュートとアローテは、サルデス北方の国境の森に住んだ。 畏王降臨の直後にルギドとアローテの看病のため3ヶ月間暮らした、あの木こり小屋を改築したのだ。 魔王城崩壊から半年ほどたって、アローテは双子を産んだ。 男の子と女の子だった。 多くの名付け親候補がひしめく中、彼らはユツビ村長老にジークとアデルという名をつけてもらった。 4人は仲睦まじく、平和に暮らした。 この森にかぎらず、今や世界中の森は、魔族の住処として定められている。 国境の森にも多くの魔族が住んでいた。 一家と彼らの間には、自然の交流が生まれていた。ジークとアデルも何の屈託も恐れもなく、幼い頃から魔族の子どもたちと遊んだ。 リュートは家畜を飼い、畑を耕し、森の木を切って家族を養った。 ほんの時たま、知性を失った魔物の退治を頼まれて出かけたり、アシュレイの求めに応じて、サルデスの王都で新米騎士たちの指南を引き受けたりもした。 また月に一度はテアテラの魔導士学校で、古代ティトスの歴史や言語の教授をギュスターヴから押し付けられていた。 畏王の記憶が残っているリュート以外、古代ティトス語を日常会話として教えられる者は、この世界にいなかった。 深い洞察力と知識は、明らかに昔の無学だった頃のリュートとは違っていた。 しかし、人間の身体にもどったため完全に魔力を失ったことは別にしても、今の彼はルギドとも、やはりどこかが異なる。 人をひきつける開けっぴろげな笑顔も、王侯貴族のお歴々を前にして、平気でとんでもない隠語を使う大らかさも、ルギドにはなかったものだ。 ペルガの北の森を中心に今も暮らしている旧魔王軍のルギドの元部下たちは、最初まったくリュートを認めようとはしなかった。 外見だけ見れば完全な人間になってしまった彼を受け入れることは、魔族にとって確かに困難だったろう。 ジルとリグの説得と、長い時間をかけての交流のうちに、ようやく彼らもリュートを彼らの長として受け入れるようになった。 「リグは、今でも俺のことを嫌ってるみたいだけどな」 朝食のあと、いつものようにリュートは、手作りの大きなテーブルにアローテとふたりでむかいあって、お茶を飲んでいた。 「あら、ユツビ村にも行ってきたの?」 「ああ、ちょっとギュスたちに会いたくなって、王都からついでに寄ってみた。リグのやつ、綺麗になってたよ。もう18歳だったかな。 俺に会うと、つんけんするんだ。ルギドを見殺しにした奴って気持ちが今でも消えねえんだな」 「あの子、ルギドのことが好きだったのよ」 くすくすとアローテが笑った。 「その点、ジルはちゃんと割り切っているだけ大人だわ」 「あいつは俺と剣を合わせれば、ルギドと同じ人間だとわかるって言ってるよ。 最後にサルデス王都で手合わせしたときは、師団長になったばかりだったが、……あれからまた強くなってるだろうな」 「ギュスと長老さまには、会えた?」 「ああ、会ったよ。爺さんは相変わらず元気にしてる。ギュスは、いよいよ来年当たり、長老の位を継ぐことが決まるらしい」 「本当なの? だって、長老になったら、一生独身って決まってるのに」 「だから、俺に逃げ出す相談を持ちかけてきたんだ。あいつ、どうもリグに気があるらしい。長老なんかになる前に、リグを口説き落として駆け落ちして、夢だったトレジャーハンターになるんだって言ってたぜ」 「ギュスらしいわ」 「あいつが俺たち4人の中で、唯一の独身だからな。アッシュとグウェンがようやく長すぎた春を終わらせちまったから、焦りまくってんだろ」 「アッシュとグウェン様の結婚式。……綺麗だったわね」 「なんだかこのところ、イベント続きでくたびれたよ」 リュートは腕をのばして大あくびをする。 「俺ももう歳かな。王都での仕事をちっと減らすかなあ」 「まだそんなに若いのに」 「もう35だぜ」 「でも10年前と、ちっとも変わってない」 アローテはふくれっ面をしながら、夫の顔をにらんだ。 「魔族の血の影響が残ってるせいだろ」 「私ばっかりおばさんになっちゃって。このあいだなんか、『姉さん女房』って言われたのよ」 「アローテはきれいだよ」 リュートは微笑んで、彼女に顔を近づけた。「俺は毎日、惚れ直してる」 「うふふ。実はそう言ってほしかったの」 入り口の扉が突然大きく開いて、子どもたちが駆け込んできた。ふたりはあわてて、唇を離した。 「お父さん! お父さん、聞いてよ!」 「ジークったら、ひどいのよ」 ジークとアデルは、もうすぐ10歳。アローテ譲りの黒い髪と黒い瞳を持ち、考え深そうな表情といたずらっぽい表情が、ひっきりなしにくるくる入れ替わる。 父親の両腕を引っぱりながら、愛くるしい瓜二つの顔でいっせいにしゃべりだす。 ジルとリグと旅をしたとき、右耳と左耳を別々に使う修行をしといてよかったよと、リュートはよくぼやいていた。 「ね、絶対ジークのほうが嘘つきだと、お父さんも思うよね」 「け、てめえに言われたかねえな!」 「こら、ジーク、なんて言葉を使うんだ」 「お父さんの真似をしてるんだと、思うわ」 アローテのきついひと言に、 「ごほ、ごほん」とリュートは咳き込んで、ごまかす。 「おまえたちは大きくなったら、新ティトス帝国の初代の師団長になるんだろ」 「あたしは元帥よ」 「アデルが元帥で、ジークが師団長か」 リュートは目を細めて、ふたりを両腕に抱きかかえた。 「それなら、なおさらちゃんと、アシュレイみたいに威厳のあるしゃべりかたを練習しとかなきゃだめだ」 「お父さんは、アシュレイみたいにしゃべらなくて、いいの?」 「俺は何の官位もない、一介の剣士だから」 「ずるい! じゃあ、あたしもイッカイの剣士になりたい」 「お父さん、剣の稽古しよう、今から。早く早く!」 ふたりは、つむじ風のように森の中に飛び出て行った。 「ああ。お茶もゆっくり飲めねえのかよ」 リュートはぐったりと椅子の背にもたれかかった。 「あと5年もすれば、あの子たちのほうから遊んでくれなくなるわよ」 「5年……か」 さわやかな風が、室内を通り過ぎた。 開け放った窓越しに、ぴょんぴょん跳びはねるふたりの姿が見える。 「お父さあん。何してんの。早くーっ」 「わかった、今行く」 あきらめて椅子から立ち上がり、戸口に向かうリュートの足が突然ぴたりと止まった。 卓上のカップを片付けていたアローテは、ふと彼の背中を見上げて、息を詰めた。 「リュート! どうしたの?」 「え? 何が?」 「今、あなたが一瞬、見えなくなった」 アローテは、振り向いた夫に怪訝な表情を見せた。 「私の目に……、消えたように見えたの」 「なんだよ、それ。光の加減か何かの錯覚だろ」 「そうよね……」 リュートは戸口で夏の陽光にたじろぎ、思わず扉の鴨居を手でつかんだ。 「まだ、まだ早い」 低くつぶやく。 「もう少しだけ、待ってくれ。――お願いだ」 水面に光の粒がはじけたかと思うとゆったりとたゆたう、初秋の湖のほとり。 お気に入りの岩にもたれて、リュートは手紙を読んでいた。 洗濯物を取り込んでいたアローテは、仕事を終えたその足で近づいた。 「王都から、何て言ってきたの?」 「来月、七カ国の王室会議が、サルデス王都で開かれる。俺にも参加してくれって招待状だ」 と、妻に手紙を差し出す。 「いよいよ、新ティトス帝国の誕生ね」 「ああ、アシュレイが初代皇帝になることは、どの国も合意している。話は早く進むだろうな」 「ルギドの夢見ていたことが、とうとう実現するのね」 ほうっとため息をつくと、ふと彼女は、何かを一心に考え込んでいるリュートの横顔を見つめた。 「会議には行くの?」 「あ? ああ、行くつもりだ。最後まで見届けなきゃな」 「最後?」 「帝国が発足するまでって意味さ。……それより」 リュートはアローテのエプロンの端を引っぱって、自分の隣に腰を降ろさせた。 「おまえとジークとアデルを、いっしょに連れて行こうと思う」 「私たちも?」 「もう長い間、王都に連れて行ってやってない。アシュレイとジルも、俺が行くたびに会いたいと言ってるし」 「ええ、それは私たちだって……」 「ついでに、会議に出席するゼリク王に頼んで、スミルナまで船に乗せていってもらおう。いいチャンスだから、ペルガやエペも見せてやりたいし。北の森へも……」 「でも、リュート」 アローテは気遣わしげに、彼のことばをさえぎった。 「あなた、この頃疲れているのじゃなくって?」 「え?」 「なんだか夜も眠れないみたいだし。このところ忙しかったから、少し家でゆっくりしたほうがいいのじゃない?」 リュートはそれには何も答えず、アローテの肩を力をこめて抱き寄せた。 「アローテ。いつか聞こうと思ってたことがあるんだ」 彼女は、夫の伏せた青の瞳がどことなく寂しげなのに気づいた。 「おまえは、俺といっしょに暮らして幸せだったか?」 「リュート?」 「ルギドのことを、ほんとは今でも心のどこかで忘れられないんじゃねえか?」 「いやだわ。あなたったら」 アローテはくすくすと楽しそうな笑い声をあげながら、彼の胸に身体を預けた。 「私がルギドを愛してたのは、ルギドがあなただったからよ」 「……」 「私は10年間、あなたと暮らしていて、ほんとうに幸せだった。あなたのことが、毎日苦しいほど好きでたまらない。 もしルギドと暮らしていたら、こんなに幸せだったかどうか、わからないわ」 さらに身をよじるようにして、笑う。 「きっとルギドだったら、働いて家族を養うなんて絶対にしなかったと思うの。魔族と人間のもめごとの中心に据えられて、戦うことばかりの毎日だったかもしれないわ。 ティトス帝国の再建のことばかり考えて、私たちをほったらかしにしたかもしれない」 「そうかもな」 リュートは彼女の髪を撫でながら、低くささやいた。 「それでも、おまえは俺の顔を見るとき、ときどき俺を突き抜けて、ルギドの思い出を見ていた。……違うか?」 アローテは彼の腕の中でびくんと身体を振るわせた。 しばらく、湖面を渡る風以外、何の物音もしなかった。 「ごめん……なさい」 彼女は泣くまいと堪えながら、リュートの胸にますます強く顔を押し付けた。 「ときどき、懐かしくてたまらなくなる。……あの人の尊大な紅い瞳。それでいて心はとても傷つきやすくて、子どものように強がってみせて、……不器用に私を愛してくれた」 「アローテ」 「ごめんなさい、ごめんなさい! あなたを愛しているわ、リュート。それだけは信じて! でも……」 ついに大声で泣き伏す。 「でも、ルギドに会いたい……!」 リュートは小さな子どもをあやすように、いつまでもアローテの髪を撫で続けていた。 「謝る必要なんかない。俺は嬉しいんだ」 そして、彼は妻の柔らかい黒髪に顔をうずめて、幸福そうに瞼を閉じた。 「おまえは俺の全部を愛してくれていることがわかった。人間としての俺も、魔族としての俺も」 「リュート……?」 「これで、胸を張ってあいつのもとに行ける……」 |
Chapter 28 End |
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