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The New Chronicles of Thitos

新ティトス戦記


Chapter 16



 翌日、地底族の族長の壮大な葬儀が行なわれた。
 広場は族長に別れを告げに来た魔族たちで、埋め尽くされた。岩山を吹き渡る風と、泣き女たちが低くむせび泣く声を背に、地のエレメントに仕える神官たちがおごそかに祈りのことばを読み上げる。
 棺のそばに付き従うように、ルギドの姿があった。
 小人族の中でひときわ抜きんでた長躯が、肩を丸め、眉間に皺を寄せて、うなだれている。
 部族の罪を背負って自刃した族長の死を、彼が悼んでいることは誰の目にも明らかだった。
 吟遊詩人のラディクは、求めに応じて鎮魂歌を歌った。弦をつまびきながら竪琴の腹を叩いて、巧みに拍子を取る。
 単調で同じ音の繰り返しにすぎないメロディは、人間の音階を知らない魔族たちの心にも、もの悲しさを掻き立てた。
 族長の棺が、彼らの聖地である絶壁の窟墓へと運ばれていく。着飾った戦士や神官や女官が付き従って長い行列を作った。
 地底族たちは、後の世まで語り継がれるほどの荘厳な葬礼と、新しい王が族長を惜しんで心から嘆くさまを見て、満足した。


 夕方になり、松明が村の広場を埋め尽くすように灯されると、宴が始まった。
 ルギドはその一段高いところに設えられた席に座り、選ばれたばかりの新しい族長と、皇女エリアルとが、その両側に侍った。
 広場の中央に大きな石で組まれた屠り台の上で次々と家畜が殺され、切り取ったばかりの生肉と強い酒が出席者にふるまわれた。人間にとっては、胸がむっとするような光景だが、これが魔族の最上の宴会なのだ。もちろん人間用には、焼いた肉が饗された。
「どうも、ここの村人たちは、あの召喚獣にかなり手を焼いていたようだな」
 賓客としてその場を動けないルギドやエリアルの代わりに、ラディクが、竪琴を片手にあちこちを回りながら、すばやく情報を集めてきた。
「一日に数頭から十頭の家畜を、餌にしていたそうだ。テアテラ王宮から無理矢理押しつけられたもので、正直なところ、いなくなってくれてせいせいしてるみたいだぜ」
「わたしが王宮にいた二年前までは、あんな召喚獣は見たこともありませんでした」
 ジュスタンが、おぞましい化け物に対する嫌悪をにじませて答える。
「王宮ではこのところ、召喚獣の数を数倍に増やした、という噂も聞きます」
「いったいどこから、それだけの数を調達して、飼育しているのだろう」
 エリアルの問いに、彼は力なく首を振る。
「……見当がつきません」


 次の日の朝には、新しい族長が部族会議を召集した。
 先代族長がひとりで罪を背負って死んだため、ルギドは長老たちの責任を問わず、そのかわり魔族の絶対服従の誓いを、ひとりひとりに求めた。
 火棲族のときと同じように、村の門は一晩中開けておかれた。レイア女王につく者は、夜のうちにその門を出てテアテラ王都へと去っていったが、その数はあまり多いものではなかった。
 会議では、テアテラに対する今後の防衛策が主な議題となった。
 王都には、少数ながらテアテラに従う魔族がいるものの、その数は脅威ではなかった。
 真に脅威なのは、テアテラ王都周辺に展開する二十万の魔導士軍団。ベアトの大海戦で大敗北を喫したとは言え、中核の主動部隊は、まだほぼ無傷だ。
 彼らが操る召喚獣たちも、あなどれない。
 テアテラ領内の全魔族がすみやかに結束しなければ、これらに立ち向かうことは不可能だった。
 ミワナ地底族がルギドに服従したことを伝える使者が、昨晩のうちにすでに他の三部族に送られている。これで、最後まで態度をはっきりさせなかった飛行族も、ただちに恭順の意を示してくることは間違いなかった。


 この、新ティトス暦999年春の地底族の会議において、歴史上はじめてルギドは【王子】でなく、《魔族の王》として、帝国・テアテラ双方の魔族四部族、七十万人を束ねる最高権力者と称されることになった。


 昼過ぎに、五人はいったん【炎の頂】の火棲族の村に戻ることになった。
 「すぐに夕暮れになりますぞ」と引き止められたが、ルギドは決意をひるがえさなかった。地底族の顔をつぶさぬだけのもてなしは、すでに十分受けていたからだ。
 【炎の頂】への帰りの道は、戦いを恐れて尻込みしていた行きの道よりも、ずっとはかどった。
 草原に渡り鳥の群れが、影を落として飛んでいく。とろりとぬるんだ空気の中で、虻がぶんぶんと羽音を立て、馬がうざったげに尻尾を振る。
 エリアルは敵地の景色を見やりながら、自分の心に不思議な落ち着きがあるのを感じていた。
 魔族の統一が成ったことにより、五里霧中だった戦いに確かな手ごたえを得られたからだろう。歴史の歯車はようやく、帝国に有利に回り始めたのだ。
 けれど、自分のうちにある落ち着きは、それだけではないような気がする。その理由を知りたくなり、エリアルは先頭の馬に近づいた。
「ルギド、あの召喚獣の【核】を捜せと、なぜ私に命じたのだ?」
 ルギドは、馬上で長い銀髪をかすかに動かしたが、それだけで彼が笑ったことがわかった。
「おまえなら、見えると思ったからだ」
「私が、【勇者の剣】を持っているから?」
 初代皇帝アシュレイが【勇者の剣】の加護により、襲ってきた怪物の【核】を見つけ、倒すことができたという伝説は、あまりにも有名だ。
 ルギドは、「いや」と答えた。
「おまえには、真実を見たいと望む心があったからだ」
 エリアルの心には、ルギドの信頼を受けたという激しい喜びが湧き上がってきた。
 信頼されて行動するとは、場合によっては突き放されることでもあり、危険の中にひとりで容赦なく放り出されることでもある。
 皇女として皇宮の奥で大切に守られてきたエリアルにとって、それは今まで経験したことのないものだった。
 好きな人からの信頼を受けるというのは、なんと心地のよいことだろう。
 半日ほど馬を走らせて、日がとっぷりと暮れたころ、彼らは途中の高い尾根からはるかに【炎の頂】の方角を見晴らした。
 そこには、黒い煙が立ち昇っていた。
 千年前ならば、活火山の吐き出す煙と見誤ったかもしれない。しかし、山が沈黙している今は、その正体を見まごうはずもなかった。
 ルギドが無言で、馬の尻に鞭を当てた。そして残りの三人も。
 夜空の端を赤々と照らし、火棲族の村が激しく燃えているのだった。


 全速力でなだらかな丘をいくつも駆けぬけた一行は、一時間後に、いまだに黒煙を上げてくすぶっている村にたどりついた。
 黒焦げになった火棲族の兵士たちの死体が、かつて門のあったあたりに折り重なるように倒れている。防護柵の柱が、まるで彼らの墓標のようにあちこちに焼け残って立っている。
「なんてことだ……」
 ジュスタンが茫然とつぶやいた。
 わずか四日前には、にぎやかな声があちこちに響いていた村が、今は死のしずけさに満ちていた。
 テアテラ軍に襲われたことは、明らかだった。
 レイアに従う村の火棲族の一部が、王都にたどり着いて、事情をつぶさに報告したのだろう。レイア自身も、自分の目でエグラたちの裏切りを確かめている。
 そして、速やかな報復が行なわれた。
 この攻撃が偶然だったのか、ルギドたちの留守を知った上だったのかはわからない。だが、留守が狙われたのだと、ルギドには思われた。
 自分自身も千年前に使った手だ。
 アシュレイたちが別大陸に向かった隙に本国サルデスを攻撃して、ルシャン王を殺し、王都に大打撃を与えた。
 その歴史が再現されたのだ。しかも、アローテの生まれ変わりであるレイアの手を通して。
 そのことに、もっと早く気づくべきだった。いや、かすかな不安はあったが、地底族との同盟関係を強固にすることを、あえて優先させた。
 失策を悔いるルギドのぎゅっと握りしめた拳から、黒い血が一滴、焼け焦げた地面に伝い落ちた。
「洞窟に行こう」
 エリアルが励ますように声をかけた。
「この死体は、守備の兵士だけのものだ。村人たちは、もしものときは洞穴に篭城すると言っていた」
 馬と馬車は、かつて目抜き通りだった焼け野原を、葬送の行進のように進んだ。
 しかし、洞窟に近づくにつれ、彼らの希望は断たれた。
 木で組まれた足場は焼け落ち、山の岩壁全体が、激烈な炎にさらされた証拠である黒褐色に染まっていた。穴の入り口からは今も、ぶすぶすと黒煙が立ち昇っている。そして、さらに多くの兵士たちの遺体が地面にころがっていた。
 風が、胸の悪くなるような臭いをあたりに撒き散らしている。一同は悄然と、その惨い風景の中で立ち尽くした。
「洞穴の中は……」
「見るだけ無駄なんじゃないか」
 ラディクは吐き捨てるように言うと、その場にうずくまった。
「これだけの火をかけられて、生き延びているヤツなどいねえよ。みんな、中で蒸し焼きになってるさ」
「おい、小僧。それは火棲族に対して失礼なことばだな」
 いきなり空から野太いしゃがれ声が降ってきて、ラディクはぎょっとして飛び上がった。
「ひゃああ、幽霊!」
 ゼルは怯えて、ルギドのマントの中にもぐりこもうとした。
 聞き間違えようもない。それは族長エグラの声だったからだ。
「火棲族とは、もともと火のエレメントに仕え、火を友として生きてきた種族。火に屈するはずなどがあろうか」
 空から聞こえたと思ったのは、耳の錯覚だった。
 エグラの巨大な身体は、横穴群の点在する山腹のすぐ上の、岩棚に立っていた。彼の声は、背後の【炎の頂】の岩々を反射して、まるで天からの声のように響いたのだった。
 彼の背後からは、大勢の火棲族たちが手を振っていた。
 エグラは、溶岩のような顔を誇りに染めて、朗々と叫んだ。
「お約束しましたでしょう。我らの王よ。お帰りになるまで、必ず村を死守してお待ちしております、とな」


 生き延びた村人たちとの邂逅を果たした後、人々は暮らしを再建するために、それぞれの場所に散っていった。
 兵士たちの遺体は、【炎の頂】の墓地に運び上げられ、家畜たちは隠れ場から引きずり出され、焼け焦げた横穴からは、真っ黒になった家財道具が、もうもうと舞い散る灰とともに勢いよく放り出されていった。
「みなさまがミワナへ出発されてから半日ほどして、魔導士軍団が王都からものすごい勢いで南下してきました」
 わずかに焼け残った草むらに腰を据えると、エグラは起こったことの経緯を、ルギドたちに話して聞かせた。
「近衛兵団と呼ばれる、五百人からなる精鋭部隊です。テアテラの魔導士軍の中でも最強と言われる者たちの集団です。ジュスタンも、かつてはその中に名を連ねておりましてな」
 ジュスタンは、恥じいるようにうなずいてから、言った。
「普通は、近衛兵団は前線には出ません。王都の守りが主たる務めで、時折り女王の密命により、少数の遊撃部隊を結成して戦地に赴くことはあります。サルデスの機関車工場で戦ったドニたち四人も、近衛兵団のメンバーでした。だが、五百人を一度に動かすことは、テアテラの歴史で今までにはなかったことです」
「その魔法の攻撃たるや、すさまじいものでしてな」
 こんな悲惨な状況の中でさえ力強さを失わなかった族長が、今ようやく、臓腑の奥から吐きだすような痛々しいため息をついた。
 数万の民の命をあずかる長としての、地獄を見たのだろう。
「防護柵での防衛は、あっという間に崩れてしまいました。我々は短時間で村人たちを洞窟に集め、足場を切り崩し、洞穴の入り口を岩でふさぎました。だがご覧のように、奴らの魔法は地面を揺り動かし、岩でさえ風で吹き飛ばし、内部を炎で舐めつくしたのです。まるで話にならないほどの、一方的な攻撃でした」
「洞穴の中から、どうしてあなたたちは助かったのだ?」
 エリアルが解せないといった表情でたずねた。
「あの洞穴はまるで蟻の巣だ、とラディクが悪口を言っていましたな」
 エグラは、にやりと笑った。
「ここには、あなたがたにもまだお見せしていなかった隠し通路が、ふんだんにあったのです。我々はそこを通って、【炎の頂】の山頂へと逃れることができました。あそこには、無数の溶岩窟があり、潜む場所には事欠きません。ただ――」
 顔を曇らす。
「女子どもを含むと四万近い民を山に逃がすには、かなりの時間が必要でした。その時間を稼ぐために八百の戦士たちが、おのれを盾にして魔導士たちの前に立ちふさがったのです。それしか方法はありませんでした。彼らの魂は今ごろ、自分の救った民の笑顔を見て、安ろうておりましょう」
 彼らは、喉の奥に大きな塊がつっかえているようで、長い間口を開くことができなかった。
 ルギドが草を踏みしめて立ち上がった。それは側に座っていた者たちが一瞬たじろぐほどの決然とした動きだった。
「すみやかに、テアテラに住む全魔族を召集する」
 彼の紅い目は、溶岩の海のような憤怒に燃えていた。
「そして全軍の準備が整い次第、テアテラ王都を総攻撃する」


 すぐにルギドの名による召集状が整えられて、使者の手によって他の三つの部族の村に運ばれていった。
 真っ先に勅命に応えたのは、数日前まで敵対していた地底族だった。彼らのもとには、すでに火棲族の村が襲撃されたとの第一報が伝わっていた。その前日にミワナから炎の頂に派遣されていた使者が、途中で引き返し、その目撃談を持ち帰っていたのだ。
 続いて、ケナの水棲族と、ザンテ山の飛行族からも、召集に応じるとの返事がルギドの元にもたらされた。
 それからの二日間に起こったことは、まるで雪崩が何もかも押し流していくような勢いだった。時が過ぎ、事が行なわれていくのを、ラディクはなす術もなく見つめていた。
 ルギドがその中で、いったいどれだけのことを瞬時に決断し、采配し、適切な部署に割り振っているのかは、想像もつかない。
 火棲族たちは、まるでルギド自身の手足であるかのように動いた。
 この村は、数千もの犠牲を払ったばかりだ。満足に住む場所さえ失ってしまった。それなのに、死者たちの葬儀さえひとまず棚上げして、魔族たちは戦争の準備に忙殺されても、ひとことの文句も言わない。
 子どもたちでさえ、戦うとは何かを知っていた。
 魔導士軍団について詳しいジュスタンも、よくルギドの補佐役を務めていたし、テアテラの地形や村の配置について何もわからぬはずのエリアルでさえも、そうだった。戦時の皇女に生まれつくということは、こういう訓練を受けているということなのだ。
 ラディクは、自分ひとりだけがこの場から爪弾きされたように感じていた。
 彼だけが、今から迎えようとしている戦争に対して、とまどっているのだ。
(何十万人もの命にかかわる決断を、なぜこれほど、ためらわずに行なえるんだ)
 兵士には家族がいる。もちろん敵にもいる。戦場に立つ数の数倍もの人間や魔族が、今下されている指図のひとつひとつによって、人生を左右されるのだ。
 彼らの命に対して責任を負えるのが、王なのか。
 王とは、それほど貴い存在なのか。
 それとも奴らの頭の中には盤上の駒があるだけで、そんな瑣末なことはいちいち考えちゃいないのか。


「軍を召集後の、各村の防備はどうする?」
 エリアルは、暇さえあれば、テアテラの地図を穴が開くほどにらんで、戦略に思いをめぐらせていた。
「飛行族と水棲族はだいじょうぶだろう。彼らはいざとなれば、人間に届かぬ空と海に逃げることができる。問題は火棲族と、地底族の村だ。われわれが王都にいる主力部隊を包囲しても、もしレイアが、例の不思議な移転の技を使って、大勢の軍を背後に送り込んできたら、どうなる?」
「レイアは、自在に移転の技を使えるわけではない」
 ルギドは答えた。
「俺自身も経験したことがあるからわかる。自分ひとりの身体を動かすだけで、途方もない魔力を使う。ましてや、大勢の兵士など送り込めるものではない」
「だが、ここは彼らの土地だ。山の抜け道なども知り尽くしていよう。別部隊が回り込んで、留守の村に攻め込んだら?」
「そのために、急いでいるのだ」
 ルギドは、見かけはゆったりと座ってはいるが、その表情はいくぶん硬い。いつものような余裕はなかった。
「人間に比べて、魔族の数は圧倒的に少ない。長期戦に持ち込まれれば、戦力から言っても勝ち目はない。できるだけ早く、四部族で四方向から王都を包囲する。少数の遊撃部隊の攻撃なら、村は数日は持ちこたえられるだろう。それまでに短期決戦で片をつける」
「だが、どうやって?」
 エリアルはなおも食い下がった。
「敵が、攻撃と退却を繰り返して、長期戦に持ち込まれたら? 敵にはそうするだけの戦力の余裕があるが、こちらにはない」
「だから、味方を増やせばよい」
「これ以上の味方がどこにいる?」
「いるではないか、ここに」
 ルギドの指は、テアテラ領地図の境界線の外でぐるりと弧を描いた。
「帝国領?」
 呆気に取られた様子の他の三人に、ルギドはようやく笑みを見せた。
「確か、千年前と同じ場所にあるのだったな、ジュスタン? 増幅装置は」
 ジュスタンが得心したという表情を浮かべて、うなずいた。
「はい、王都の南西五キロの町、エルゲティです」
「増幅装置?」
 と訊ねたラディクの方を向いて、ジュスタンが答えた。
「十二人の魔導士が昼夜交代で結界魔法を唱えています。それを増幅させて、テアテラの国境に生き物が出入りできない障壁が生みだしているのです」
「たった十二人の唱えた呪文が、何百キロ四方に及ぶっていうのか」
「信じられないでしょうが、本当の話です」
 ルギドは千年前の苦い体験を思い出して、眉根を揉みながらつぶやいた。
「俺がまだ魔王軍の将だったころ、エルゲティの増幅装置は悩みの種だった。その頃の増幅装置は、魔力を持つ者のみを排除する結界魔法を吐きだしていた。尖兵を送り、あらゆる手段を尽くして破壊しようとしたが、ついに果たすことはなかった」
「千年ぶりに、遺恨をはらす時が来たというわけですね」
「今度こそ、歴史は繰り返さぬ」
 決意をこめて、ルギドは言い放った。
「魔族全軍で、王都を総攻撃すると見せかけて、奴らの気を引きつける。その隙に、俺たち五人はエルゲティの増幅装置を破壊する。徹底的に、二度と再建できぬように。
結界が崩れ、帝国領から援軍が加われば、テアテラは、塀の隅に追い詰められた子犬のようになろう」


 二日後には、【炎の頂】の村の焼け焦げた平地という平地に、他の三つの村から駆けつけた軍団が野営のテントを張った。
 その翌日の黎明が進軍開始と決まり、戦いの緊張と興奮が一気に高まった。夜遅くまで焚き火が燃え、武器を鍛える鍛冶屋の槌音が一日中響いた。
 しかしそれも、夜が更けた今はすっかり鎮まり、各部族の戦陣の旗印だけが風にひらめいていた。
 ルギドは全軍の様子を、岩棚の上から見降ろしていた。
「ルギド」
 樹影の中に、濃紺のローブ姿がそっと立った。
「いよいよ、ですね」
 ルギドは無言のまま、かすかに頭をかしげた。それ以上言わなくても、互いの思うことはわかっていた。
 王都に向かえば、ふたたびレイアと見ゆることになるだろう。戦況によっては、直接に刃を交える可能性もあるのだ。
「ジュスタン、頼みたいことがある」
「なんですか」
「俺たちは別働隊として西寄りの森を進む。その途中で、ユツビ村に立ち寄れないだろうか」
「なんのために、ですか」
「ユツビ村の図書館に、アローテの手紙が保管されているのだろう」
 ジュスタンは、息をつめた。
「はい、たぶん。確実とは言えませんが」
「レイアと戦う前に、それを見ておきたい。アローテが眠りにつく前に、何をギュスターヴに託したのか。アローテの記憶を呼び覚ます何かの手がかりが、そこにあるかもしれない」
「――わかりました。わたしが図書館にご案内します」
「皮肉なものだな。俺とアローテはかつて、まったく逆の立場にいた」
 ルギドは、藍色の夜に向かって苦い笑いをこぼした。
「俺は人間だったときの記憶を失い、アローテの前に敵の将として現れた。あいつは俺と戦うことに苦しみながら、なおそれでも毅然と戦おうとした」
「……存じています」
「歴史は今、反対の状況を作り出し、同じことを為せと俺に命じる。それなのに俺は、あいつと同じようにはできそうにない」
「……」
「男とは、ほんとうに情けない生き物だな」
 ジュスタンは何かを言いかけて、やめた。
 同じ女性を想うふたりの男の間では、どんな言葉も、今という時を汚すだけだという気がしたのだ。
 夜気に甘い花の香りが漂い出すように、とらえどころのない沈黙は、戦いの前日の闇の中に静かに融けていった。






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