TOP | MAP | HOME The Chronicles of Thitos ティトス戦記 外伝 Episode 3 旧暦3638年 天馬月 |
§2に戻る §3 謁見の間は、華やかな貴族、軍の士官また騎士学校の教師や生徒らで立錐の余地もないほどだった。 「今より、アシュレイ・ド・オーギュスティンの勇者の剣拝領の儀式を執り行う」 侍従長の厳かな声が流れたあと、ルシャン王が玉座より進み出る。 「これは、50有余年前、先代の勇者であったスミルナ王ゼリクが初めてこの剣に触れしとき、刀身が神々しい光を放ったことに因むものである。もし、これなる者がまことの勇者ならば、この剣を手に触れなば、たちどころに剣は光り、勇者たるを証ししよう。 そのとき、われサルデス王ルシャン、神より賜る信任と権限をもて、この者を勇者と宣言いたす」 室内には身じろぐ者さえいない。 「勇者の剣をこれへ」 侍従長が天鵞絨の織物に包んだ剣をうやうやしく運んでくる。剣は細身で、柄から鞘にいたるまで年代を経た鈍色の金と金剛石に飾られている。 「アシュレイ。剣を手に取り、鞘から放て」 玉座の前に唇を結ぶルシャン王。そのかたわらで心配そうに眉をよせるネーリア王妃。興奮のあまり爪先立つサミュエル王子。そして、手を組んで必死に祈るグウェンドーレン王女。 その面前で、壇上に上がり、ひざまずき、アシュレイは侍従長の持つ剣に両手を伸ばした。 近くにいる者なら、彼の手が止めようもないほど小刻みに震えているのがわかったはずだ。しかし、そんなことを気にする余裕は今の彼にはない。 剣を押し戴いて数十秒 ―― 意を決して、鞘から少しずつ少しずつ刀身を抜く。 鈍い、金色の刀身。 「光らぬ……」 放心した国王のつぶやきが遠くで聞こえたような気がした。 「まさか」 「勇者ではないのか」 津波のごときざわめきが大広間を満たす。 アシュレイはゆっくりと剣を元の鞘に収めると、深々と息を吸い込んで吐き、目を閉じた。 汗が全身から噴き出し、目の中にまで伝わる。 みじめなような、安堵したような不思議な気分だった。 グウェンドーレン王女が泣き出す声を聞いて少し悲しくなったが、それでもこの壇から降りて、普通の14歳の騎士見習いに戻れるのだという解放感のほうがまさっていた。 「アシュレイ……」 王が口を開きかけたそのとき。 突然背後から、「うおおおっ」という恐ろしい苦悶の叫びが上がった。 グラース近衛隊長だった。彼は顔を両手で押さえて、のた打ち回りはじめた。 「グラース殿!」 周囲にいた文官たちが、彼を取り押えようとしたが、腕からめきめきと盛り上がる筋肉の異常な力によって振り払われ、壇の下まで吹き飛ばされた。 うなり声とともに両手がだらりと下がったとき、そこに現われたのは、もはや人間の顔ではなかった。 「グ、グラースではない。魔物?」 悲鳴が上がった。 アシュレイはとっさに王一家の前に飛び出して、背中にかばった。 気がつくと、騒ぎは大広間じゅうに飛び火していた。 あちこちで近衛兵や騎士見習い生の制服を着た怪物が、人々を襲っている。 「アシュレイ!」 オルデュースが駆け寄って、壇上のアシュレイに怒鳴った。「化け物になった人間はみな、エイシャン山地に同行した奴らばかりだぞ」 「何だって! それはどういうことだ」 「アシュレイ殿、これは……」 儀式の席に加わっていたテアテラの司祭が近づいてきた。 「何らかの方法で、これらの者に【魔の種】が埋め込まれているとしか考えられぬぞ」 「魔の種?」 「人の体内に侵入し、その者を知性のない化け物に変えてしまう恐ろしい魔の術。……やがて、体力が尽きて死に至るまで、暴れ続けるのじゃ」 「体内に侵入? ……そうか、グラース隊長をはじめ、彼らはみな、ケルベロスに噛まれた者たちだ。そのとき牙をとおして、【魔の種】が傷口から蒔かれたというわけか」 アシュレイははっきりと悟った。 魔王軍の真の目的は、王都の総攻撃などではなく、【魔の種】を植え付けられた人間によって、サルデスを内部から崩壊させることにあったのだと。 「元に戻す方法はないのですか。司祭様」 「埋め込まれてすぐならば、白魔法呪文で除去できるのじゃが……。体内奥深くにもぐりこんだ今となっては、それのみを破壊するのは不可能なこと。首と胴を切り離して息絶えさせるしか道はない」 グラースが変化したモンスターは、いまや元の身体の2倍ほどにふくれあがり、引き裂く獲物を求めて、壇上のアシュレイとその背後の王の一家に向かって牙を剥き出した。 「きゃあああっ」 「グラース。しっかりするのじゃ!」 逃げ道を失って寄り添う国王一家の気配を背中に感じながら、アシュレイはその細い腕をいっぱいに広げて、敵の前に立ちふさがった。 どんなことがあっても、たとえこの身体が粉々に砕かれようと、僕は愛するこの方たちを守る! ドクン。 右手に握られていた勇者の剣が鼓動したように思えた。 腕が熱い。燃えているみたいだ。 何かに急き立てられる気持ちで、アシュレイは剣を鞘から放った。 うめき声を上げて彼の上にのしかかろうとする化け物の爪をするりとかわすと、そのわき腹に一直線に剣を突き立てた。 「ギャア――ッ」 怪物は、身の毛もよだつ悲鳴を上げると、どうと床に倒れ伏した。 「オルデュース! ここは頼む!」 彼は、素早く壇上から飛び降りると、謁見の間のあちこちで暴れている化け物たちを次々と、同じく一撃のもとに仕留めた。 動かなくなった異形のものたちは、人々の見ている前でみるみる人間の姿を取り戻してゆく。 阿鼻叫喚の場となった広間を静寂が包み、やがておそるおそる隠れていた人々が戻ってきた。 「アシュレイ」 壇上に登った彼のもとに、ルシャン国王が走り寄った。 「陛下、お怪我はありませんか」 「大丈夫じゃ。よくこの大事を収めてくれた。おぬしがいなんだら、今頃この城の者はどうなっていたことか」 王は悲しげに、人間の姿で横たわる近衛隊長を見下ろした。 「だが、グラースが、多くの者が魔王軍の謀りの犠牲となった」 「いいえ、陛下。グラース殿も他の方々も死んではおりません」 「何っ?」 「体内に植え込まれた【魔の種】だけを突きました。今すぐ傷を処置すれば、命に別状はないと存じます」 「陛下」 近くにいた近衛兵が屈みこんで、調べた。「本当です。気を失っておられるだけです」 「アシュレイ、これはいったい……」 不思議そうに見つめる王のまなざしに、 「私にもわかりません」 アシュレイは目を伏せて答えた。 「ただ、この剣を抜いたとき、彼らの体内にある【魔の種】が私の目にはっきりと見えたのです。まるで剣から力が流れこんでくるような感覚でした」 「アシュレイ、け、剣が……!」 かたわらにいたオルデュースが絶叫する。 アシュレイの手の中の勇者の剣が、刀身から聖らかな金色の光を放っている。その光は、あたりにまだひそんでいた邪気を完全に打ち祓い、部屋は凛とした清浄な気で満ちた。 「勇者よ」 国王は玉座から降りて、膝をついた。 「神の選びを受けし、聖なる勇者が今こそ我らの前に現われたもうた」 「陛下」 その場にいた老いたる者も若き者も、身分の高き者も卑しき者も、いっせいに壇上のアシュレイに向かって拝礼した。 彼がそれにたじろいでいると、剣の刀身はすっとその光を消し、もとの鈍い金色に戻った。 王は立ち上がると、数歩進み出て、言った。 「わが子同然に慈しんできたアシュレイよ。その場にひざまずくがよい」 「――はい」 王は笏を彼の肩に当てた。 「われサルデス国王ルシャン、神の御前にておごそかに宣言す。 神のしもべ、アシュレイ・ド・オーギュスティン。汝は今より、名誉あるサルデス王国騎士として任ぜられ、オーギュスティン家の家督を継ぐ者と認められたり。 われ、聖なる勇者の剣をこれに授け、神に選ばれし正統な勇者となし、全世界にこの喜ばしき知らせを発布するものなり。 汝にとこしえに神のご加護があらんことを」 「謹んで拝命いたします」 アシュレイは王の足元に深々とぬかずいた。 冬空に満天の星がきらめく頃、学び舎の正面の噴水のそばで、アシュレイとオルデュースは足を止めた。 「オルデュース。ありがとう。……おまえがいなければ、僕はここまで来ることはできなかった」 「うれしい言葉だな。お世辞として割り引いても光栄だよ」 「お世辞じゃないよ」 「アシュレイ、本当に後悔はしていないのか」 「ああ」 彼は腰に帯びた勇者の剣にそっと手を触れた。 「この剣を持って戦ったとき、僕の全身が熱くなったんだ。陛下を、ご一家をお守りしたい。このサルデスすべての人を守りたい。ためらわずにそう思った」 「そうか」 「そしてわかったんだ。勇者とほかの人々のあいだには、何も違いはないのだと。 親が子を守りたいと思う心。友が友を守りたいと思う心。その心があるとき、すべての人は神の御前に勇者なのだと……」 「ああ、おまえらしい、気負いのないことばだな。ほっとしたよ。俺たちのために犠牲になるなんて、悲壮な覚悟をしてるんじゃなくて」 「僕はそれほど立派な人間じゃない」 「ふふ……」 オルデュースは噴水の淵に腰かけて、星空を仰いだ。 「明日からもう、おまえはここの生徒じゃなくなるんだよな。同期生の誰よりも早く、サルデス騎士に、――そして勇者になってしまったんだ」 「準備ができ次第、王都を立つように陛下の命を受けた。まずスミルナのゼリク王に拝謁して挨拶する。それから各地を巡ることになる。 その前に、とりあえず明日からは祝賀会の嵐だけどな」 「今日は俺にとっても、大切な日だったよ」 オルデュースは立ち上がると、まっすぐに友の顔を見下ろした。 「俺の生きかたも決まった。俺は今日からおまえのために生きる」 「オルデュース」 「まずは急いで、ここを卒業して騎士になる。それから陸軍の師団長、元帥と登りつめて、おまえの手足のようにサルデス軍を使ってもらう。 どんなときであれ、おまえが困っているときは必ず駆けつけて、おまえの力になる」 2人はしっかりと肩と肩を抱き合った。 「必ず、……ともに魔王を倒そう!」 |