敵は手ごわかった。 「気をつけろ! そいつの吐く息を浴びるな」 アシュレイは、巨大な敵に真っ先に飛びかかっていったリュートに、大声で呼びかけた。 「まともに浴びると、神経をやられると聞いた。……金属の装備さえ腐食させてしまうらしい」 「息を浴びるなってったって」 剣士は抗議の叫びを上げた。「一体どこが、こいつの顔なんだ!」 シダの生い茂る森の中から前触れなく現れた魔物は、まるで藪ごと襲いかかってきたかのような緑色をしていた。ぶよぶよとうごめく半透明の身体。どこが口か眼かも、判然としない。 アシュレイは彼とは反対側に回り、勇者の剣を鞘から放ち、巨大スライムに斬りつけた。 手ごたえはある、水を切っているような微々たる手ごたえが。これは魔法で一気に片をつけたほうがよいだろう。 「アローテ」 突然、後方で状況を冷静に見つめていた黒魔導士が、隣にいた少女を呼んだ。 「この手の奴の弱点は、冷気魔法だ。じいちゃんにそう教わったろ?」 「う、うん」 「けど、こいつらの表皮はやたらに魔法防御が高いんだ。だから、身体の内部に直接、魔法を叩き込む」 「はい」 「そのためには口を開けた瞬間を狙う。リュートに言ってくれ。わざと奴に長く取りついて、【麻痺の息】を吐かせるんだ」 「え、で、でもあのう……」 アローテは、もじもじとしている。何も彼女に言わせなくても、ちょっと大きな声を出せば届く距離ではないか。 「あ、あのう、リュート。ギュスが「冷気魔法を口から叩き込みたいから、わざとゆっくり攻撃してくれ」って」 「なんだとぅ」 リュートは、子どもの背丈ほどもある大剣を敵の身体から引き抜きながら、うめいた。 「それじゃあ、俺は真正面から息を浴びた上に、こいつもろとも冷気攻撃を受けろってのか。バカも休み休み言えってギュスに伝えろ!」 「えーっ! なんで私がそんなこと、言わなきゃならないの?」 彼女はうんざりしたように、振り向く。 「あのー、ギュス? リュートが、「バカは休め」って」 「おまえが囮になっているあいだに、俺の冷気魔法とアッシュの剣で手っ取り早くとどめをさす。一番ダメージの少ない方法だ。麻痺した体はあとで魔法で回復すればいい。木偶の坊みたいなおまえじゃ、麻痺してることすらもわからないだろうよ! ……って、そうリュートに伝えろ」 「ああん、もうイヤ!」 アローテは、癇癪を起こして地面を踏み鳴らした。「私だって、今防御魔法を唱えてるところだったのよ。どこまで唱えたか、忘れちゃったじゃない!」 アシュレイは敵を攻撃することもできず、口をぽかんと開けて、その成り行きを見ていた。 「獅子身中の虫、とはよく言ったものだ。かろうじて敵を倒せたから、いいようなものの」 天幕に、蝋燭の作る影がゆらゆらと揺れる。物言いが穏やかなだけに、アシュレイのめったにない苛立ちは、その場にいる者にとってますます鋭利な刃物として感じられた。 「どうもこのごろ、戦闘が長引く。本陣を後背にして、敵も必死に防戦しているのだなと思っていたが、まさか本当の敵は内部にいたなんて」 天幕の両端に座り込んで今も互いから顔をそむけあっている二人の男を、アローテはちらちらと見つつ、 「ごめんなさい……」 と、うなだれる。 「ガルガッティア攻略が始まってから、もう2ヶ月。足場も悪く見通しの利かない山間部での戦いに、兵たちの疲労も頂点に達している。それなのに、その先頭に立って彼らを鼓舞すべき僕たちが、こんなに足並みのそろわない有様でどうする?」 「ああ」 「わかってるよ」 返答を迫られ、リュートとギュスターヴがしぶしぶと口を開く。 「悪かったよ。俺だって何も、今の状況を甘く見てるわけじゃない」 「そうさ。ギュスはともかく、少なくとも俺のほうはケンカをふっかけるつもりはねえ」 「俺の「ほうは」とは何だ! まるでこっちが一方的にふっかけてるみたいじゃないか」 「みたいじゃなくて、まるっきし、そうだろうが!」 「やめてくれぇ!」 アシュレイが、15年の生涯でかつて出したことのないような悲痛な大声で叫んだ。 翌日の敵は50体ほどの統率の取れた魔王軍小隊。 「てめえ! 俺もいっしょに雷撃でぶっとばすつもりだったろう!」 「へん、いつまでも、そこでチンタラやってるほうが悪いんだ」 「くっそう。おめえの魔法なんてなくても、こいつらは全部まとめて俺が片づけてやる!」 「おまえなんかに負けるか!」 アシュレイは、勇者の剣を地面にぐさりと刺すと、岩に力なく腰を下ろした。 夜営のたいまつが、小雨の混じる風に火の粉を撒き散らしている。 天幕の入り口にたたずむアローテの顔には、その炎を映した涙が光っていた。 「やっぱり、きみとリュートはもう、そんな仲になっていたのか」 アシュレイはため息とともにつぶやいた。 「だから、ギュスターヴはへそを曲げてしまっているんだな。そしてリュートといえば、売られたけんかは片っ端から買う性分だ」 「ごめんなさい……」 「きみが謝る必要なんか、ない。不甲斐ないのは、あのふたりのほうだよ。……いや、そうじゃない」 そして、そのことばを取り戻そうとするかのように、自分の金褐色の巻き毛を乱暴に鷲づかみにする。 「不甲斐ないのは、リーダーである僕だ。 あと一歩でサキニ大陸から魔王軍を駆逐できるかどうかの決戦を迎えるというこの時に、ひとりひとりの思いなんて些細なことだと思っていた。事情を全部聞いた今でも、心のどこかできみたちを責めている。色恋沙汰で、チームワークを乱すなんて何を考えてるんだと、怒鳴りたくなる。 そんな狭量な心が、気づかない間にますます4人のリズムを狂わせていたんだ」 「アッシュ……」 「僕たちは歯車なんかじゃなく、血の通った人間同士なのに、そのことに目を留めなかった。人間だから、調子がよかったり悪かったりするのは当然だ。戦士だからと言って、人を愛する感情を捨てられないのは当然だ」 アローテはそれを聞いて、胸がつぶれる思いだった。こんな大切なときに、自分のせいでアシュレイにまで余計な重荷を与えてしまっている。 「私、どうしたらいいの。アッシュもギュスもリュートも、今までどおり仲良くしてほしい、けんかしてほしくないの」 白魔導士用の天使の杖を握る手が、小刻みに震える。 「ギュスターヴとはユツビ村で17年間いっしょに暮らしてきた。大切な、絶対に失いたくない人なの。アシュレイもそう。あなたは私にとって、実の弟みたいな存在よ。だけどリュートは……。それ以上に、リュートは……」 「愛してるんだね。リュートのこと」 アシュレイの声の優しい響きにアローテはこくんとうなずき、その拍子に閉じた瞼から、はらはらと水滴がこぼれ落ちた。 「今は大事なときだってわかってる。私たちは戦うためにここにいるのだから、私情をはさんじゃいけないんだって。でも、気持ちが抑えられない。どうしようもないの」 顔を覆ってすすり泣く彼女の肩を、アシュレイはそっと抱き寄せた。 「気持ちを抑える必要はないよ。もっときみは、自分に素直になるべきだ。いや、むしろ思いっきり感情をあらわにしたほうがいい」 「思いっきり……?」 アシュレイの脳裡にそのとき、ある考えがひらめいた。 「そう、思いっきりだよ」 口元に次第に笑みが広がる。 「くそっ。こいつ、倒れやがらねえ!」 リュートは血の混じった唾を地面に吐くと、大剣を握りなおした。 ガルガッティア城まであとわずかという森の中で遭遇した敵。その巨大な体は弾けるような筋肉で覆われ、荒々しい息とともに振り下ろされる斧は空気さえねじ曲げそうだ。 「こんなはずない、たかが一匹のベヒーモスに」 と、ギュスターヴが歯噛みする。リュートの気迫の剣も、ギュスターヴの真空の呪文も、まるで利いている気配がない。戦闘に入ってもう一時間近く経つのに、なお決着はつかなかった。 「力に満ちあふれる癒しの神よ、忠実なる汝がしもべの傷を、その大いなる御手のなかに包みたまえ」 後方からアローテの慈愛に満ちた、鈴をころがすような声が聞こえてくる。彼女の得意とする上級の回復呪文だ。 ほどなく言葉は柔らかい風へと形を変えて、流れていった。 そのたどりつく先にいた者は、暖かい光に包まれ、みるみる傷が癒えていく。 ベヒーモスは全快した。 「なぜだーっ」 リュートとギュスターヴは、驚愕に目を見開いて、水色のフードをかぶった白魔導士の少女を振り返る。 「だって、リュートもギュスも大馬鹿のコンコンチキなんだもんっ。アッシュや私の苦労も知らないで!」 「じゃあ、こいつが今まで倒れなかったのは、おめえの魔法のせい……」 幼げな顔に悪魔の微笑を浮かべて、アローテは叫び返した。 「そうよ。ふたりが心を入れ替えて仲良くするって約束しなければ、いつまでだって敵を回復してやる」 谷底から、槍の穂先のような岩の尖塔がいくつも突き出ている。そして周囲の丘にはサルデス王国軍、そしてペルガ義勇軍の旗が翻る。 ペルガ山地の中央の渓谷、天然の要塞ガルガッティア城への総攻撃を明日に控え、兵たちは森の中に散開して野営していた。 あたりは虫の音が響くばかりで、人々の気配もひそやかだ。眼下の魔王軍の本拠にも、動きはない。 敵城を真正面にする緩やかな傾斜地に暁光が射すころには、幾百の騎馬兵たちがここを駆け下りる雄たけびが山々にこだますることになるだろう。 あたかもその先陣の栄誉を他の誰にも渡すまいとするように、金髪の剣士はその傾斜地の手前で焚き火の番人と化して、いつまでも動かなかった。 夜目に黒く見える濃緑のローブの男が木々の間から現れ、背後に立った。 「隣に座ってもいいか?」 「ああ」 気のない返事をする同僚の横に腰を下ろすと、ギュスターヴは枯れ枝を使って火を掻き立てた。 「結局、あのベヒーモス逃がしちまったな。明日ガルガッティアに突入したら、敵の中にきっとあいつがぴんぴんして混じってるぜ」 「そうだな」 「アローテのヤツにも困ったもんだよ。そう言えば、小さい頃からキレると手に負えない性格だったよな」 「……」 「あいつと結婚する男は苦労するぜぇ」 懸命の軽口にもリュートは笑わなかった。ギュスターヴはそんな彼を横目でちらりと見て、ぽりぽりと頭を掻いた。 「なあ、リュート。今日のことは、アシュレイも一枚噛んでると思わないか?」 「え?」 「気づかなかったか。アッシュのやつ、後ろで俺たちの援護に専念してるふりをして、実はアローテが魔物を回復してるのを澄まして見てたぞ」 「そんなことだったのか……」 「リーダーからの手痛い無言のお説教だったってわけだ、今日の戦いは。明日は総攻撃の日だっていうのに、体中ががたがただよ」 「ああ、まったくだ」 ふたりはどちらともなく、木々の梢からのぞく満天の星空を見上げ、同時にため息をついた。 「ここはな、ギュス」 リュートはなおも夜空に見入りながら、口を開いた。 「俺の親が魔王軍に殺されたところなんだ」 「え?」 「放浪民族だった俺の両親と俺の3人は、馬車でこの近くを通りかかったんだ。そして、奴らに捕まってなぶり殺されたらしい。……らしいとしかわからない。俺はどうやって逃げ出したかさえも記憶がねえ。でも、なぜだか、そのときの恐怖と悔しさだけははっきりと記憶してるんだ。俺は目の前で親を殺されても、何もできねえガキなんだって」 「知らなかったよ。どうして今まで話さなかった」 「黙ってて悪かった。私怨で戦いに加わった小っせえ男だと思われたくなかったんだ。初めから俺の旅の目的のひとつは、このガルガッティア城に攻めこむこと、そして魔王軍の奴らに両親の復讐をすることだった。やっと明日その願いがかなうというのに」 苛立たしげに、持っていた鞘入りの剣で地面を叩く。「アッシュの言うとおりだよ。戦闘中にけんかなんかしてる場合じゃねえんだ」 「ああ」 ギュスターヴは初めてリュートの内側にある深い渇望を知ったような気がした。何故こいつはこれほどまでに強くなろうとしているのかを。彼らの困難な旅に加わった、その理由も。 「なあ、リュート。もうそろそろ、仲たがいはやめにしないか?」 と神妙な表情で、言い出しかねていた話を切り出した。 「ああ、俺もそう言おうと思ってた」 「アシュレイにこれ以上迷惑かけるわけにもいかないし、確かに俺はおとなげなかったよ。わかってはいた、いくらおまえに対して腹を立てても何にもならないって。ただ、きっかけが掴めなかっただけなんだ。 けどな。謝る前に、ひとつだけ誤解を解いておきたい」 「誤解?」 「おまえは俺を誤解してる。俺は別におまえがアローテを奪ったことを怒ってるわけじゃないんだ。おまえたちは何も悪いことなんかしていない。そうだろう? ただ男と女が互いに惚れ合っただけ。俺が小さい頃からアローテのことをどう思っていようと、関係ない」 「え? それじゃあ」 リュートは何十日ぶりかに、彼と視線をかちりと合わせた。「俺はてっきり、おめえが怒ってるもんだと……」 「ああ、怒ってるさ。俺が怒ってるのはな、おまえたちふたりが俺に気を使って、こそこそしてることだよ。 ずっと前から、もうとっくにばればれだったんだよ。こっそり宿舎の外で会う約束をしたり、俺の前ではわざと言葉を交わさないようにしたり。やましいことがないなら、堂々としてればいい。そんなふうに気を使われると、まるで俺ひとりが、惨めったらしい悪者じゃないか」 そう言いながら、腹立ち紛れに勢いよく何本かの枯れ枝を放り込む。無言の続く中、ぱちぱちと炎が爆ぜた。 「すまねえ、ギュス」 「わかれば、いいんだよ」 「けど、おめえだって、ひとつ、俺のことを、誤解してる」 リュートが消え入りそうな声で、切れ切れに言葉をつないだ。 「俺は別に、ギュスに気を使ってるわけじゃねえ。――ただ、自信がねえんだ」 「自信?」 「アローテと所帯を持って、きちんとやっていける自信だよ。だから俺たちの仲を見せつける気にはなれなかったんだ」 「そんなこと、先走って考えてもしょうがないじゃないか。所帯を持つ自信なんて、暮らしているうちに後からついてくるものだ」 「第一、俺はまっとうに所帯を持つような男じゃねえんだ。今までだって、大勢の女をたらしこんできたし」 「アローテだって、それは承知の上だよ」 「引き算もまともにできねえくらい、頭悪いし」 「それも、よーく知ってる」 「それに……、俺は昔、身体を売ってた」 「それもよーく……、な、なんだって?」 仰天して口をあんぐり開けた黒魔導士の顔を避けるように、リュートは立ち上がった。所在無げに剣の柄を握ったり緩めたりしながら。 「奴隷商人にだまされて、男娼に売られたんだ。8つのときだよ。毎晩、香を焚き染めた寝台の上で、男の客を取らされた。逃げ出そうとするたびに、死ぬほど殴られる。生きていくためには、客の言うなりになるしかなかった。 ……そのうち何もかもどうでもよくなってきた。客がひねり銭をはずんでくれるときだけ、うまい食べ物をもらえる。空腹に負けて男に媚を売ることも覚えた。そんなときは恥ずかしくって惨めで、自分をまるでもうひとりの自分がそばで眺めてるみてえな感じだったよ」 「でも、そう長い間ではなかったんだろう?」 ギュスターヴは、身震いしそうになるのをかろうじて抑えながら、言った。 「それぐらいの頃からずっと旅をしてるって、言ってたじゃないか」 「ああ、その妓館からは数ヶ月してやっと逃げ出した。あとは追手をまきながら、あちこちの村を転々として暮らしてたよ。俺と同じ放浪民族の隊商に拾われたのが11のときだった」 山あいのどこかで、野生の狼の遠吠えがする。そのぞっとするほど寂しい声は、まるで目の前に立つ長身の剣士のこれまでの人生になぞらえているようだった。 「だから、わかったろう、ギュス? 俺は、汚れ切ってるんだ。アローテのような清らかな娘と釣り合う男じゃない。それに、いっしょになる女に隠し事をするなんて俺の性分に合わねえ。もしこんなことをアローテに打ち明けたら何て思われるか決まってる。教会で結婚式を挙げられるようなマトモな男じゃねえと、軽蔑されるに……決まってる」 語尾を濁し、うなだれて、ふたたびの沈黙。 ――これが、リュートという男なのか。 男としての強さと自信にあふれ、無神経なくらい回りにもそれを見せつけていた彼が、本当はこんなにも弱々しく、自分を卑下して生きていたなんて。 驚くと同時にギュスターヴは安堵していた。我ながらあまりにも狡い考えだと呆れてしまうほどに、心のどこか奥深い場所が安堵していたのだ。 『俺はリュートに、男として何もかも負けていたわけじゃなかった』、と。 「バカな奴だな。知られたくないんだったら、一生言わなきゃいい」 不毛な優越感を振り払うように、ギュスターヴは相手が思わず振り返るような強い調子で答えた。 「俺も絶対にしゃべらないよ。万が一アローテに知られても、そんなことであいつは、おまえを軽蔑したりしないぞ。あいつはそんな女じゃない」 「ギュス……?」 リュートはいぶかしげに彼を見た。 「おめえ、俺とアローテの仲を応援してくれるのか?」 「だれが応援なんかするものか。ますます不安になったよ。そんな自信のない奴でアローテを幸せにできるのかってな」 「……そう、だよな」 「だから、ひとつ教えておく。俺たちの生まれたユツビ村の長老がいつも言ってた。古代ティトスの書物によると、人間ってのは2年で中身がすっかり入れ替わるんだと。人間の体は目に見えないほど小さな部屋に分かれていて、それは絶えず死んだり分かれたりを繰り返しながら、新しくなってるんだそうだ。だから、人間はどんなことが起きたって、いつでも新しくなれる。新しくなれないのは、過去に囚われる心だけだって」 「過去……とらわれる……」 「ああ、悪い頭をこねくりまわすな。要するに、これから起こる未来だけを考えてればいいってことだよ」 畳み掛けるような口調で話しつつも、ギュスターヴは頭の隅で自分の気持ちを量りかねていた。 リュートが完璧な男だと思っていたときは、こいつにだけはアローテをやりたくなかった。でも、ここにいる、子犬のように頼りなげに彼を見つめてくる男になら、アローテをまかせてやってもいいと思っている。 アローテに幸せになってほしいという気持ちに嘘偽りはないはずなのに。 「矛盾してるよなあ、俺って」 「え? どういう意味だ?」 「何でもない。それより、いいか。明日はいよいよガルガッティア攻略だ。どんな強敵が何千匹飛び出してくるかわからない、最大の正念場だ」 「ああ」 「おまえ、明日アローテを本当に無傷で守りきれるか? 明日だけじゃない、これからもずっとだ」 リュートは怪訝な顔をしたが、次の瞬間には唇をきゅっと結んで、深くうなずいた。 「守る」 「ほんとか」 「俺の命にかえて、守る」 「命にかえるのはやめろ。おまえが死んだら、あいつが 「わかった。俺も死なずに、アローテを守ってみせる」 「それでいい。おまえは過去のことなんか忘れて、アローテを幸せにすることだけ考えてろ。それが男の唯一の結婚の資格ってやつだ」 「約束する」 「必ずだぞ」 ギュスターヴは立ち上がった。峡谷から吹き上げる突風にふたりの男のマントやローブがひるがえる。 彼らは向き合うと、戦士同士の約束のしるしに、拳と拳を打ち合わせた。 「俺たちふたりの、名誉にかけた約束だ。おまえはアローテを一生のあいだ守れ」 |