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The New Chronicles of Thitos

新ティトス戦記


Chapter 15



 炭鉱への登山道の入り口にさしかかる前に、彼らは乗ってきた馬や馬車を茂みの裏に隠した。
「……で、どういう作戦を?」
 エリアルがおそるおそる伺いを立てると、ルギドは青みを増し始めた明けの空を見上げて、頭を掻いた。
「さて、どうするかな」
「やっぱり、何も考えてないのか――」
 ラディクが大きな吐息をついた。
「当たり前だろう。行ったこともない土地で、見たこともない相手と戦うのに、どうして作戦が立てられる?」
「威張って言うことかよ!」
「わたしは一度、この村にテアテラ魔導士軍の一員として来たことがあります」
 ジュスタンは一同の険悪な気分をふりはらうように、言った。
「入り口は南側斜面の一箇所、正面の門だけ。あとは二重の防壁が周囲を取り囲んでいます。門の近くに、食用と硝石採取用の家畜小屋。その奥は、村人たちが住む住居が、急勾配の斜面に張りつくように立っており、さらに背後は高い絶壁になっていて、坑道への大きな入り口があります」
「坑道の中はどうなっている?」
「わかりません。エルド大陸一と言われるほどの大きな炭鉱なので、坑道も一本ではなく、入り組んだ支線が張り巡らされているものと思われます」
(この炭鉱が帝国の手に落ちれば)
 エリアルは、目の前に迫る戦闘も忘れて、思いに耽った。
 帝国領のすべての炭鉱は、蒸気機関の燃料として大量に乱掘され、枯渇しかかっている。一方、機械文明を嫌うテアテラの人々にとっては、石炭とはもっぱら暖房に用いるもの。宝の持ち腐れなのだ。
 ミワナの潤沢な石炭が放出されれば、帝国の交通網は飛躍的に発展する。しかし、それと引き換えに、ティトスの自然はますます破壊されていくだろう。
 この炭鉱が保たれていることは、ティトス全体にとって良いことなのかもしれぬ。皮肉なことに、エリアルは自分が、帝国皇女としての目とテアテラの民の目の両方で、ものごとを見始めていることに気づいた。
「なんとかして、地底族の長と和平の話し合いはできぬものか」
 エリアルは、仲間を見渡した。「どうしても、血を流さずにはすまされないのか」
「使者の首を切り落として、送り返すような奴らですよ」
 ゼルが力なく答える。「どうして、話し合いなんかに応じますか」
「皇女よ。ゼルの言うとおりだ」
 ルギドは、いつくしむように彼女を見つめた。
「おまえが平和を望む気持はわかる。だが、時には目の前の犠牲が、次に訪れる大量の犠牲を防ぐこともあるのだ」
「ああ。わかっている」
 エリアルはうなずいた。自分の手を汚す覚悟はできている。そうでなければ、皇女の身で敵地にまで乗り込みはしなかった。
「行こう。だが、せめてこちらから戦いを仕掛ける意志はないことをわかってもらいたい」
「では、わたしがまず話をつけます」
 ジュスタンが言った。
 火棲族の村でも取った方法だ。最初にひとりで行って交渉の下準備をしてから、双方の話し合いの舞台に臨むのだ。
 ジュスタンが門衛とことばを交わして一時間。いきなり門が大きく開け放たれた。
「中に入れということか……」
「そのようだな」
 地底族のおおまかな特徴とは、肌も髪も黒く、ずんぐりと背が低いことだ。彼らを出迎え、先導する者たちの頭は、普通の人間の胸あたりまでしかない。
 驚いたことに、広場は数万の兵士たちでぎっしりと埋め尽くされていた。中央の円い演壇を取り囲んで、まるで黒い海がざわざわと揺れるよう。
 海面に高々と突き出す大木といった風情の来訪者たちを、遠巻きに睨みつけている。
「話し合い……という雰囲気ではなさそうだな」
 毅然として顔をまっすぐ前に向けながら、エリアルが言った。
「あたりまえだ。奴ら、門の見張り台の上から、ぴったりとこちらに銃口を向けてやがる」
 と、ラディクが唇をほとんど動かさず、低く答える。
「う、う、うしろの門も閉められちまいましたよ」
 ゼルは半泣きになりながら、ルギドの肩の上で頭をすくめている。
「わたしたちは、火棲族の族長エグラの使者として参りました」
 ジュスタンが、隊列の隅々にまで届くように、声を張り上げた。
「部族間の信頼の情を表すべく送った最初の使者に対して、あなたがたが行なった残虐な行ないは糾弾して然るべきだが、今は問わぬことといたします。ただ、ここにおられる魔族の王子たるティエン・ルギドに対する無礼については、御身の前にひれ伏さねばなりませぬ」
 ルギドの名を聞いた地底族たちは、ざわめいた。中には彼の名を初めて聞いた者もいたが、みな一様に、広場の中央に立つ並外れて長躯の男に、怖れをいだいていたのだ。
「伏して俺に忠誠を誓うなら、おまえたちの罪を赦してやる」
 銀髪の王子は、その高貴な貌を尊大な笑みに緩ませた。
「ただし、長だけは別だ。火棲族の村からつかわした使者の血はつぐなってもらう。勇気ある者は、族長と長老どもの首を刈り取って、俺に献上せよ」
 恐ろしいほど冷え冷えとした沈黙が、広場を満たした。
「そういう言い方は、ますます敵意を煽るだけだと思うが」
 ラディクがごく控えめに呟いた。
 戸惑いに揺れかけていた広場は、ふたたび束ねられた憎悪と反感で渦巻き始めた。
「奴らが襲いかかってきたら、風の魔法を使います」
 ジュスタンは早口にささやくと、喉を潤すために唇を結んだ。すでに詠唱の準備に入ったのだ。
 ラディクは、腰のナイフに手を伸ばしかけたが、思いなおした。これほどの大軍の中に放り込まれて、わずか三本のナイフでは、護身にもならない。
「ラディク。こういうときに何かいい歌はないのか」
 ルギドは、ぞくぞくと全身を貫く戦いの予感に身をゆだねている。
「俺の歌は、意志のある生き物には通じないぞ」
「では、意志のない剣や斧には通じるわけだな」
「……けど、これだけ大勢を相手に試したことはない」
「今から試せばいいだろう」
 そのとき、正面に立っていた魔族の中から、目の大きな皺だらけの老人が、杖を振り上げて叫んだ。おそらく地底族の族長だろう。
「交渉の余地など、はじめからない。我らはテアテラのレイア女王に仕えるのみ!」
「では、俺に逆らう者は、死を褒美として与えよう」
「待ってくれ!」
 黙っていられなくなったエリアルが、半歩進み出た。
「お願いだ、もう少し話をさせてくれ。私は、新ティトス帝国の第一皇女エリアルだ」
 彼女の澄んだ声は、村にそそり立つ絶壁に跳ね返って、幾重にもこだまする。
「ああ。もうひとり馬鹿がいた」
 ラディクはがっくりと肩を落とした。
「あなたがたに、和解のことばを持ってきた。テアテラ宮廷から何を聞かされているかは知らぬが、我々は侵略のために来たのではない。戦いを終わらせるために来た。できれば、レイア女王との和平を実現したいと願っているのだ。世界の平和を実現するために、帝国百万の軍は、ルギドと彼の率いる魔族軍と結んだ」
 今しも天に駆け上がらんとする太陽が東側の山地から姿を現わし、静まり返った群集の上をゆっくりと舐めた。
「どうか、ルギドに従ってほしい。人間のむなしい報復の応酬を終わらせるために、あなたたちの力が必要だ。魔族の統一は、ティトス全体の平和への第一歩なのだ」
 祈りをこめて放たれたことばは、五万の地底族の海の中に吸い込まれた。
 一瞬の間があり、そして兵士の中から叫びが起こった。
「殺せ!」
 怒涛のような殺意の津波が、うねりとなって湧き上がった。
 まさにその瞬間の到来を予測していたのか、ルギドは腰の黒い剣を解き放った。ジュスタンは魔導士の杖を掲げ、空気を切り裂くような勢いで言葉を発した。

『ギゼルの神殿に煌く金剛石、アル・ウリヨンの風の流れに乗って、彼方の国へ運ばれよ』

 そしてラディクは、竪琴の伴奏なしに朗々と歌った。

「すさまじき風 たとえ大気を引き裂くとも
 地に根を張る大木、微動だにせじ 」

「あとについて走れ!」
 ルギドは剣をふりかざし、行く手に迎え撃とうとする敵をなぎ払い、疾風のごとく駆けた。ゼルは振り落とされないように、必死にマントの端をつかんでいる。
 魔族たちは、腰の剣や斧を手に握って立ち向かおうとしたが、まるで磁石で吸いついたように、武器は鞘やベルトから離れなかった。ラディクの歌が放った魔力が発動したのだ。
 それでもなお素手で追いすがろうとする者たちには、ジュスタンの真空の魔法が起こした竜巻が土を巻き上げ、進路をふさいだ。
 坂を駆け上がり、煤け色をした村人たちの住居の軒先を走り抜けると、いっぺんに視界が開け、絶壁が目前に現れた。
 岩壁は、あんぐりと大きな黒い口を開ける巨人の顔に見えた。その口が坑道の入り口だった。
 絶壁の前には幾本もの線路が縦横に走り、巨人の口に吸い込まれていくように見える。線路上には、四角い大型の木函が停めてある。
「あれは何だ?」
 ルギドが走りながら、訊ねた。
「トロッコと言って、坑道内を自在に走る箱です」
 ジュスタンが、同じように叫び返した。
「よし、あれに乗るぞ」
 ルギドは木函のひとつに一跳びで乗り込むと、細身の黒剣でいとも簡単に、ブレーキ棒を固定していた金具を断ち切って、足で蹴飛ばす。それらが何に使うものかもわかっていないはずなのに、天性の洞察力のなせるわざだ。
 トロッコはゆっくりと、傾斜した線路の上をすべりはじめた。エリアル、ジュスタンの順番で乗り込み、黒魔導士が後方に向かって風の初級魔法を放つと、その反動でトロッコはぐんぐんと加速を始めた。
「おい、冗談じゃない。炭鉱の中に入るつもりか!」
 最後尾のラディクがわめいたが、後ろを振り向き、魔族の集団がすぐそこまで迫っているのを見て、あわてて自分もトロッコに頭から飛び込んだ。鉱車のへりを掴もうとした敵の手の甲に、ナイフを抜いて一撃を見舞うと、追跡者は苦悶の叫びを上げて離れた。
 追手たちは、まるで風で飛び散る木の葉のように坑道の外に小さくなっていく。
「さすがに早いな」
 ルギドは鉱山の低い天井に頭をぶつけないようにトロッコの背にもたれかかると、満足げに言った。
「ところで、これはどこへ向かうんだ?」


 坑道内で線路が三叉交差しているポイントで、彼らはトロッコを降りた。交替の手漕ぎで、何とかここまで走ってきた。ところどころ、途中の切り替えポイントを壊しながら来たおかげか、追手の気配はまだない。
 しかし、その静けさは逆に不気味でもあった。
「もうわかっただろう」
 ラディクは怒りに震える声で言った。「俺たちは袋のネズミだ。敵が知り尽くしている迷路の中で、迷子になったも同然なんだ」
 悠然と線路の枕木に腰かけながら、ルギドは哀れむように答えた。
「いちいち小さいことに腹を立てるな。だから背が伸びないんだぞ」
「おまえみたいに無駄に高いよりマシだ!」
 確かに小人の地底族が作った炭鉱だけあって、坑内は天井がとんでもなく低かった。ジュスタンも背を屈めて歩かなければ、坑道のあちこちの垂木に頭をぶつけそうになる。ルギドが先ほどから地面にしゃがみこんでいるのも、別にさぼっているわけではないのだ。
「逆に考えればよいではないか。俺たちは村の最奥、奴らのもっとも重要な拠点を乗っ取ったと」
 と、涼しい顔で言ってのける。
「閉じ込められたとしか言いようがないだろ」
「だが奴らは、俺たちをここから追い出さなければ、生業(なりわい)の採掘をすることができない。全力で排除しにかかるはずだ。しかも、この坑内に一度に投入することのできる兵士の数は知れている。この狭い坑道を使って、一度に戦う敵の数を絞り込める」
 「それって後から考えた言い訳だろう」と、他の四人は心の中で一斉に反論した。
「しかし、持久戦に持ち込まれたら、どうするんだ?」
 エリアルは悲観的に言った。
「地下水が坑道のあちこちに滲みだしているようだが、手持ちの食糧はせいぜい三日しか持たない。おまけにここは、我々人間にとって空気が悪すぎる。ろくな換気設備もないらしい」
「おいらたち魔族にとっては、これくらい瘴気が濃いほうがちょうどいいんですけどねえ」
 とゼルが鼻腔を膨らませて、空気をおいしそうに吸い込んだ。魔族は体質的に、人間より酸素の少ない空気に適応できるのだ。
「食い物が尽きたときは、そのときだ」
 ルギドは、楽天的だった。「いざとなれば、おまえたちがいる」
「俺たちは、非常食かよ……」
 と、三人は嘆息するのだった。


 地底族は一向に攻め込む気配を見せなかった。
 暗がりの中で、彼らは交替で休息を取りながら、今にもやってくるかもしれない急襲に耳をそばだてたが、線路の向こうからはどんな物音も聞こえてはこなかった。
 ゼルがせっせと坑道の中を飛び回り、偵察を行なったものの、敵の姿を発見することも、反対に自分たちがここから脱出する道をも見つけることはできなかった。
 やはり敵は持久戦に持ち込むつもりか。
 半ばそう覚悟し始めたとき、不気味な地鳴りが炭鉱全体を襲った。
「地震か――?」
 エリアルが、今にも崩れてきそうな坑道の天井を不安げに仰いだ。
「地震なら、こんな小刻みには揺れません」
 火山国で生まれ育ったジュスタンが、否定する。
「それに、揺れが収まらない。反対にだんだんと強くなってくる。これは地震というより――」
 ルギドがゆっくりと立ち上がった。頭をぶつけぬよう壁によりかかりながら、鞘入りの剣を右手に握った。
「おいら、また胸がドキドキするよう」
 ゼルが小声でつぶやいた、そのことばをまだ言い終わらぬとき。
 向こう側の細い坑道の壁が、まるで絵の具をぶちまけたように一気に黒に染まった。
「うわあっ」
 誰かの絶叫も、坑内に満ちた甲高い音にかき消された。
 ネズミの大軍が押し寄せてくるのだ。
 いや、ネズミではない。身体の形はネズミそっくりだが、親指ほどの大きさしかない。しかもテラテラと黒光りしているさまは、まるで蒸気機関車の鉄の部品のようだ。その小さな身体についている二つの目が、無数の敵意となってこちらに殺到してくる。
[イオ・レギオ]
 ルギドは叫びながら、剣を抜き放った。ジュスタンはそれを聞いて、あの「水の洞窟」でも、ルギドが古代ティトス語で召喚獣の名を呼んだことを思い出した。
「これも、召喚獣なのですか?」
「ああ。【多くないもの】という名前を持つ。こいつら全部が【ひとつの】存在だ」
「ひとつ?」
 彼らはとっさに、腕で自分の顔をかばった。大軍が両脇を通り抜けていく。まるで暴風だ。
 そのうち数十匹が群れから離れ、彼らに取りついた。
「ぶは、なんだこりゃ」
 ラディクは、自分に牙や爪を立てようとする小動物をナイフで切り裂くと、同じように剣で振り払おうとしているエリアルのほうを見やった。
 叫ぼうとしたが、口を開けたとたんに親指ネズミが殺到した。居心地良い巣穴と思ったのだろうか。
「うえっ」
 ラディクは指を突っ込んで、口の中から引きずり出した。たまらない生臭さに、嘔吐しそうになるのをかろうじて堪える。
 他の三人も同じ状態に陥っているらしく、よろめいて、地面に突っ伏してしまった。ゼルはルギドのマントの下にもぐりこんで、難を逃れた。
 口だけではない、奴らは耳や鼻の穴にまでもぐりこもうとし始めたのだ。果ては目まで突かれかねない。小さなゼルの身体などは、たちまち食いちぎられてしまうだろう。
 彼らはローブの頭巾を目深に引き上げ、マントのすそや袖で顔を覆って、ようやく身体を起こした。ぞわぞわと体中を這い回られる感覚は、まるで発狂しそうだ。
「ジュスタン、早くしろ」
 ルギドは顔を庇いながら、非情にも魔法を催促する。
「無理です、この状態では――」
「阿呆! 無理でもなんでも、やるんだ」
 この有様では、とても呪文など唱えられない。少しでも口を覆ってしまえば、魔法は空気を伝って発動することができないのだ。
 エリアルは剣を抜き、ジュスタンの身体に取り付いた獣たちを刀背で撃ち始めた。サルデス正統の剣術を修めた者の持つ、正確無比の剣さばきだ。しかし、払いのけても払いのけても、すぐにまた別の個体が取り付いてしまう。
 ラディクは地面にうずくまりながら、手近な坑道の支柱を剥ぎ取ると、腰のサックからマッチを取り出して擦った。
「燃えろ!」
 魔力のことばを受けた木ぎれは、一瞬で松明のように勢いよく燃え始める。
 ラディクはその火を振り回しながら、仲間のもとに近寄ると、ジュスタンの身体に押し当てた。
「何をする!」
 エリアルが叫んだ。
「これが一番手っ取り早いんだ」
 火を押し付けられた小動物たちは、甲高い悲鳴を上げながら、ぼとぼとと落ちていく。
 ジュスタンは熱さと苦痛をこらえた。そして自分の顔の回りに、呪文を伝えるだけの十分な空気があることを確かめるや否や、手に魔方陣を操り、口を思い切り開いた。

『天駆けよ、蒼きラガシュ』

 雷撃の中級呪文。最短形を使うことはジュスタンの本意ではなかったが、この場合はやむを得ない。
 青い光は、狙いあやまたず、ルギドの禍々しい黒剣に吸い込まれた。
 ルギドは満足げに笑うと、片膝をついた体勢で、居合いとともに前方をなぎ払った。
 閃光が真昼のように炭鉱を満たし、ようやく目を開けたとき、黒い生き物が埋め尽くしていた坑道は数十メートルにわたって、路が開かれていた。
 床には、大量の黒焦げになった死体が散乱し、そうでないものも、雷撃のショックによってマヒしていた。 卒倒しそうなほどの臭気だ。
 しかし、静寂はそう長く続かなかった。仲間の死に猛り狂った残りの群れが押し寄せてくる。
 ルギドは、また剣をふるった。
 ふたたびの閃光が収まったとき、
「エリアル」
「はい!」
「これでは、きりがない。【核】を探せ。どこかに、この群れを束ねる【核】があるはずだ」
「わ、わかった」
 四人は一斉に、出口の方向に向かって走り始めた。
 走りながらも、エリアルは坑道の四方に目を配った。
(【核】というのは、どんなものだ。どんな形をしている?)
 視線をあちこちに注ぎながら、勇者の剣を手の中に握りしめる。
(わからぬが、とにかく探さなければ。ルギドが、私に探せと命じたのだ)
 魔法剣の一閃が血路を開き、その隙に一気に数十メートル前進する。どれだけその手順を繰り返したろう。
 酸素が薄い坑内では、走るだけで頭が沸騰し、方向感覚さえ危うくなりそうだ。
「こっち、こっちです」
 ゼルが薄い翼をきらめかせながら、ひらりひらりと飛び回り、先導している。
(ゼルさえがんばっているのに。私が一番役立たずだ)
 エリアルはあえぎながら、反芻し続ける。
(私だけが何の働きもしていない。戦いの治世には皇女など、ただのお飾り――だから父上も、兄上のことしか)
 朦朧として、くらりと視界がゆがんだ。
(私はお飾りではない。私も、私だって、ティトスのために何かをなしえるはずだ!)
 目の前の真っ黒な群れの中に一匹だけ、血の色のような輝きを放つものがいる。
 エリアルは身をひるがえすと、迷わずにその一匹だけを剣先で突き刺した。
 そのとたん、壁面を埋め尽くしていた召喚獣たちは、まるで蜘蛛の子を散らすように姿を消した。
 彼らは、呆気にとられて立ち尽くした。まるで夢を見ていたようだった。夢でないことを告げるのは、坑道に累々と続く黒い死骸の山。
「――これが、召喚獣の【核】だったのか」
 エリアルは、自分の足元に落ちている小さな骸を、茫然と見つめた。
「やったぁ。エリアルさん」
 ゼルが空中で、ばたばたと羽を打ち叩いて、祝福した。
 ルギドがそばを通り過ぎるとき、ぽんと背中を叩いて、ひとこと言った。「よくやった」
「姫さま」
 ジュスタンがうれしそうに微笑みかける。その笑顔を見てエリアルはようやく、召喚獣を倒したのは他でもない自分であることを実感した。
「ああ」
 喜びを噛みしめながら、エリアルはジュスタンに向かってうなずいた。
「それにしても、どうしてこいつが【核】だとわかったんだ」
 ルギドの後を追いかけながら、ラディクは解せないというふうに首をひねっている。
「それは、ほら、色が明らかに回りと違ったからだ」
「そうか? 俺の目には、まったく一緒に見えたが」
「え――?」
 エリアルは思わず立ち止まった。手の中の【勇者の剣】は、変わらぬ鈍い光を放っている。


 坑道の入り口で、三人は外の暴力的なまぶしさに立ち止まった。東の空から一日のはじめの陽光が、暗闇に慣れていた目を矢のように射たのだ。
 坑道の中で、ちょうど丸一日が経っていたことになる。
 ようやくものが見えるようになった彼らは、炭鉱の外に繰り広げられている光景に驚愕した。
「ルギド」
 蒼い炎をまとった抜き身の剣を手に、ルギドがたったひとりで立っていたのだ。
 それに相対するのは、五万の地底族の兵士。
 一触即発の状態に怖じることもなく、彼は自信と威厳にあふれて叫んだ。
「ミワナの鉱山を守護していた召喚獣は、俺がこの剣で滅ぼした」
 身じろぎもせぬ群集。
「これでわかったであろう。あの群れを滅ぼす以上に、おまえたちを滅ぼすことは俺にはたやすい」
 変わらぬ沈黙。
「だが、俺は魔族の王子の名にかけて、おまえたちに今一度の猶予を与える」
 その瞬間、ルギドの全身が燃え立ったように見えた。夜の縄目から解き放たれた太陽が明々と彼の全身を輝かせたのだ。地底族たちは、畏怖の叫びを漏らした。
 ルギドは蒼く燃えさかる剣を、天に挑むようにふりかざした。
『ニエム・ニエット・エ・ラドーク、バリアル・ティ・ダル・ハル・クラディム』
 それは、千年の新ティトス帝国の歴史の中で失われつつある魔族のことばだった。
『今この場で選べ。この民はどちらにつくのか』という意味だ。若い魔族の中には、それさえわからぬ者も多い。
 だが、だからこそ、ことばの響きそのものの持つ圧倒的な荘厳さは、若者たちの心を捉え、先祖の過去の栄光に対するあこがれを呼び覚ますには十分だった。
 そして、その栄光を具現する存在、紅い目の王子に対する忠誠を呼び覚ますには。
 ――選べ。テアテラのレイアか。それとも、ルギドか。
「ルギドさま」
「ルギドさまに従おう」
 ため息とともに、あちらこちらから声が上がった。
 そして、それは大きなうねりとなり、叫びとなった。
「ルギドさま」
「ルギドさま、ばんざい!」
 うっと呻くような声がして、ひとりの男が地に倒れた。
 それは、目の前で彼を否んだ、あの地底族の長老だった。
 手には、短剣が握られている。
 時代の流れを見誤ったことを悟った長老は、地底族数万の命とひきかえに、自らの命をその手で絶ったのだった。





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