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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記


外伝 Episode 3
旧暦3638年 天馬月

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§2

 翌朝まだ夜も明けやらぬうちに、演習訓練を装った部隊は王都の門を出立。一路エイシャン山地に向かい、全速力で馬を駆った。
 ふもとに到着すると、すでにうすうす状況を察していた一同にアシュレイから詳細を説明する。
 小回りの利くように3隊に分かれ、王一行の捜索を開始した。
 ほどなく、野営のあとが発見された。念入りに消されたたき火の燃えかすと、土も乾ききらない天幕のくさびの跡。
 捜索はその周辺にしぼられた。
 近衛隊の馬の印である蹄鉄の跡が森の周囲に見つかり、やがてその森の奥に、土踏みしだかれた祠の入り口を発見したのは、捜索を打ち切る刻限を告げる黄昏が訪れようとした頃だった。
 見習い生数名を見張りに残し、アシュレイたちは暗い洞窟の内部に足を踏み入れた。
 階段状の岩をしばらく下ると、むっとすえたような血の匂いと、松明の明かりに浮かび上がる、折り重なった人間の死体。
 見覚えのある友軍の軍服に、見習い生たちはおろか、歴戦の士である近衛騎兵たちも絶句して、一歩も進めなくなった。
 アシュレイの隣にいたオルデュースが意を決して、死体のそばにかがみこんだ。
「ご安心召され。陛下はここにはおられない」
 かすかなため息が洩れる。
 アシュレイはうなずいた。「先に進もう」
 数十人の部隊は、前にも増して用心しながら闇の中を分け入ったが、敵の潜む気配はまったくない。
 どれくらい進んだだろうか。まるで夢の中にいるとも思える無言の時が過ぎて、少し視界がひらけた。
 農家の薪小屋ほどの広さがある岩場の壁に、数人の人影が映し出される。
「誰じゃ」
「ルシャン陛下!」
 近衛兵たちがころがるように駆け寄り、地面にひれふした。
「ご無事で何よりです。グラース隊長も!」
 アシュレイは膝からすっと力が抜けるのを感じた。
 入り口の酸鼻をきわめる光景を目の当たりにしたあとでは、国王の生存を疑う絶望の思いが、一同の心を支配し始めていたからだ。
 そこには、天然の岩場を本陣に見立て、近衛隊長グラース以下10人ほどの近衛兵たちが、国王を取り囲むようにして坐っていた。
「おぬしたち、よくぞ助けにまいった」
 サルデス王は感極まったように一同をぐるりと見渡し、アシュレイを認めたときはとりわけ、ぱっと顔を輝かせた。
「アシュレイ、おまえも来てくれたのか」
「ご息災のご様子、何よりです」
 アシュレイは片膝をついて一礼した。「陛下。いったい何が起こったのですか?」
「うむ、我ら一同、敵の罠にまんまとはまってしまった」
 高齢ながらもりりしい戦装束の国王は、悔しげに歯噛みした。
「一昨日の夕方、我らは魔物の影を追ってこの森に入り込み、おとりとも知らず洞窟に踏み入った。 気がつけば、入り口に立ちふさがるように、巨大な魔物が立っているではないか」
「我々は何度も攻撃を試みた」
 グラース隊長が湧きあがる憤りを抑えきれず、声を荒げる。
「だが奴に傷ひとつつけることもできず、後退を余儀なくされた。しかし、不思議なことに奴は我々を追って、奥までは決して入ってこない。 ただ我々を閉じ込めることだけが目的のように、入り口に陣取るのみだった」
「入り口に……?」
 アシュレイは眉をひそめた。
「おぬしら、入り口の魔物を退治して、ここに入ってまいったのか?」
「いいえ、入り口はおろか、森のどこにも魔王軍の姿はありませんでした」
「そんな馬鹿な!」
 そのとき、ひときわ大きな悲鳴が洞窟内に響き渡った。
 彼は思わず顔を見合わせた。
「入り口だ!」
 オルデュースが噛み付くように叫ぶ。
「しまった。これも罠だったのか」
 アシュレイは弾かれたごとくに立ち上がった。
「私たちで見てまいります。陛下はグラース隊長と、ここにおいで下さい」
「そんなわけにいくか!」
 グラースは、戦で鍛えた大音声に口ひげを震わせた。
「あれだけの部下を失って、隊長の私が騎士見習いに遅れをとれるか」
 そして、国王に深々と一礼する。「陛下。お許しを」
「うむ」
「5名、ここに残り、陛下を守り参らせよ。残りは私とともに来い!」
 彼はアシュレイに向かって笑みを見せた。「アシュレイ殿、よろしく頼む」
「はいっ」
 入り口までの暗がりを取って返すと、階段状の岩場の中央ほどに、とてつもなく大きい獅子のような魔物の姿があった。
 3つに分かれた首のそれぞれの口から、真っ赤な炎の舌をべろりと垂らしながら、こちらを見ている。
「ケルベロスか!」
 剣を鞘走らせながら、アシュレイが叫んだ。
 すでに入り口に残した見張り役の半分が奴の毒牙にかかって、地面でうめいている。
 グラースが舌打ちをした。
「ちいっ。ここでは狭すぎて集中攻撃ができんのだ。奴もそれを知っているからこそ、ここから動かない」
 洞窟内を見回し、「並んで剣を振るえるのは、3人が限度だな。それも小柄な者のほうが有利だ」
「3人……」
「おい、そこの小僧たち、隙を見て俺たちの後ろに入れ」
「は、はい」
 見習い生たちが、ほっとしたように剣を下ろし、後陣にしりぞいた。
 近衛隊長は、アシュレイの隣で油断なく剣をかまえているオルデュースに目を留めた。
「その隣の御仁、名を何という?」
「騎士見習いのオルデュース・ド・ラプリスであります。隊長殿」
「使えそうだな。……よし、アシュレイ殿、オルデュース殿、私といっしょに奴と戦ってくれ。なに、むずかしいことはない。 ひとりにつき頭一個、切り離せばよい計算だ」
 アシュレイは緊張の中にも、顔をほころばせた。
「わかりやすくて、助かります」
「いくぞ!」


 こうして伝説に名高い、一時間にも及ぶケルベロスとの大死闘が演じられた。
 グラース隊長もオルデュースも決して遅れをとっていたわけではない。しかし、アシュレイの剣技は圧倒的に優っていた。
 サルデス王国は、剣聖と呼ばれる英雄を始祖として体系的な剣術を古くから編み出した国だった。しかし、どんなに理論や訓練が完璧であろうと、 実戦でそれが応用できるか否かは、個人の資質にかかってくる。
 アシュレイのひとつひとつの技は、まさに手本のほうに美しく、流れるように軽やかだった。
 あたかも古の剣聖が今によみがえったのを見るがごとく、その場に居合わせた者は、自分たちの生死を賭けた戦いであることも忘れて見惚れた。
 アシュレイは飛び上がりざま、ケルベロスの中央の首の後ろの急所を剣で一突きして倒し、グラースが小手に噛みつかれているのを見るや、横から剣をはらって、二つ目の首も落とした。 3つ目の首は、彼のお膳立てを見逃さなかったオルデュースが眉間を突き刺して仕留めた。
 ケルベロスの巨大なからだはもんどりうってころがり、動かなくなった。
「だいじょうぶですか? グラース殿」
 アシュレイは岩に腰かけあえいでいる近衛隊長に駆け寄り、血に染まった腕を見た。
「小手がこんなになってしまうとは……」
「はは……、私ももう歳だな」
 傷ついた手首を押さえながら、グラースは楽しそうに、「もうおぬしたち、若い者たちの時代だな」
「いいえ、そんな。僕たちはまだまだです」
「アシュレイ殿。おぬしは予言にある勇者かもしれんな」
「え……?」
「ともに戦ってみてわかった。近衛隊全軍でかかってもケルベロスを倒すことは容易ではなかったろう。おぬしは神の加護を受けている、たぐいまれな資質の持ち主であるようだ」
 グラースはにっこり笑った。
「私たちは勇者の誕生の瞬間に居合わせたのかもしれぬな」


 アシュレイの報告によって王都の危機を知ったルシャン国王は、急ぎ部隊をふたつに分け、一方を率いて全速力で都に取って返した。残りの部隊は、負傷者と戦死者の護送に当たることとなった。
 先鋒隊が王都の門をくぐったときにはすでに、西のワルトの森から、急使により引き返した騎馬隊が守備についていた。
 結局、魔王軍の侵攻はなく、人々は奴らの姦計をこちらがいち早く見破ったことで、攻撃をあきらめたのだろうと喜び合った。
 国王は後日、宮殿に今回の功労者たちを集め、ねぎらいのことばと褒賞をさずけた。
 結果として、戦死者は14名。
 幸い、見習い騎士たちを含めた救援部隊は、重傷者こそ出たものの、ひとりの死者も出すことはなかった。
「アシュレイよ」
 ルシャン国王は、満座の中で微笑みかける。
「グラース近衛隊長は、そなたこそ勇者ではないかと申してくれた」
「え……」
「あまりにも幼い頃から近くで見てきただけに、身びいきになりはせぬかと己をいましめておったのじゃが……。今回のそなたの戦いぶりを見た者は、誰も口をそろえて、そなたこそ真の勇者とほめちぎっておる」
「陛下。おたわむれを」
「そなたも存じての通り、わしはスミルナ王ゼリク・ライオネルの使っていた勇者の剣を預かる者。わしの言葉ひとつで、世界中がそなたを勇者と認めることになろう。しかし」
 目を細めて、遠くを見晴るかす。「勇者の剣がそなたを受け入れればの話じゃ。50年前ゼリクを受け入れたときのように」
 国王は身をひるがえし、王しゃくを手に威厳に満ちあふれて、広間の参列者に宣言した。
「これより3日ののち、この謁見の間にて、勇者の剣拝領の儀式を執り行う。アシュレイは身を清めて、その日を迎えるように」


「アシュレイ」
 ノックの答えがないのにいぶかりつつ、オルデュースは寄宿舎の友の個室のドアを開けた。
「何だ、いたのか。……灯りもつけないで」
 机の上のランプに伸びようとした手を、鋭く押し止める声がした。
「そのままでいい!」
「どうしたんだ、いったい。アシュレイ?」
「陛下も、まわりの皆も、何もわかっていない……」
 寝台の上で膝を抱えたまま、アシュレイはぼんやりとつぶやいた。
「勇者と定められることは、それほど喜ばしいことなのか。名誉なことなのか……」
「何を言っている?」
「オルデュース、おまえはケルベロスと戦ったとき怖くなかったのか? ……僕は、怖かった。死ぬほど怖かった。
勇者は、あんなときでも真っ先に飛び出していかねばならない。皆を守るために。皆の期待を一身に背負って。たとえ自分の身を削ろうとも戦い続けなければならない」
「アシュレイ、そのことばは、いつものおまえらしくないぞ」
 肩に手をおこうとしたオルデュースを振り払い、
「これが僕の本当の姿だ!」
 アシュレイは窓際に駆け込んだ。逃げようとして逃げられぬ鳥のように、窓枠をきつくつかみ、うなだれる。
「勇者なんかになりたくない。みんなの視線が重すぎる。……僕には耐えられない」
「ふふっ」
 オルデュースは低く声をもらした。
「安心したよ。おまえが俺たちと同じ、普通の14歳なんだってわかって」
「……」
「怖かったよ。俺も。……きっと近衛隊長殿だって怖かったんじゃないかな。あんなときに平気でしたなんて言われたら、そいつの神経を疑うね。そいつこそ本当の魔物だよ、きっと」
「オルデュース」
 茶化したことばとは裏腹に、彼の薄い色の眼は暗がりの中で優しい光を放っていた。
「心配するなよ。俺はあまり信心深いほうではないが、これだけは信じてる。神は、人間一人一人に耐えられる以上の重荷は決して課すことはないとな。
おまえにその気がないなら、明日の拝領の儀式はきっと失敗する」






§3につづく


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