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The New Chronicles of Thitos

新ティトス戦記


Chapter 17



 千年の時を経て目覚めたルギドにとって、ティトスは別世界だった。
 とりわけ、旧サルデス王国であった帝国領の変容は激しく、黒く煤けた空、生気を失った草木、機械文明に取り込まれた町の景色すべては、ひどくよそよそしかった。
 テアテラに来てようやく、彼は千年前になじんでいた山と森と草原に遭遇した。とりわけ、ユツビ村に近づくにつれ、その懐かしい思いは強くなった。
 とろりとした緑の湖面に水鳥がすべり、陽の光とたわむれるさまは、時が止まったかのようだ。今から蹂躙しようとしている地が、おのれにもっとも近しいと感じるのは皮肉なことだった。
 ユツビ村に着いてからも、その感覚は消えなかった。
 ゆるやかな丘の斜面に続く家々は、見覚えのないレンガやセメント作りではあったが、今にもその扉から、ローブを着た大勢の子どもや老人が、「ギュス」「アローテ」と叫びながら、村の入り口に立った彼らを出迎えに走ってくるような錯覚に陥った。
 しかし、村にはひとりの動く者もなかった。乾いた風が、家々の軒先の樋をカラカラと鳴らして吹き過ぎていく。
「魔族軍が来ることを察知して、みな避難したのでしょう」
 ジュスタンの声には安堵した響きがあった。かつて自分が育った村に敵として侵入し、戦いを引き起こしたくはなかったのだ。
「ここには、何人くらいの人間が住んでいる?」
「およそ千人くらいでしょうか。すべて十二歳以下の子どもと、その教師たちです」
「昔は、老人もこの村にともに住んでいたものだが」
 魔導士はきゅっと唇を噛みしめ、答えなかった。
 国民すべてが餓えに瀕している国土に、年老いた者が安楽に余生を過ごせる場所などないということか。
 ジュスタンが幼いときから見てきただろう、悲惨な【姥捨て】の光景を思い描き、エリアルが耐えかねたような吐息を漏らした。
 一同は、すぐに丘の上に立つ建物に向かって歩き始めた。
 今朝早く、【炎の頂】を出発した魔族の大軍は、今もテアテラ王都に向かって進軍を続けている。
 移動速度の速い飛行族と地底族が両翼から、重量軍団を誇る火棲族が正面から攻め上る。
 地上での移動が不得手な水棲族は、王都の背後にある海岸地帯を固め、テアテラ軍を四方から取り囲む作戦だ。
 十万の槍と剣と旗印を陽光にきらめかせ、萌え出でたばかりの草を押し倒しながら進む友軍の隊列を見送ってから、彼らは北西方向に進路を取った。
 将たる者がいないことに敵が気づく前に、軍に合流せねばならなかった。許された時間は、あまりない。


 ユツビ村の丘の頂に至るまでの道端に、黒く焼け焦げた廃墟跡があった。わずかに残された壁と土台から見て、かつては壮麗な建物がここにあったことは間違いない。
 ぼうぼうと草生い茂る地面からは、いまだに生き物を寄せつけぬ怨念が立ち上っているようだ。
「これが、915年の【ガルバの虐殺】――」
 エリアルが、絶句した。
「二百人が押し込められ、生きながら焼かれた旧礼拝堂です」
 ジュスタンは低く答え、そして自分の声に知らず知らずのうちに冷酷な怒りがこめられているのに気づいた。
 この村で育った子どもはみな、この廃墟の前を朝に夕に通り過ぎるとき、立ち止まって帝国に対する復讐を誓う。ジュスタン自身もそうやって大きくなったのだ。
 幼心に刻み込まれたことは容易には消えぬものだ。大人になって、どんなに歴史に対する客観的な見方を学んでみても。
「現在の礼拝堂は、その道を隔てた向こうにあります。そして丘の上に立っているのが、図書館」
 かつて【長老の館】と呼ばれた二階建ての家が立っていたところには、三階建ての石造りの図書館が立っていた。
 二階部分の外側が回廊式のバルコニーになっており、そこに立つと、ユツビ村すべて、それに村を取り巻く豊かな森と湖沼地帯とを見晴らすことができるはずだ。
 驚いたことに、この建物の扉には一切、取手というものがなかった。
「エパタ・ミージャ」
 ジュスタンが魔法を唱えると、ギッと音を立て重々しい玄関のドアが開いた。
 開錠の呪文を唱えられる魔導士がいなければ、中に立ち入ることはできないということだ。ここに蓄えられた情報を知る資格を持つのは、一部の者に制限されているのだった。
 内部は暗く、歳月の産み出す匂いが、ここかしこに染みついていた。入り口の床にふりつもった埃が、訪れる者に足跡を証印として残すことを要求した。
「この、一番上です」
 三階まで続いているらしい螺旋階段を指し示し、ジュスタンはみずから先頭に立った。他の者たちもおぼつかない足取りで続いた。
「きゃっ」
 ゼルが飛びながら、壁の嵌め込み棚に置かれた古い六分儀か何かに触れてしまい、鈍い金属音が建物中に反響した。
 最上階は、壁という壁すべてに、屋根の梁までぎっしりと書物が積まれていた。
「あるとすれば、この中に……」
 腰をかがめて書棚を物色し始めたジュスタンの肩を、ルギドはうしろから引き戻した。
「どけ、俺が探したほうが早い」
 部屋中をぐるりと見渡す。いや、彼の場合は目で見ているわけではない。魔力で感じているのだ。
 見当がついたのか、いきなりルギドはひとつの書棚を引き倒した。古代の書物が床にどうと崩れ、埃が蜂の大軍のようにあたりに飛び散る。
「や、やめてください。貴重な書物が――」
 制止するジュスタンの声は、ばりばりと板が割れる音にあっけなくかき消された。
 ルギドはなおも、もうひとつの棚を力まかせに倒した。
 そのあまりの剣幕に、他の者は手出しをすることもできずに見ているだけだった。
 たち込めていた埃が収まり、天窓からの薄日が絹糸のショールのように室内に落ちてくると、書棚のあった壁に、隠れていた嵌め込み棚が照らし出された。
 一冊の箱入り書物が置かれていた。
 ルギドはそれを掴んで、ぐいとさかさまに裏返した。本の外箱に見えたのは偽装で、中から紙束が出てきた。
「こんなところに――」
 ジュスタンが、感極まったようなうめきを漏らした。
 ルギドはその中から、ひとつの紙片の束だけを取り出すと、あとは床に落とした。そのまま拳の中に握り、目を閉じた。
 彼の横顔を縁取っていた銀髪が、かすかに震え始めた。
 長い時間が経ち、ようやく目を開いたとき、ルギドの顔には初めて見るような表情が浮かんでいた。それは、自分の居場所を失ったような空ろさで、次の瞬間にも、彼自身がはかなく融けていってしまいそうに見えた。
 彼はふらふらと歩き出すと、ジュスタンの手に紙片を残して、今自分が倒したばかりの棚に腰を下ろして、再びうなだれてしまった。
 魔導士は他のふたりと顔を見合わしてから、手の中のものに目を落とした。
 そして、つぶやきとほとんど大差ない小声で、【アローテの手紙】を読み始めた。


「ギュスターヴへ

すぐに手紙を書くと言っていたのに、遅くなってしまいました。きっとあなたのことだから、あれこれと心配していたでしょうね。
あなたが長老を辞めて、リグと結婚したということを、風のたよりに聞きました。
本当によかったわ、おめでとう。きっとそうなると、あの人と私はいつも話していたんですもの。
実はこの数ヶ月、旅をしていました。まだ元気でひとりで歩けるうちに行っておきたかったのです。きっとその時間はもうあまりないと思うから。
行き先は、北のアスハ大陸――畏王の生地があるラオキア王国です。
なぜ私がそうしなければならなかったのか、順を追って書いていかなければなりませんね。

私はあの人がいなくなってから、ずっとふたつのことを考えていました。
ひとつは、どうしたら私は彼が帰ってくるまで待っていられるか、ということ。そしてふたつめは、彼を待っている間に私がすべきことは何なのか、ということです。

私は多分、もう少ししたら黄泉の国に行きます。いつかということは問題ではありません。確実に行くのです。
でも、リュートは――ルギドは、そうではない。彼が死という安楽を許されるまでには、気の遠くなるような時間と試練を乗り越えなければならないでしょう。
だから私は妻として、生きてあの人の帰りを待たなければなりません。それが彼と交わした神聖な婚姻の誓いでした。
黄泉を越えて、時を越えて。たとえ、どんな手段を講じても。
私が何を考えているかは、ギュスターヴ、あなたはよくわかっているはずです。私が時を越える方法について、何度も禁断の書物を調べていたことを、書庫の管理者だったあなたは、よく知っていたはずですものね。
おそらく、大反対することはわかっています。でも、私は何があっても、あきらめるつもりはありません。
それについて、今は議論すべきときではありません。話を元に戻しましょう。

私は二番目の目的のために、ラオキアに行きました。
春とは言え、かの地の風は身を切るほど寒かったです。私は着いたとたんに関節をやられてしまい、しばらく動くことすらできませんでした。お互い、年は取りたくないものですね。
乗り合い馬車に幾日も揺られて、氷の殿(みとの)を過ぎ、西方神殿にたどり着きました。
西方神殿では、アシュレイの任命した史書官たちによる大規模な発掘作業が進んでいました。
今地上にある神殿の建物は、かつてあった建物の塔の部分にすぎない。一万年間の間に広大な神殿の大部分が凍土の中に埋まってしまっていたのです。
私はそこに三ヶ月滞在して、食事の支度や発掘作業を手伝わせてもらいながら、そのかたわら自分の研究に没頭しました。
その研究とは、畏王のことを少しでも知ることでした。
私はどうしても知らなければならなかったのです。彼がなぜ地上のすべての生き物をこれほどまでに憎んでいるのかを。
その理由さえ分かれば、それさえ取り除いてあげられたら、あの人は少しでも早く封印の呪縛から解き放たれるのではないかと考えたのです。
しかしここでさえも、一万年の歳月のあいだに畏王に関することは、ほとんど根拠のない伝説ばかりになっていました。
ラオキアに行けば、それ以上のことが何かわかるのではないかという私の望みは、次第に絶たれていきました。

水がぬるみ、太陽が地平線の彼方にほとんど没しない季節になって、大発見の報が発掘隊をかけめぐりました。
地中にあった神殿の宝物庫に、古代ティトス文字の石版が発見されたというのです。この考古学上の新事実については、アシュレイのもとにようやく詳細な報告書が送られたばかりのはずですから、あなたにはまた初耳だと思います。
神のなさることは、しばしば驚くほど不思議な時の符合に満ちています。石版は、一万年前に書かれたものとは思えぬほど保存状態もよく、そこにはっきりと記されている文字は、私がもっとも知りたかったことを教えてくれました。
それは、【亜麗(あれい)】という少女の驚くべき物語でした。

亜麗は、畏王によって全員が虐殺されたはずの須彌王の王宮の中で、たったひとりの生き残りだったのです。
その石版は、彼女の話を聞き取った書記官による克明な記録でした。彼女の口から、あの日王宮でいったい何が起こったのかが、つぶさに語られたのです。
彼女は目が見えず、王宮の庭で、それとは知らずに畏王と言葉を交わす日々を送っていました。
しかし、彼の正体を知ったとき、彼女は怖れ震えました。畏王は残虐な悪魔だという人々の噂を、鵜呑みにしてしまいました。
亜麗は彼から逃げようとし、背中を掻き裂かれ、地面に倒れました。しかし畏王は、彼女に止めを刺しませんでした。
彼女が息を吹き返したとき、王宮は静まり返り、死のにおいが満ちていたと言います。都の中をいくら探しても、生きている者は亜麗ひとりのほかにはありませんでした。彼女の家族もすべて、死に絶えていました。
それがティトス全土を長いあいだ覆い尽くす、災厄のはじまりだったのです。
亜麗はそれから十五年生きながらえましたが、【畏王を狂わせた女】、【すべての災いの根源】として人々に忌み嫌われ、孤独の死を遂げました。
死ぬまで自分を責め、あやまちを悔いていたそうです。
『なぜ、あのとき自分は怖れてしまったのだろう。あの方が本当は残虐な悪魔などではないことを、私は知っていたのに』

私は、彼女の悔恨の言葉を読んで、何度も泣きました。
なんと可哀そうな亜麗。可哀そうな畏王。
ふたりは、もっと幸せな運命をたどれたかもしれないのに。私とあの人が互いを心から愛し合ったように、種族を超えていつくしみ合うことができたかもしれないのに。
そうすれば、古代ティトス帝国は滅びることなどなかったのに。
どこかで、何かが間違ってしまった。

私はようやく、自分が何をなすべきかを知りました。
ルギドの体の中には、畏王の魂が封印されている。いつか神の定められたときに、彼は目覚めるでしょう。
そのときが来たら、私は彼のかたわらに座って、畏王の魂に亜麗の思いを語りかけたい。畏王を憎しみから解き放ってあげたい。
それが私の愛するあの人をも、救うことになるのだと信じているからです」


 ジュスタンはそこで口をつぐむと、紙片を丁寧に畳んだ。ふたりの仲間たちも、無言だった。ゼルはひくひくと翼を震わせている。
「亜麗」
 彼らが振り返ると、ルギドはまるで、途方に暮れた幼子のようだった。
 彼は唇をわななかせ、声にならぬ声を喉の奥からしぼり出した。
「――生きて、いた――ア――レイ」


 図書館 を出たとき、彼らはまるで一万年の時の旅から帰ってきたかのように放心していた。
 ルギドは、あれからすぐに自分を取り戻したが、心をひどく揺さぶられたせいか、すっかり疲れ果てているようだった。
 ジュスタンも似たようなものだったし、女性たちもそれぞれの思いに耽っている。この中でも一番冷めているのは、やはりラディクだった。
(これで俺たち、レイアとまともに戦うことなんか、できるのか)
 心の中で悲観的につぶやいたとき、視界の左端に何かが動く気配がした。
 考えるより早く、ベルトに差していたナイフが宙を飛んだ。刃は曲がりくねったトネリコの幹に刺さり、その後ろにひそんでいた黒い影は、身をひるがえして逃げ出した。
「おい、待て!」
 ラディクは、ナイフを幹から引き抜くと、そのまま後を追って駆け出した。
 不審な影は狭い坂を縫うように走り抜け、その小動物のようなすばしこさにラディクは舌を巻いた。
 追いつけない。
 目を上に転ずると、家々は軒同士がくっつき合うほど道幅は狭く、軒先にはどこも、燃料用のチップ材の束が積まれている。
 ラディクは立ち止まり、両手を口に当てて、「ホーッ」と山びこを起こすときの要領で叫んだ。
 とたんに、路地のすべてのチップ材が崩れ、まるで生き物のように道をすべり始めた。
 逃亡者は、後方から追いかけてきた木片の雪崩に足元をすくわれ、あっと悲鳴を上げると、地面にもんどりうった。
「つかまえた」
 にやりと笑ったラディクは、敵の襟元をぐいとつまみあげた。背は彼の胸あたりまでの高さしかない。
「子ども?」
 仲間たちが、ようやく追いついてきた。「この村の子どもか?」
「仲間が他にもいるのか?」
 七歳くらいの少年は何も答えず、ただ彼らを憎々しげににらみつけた。


 重い扉を開けると、長椅子がすべて取り払われ、祭壇だけが残された空っぽの聖堂だった。
 ステンドグラスの高窓が投げかける光のモザイクの中で立ちすくむようにして、四十人ほどの子どもたちがこちらを見ていた。
 ラディクの手の中にいる少年と同じ、そろいの臙脂(えんじ)色のローブを着ている。下は四歳くらいから、上はたかだか十歳ほど。大人はひとりもいない。
 ラディクが手を離すと、少年はあっというまに駆けだし、集団の中にまぎれこんでしまった。
「きみたちだけなのか」
 ジュスタンが思わず問いかけた。「教師たちは? 六年生以上の上級生は?」
 彼らは困惑したように、顔を見合わせただけだった。
「話してくれ。われわれは、きみたちを傷つけに来たのではない。食べるものもすぐに用意する。だからこの村にいる正確な人数を知りたいんだ」
 『食べるもの』ということばを聞いて、幼い年齢の何人かが、ぴくりと身体を動かした。
「上級生たちは全員、王都の防衛に行きました。先生方もごいっしょです」
 一番年長らしい少女が、口ごもりながら答えた。
「この村にいる人間は、ここにいるだけです。私たちは村に残って、敵が通り過ぎるまで隠れているようにと命じられました」
「上級生の子どもたちまでが徴兵されたのか……?」
 ジュスタンは絶句して、うなだれた。
「おまえたちのせいじゃないか」
 集団の中から、吐き捨てるような調子の声が沸き上がった。
「帝国に呪いあれ」
「裏切り者」
 最後の言葉は、帝国に与したジュスタンに浴びせられたものだ。覚悟していたこととはいえ、いたいけない子どもたちから祖国を裏切ったと罵られるのは、つらいことだった。
 ジュスタンのかたわらで、エリアルは「子どもたちよ」と叫んだ。
 彼らは身を硬くし、ますます互いに身体を寄せ合った。
「きみたちが帝国を憎む気持はわかる。とりわけ、このユツビ村で起きた惨劇は取り返しのつかない私たちの過ちだった」
 エリアルの口調は偽りではなく真摯な響きに満ちていて、聞く者の耳を傾けさせる何かがあった。
「帝国は存続する限り、自分たちの犯した罪を忘れない。私たち二国の関係はいつも、そこから始めなければならないのだ」
 ユツビ村の子どもたちは、身じろぎもせずに立っている。
「子どもたちよ。それでも敢えて言わせてほしい。私たちは和解を求めている」
 エリアルは感極まって、両手を広げて差し伸べた。
「テアテラの多くの民が帝国軍に殺されたことを、きみたちは物心つくころから教えられ、胸に刻み込んでいるのだろう。しかし、帝国でも大勢の兵士や民が、テアテラ軍によって殺された。私の兄は、テアテラの魔導士の魔法で頭に癒されることのない傷を受けた。――それもまた、真実の一片なのだ」
 エリアルは目に強い光をたたえて、彼らを見つめた。
「互いの正義を主張する限り、私たちは永久に殺しあわなければならない。だがもう、互いを憎むのは、やめにしないか。私はきみたちを助けたいのだ」
 それでも、子どもたちの表情に変化は見られなかった。ガラス玉のような瞳でじっと彼女の顔を見つめ返すだけ。
「無駄だよ」
 ラディクは、聞こえよがしに大きな吐息をついた。
「苦しめられた者にとっては、自分の苦しみがすべてなんだ。あんたのお題目は心に響かない」
 そのとき、彼らの後ろでずっと黙していたルギドが、いぶかしげに扉の方向を振り返った。
「【ウル】」
「なんだって?」
 この中に入ってきたとき、確かに扉は開けておいたはずだ。今、その分厚い扉は音もなく閉まっていた。
 あわてて入り口に引き返そうとした彼らに、子どもたちが一斉にわっと殺到した。両腕に、両脚に、腰に、数人がかりで組みついてくる。もっとも近くにいたエリアルとジュスタンが押し倒され、床にころがった。
 高窓が真っ赤に染まっている。ステンドグラスの反射ではなかった。赤い壁に建物全体が取り囲まれているのだ。
 ユツビ村の礼拝堂は、ルギドたちと幼い子ども40人を中に閉じ込めたまま、瞬時にして燃えさかる炎に包まれた。
   






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