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Chapter 8
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「1万年もの間、ひとつの使命を果たすためだけに生きていたのか……」 アシュレイは倒したばかりのゴーレムの首を悲しげに見下ろすと、鎮魂の祈りを意味する形を指で空中に描いた。 相手が誰であろうと、彼は戦いのあとにいつもこうしていた。 「風のレイピアか――」 その隣では、ルギドが新しい剣をためつすがめつしている。 「小柄な奴にはちょうどいいかもしれんな」 アローテは吹き出しそうになった。 アシュレイに剣を渡す彼の横顔は、その剣が自分のものにならなかった悔しさを隠しそこねていたからだ。 「本当にすごかったわ、みんな。だって一度も回復魔法を使わずにすんだんですもの。大勝利よ」 「そうだね。所期の目的も達したし」 アシュレイもうなずく。 「あれ、ギュスは?」 「例の小部屋で宝物をチェックしてるわ」 「行ってみよう。何か金目のものがあるといいけど」 と歩き始めたアシュレイに、前にいたルギドの背中が当たった。 「ルギド?」 あわてて彼の腕をしっかりと掴んだ。「だいじょうぶか?」 「あ? ああ」 長身の剣士はゆっくりと手をこめかみに当てる。 「大丈夫だ……。少し魔力を使いすぎた。あんな形で何発も撃ちこんだのは初めてだったからな」 「少し坐っていろ」 「いや、いい……」 ルギドはアシュレイの手をふりほどくと、小部屋に入った。 「ギュスターヴ。何か見つけたか」 「いいや。今のところ、宝石が少しと……。金には替えられるけどな」 黒魔導士は濃緑のローブを埃だらけにして、宝の物色に余念がない。 「薬は腐ってるし、衣類もぼろぼろだし、伊達に1万年は経ってないな。――ん? これ何だろう」 瀟洒な細工の小箱に手が止まる。 中にはビロード布にくるまれた緑の小石がひとつ。 「何かのマジックアイテムかなあ。ルギド、おまえわかるか? ……ちぇっ」 壁のレリーフに気を取られて聞いてもいない相手に業を煮やして、頭を掻いた。 「魔導士ギルドに持ちこんで鑑定してもらうかなあ。……しっかし魔導書のたぐいなんて切れ端もないなあ」 「これを見ろ、ギュス」 ルギドの声に彼は顔を輝かせた。「おっ、風の最高呪文か?」 「いや。だが、さっき階段の途中で見かけた一節と同じくだりがある」 小部屋の奥の壁には、封印されていたためか保存状態はずっと良い古代ティトス語の碑文が刻まれていた。 [ 四つの理(ことわり)たる四つの言葉 虚(うつろ)を真(まこと)に、真を虚とせむ 翼もて天翔ける民 地を這い蠢(うごめ)く民 水を揺籃(ようらん)として生いし民 溶岩にたゆたう民 それぞれの民 それぞれの理を封印せり やがての日 虚この世を蔽うとき 四つの言葉 ひとつとなるべし ] 「何だ、これは?」 ギュスターヴは訝しげにルギドを見た。 [虚を真に、真を虚に(イオ・フ・アハム、アハム・フ・イオ)……] 魔族は眉根を寄せて呟いている。 「貴様ら、俺の父の名を知っているか?」 「魔王のこと?」 「誰も知らない。捕虜にした魔物たちも誰一人としてその名を白状する者はなかった」 アシュレイが答えた。 「ルギド、おまえは知ってるんだろう?」 彼は首を振った。「聞いたことはない」 「えっ?」 「畏怖ゆえに魔族の誰もその名を口にすることはない。気の遠くなるほどの年月のあいだに忘れられてしまったのだろう。一度古い書物を調べたことがあるが、すべて伏字にされていた。ただ1冊だけ……」 「何て書いてあったんだ?」 「[イオ]。[虚] ということばと同じ発音の名が書かれてあった」 「イオ……」 「真実かどうかは知らん。だが古代ティトスの民が虚(イオ)を魔王のことだと捉えていたとすると、この碑文は……」 「魔王を封印する呪文について書かれたものか……」 「もしくは、その反対か、だ」 ギュスターヴがわしわしと髪を掻き毟った。 「一度聞こうと思ってたけどよ、ルギド、どうしておまえのところには古代ティトス文明についての書物がそんなにあったんだ? 俺たちが読むことができる古代ティトスについての書物はほんのわずか。しかもテアテラ国内に数冊写本があるだけだ。 魔導士の必修にはなっているが、実際のところ何もわかってないに等しい。 魔族のところにそれだけの書物があるってことは……」 「おまえの想像するとおりじゃないのか?」 ルギドは高慢な笑いを見せた。 「古代ティトス文明はもともと魔族の文明。魔族が人間を家畜として支配する文明だった」 「うそだっ」 アシュレイが気色ばんだ。 「古代ティトスは人間の一大帝国が繁栄した文明――。教会でも僕たちはそう教わってきた!」 「この壁画を見ればいい」 彼は壁のレリーフを顎でしゃくった。 そこには、風の階(きざはし)と同じ塔。そしてその回りを飛び交う翼を持った生き物が描かれている。 「翼もて天翔ける民、地を這い蠢く民、水を揺籃として生いし民、溶岩にたゆたう民。――これは全て魔族の姿だ。 この風の階は翼もつ魔族が治める城として造られた。他の3つの神殿もそうだ」 「だからさっきゴーレムに話しかけたとき、[汝の主の血を継ぐ者]と言っていたのか」 ギュスターヴがわめいた。 「おまけに、帝国を継ぐ者だのと、嘘ばっかり言いやがって」 「ふふっ。言うだけなら、タダだからな」 そして、項垂れている若者に向き直った。 「アシュレイ。信じられんという顔をしているな」 「う……うん」 彼は自分の信じてきた歴史と信仰を揺さぶられて、青ざめている。 「俺は本当のことを言っているとは限らんぞ。いずれ何が真実で何が嘘なのかはわかるときが来る」 「そうだな」 「行くぞ、ギュスターヴ。軽くて役に立ちそうなものだけにしろ。重い物を運ぶのはごめんだからな」 「え、ち、ちょっと待て。ルギド」 にわかトレジャーハンターはあわてて、袋に手当たり次第に詰めこみ始める。 「もう降りるつもりか?」 「当たり前だ。ぐずぐずしてると夜になってしまうぞ」 3人はげんなりして顔を見合わせた。 「今晩はここに泊まっていかないか? 俺ちょっと足が、筋肉痛で…」 「わ、わたしも……。あの階段をまた降りるのはちょっと……」 「そうだな。他の部屋ももう少し調べればまた何かわかるかも……」 ルギドは彼らの哀願を無視して、さっさとローブを羽織って大剣を背負うと、言った。 「それでもいいが、夜になると出るぞ。ゴーレムを作った者とこの城の主たちの強い思念が亡霊となって……」 彼が広間から姿を消すと、3人はころがるように後を追った。 神殿を出てさらに3日旅を続けて、一行はようやく町に辿り着いた。 トスコビは古くは東のエペ王国と結ぶ街道に栄えた宿場町である。 近年は、ベアト海に浮かぶ魔王城(今はうち捨てられ無人だが)に相対する最前線の要害としても重要だった。 エペ王国が魔族の手に落ちた今は往時ほどの賑わいはないが、それでも南のエクセラと並ぶ北の商易の拠点としての地位はかげりを見せていない。 喧騒に湧きかえるエクセラとはまた違った、煉瓦造りの歴史ある佇まいの街路では、大小の店がそれぞれのギルドを表わす看板を軒先に吊るす。 冒険者の武具や装備を扱う店。マジックアイテムを専門にする店。宝石商。 それらを巡り、4人は当座の資金に足るだけのものを手にした。 宝石は小さいながら、数と装飾の珍しさで8000サリングを超える儲けとなった。 魔力を高めるアクアマリンの錫杖も高く売れたし、邪気払いのお守りとして珍重されるトルコ石のサークレットや銀製の杯、象嵌細工の小箱もほとんど言い値で引き取られた。 無論買ったものもあった。 ルギドは動きにくい魔導士用のロ―ブの代わりにフードつきの黒いマントと鈍色のオスマン銀の胸当てを手に入れ、アローテは魔法力の消費を抑える効果のあるオルポワンの指輪という珍品を店の隅で見つけ、狂喜した。 「やっぱりこの石のことは、店でもわからなかったか」 ギュスターヴは小箱に入っていた緑色の石を陽光にかざした。 「ま、重いもんでもなし、わかるまで手元に置いておくか」 懐が暖かくなったおかげで、午後4人は久しぶりに熱い風呂と、足を伸ばせる柔らかいベッドにありついた。 「うーん。気持ち良かった」 たっぷりの仮眠のあと、夜の街に繰り出そうとアシュレイとギュスターヴは宿屋を出た。 「さあ、めしめし。久しぶりに厚い肉を食うぞ。……あれ? アローテは?」 「ルギドを呼びに行くって戻ったよ」 「あいつ眠いからもう少し寝てるって言ってたぜ」 「それなんだ」 アシュレイは形の良い眉を曇らせた。 「気づいてたか。このところルギドは少し様子がおかしかった。ときどきふらついてたし、どこか具合の良くないのをじっと我慢してるみたいな……」 「あいついい格好して、張り切り過ぎなんだよ。自分だって疲れてるんなら少しは休みながら行動してもいいのにな」 「それも何か余裕がないっていうか。それに一番気になってるのは……」 言いかけて、ハッと顔を上げる。 「ギュス、僕たちも部屋に戻るぞ」 「な、何だよ」 ニ階の一番奥の男たちの部屋の前まで来ると、半開きになったドアから廊下まで、アローテの声が聞こえてきた。 「……最初は気づかなかったわ。でもやっぱり変だと思い始めた。 ふらりとひとりでどこかに行っては、もう食べてきたとか、疲れてるから先に寝るとか。たまに一緒に食事に行ってもお酒を飲んでばかり。 きっと食べてるところを誰にも見られたくないのかしらって勝手に想像してた。 でも違ってた。 ……わたしたち、一度も見てないのよ」 最後はすすり泣きに変わる。 「あなたはこの2ヶ月、わたしたちと旅をしている間、一度も食べてない……」 ギュスターヴは息を呑むと、思わず部屋に飛びこんだ。 ルギドは椅子に坐り、窓枠に足を乗せたまま外を見ている。アローテはそのそばの床で嗚咽を洩らしている。 「本当なのか。今アローテの言ったこと」 怒気を含んだ声で問い詰める。 彼は観念したように、ゆっくりと頭を巡らせた。 「ああ……。いや……。一度だけ……「食った」」 暗く沈んだ口調は3人を総毛立たせる。 「人間を……か」 「俺は人間以外のものを、食ったことはない」 「そんなはずあるか!」 ギュスターヴは灰色の瞳を吊り上げた。 「おまえはリュートなんだぞ! リュートは何でもがばがば食ってたじゃないか。兎のあぶり肉とか大皿いっぱいのマッシュポテトとか!」 「駄目なんだ。俺も何度か試してみた。でも体が受け付けない。焼いた肉も野菜も、好き嫌いの問題ではなく魔族の体が受け付けない」 静かに口を切ると、沈黙が長い間支配した。 「大丈夫だ」 ルギドは落ちついた声でことばを継ぐ。 「魔族は人間のように柔にはできていない。二月や三月、食べなくても支障はない」 「でも、もしそれ以上経ったら?」 震えながらアローテが問いかけた。「また人間を食べるの?」 街の明かりに縁どらせた秀麗な横顔をかすかに振る。 「もう、人間は食わない」 「……」 「最後に食ったのは、サルデスの王都を出て3日目……船に乗る前の晩、港のそばだった。怪我から回復したばかりで、血が足りなかった。夜中に宿から抜け出し、旅人らしき男が酔いどれているところを襲った」 ルギドは悪寒に耐えているように、手で口を蔽った。 「うまかった……。俺の腹は満たされた。だが同時にひどく惨めだった。 こんなふうに露地で待ち伏せて、死体を海に投げ込んで……。俺はいったい誰だ? 追いはぎや強盗とどこが違う?」 「ルギド……」 「本当はおまえらと旅をしながらも、こうやってこっそり人間を食えばいい。そう思っていた。 ……だがそのときわかった。俺には確かに人間の、リュートのときの心があって、魔族の体が人間を食らいたいと望むたびに、毛穴のひとつひとつまで激痛が走るほど苦しくなる」 「要するに!」 ギュスターヴが一同を鼓舞する大声を上げた。 「要するに、焼いた肉がだめなんだろ。生肉だったら何とかなるんじゃないか? 俺が街に行って買ってきてやるよ。内臓だって血だってどんなことしても手に入れてやる!」 「俺に家畜の肉を食えと?」 彼は怒りのあまり牙を剥き出した。 「下僕や雑兵どもが食う牛や豚の生肉を、俺に食え、と……!」 「そんなこと言ってる場合じゃねえだろう!」 「いやだっ。そんなもの食うくらいなら、飢えて死ぬ方を選ぶ!」 今まで泣いていたアローテがすっくと立ち上がった。 「馬鹿あああっっ!」 宿屋中に響き渡るほどの大声に、男たちは体をひきつらせた。 「何甘ったれたこと言ってんのよ! ルギド! あなたはもう魔族の王子でも、魔王軍の指揮官でも何でもないのよっ。何故そんなメンツにこだわるの! 生きるためにはどんなことだってしなさいよっ。あなたは死ぬわけにはいかないのよ!」 叫ぶだけ叫ぶと、彼女はバタバタと部屋から走り去る。 残された者はただ呆然と見送るだけ。 その夜、閉まっていた肉屋を叩き起こして無理矢理手に入れた鹿の生肉を、ギュスターヴはルギドに渡した。 紙包みを受け取ると、何度もためらった挙句、うつむいて言った。 「悪いが、部屋の外にいてくれ。……誰にも見られたくない」 「わかった……」 ドアが閉まると、アシュレイとギュスターヴは宿屋の廊下を伝った。 「ルギドの奴、よっぽど辛いんだろうな。肉を受け取る手が震えてたぜ」 「プライドの塊みたいな男だからな。きっと魔族にとって、人間以外のものを食べることは最大の屈辱なんだろう」 「あいつがこのまま人間を食べつづけるって言ったら、アッシュ、おまえルギドを殺したか?」 「えっ……?」 意地の悪い質問に本気で戸惑う友の顔を見て、ギュスターヴは吹き出した。 「冗談だよ。ま、でも元勇者としては赦しがたいことだからな。俺なんか、ひとりやふたりその辺の悪党を食ってもらったほうが、世界のためになると思うが」 「ギュス!」 「あは。これも冗談だってば。ところでアローテは?」 「今日はもう休みたいって、部屋に帰ったよ」 「あのふたりの関係もややこしくなる一方だな。早いとこ元の鞘に収まってくれたほうがいっそ楽になるよ」 「ギュス……。おまえ、いい奴だな……」 「あほっ。何しみじみ言ってんだ。さ、めしめし! 俺たちだけでも盛大にワアってやろうぜ」 「それなんだけど」 真顔でアシュレイがつぶやいた。 「今日は……肉はやめておこうな」 一行は次の日、トスコビをあとにした。 今度は馬を人数分手に入れたため、毎日の行程ははかどり、3日目には早くも王都ペルガに到着した。 さすがのペルガ国民もこの頃になると魔王軍襲来の恐怖に怯え、王都にも緊迫感がみなぎり、軍隊と近隣の村々からの多くの避難民が、城壁の内側にあふれていた。 食糧や水の補給を済ませ、翌早朝には王都を旅立ち、まっすぐ東に伸びる街道を辿る。 それは今はほとんど旅人の通らぬ街道。 ずっと昔、まだトスコビを中継地とする北の街道が開かれていない頃、南北に長く横たわるペルガ山脈の一番低い峠を越して、エペ王国と往来する馬車の行き交う栄えた旧道だった。 その名をガルガッティア街道と言う。 魔王軍はまさにその峠を経由して、ペルガに進軍してくる。 彼らは、山越えで陣の乱れた魔王軍を麓で迎え撃つ作戦を立て、現地に急いでいた。 ルギドは家畜の肉を食べるようになってからは、目に見えて体力を回復していたが、その代わりにほとんど話をしなくなっていた。 トスコビを出て以来、馬上でも、宿屋や夜営地でも、仲間の接触を背中で拒絶しながら、一人でじっと何かを考え込んでいる。 やがてアシュレイたちも彼の心中に思い当たった。 今から戦おうとしているのは、彼がかつて指揮していた部下たちなのだ。 覚悟していたとは言え、いざとなると辛いに違いない。 だが三人は何も言わなかった。 ひとことでも慰めのことばをかけようものなら、多分以前言ったことばを繰り返すだけだろう。 「馬鹿にするな。あいつらは只の駒だ。他人の手に渡った駒は敵でしかない。徹底的に叩く。そんな感傷など俺が持ち合わせていると思うか」 翌日の午後には、地平線の向こうから長く連なる峰の稜線が現われた。 歩を進めるにつれ藪が道を細くする。 見通しのきかない登り道では、いつ魔王軍の最初の旗印が見えるのかと緊張がただよう。 夕暮れ、視界が利かなくなり、今晩の野営地を求め木立に分け入ろうとしたとき、最後尾のルギドの馬がピタリと止まった。 「待て。何かいる」 静かにそして俊敏に馬を下りた一行に、しかし聞こえてきたのは甲高い子どもの声だった。 『ルギドサマ……、ルギドサマ』 「なにっ」 彼は聞き覚えのある声に驚いて、剣の柄から手を離した。 『誰だ。まさか……ゼダ?』 魔族のことばにようやく安心したのか、一匹の小柄な魔物が木の頂きから姿を現わした。 『ルギドサマ。ヤットオ会イデキタ……』 透き通ったベールのような薄い翼をぼろぼろにして、彼はルギドの前に舞い降りて地面にひれ伏した。 「あ、あのときの!」 アローテが驚きの目を見開いた。 以前ルギドの手でサルデス城に幽閉されたとき、彼が従者として世話をしてくれたのを覚えている。 顔を上げたゼダは、げっ歯類の小動物のような黒く大きな瞳を涙でうるませた。 背丈は50センチほど。細長い手足。丸く突き出た腹。ピンと立てた耳。盛んに動く紐のような尾。 そのどれもが翼と同様、千切れ傷つき、どす黒く汚れている。 『ゼダ、一体どうして、ここまで?』 懐かしさを隠して無表情を装っても、従者の悲惨な有様から目を離すことができない。 『なぜおまえだけ? ジョカルは? 俺の軍はどうした?』 『アア、ルギドサマ……』 ゼダはぽろぽろと涙を地面に吸わせた。 『アナタサマノ軍ハ……ムリヤリ解体サセラレマシタ。皆バラバラニサレ、他ノ魔将軍ノ指揮下ヘ……。 ジョカルサマハ、副司令官ヲ解任サレ、ソノ後ノゴ消息ハ、杳トシテ知レマセン」 『何だと……』 『ソレゾレガ、配備サレタ部隊デ、ヒドイシウチヲ受ケマシタ。裏切者ト罵ラレ、殴ラレ、戦イデハ最前線ニ投入サレ……。 アルトキハ、ヒトリズツ人間ノ檻ニ放リコマレ、怒リ狂ッタ人間ドモニ、八ツ裂キニサレマシタ……』 『……』 ルギドの握り締めた拳から黒い血が幾筋も垂れた。 『ワタクシハ、エペノ駐留軍ニイマシタガ、ルギドサマガイラッシャルトノ噂ヲ聞キ、ナニセ小サイノデ、脱走シテ、ココマデ飛ンデキマシタ』 『ゼダ……』 『ス、スミマセン。言葉ガ聞キ取リニククテ。舌ヲ、切リ取ラレテイルノデス』 『ゼダ、すまない』 弱々しいしゃがれ声。 『すまない……。俺のせいだ。俺がおまえたちを見捨てたからだ』 『ルギドサマ!』 ゼダがひっくり返って目玉をくるくるさせた。 『何ヲオッシャイマス! ソンナコト思ウ者ハ、ヒトリモオリマセン。皆ルギドサマヲ、オ慕イシテイマス。 スグニ……、スグニ、コノ世ヲ支配シテ、オ戻リクダサルト信ジテイマス!』 『……』 『他ノ魔将軍ドモハ、馬鹿バッカリデス! ルギドサマ以外ニ、主トナルオ方ハオラレマセン。ドウカ一日モ早ク、魔王軍ニオ戻リクダサイ』 『いや……』 ルギドは苦しげに目をつむると、首を振った。 『俺は魔王軍には戻らぬ。もう父王とは袂を分かった。俺の進む道は別にあるのだ』 『ソレデモカマイマセン!』 飛行族の従者は、尻尾で地面をばたばた撃った。 『ドウゾワタクシモ、オ供ニ加エテクダサイ。ココニイル人間ドモヲ使ッテ、ゴ自分ノ御世ヲ、作ラレルオツモリナノデショウ? ワタクシモ、オ手伝イイタシマス。今ハウマク飛ベマセンガ、翼ガ治レバ、使イ魔トシテ、オ役ニ立テマス!』 おいおい、とギュスターヴが呆れてつぶやいた。 「俺たちはルギドのしもべで、ルギドを支配者にするために戦ってる、こいつはそう思ってるみたいだぜ」 『ウルサイデスネ、コノ人間ハ』 ゼダは胡散臭そうに彼をねめつけた。 『アトデワタクシガ、成敗シテサシアゲマス。ルギドサマ』 「くすっ」 アシュレイとアローテが同時に吹き出した。 『ゼダ、俺についてくると言うが、ここは人間の世界だぞ』 『大丈夫! 人間ガ来レバ、ルギドサマノマントノ中ニ隠レマス。町ニオ入リニナルトキハ、外デ木ニブラサガッテ、待ッテイマス。 ナアニ、ルギドサマガ、全テ征服ナサルマデノ、ワズカナ辛抱デスカラ!』 『おまえは何か誤解している……』 アシュレイたちは、こんなに困っているルギドを見るのは初めてだった。 『俺は今から、この山を越えてくる魔王軍と戦おうとしている。決しておまえが考えているような……』 ゼダは突如いきり立って、背中の翼をばちばちと打ち合せた。 『ハガシム! 憎ムベキ、ハガシムノ軍隊!』 『何だと?』 『能無シノ分際デ、ルギドサマヲ悪シザマニ罵ル、阿呆ノ魔将軍! 戦功ヲ立テラレズ、ワガ王ヤ他ノ魔将軍ノ不興ヲ買イ、背水ノ陣デ2万ノ兵ヲ率イテ、エペカラ、山ヲ越エテヤッテクルノデス。 兵モ志気上ガラズ、アンナノ、ルギドサマノ敵デハアリマセン。ケチョンケチョンニ、ノシチャッテクダサイ!』 『ハガシムか……』 ルギドは心なしか顔をほころばせた。 「ねえ、ルギド」 アローテが微笑みながら、ふたりに近づいた。 「あなたさえ良ければ、ゼダのこと仲間に加えてあげてもいいのじゃないかしら」 『オオッ、気ガツキマセンデシタ。アナタハ、ルギドサマノオ内儀サマ!』 「お、お内儀?」 『オ久シブリデゴザイマス、オ内儀サマ。コレカラ居候者トシテ、ゴ厄介ニナリマス』 「いいんじゃないか、ルギド」 アシュレイも、ようやく忍び笑いから立ち直った。 「ゼダはきっと、魔王軍の内情を知るのに役に立つよ」 「おいおい、マジかよーっ」 ギュスターヴは一人がっくりと肩を落とした。 「ルギドに輪をかけて高飛車な奴が、もう一匹加わるのか……」 |
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