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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

外伝 Episode 3
旧暦3638年 天馬月


§1


 アシュレイの子ども時代の記憶はそう多くない。
 その中でとりわけ、長じたあともよく思い出すのは、王宮の庭。
 咲き乱れるバラやアイリスのまん中を、サミュエル王子とともに笑いながら駆け抜ける自分だ。
「お兄たまぁ……、アッシュ……」
 幼いグウェンドーレン王女が小さな足で懸命に追いかけて、名前を呼ぶ。
 そのあどけない声。鮮やかな色彩。馥郁たる花の香りは、幸せな満ち足りた思いとともに浮かぶ、子どものころの数少ない景色の一ページだ。
 何故ならば、アシュレイが6歳になったとき、父エルンスト・ド・オーギュスティンが魔王軍との戦いで世を去ったその日から、彼は子どもであることをやめてしまったからだ。


 小春日和の昼下がり。
 サルデス王立騎士上級学校の中。
 古代風の円柱の立ち並ぶ長い回廊を、アシュレイは重い書物を小脇に急いでいた。
「オーギュスティン」
 後ろから、声変わりが終わりかけた低い声で彼を呼ぶ者がいた。
 お互いを家名で呼ぶ習慣は、上級校の騎士見習いたちのあいだで、数年に一度流行するのだという。
 彼に追いついてきたのは、同級生のオルデュース・ド・ラプリスだった。
 アシュレイの同級生は、幼年学校の入学当時は、他のどの学年よりも5倍は多かった。
 彼らはいわゆる「23年組」 ―― 予言にある勇者の世代なのである。
 しかしその中で、上級学校に進学した者は、わずか一小隊分にも満たない。大部分は5年間の厳しい学校生活を経て、騎士になることを諦め、陸軍学校か海軍学校に転籍したか、 魔法の才能を見出されてテアテラに留学したか、あるいはそのどちらでもない者は、市井に降りて新しく自分の生きる道を選択したかのいずれかであった。
 オルデュースは逆に、陸軍幼年学校からその才能を見出され、騎士上級学校に進んだという少し変わった経歴の持ち主だ。
 赤茶色の肩までの髪を首のうしろでまとめ、背丈はアシュレイより一手幅分高く、はしばみ色の瞳で親しみをこめて彼を見おろす。
 ふたりはどの級友たちよりも、気が合った。
「今日の授業は午前で終わりだから、これから町にでもくりださないか?」
 と言いながら、オルデュースは友人の手元の魔導書に目をやった。
「……そうか。おまえにはまだ、白魔法術の授業が残っていたんだっけ」
「ああ。悪いな」
「サボるわけにいかないから大変だな。わざわざテアテラから、おまえのために司祭様が教えに来てくださるんだからな」
「生徒は僕ひとりじゃない」
「おまえのためだけに来てくれるようなものさ」
 ふたりの靴音が回廊に響く。
「司祭に限らず、この学校の教師はみな、おまえだけに向かって授業をしているようなものじゃないか。同期の中で一番の優等生。王太子殿下の乳兄弟で、勇者候補筆頭のおまえだけに」
「オルデュース」
 アシュレイは立ち止まり、微笑んだ。
「今の言い方は、いくらなんでも傷ついたぞ」
「そんな鷹揚な受け答えをされて、本気で傷ついたなぞ、誰が信じるか」
 オルデュースは、吐息をついた。
「……確かにひどいことを言った。すまない。午前の歴史の試験でしくじって、気が立っていたんだ」
「そうだったのか」
「せめて、おまえと街へ出かけて、ウサ晴らしでもしようと思っていたんだがなあ。おまえと一緒なら、町娘が大騒ぎしてけっこう楽しめる」
「……あのなあ」
 回廊の終わりまでやってくると、ふたりは再び立ち止まった。
 このまままっすぐ噴水の広場へ向かうと、彼らの寄宿舎の方向。反対に右へ折れると、司祭の待つ2階の教室への階段がある。
「なあ、アシュレイ」
 オルデュースは親友に真顔で向き直った。
 騎士見習い生の制服である白い広襟つきの若草色の短胴衣チュニックが、アシュレイほど似合う生徒はいない。
 カールのかかった栗色の髪と、深い森の木々のような瞳に、その色は本当によく映える。
 少女と見まごうほど柔らかい頬の線と、小さくふっくらした唇。それに反していつも何かに思いを馳せているような厳しい目と眉の表情。
 それは、出会う人すべてに強い印象と、服従を誓わずにはおれないような権威を感じさせる。
「おまえ、自分のことを予言された勇者かもしれないと、本気で考えたことはあるか?」
 オルデュースのめずらしく真剣な調子に、アシュレイは冗談で返すことができなくなっていた。
 彼らの同年代 ―― 3623年生まれの男子にとって、自分が勇者に運命付けられているかもしれないという考えは、多かれ少なかれ誰もが抱いたものであるはずだ。
 この年に生を受けた男子の中から、やがて魔王を倒す勇者が現われるという予言は、神秘性を帯びて信仰深い人々に信じられている。
「そういうおまえはどうなんだ、オルデュース?」
「俺か? 俺はとっくにそんな考えは捨てている。たかが下級騎士の家の出の三男坊だ。金がなくて陸軍幼年学校に入るのさえやっとだった俺はな」
 彼は肩をすくめる。
「だが、おまえは違う。誰もが認める名門貴族の家柄。王宮で育ち、王族に匹敵する気品を備え、剣術・勉学ともに他の追随を許さぬ実力の持ち主、アシュレイ・ド・オーギュスティンならば、自分のことをどう考えているのだろう?」
「オルデュース」
「揶揄しているのではない。俺はおまえが好きだ。友人として誇りに思っている。
これは俺のこれからの人生を決める大事な選択でもあるのだ。勇者としてのおまえを一生助け支えるのが、俺の使命なのか。それとも、それを他に求めるべきなのか」
「やめてくれ、オルデュース」
 アシュレイは目を伏せた。
「僕は亡き父上の名を汚さぬように、オーギュスティンの家督を継ぐことだけで精一杯だ。他のことは考えてはいない」
「そうか……」
「それに、勇者が誰であるかを決めるのは、主なる神の啓示だ。僕たちがどうこう言うことではない」
「そうだな。俺は焦りすぎているのかもしれん」
 オルデュースは、噴水の飛沫の向こうの青空を見上げた。
「このところ、王都の近くまで魔王軍がひそかに迫っているとの噂も聞く。人心は不安に満ち、勇者を望む声は日ましに高まっている」
「ああ」
 アシュレイはうなずいた。「だが、僕たちはまだ14歳だ。焦るには若すぎる」
「まだ14歳……か。早く一人前になりたいものだな」
 オルデュースは片手を上げて、にっこり笑った。
「引き止めて悪かった。また今夜にでもおまえの部屋に遊びに行くよ。いい酒が手に入ったんだ」
「ま、待てよ。酒なんて。おまえも僕も、まだ16歳になっていないぞ」
もう・・14歳だよ」


 白魔法の授業が終わった頃には、冬の西空は早々と暮れそめていた。寄宿舎に戻ろうと校門をくぐったアシュレイに、 門番が恭しく敬礼をした。
「アシュレイ様。今しがた王宮からご書状が届いたところにございます」
「ありがとう」
 手紙を受け取ると、彼は少し顔をほころばせた。
 彼のもとにはこうして、しじゅうサミュエル王子やグウェンドーレン王女から参内を命じる書状が舞い込んでくる。王女などは、彼が試験中などで登城に応じないと、毎日だって手書きのかわいらしい手紙をよこすのだ。
 アシュレイの亡き母は、王の血筋に連なるやんごとなき階級の出身で、騎士の名門オーギュスティン家に降嫁しアシュレイを生んだのち、翌年誕生した王太子サミュエルの乳母めのととして任ぜられ、乳離れしたばかりのわが子とともに王宮に上がった。
 彼の父エルンスト・ド・オーギュスティンは近衛隊の隊長として城に詰めており、王太子の乳母といえば、侍従長に匹敵するほどの権限を持つ要職であったので、アシュレイはひとつ年下のサミュエルの乳兄弟として、王族と同様の待遇と教育を受けてきた。
 サミュエル、その3年後生まれたグウェンドーレン王女、そしてアシュレイの3人は、本当の兄弟のごとく王宮で育った。
 だが彼が6歳のとき、父エルンストは、王国を激しく攻める魔王軍との戦闘において卑怯な挟み撃ちに会い、無念の戦死を遂げる。
 愛し合っている者同士は長く離れられない、とのことわざどおり、悲嘆のあまり床に就いた母も4ヵ月後、後を追うように天に召されてしまう。
 アシュレイはその時以来、国王一家とは明確な一線を画し、ルシャン王とネーリア王妃の懸命の説得も固辞して、やがて王宮を出て騎士幼年学校の寄宿舎に移った。
 わずか7歳のときである。
 それから7年余り。今でも国王一家から、アシュレイは実の息子、兄のごとく愛され慕われ続けている。
 寄宿舎の玄関広間の椅子に座り、手紙を開いたアシュレイは眉をひそめた。
 それは、予想していたのとは全く違う、侍従長からの至急の参内を請う書状だった。
 不安がよぎるのを感じる。
 彼は制服のまま、陸軍本部の庭を突っ切って王宮の西門に至る近道をたどった。軍の建物の異様な静けさは、ますますその予感が的中していることを確信させる。
 侍従長の親書を見せるまでもなく、城の門衛はアシュレイを一目見るなり、敬礼して門を開けた。
 玄関をくぐってからも、なお彼の緊張は高まる一方だった。
 何かがいつもと違う。王宮の奥に入るほど垣間見える、不安なまなざし。ささやき声。小走りに急ぐ足音。
 襟を整える合間すら待つことなく、謁見の間に通された。
 奥の玉座に、主であるルシャン国王の姿はなく、壇上に所在なげに立ち尽くすサミュエル王子と、その足元に初老の侍従長が侍るばかり。
「アシュレイ!」
「殿下」
 アシュレイは片膝をつき、典儀にのっとった拝礼をした。立ち上がるや、
「遅れて申し訳ありません。いったい何があったのですか?」
「父上が予定を過ぎても、お戻りになられぬのだ」
 サミュエルが壇を降りつつ、答えた。
 13歳の王太子は心労に青ざめ、普段なら快活に動くその茶色がかった緑の瞳も虚ろにかげっている。
「陛下はどちらにおいでになられたのですか?」
「東のエイシャン山地。魔王軍が出没するとの噂の真偽を確かめるため、近衛隊30騎とともに都を立たれたのが、3日前の朝だった」
「エイシャン山地ならば、ここから半日たらずの道のり。念入りに偵察なさったとしても、まだお戻りになられないのは確かにおかしい……」
 アシュレイは侍従長に向き直った。
「ロディウス殿。一刻も早く騎馬隊を応援に差し向けるのが先決と心得ますが」
「それが、そうもいかぬのじゃ。アシュレイ殿」
 侍従長は弱りきった表情を顔に貼り付けたままだ。
「実は昨日のこと。西のワルトの森のあたりに魔王軍が現われたとの報告があってな」
「え?」
「騎馬隊二個大隊はそちらの掃討に向かってしまったのじゃ。今あるは、移動に向かぬ重装歩兵団と弓兵団、王都の守備のために残した近衛兵と騎馬隊のみ。これらを救援に差し向けるのは、 今の状況からしてあまりにも危うい」
「確かに」 アシュレイも考え込む。
「東のエイシャン山地と西のワルトの森。時間差をつけて魔王軍が配備されたとなると、奴らの真の目的は我らの戦力分散。そして王都への攻撃と考えるのが自然です」
「まして今、巷は魔王軍の襲来の噂におびえておる。われわれが不用意に騒ぎ立てれば、人々の恐慌を引き起こしかねん。ことは微妙なのじゃ」
「このことはまだ、母上にもグウェンにも知らせていない。王宮の内部には緘口令を敷いてある」
 王子はすがるような目で彼を見た。
「なんとか事を内密に、父上をお助けする方法はないものだろうか。アシュレイ」
「わかりました」
 アシュレイは安心させるようにうなずいた。
「ロディウス殿。書状を2枚したためてください。一通は陸海軍元帥閣下宛。秘かに、しかし全力をあげて王都の防衛を固めるようにと。それから侍従長殿の権限で、 近衛隊から騎兵を20騎だけお貸し下さいますか?」
「それはかまわぬが、20騎で足りるのか?」
「はい。もう一通は私の通う騎士上級学校の校長宛に、『明朝より緊急の実習訓練を命ずる』と。騎士見習い全員と引率の教師数名で、近衛隊との合同演習を行うと。
事情は現地に着いたとき、私から説明します。見習い生とはいえ、毎日厳しい研鑽を積んだ者ばかり。必ず陛下をお助けするお役に立つはずです」
「アシュレイ。私も連れてゆけ」
 サミュエルが大声をあげた。「私も皆とともに行き、父上をこの手でお助けしたい」
「いけません。殿下」
 アシュレイは厳しいまなざしで答えた。「国王陛下に万が一のことがあったとき、このサルデスを導くのはあなたしかおられません。殿下まで危険にさらすわけにはいかないのです」
「でも……」
「王都をお守りください。陛下は私が必ずお助けいたします」
 切れ者の侍従長は、事が決まるときびきびと動き始めた。
「それではアシュレイ殿、私が書状を準備いたすあいだ、しばしお待ちくださらんか。元帥殿と校長殿へ書状を届けるお役目、貴殿に頼まねばならぬからな」
 ロディウスが出て行った後、謁見の間には、見張りの衛兵以外、王子とアシュレイのふたりきりとなった。
「悪いが、アシュレイ。私を部屋まで見送ってはくれまいか」
「はい。喜んで」
「グウェンにも少し会ってやってくれ。王宮に来たのに会わずに帰ったとなれば、2日は泣くからな」
 広間から、王家の私室につながる廊下に足を踏み入れたとたん、サミュエルは1歳年上の乳兄弟の肩に、後ろからしがみついた。
「アシュレイ……!」
 こらえていたものをすべて吐き出すような少年の悲痛な叫びに、アシュレイは彼を抱きとめた。
「私はどうすればよいのだろう。父上がおられない今、何を決め何をしたらよいかもわからない。……私はまだ子どもだ……」
「大丈夫だよ。サミュエル」
 周りに誰もいないときしか使わない、愛情を込めた呼び名。
「必ずルシャンさまは生きておられる。どんなことがあっても必ずお助けするから。命にかえても、陛下と君を守るから……」






§2につづく


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