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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Epilogue


 黒竜月のはじめ、リュートはアローテとふたりの子どもを連れて、サルデス王都に向かって出発した。
 留守宅と家畜たちは、近くに住む魔族に預かってもらうことになっていた。
 王室会議は大成功に終わり、来春にはアシュレイを皇帝に戴く7つの連合王国「新ティトス帝国」が、世界を恒久の平和に導く礎を築くことになった。
 一家はアシュレイとグウェンドーレン女王夫妻の賓客として、王都のさまざまな祝賀会に出席した。
 ジークとアデルは元帥に出世したジルにまとわりつき、サルデス軍の整然とした行進を見ながら、将来の自分の勇姿をそこに重ねて、はしゃいでいた。
 ジルとは北の森での再会を約束してから、4人は会議に出席していたゼリク王に従って、ラダイ大陸のスミルナ王国へと渡った。
 ゼリク王はとうに80歳を越え、すでに王位は養子にした家臣のひとりに譲っていたが、新ティトス帝国の誕生だけはこの目で見ると言い張って聞かない、相変わらずかくしゃくとした翁だった。
 スミルナの王都を見晴らす丘の上に立ち、すっかり若々しい緑の森となった周囲の丘を指さして、ここまで短期間に国を復興したゼリク王の名君ぶりを、リュートは子どもたちに語って聞かせた。
 テーネ川では、かつてラミル将軍との戦いの舞台となり、今は食糧貯蔵庫として使われている黒い円錐の要塞を見上げ、またルギドがバーサーカーとなった地の祠を潜って探検した。
 デルフィア王国を縦断し、今や芸術の都として昔日の栄光を取り戻しつつある王都をめぐり、なぜか焼けずに残っていた軍神姿のリュートの肖像画を見つけて、子どもたちは大笑いした。


 定期船でサキニ大陸に渡ると、エペ王国の草原をゆったりと馬で走り、ペルガとの国境に架けられた橋の上から、ルギドの部下が大勢投げ捨てられた悲劇の川を見つめた。
 そして古代ティトス研究の地として学者たちが押し寄せているガルガッティア城を見学してから、 商都として相変わらずのにぎわいを見せるペルガ王国のトスコビやエクセラにも滞在した。
 北の森では、ジルと再会し、またユツビ村で魔導士として修行中のリグにも会うことができた。
 ジルとリグは年に数回、こうして暇を作っては、ルギドの遺言どおり「緑の森軍」のリーダーとしての責務を果たしに来る。
 魔族たちは、近隣の住民とも和平を保ち、家畜を飼いながら静かに暮らしていた。
 ジークとアデルは、この森での生活を、自分の家のようにくつろいで楽しんだ。新ティトス帝国の元帥がだめなら、「緑の森軍」に入るのもいいかな、などと話し合いながら。
 風の階は、守護者を失ってからは風車も動きを止めていたが、子どもたちは喜んで最上階まで一気に駆け上がった。
 アローテだけは「ここを登るのは、絶対にイヤ!」と、地上でひとり待っていたが。


 次に訪れたのは、北方のアスハ大陸だった。
 氷の殿の巨大チェス盤は、ジークとアデルの格好の遊び場と化した。
 巨大なレリーフを前に、古代ティトス帝国の歴史を語ろうというリュートの思惑は水泡に帰した。
 しかし、西方神殿の畏王の身体の収められていた壊れた棺の前では、ふたりは何かを感じたのか、神妙な顔でたたずんでいた。
 いよいよ長い旅も終わりに近づいた。


 彼らはエルド大陸に戻ると、まずテアテラの王都を経て、ユツビ村を訪れた。
 村人たちは相変わらず、連日連夜の盛大な宴会を開いてくれた。
 ギュスターヴは、長老の後継者という立場からはいよいよ逃げるに逃げられず、長老の独身制の廃止の勅令を、新皇帝のアシュレイに出してもらうのだと断固主張していた。
 アローテはリグに、ギュスターヴのことをどう思っているか問いただそうとしたのだが、まだ19歳の彼女には、結婚はいまいちピンと来ないらしかった。
 リュートは長老とふたりきりで、何時間も話し合っていた。長老は、胸まで垂れた白いあごひげにはらはらと涙を落としながら、何度もうなずくばかりだった。
 ようやく、一家はふるさとの国境の森に帰って来た。
 5ヶ月ぶりの懐かしい我が家だった。


「ジーク。アデル」
 リュートは両腕を広げて、ふたりの子どもを自分の膝の上に迎え入れた。
 初夏の陽光が、森の木々の葉を透けてきらめいている。
 アローテをかたわらに座らせると、リュートは眼の前の石を見つめながら、言った。
「これが誰の墓だか、知っているな」
「うん、ゼダっていう、一番勇敢な魔族のお墓」
「お父さんの親友で、お父さんを助けるために命を捨てた人」
「ここにみんなで座るときは、いつも大切な話をするときだってわかるな」
「はい」
「……ルギドのことは、いつも話をしてきた。覚えているか」
「魔族の王子で、お父さんと同じ顔をした人」
「僕たちのもうひとりのお父さん。だから僕たちには、魔族の血が混じっているって」
「お父さんとルギドも、双子だったの?」
「双子とは、ちょっと違うな。双子ならば、身体も心も別々だが、俺とルギドは一つの身体に一つの心を共有していたんだ」
「ふうん」
「けど、そのひとつの身体も、一万年前に生きていた畏王という人のものだった」
「畏王って、世界を滅ぼそうとした悪い奴なんでしょ。じゃあ、お父さんもルギドも悪い奴の仲間だったの?」
「そうだよ。俺は剣士として、アシュレイたちといっしょに何万もの魔族を殺した。そしてルギドは、何十万もの人間を殺した。俺たちはとても悪いことをしてきたんだ」
「でもそれは、戦争だからしかたがなかったって、ジルは言ってたよ」
「正しい理由があれば、命を奪うのはしかたがないって許されるのかな」
「う……ん」
「もしそうだとすれば、畏王にだって、ちゃんと世界を滅ぼす理由があった」
「どんな理由なの?」
「畏王は、人間の父親と魔族の母親から生まれたんだ。でも畏王のお父さんは、畏王が生まれてすぐ、お母さんを殺してしまった」
「ええっ?」
「まだ小さかった畏王を、父親はむりやり戦争で戦わせた。いやだと泣き叫ぶ畏王を、力ずくで戦場に放り出した。
それだけじゃない。畏王のことを一度もかわいがったり抱きしめたりすることもせず、いっしょに遊んだり、お茶を飲むこともしないで、ひとりぼっちで放っておいた」
「ひどい……!」
「畏王には友だちもいなかった。回りの誰も、畏王を好きになってくれる人はいなかった。それどころか、強くなった畏王をみんな怖がって、そばに寄ろうともしないで、最後には実の父親に殺されそうになった」
 ジークとアデルは、自分たちの身にひきかえて畏王の境遇を思い、身震いした。
「畏王は父親に殺されそうになったとき、悲しくて腹が立って、自分の国の人々をたくさん殺してしまった。
そして、世界中の人間や魔族を殺してしまえば、自分がひとりぼっちであることを忘れられると思ったんだ。はじめからたったひとりなら寂しくないと思ったんだ。
でも、そのために世界中のすべての生き物から憎まれて、畏王は心だけを真っ暗な牢屋の中に閉じ込められてしまったんだ。一万年のあいだずっと。
あとには、からっぽの身体だけが残った」
「かわいそう……」
 ふたりの子どもは、リュートの膝の上で、涙をぽろぽろこぼしながら訴えた。「畏王が、かわいそうだよ!」
「そうだな。かわいそうだな」
 リュートはそんな子どもたちの様子を見て、微笑んだ。
「畏王は、牢屋から抜け出すために、何としてでも自分の味方になってくれる人がほしいと思った。そして、畏王のからっぽの身体をもう一度生き返らせる魔法を使って、もうひとりの自分を作ったんだ。
それが、ルギドと俺だ。
俺は、畏王の人間の部分。ルギドは魔族の部分。
ふたりは、別々の存在ではなく、もとはひとりなんだ」
「……」
「畏王は、自分を閉じ込められている牢屋から出せと、俺たちに命令をよこした。でも俺たちは、そうすれば畏王がこの世界を滅ぼすつもりなんだってことを知っていた。
この世界を滅ぼしたくなかった。何故ならば、お母さんのことが大好きだったから。アシュレイもギュスターヴも、ジルもリグも、この世界の人間と魔族みんなが好きだったから。
俺たちは畏王の命令に逆らって、畏王をふたたび永久に出られない封印の中に閉じ込めてしまった」
「そんな……」
「でもそれじゃ、畏王がまたひとりぼっちになってしまう。また寂しさにがまんできなくなって、世界中を滅ぼそうという憎しみに囚われたままになってしまう。
だから、俺とルギドは、いっしょにその同じ封印の中に閉じ込められて、畏王のそばにいてやろうと決心したんだ」
「え……。お父さんも? お父さんもまた、その牢屋に入ってしまうの?」
「本当は、もうとっくに一緒に入っているんだよ。海の底で」
「え?」
「ここにいるのは、本当のお父さんじゃない。魔力で作り上げた、見せかけの身体なんだ」
「ゆ、幽霊なの?」
「幽霊でもないけれど、……でも、もうすぐ消える」
「あ、あなた?」
 アローテが唇をわななかせて、リュートを見つめた。
「アローテ、今まで嘘をついていてすまない」
 リュートは辛そうに、目を伏せた。
「10年前、人間の身体だけを切り離したというのは、嘘だ。俺の人間の肉体は、魔族に変化したときに永久に失われてしまった。
俺たちは切り離すことなどできない。リュートとルギドは、ひとつの存在なんだ」
「あなた……」
「おまえを幸せにしてやりたかった。リュートの姿を選んだのは、静かに家族だけで暮らしたいと思ったからだ。ルギドの姿でいたなら、きっと数多くの陰謀や野心や憎悪に巻き込まれていただろう。
おまえをふたりの男のあいだで苦しませるつもりじゃなかった。でも、俺に会いたいと言ってくれて嬉しかったよ」
「……ルギド……?」
「もう少し、いっしょにいたかった。せめてジークとアデルの成人のときまで。
……でも、俺の魔力は限界に来た。もうこの身体を保つことができない。もういっしょにはいられない」
「お父さん。死んじゃうの?」
 アデルが泣きながら、とりすがった。
「死にはしない。海の底で生き続ける。封印の中でずっと……」
「いやだ! いやだ! 畏王なんかほっといて、これからも私たちのそばにいて! お母さんもジークもあたしも、お父さんがいなかったら寂しくって死んじゃうよ!」
「アデル、やめろ!」
 ジークはごしごしと拳で目をこすった。
「僕たちはお母さんと3人で暮らせるし、ジルたちやアシュレイさんたちも、森には魔族のみんなもいる。
でも、畏王はひとりぼっちなんだ。お父さんがそばについててやらなきゃ、かわいそうだろ!」
「ジーク、ありがとう」
 リュートはふたりを壊れるほどに抱きしめた。
「もし、畏王の憎しみが消えて、封印する必要がなくなったら……。何十年かかるか、何百年、何千年とかかるかわからないけど、そのときはきっと戻ってくるよ。 おまえたちか、おまえたちの子どものところに」
「お父さん」
「あなた」
「ジーク、アデル、……アローテ」


 4人はそれから、片時も離れずに過ごした。
 夜を徹していろいろなことを語り合い、鬼ごっこやピクニックや剣の稽古、思いつく限りの楽しいことをして過ごした。
 そして、何度も何度も抱きしめあった。
 ある朝、家族に見守られながら、リュートの身体は静かにその姿を消した。


 5年後。エトル海の魔王城跡。
「ジーク、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶだ。ここくらいの水深なら、もう何十回も訓練した。もぐれるよ」
 15歳の少年は、命綱をしっかりと、自分の腰の回りに結びつけた。
「今日みたいに晴れて波のない日は、年に数回あるかないかだと漁師が言っていた。絶対成功させてみる」
「気をつけてね。合図があったら、すぐ引っぱり上げるから」
「ああ。お母さんのそばについててやれよ。アデル」
 意を決してジークは、島の中央にぽっかりと開いた海面に飛び込んだ。
「あ、お母さん。気をつけて」
 アデルは、ぬらぬらした岩肌を降りてきた母親を、抱きとめるようにして支えた。
「ジークはもう、行ったのね」
「うん、お父さんに絶対渡すって、張り切ってたわよ」
 アローテは水際に立つと、青く澄んだ海の底をのぞきこんだ。かすかにではあるが、魔王城の残骸の黒い影がゆらめいている。
「あなた……」
 彼女は両手をすっと、水のおもてに向かって差し伸べた。
「愛してるわ、あなた。たとえ黄泉を越えても、時を越えても、私はあなたを愛し続ける。
……あなたも、きっとそうでしょう?」


 ジークは深い藍色の海を力強く、ぐいぐいと潜っていく。
 海底には、朽ちた瓦礫が壮麗な城の面影を残すことなく散らばっていた。その間を縫うようにして探し回る。
 やがて彼の目に、ぼうっと青白く淡く光る岩の塊が映った。水を蹴ってそこに向かった。
(お父さん……)
 ジークの眼下に、胸に黒い剣を刺して岩に磔りつけられた男の姿があった。
 男の全身を幅の細く固い海草が、鎖のように幾重にも巻きつき、まるで罪人を岩に縛り付けているように見えた。
 銀色の長い髪がゆらゆらと揺れている。
 目は閉じられ、魔族の尖った耳と浅黒い肌をしているが、顔は間違いなく彼らの知っている父リュートのものだった。
(お父さん、会いに来たよ。遅くなってごめん)
 ジークは、新ティトス帝国の紋のついた騎士の証である徽章をふたつ紐でつないだものを、そっと男の首にかけた。
(お父さん。僕とアデルはティトスの騎士になったんだよ。きっとそばで見ててくれたよね)
 彼は最後の力をふりしぼって父の額にキスをすると、そのまままっすぐに命綱を伝って、海上に戻っていった。
 封印の呪縛を受けている男は、ふたたび永遠の静寂の中に残された。
 ただ一粒の涙が、その閉じられた瞼からあふれ出し、真珠のようにきらきらと光りながら、生命ある者たちの世界へと昇って行った。


The End



ご愛読ありがとうございました。

あとがき


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