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The New Chronicles of Thitos

新ティトス戦記


Chapter 14



 冬の間黒々としていた地面には、あざやかな草花のじゅうたんが敷き詰められている。
 【炎の頂】の中腹には巨人にえぐり取られたような凹みがある。その下に突き出た平地は、休火山が吐き出す地熱の恩恵によって、ふもとより一足先に春の色へと塗り替わっていた。
 村人たちもめったに通わぬ、この奇跡の場所にひとりで登るのを、ラディク・リヒターは毎日のひそやかな楽しみとするようになった。
 ここでは、紅い魔の瞳を隠すために、吟遊詩人の帽子をかぶる必要はない。浅い春の風は、まだ寒さの棘を無数にふくんでいるが、かまわずに帽子を取り、黒い髪を太陽にさらした。
 冴え冴えとした早朝の空気を肺いっぱいに吸い込む。
 うめきともとれぬ低い声が次第に強まり、のびやかで澄んだテナーの音域へとふわりと舞い上がる。調子を合わせたように平地の草がいっせいに傾ぎ、四方から震える波となって幾度も打ち寄せた。
 いったい何歳のころから、こうやって自分の【声】を使って遊んでいたのだろうか。
 気がつけば、自分の回りにいつも人はいなかった。わずかな草木や、命なきモノばかり。
 動かぬものに動けと念じて話しかけているうちに、小さな木の人形――人形だと思っていたのは自分だけかもしれない。実際はただの木っ端だった――がコトリと動いた。
『おとうさん、見て。これ動くんだよ』
 考えもなく、裏庭から父親のいる店に駆けていき、死ぬほど殴られたことだけを覚えている。
 ラディクは口をつぐみ、紅い瞳をかたく閉じた。そのまま岩棚の端まで歩く。その下は数十メートルの絶壁だったが、かまわずに瞑目したまま崖ふちに沿って歩いた。
 この山は、魔族にとって地の波動、【地脈】を感じることのできるティトスでも数少ない聖地なのだと言う。居心地がよいと感ずるのは、自分も魔族と同じ性質を持つせいだろうか。
 【魔力を持つ人間】。一万年のティトスの歴史において、存在したことのなかったもの。
 突然ふもとから吹き上げてきた風に髪をなぶられ、吟遊詩人は目を開けた。
 模型のように小さく見える火棲族の村からは、いくすじもの煙が立ち昇っていた。


「小僧。手伝え」
 山道を降りてきたラディクを、族長のエグラが呼び止めた。
「人使いが荒いな。俺はまだ怪我人だぞ」
「おまえなんぞより、わしのほうがもっと重傷だ」
「岩より硬い火棲族といっしょにするな」
 エグラに追い立てられて、しぶしぶとラディクは村人たちの群れに加わった。
 大勢で小屋に群がり、四方から支柱に掛けた綱を引っ張る。村総出の、家畜小屋の解体作業だ。
「ひでえ臭いだな」
 いつものローブ姿で汗だくになって腕まくりしていた黒魔導士をその中に見つけ、ラディクは顔をしかめてみせた。
「しかたない、ここは糞尿を採るための場所だったんだから」
 十日前よりも明らかに日焼けした顔で、ジュスタン・カレルは慰めるように三つ年下の少年に笑いかけた。
 ここに滞在するあいだに、彼はどこか変わった。以前の思いつめたような表情を崩して、感情を表に出すようになった。ラディクに対する冷ややかな態度も、和らいだようだ。
 レイアに関する秘密を洗いざらいしゃべったことで、ジュスタンの中で長い間しこりとなっていた罪責感がようやく晴れたのだろう。
 何度かの調子をそろえた威勢のいい掛け声とともに、柱が土台からはずれると、小屋は轟音を立てて一気に崩れ落ちた。身体の毒になりそうな、もうもうたる埃があたりに立ちこめる。
「それで、この中にいた家畜はどうなったんだ?」
 咳が収まってからラディクが訊ねると、ジュスタンがとぼけた表情をした。「そっちは、姫さまの担当だ」


「岩塩をまぶして、樽に並べて」
 その頃エリアルは、巨大な調理場と化した洞窟の中で、二の腕まで肉汁と塩まみれになりながら、魔族の女たちを指揮していた。
「それから、隙間にハーブの葉を詰めていくの。こんなふうに」
「でも、人間て、めんどくさいことをするんだね」
 彼女たちは皇女の指示に素直に従いながらも、そう言い交わしてカラカラと大笑いしている。「生で食べたほうがずっとおいしいのに」
「そうなの?」
 エリアルは袖で額の汗をぬぐったが、その拍子に顔中に赤い肉汁がついてしまい、女たちに大笑いされていることを知らない。


「余分な家畜は塩漬け肉にして、馬車でテアテラ辺境の飢えた村人たちに配る手はずになっているんだ」
 この国に入ってから通り過ぎてきた村の、痩せこけた人々の姿が脳裡に浮かぶ。
「あの女らしい発想だな」
「エリアルさまと、ティエン・ルギドのふたりのお考えだよ」
「ルギド? そういえば、あいつは毎日どこでサボってやがるんだ?」
 ラディクが思い描いたとおり、ルギドは洞窟の奥まった最上の一室で、手織りラグの上に昼間から寝そべっていた。彼の髪を梳いているゼルの腹を、時折り長い爪でくすぐりながら。
 そのそばでは魔族の女たちが侍り、緑スグリの酒を杯に注いでいる。


 西の丘陵の向こうに燃えるような夕日が沈む頃、引き倒された小屋の廃材が積み上げられ、大かがり火が焚かれた。
 魔族にとって音楽とは、音階のないパーカッションだ。
 手拍子や足を踏み鳴らし、木や金属を叩いて踊りまわる。炎に照らされて、村人たちの長い影が、動く森のように揺れる。
「敵地の真ん中で、こんなにのんびりと毎日が過ぎていくとは、予想もしてなかったな」
 火薬の原料となる硝石が、ときどき轟音を上げて弾けた。その勢いに目を細めながらラディクがつぶやくと、かたわらのジュスタンが「ああ」と短く答えた。
「――だが、明日はどうなるかわからない」
 若者たちの目の前で、がらがらと積み上げた廃材が崩れ落ち、火の粉が舞い上がって天を焦がす。
 その激しさは、ティトス全土に訪れようとしている新しい混沌を予感させた。


「三つの魔族の村に送っていた使者が帰ってきました。お集まりを」
 族長エグラの伝言が伝わり、四人は長老たちとともに、大テーブルのある会議の広間に集まった。
 十二人いたはずの長老のうち、姿が見えない者が何人かいた。
「一晩だけ村の門を開け放ちました。レイア女王につくものは、何も言わずにこの村を去れと。とがめだてはせぬ。しかし、エグラとともにルギド王子につくものは、この村に残れと。およそ二万四千の村民のうち、六百余名が、その夜のうちに十台の馬車に乗って出て行きました」
「悪くない数字だ」
 ルギドは、銀の髪をもてあそびながら言った。
 末席のベンチに座らされた最初の会談とは違い、今や王として、最上の椅子に座している。
「残りの五十台の馬車で今、塩漬け肉や家畜の餌として配給された大麦を、山あいの人間の村々に届けさせております。これで春に餓死する人間は少しは減るでしょう」
「家畜小屋の解体は、今日でほぼ終わりました。廃材の一部は、防護柵の強化に用い、あとは燃やして処理しております」
 長老たちは次々と立って、この数日の働きを、誇らしげにルギドに報告してゆく。
 魔族にとって、自分たちの王がいるという体験は実に千年ぶりだ。レイアはその点、まずテアテラ国の女王であり、必ずしも魔族の期待に副う存在ではなかった。
 その不満が、二万四千対六百という数字となって表われたのだ。
 もちろん、この数字の中には、村におけるエグラ個人の影響力も大いにあるだろう。住み慣れた村での生活を壊してまで出て行きたくない、という打算もあるだろう。
 そのあたりをルギドはすべて、冷静に分析している。
「それでは、本題に移る」
 報告がひととおり終わると、議長役の族長エグラは重々しく口を開いた。
「ご存じのように、テアテラ国内には四つの魔族の村がある。火棲族が治める、ここ【炎の頂】の村。
さらに北に上がればザンテの峻峰がそびえたち、飛行族の村がある。
西海岸のケナの入り江に点在する洞穴群には、水棲族の村。そしてもっとも巨大なのが、ユツビ村に近いミワナ炭鉱を囲んで建つ、地底族の村」
 エグラは、テアテラ領の地図を指し示しながら、それぞれの村のおよその人口を説明した。火棲族の村が二万四千、飛行族が一万、水棲族が八千、そして地底族が約五万である。
 ただし、これらは戦える男の数で、老人や女子どもは含まれていない。これ以外に、王都に住む魔族や定住せずに暮らす魔族も存在する。
 しかしそれらすべてを計算に入れても、テアテラに住む魔族は三十万に満たない。
 帝国各地に散らばって住む魔族を合わせても七十万。新ティトス帝国の治世のあいだに着実に人口を増やしてきた人間とは対照的に、魔族は衰亡の一途をたどっているのだ。
「わしは三通の書簡をしたためて、それぞれの村長(むらおさ)たちに伝令を送った」
 エグラは説明を続ける。
『我ら火棲族にとって、ティエン・ルギドが唯一の王である。レイア女王にはもはや仕えぬ』
『ティエン・ルギドは、すべての魔族の軍勢を集めよと仰せられる。その貴き大号令に従え。従わぬものには、新しい王より死の制裁がくだされるであろう』と」
「で、その返答はどうだった」
「それぞれまったく違う答えを持ち帰りました」
 エグラは、冴えぬ表情でルギドに答えた。
「ケナの水棲族は、ルギドさまへの恭順の意を示しました。おりしも彼らは、ベアト海の海戦の様子を見たばかり。帝国軍の大勝利の影に、ルギドさまの作戦に忠実に従う水棲族同胞たちの活躍があったことが、ルギドさまのご威光の何よりの証拠となったと申しております」
「おお、海戦は帝国の勝利に終わったのか」
 エリアルはそれを聞いて、思わず安堵のため息をもらした。
 帝国の皇帝名代である彼女が帝都を離れて二週間が経つ。【ベアトの大海戦】の結果を見届けず出てきてしまったことは、ずっと皇女の重荷になっていたのだ。
 もしここで帝国が負けるようなことでもあれば、エリアルは死ぬほど我が身を責めたに違いない。
「一方、ザンテの飛行族たちは、返事を保留いたしました。最大派閥である地底族の動向を見極めるつもりのようです」
「日和見を決め込むだなんて、わが種族ながら、なんて情けない腰抜けなんでしょう」
 ゼルは、嘆くような甲高い声を上げた。
「族長。今度はぜひ、おいらを使者に立ててください。同じ飛行族同士、おいらが絶っっ対に説得してみせます」
「おお、それは頼もしい」
 エグラは苦笑いしている。
「それでは、ミワナの返事はどうだったのです?」
 ジュスタンが、不安げにたずねた。
 族長はテーブルの上に、厚い布に包まれた丸い大きな塊をゴトリと置いた。
「これは……」
「――今朝、地底族の村から送り返されてきた、われわれの使者だ」
「うええ」
 ラディクが思い切り顔をしかめ、エリアルは紙のように蒼白になった。
「や、や、やっぱり、おいら、使者はやめておきます」
 ゼルは混乱してバタバタと天井を飛び回る。
 使者の頭を切り取って送り返すという残虐な行為に、地底族たちの確固たる敵対の意志がこめられていた。
 場にいた全員が、おそるおそるルギドの方をうかがった。
「これで、決まったな」
 ルギドは簡潔に言った。「ミワナの地底族を叩く」
 その短い言葉の裏に隠されている憤怒に、一同は肝を震え上がらせた。
「おそれながら、お待ちください。先に飛行族と交渉して、味方につけたほうがよくはありませんかな」
 エグラが進言した。
「飛行族は情報収集に長けた種族。今ふたつの派閥を慎重に秤にかけているのです。この状態でうかつに村を空けて、飛行族に背中を見せるのは、いかにも危ない。
――それに、もうひとつ気がかりなことは、王都からの攻撃にも備えねばならぬことです」
 エグラの心配も、もっともだった。
 ルギドへの忠誠を公然と示した火棲族は、すなわちレイア女王への反逆者となったのだ。留守のあいだにテアテラ軍の攻撃を受ければ、この村はひとたまりもない。
 今のところ唯一の味方である水棲族は、陸上での移動が不得手で、急な援軍は望めない。
「背中など見せる必要はない」
 ルギドはうっすらと笑みを浮かべた。
「エグラ、おまえはこの村の二万余の民とともに、この村から王都とザンテ山の両方を、じっと睨みつけているがよい。地底族は俺がやる。皇女たちとともに五人で、ミワナを攻め取ってこよう」
「えーっ」
 一番大きな驚きの声を上げたのは、当のエリアルたちだった。
「危険の芽は出来るだけ早く摘んでおかねばならん。地底族とテアテラ軍が結託して攻めてこられると、厄介なことになる」
「それはそのとおりです。しかし無茶ですぞ!」
「無茶だと?」
「地底族の兵士は五万。しかもすぐれた戦士ばかりです」
「それをたった五人で倒すなどと……」
 ルギドはバンと卓を叩いて、立ち上がった。猛反対していた長老たちはとたんに縮み上がった。
「貴様ら、俺を誰だと思っている」
 しんと静まり返った室内で、ゼルだけが泣きそうな顔でつぶやいた。
「五人てことは、おいらも頭数に入ってるんですよね……」


 早朝の霧の中を、三頭の馬と一台の荷馬車がミワナ炭鉱に向かって出発した。
「首尾よく奴らを討ち取りましたら、必ずこの村にお戻りください。それまでここを死守しております」
 彼らを見送る際、族長エグラは村の防護柵を見上げながら、言った。
「なに、この柵が破られることは万に一つもありますまい。もしそうなっても、岩窟住居の中に逃げ込んでしまえば、三月は篭城しておられます」
 エグラのことばには、なまなかではない覚悟が読み取れる。もしルギドの戦いが敗北に終われば、火棲族たちは裏切り者として、テアテラ中の攻撃の的になるのだ。
 魔族の運命のために、決して負けるわけにはいかない一戦だった。
「五万の魔族に五人で挑むなんて無謀な話、承諾した覚えはないぞ」
 ラディクが馬上で文句を垂れたが、もはや手遅れだ。
 御者台ではジュスタンが手綱を持った。
 彼らは皆、軍装の上にローブをまとっていたので、遠くから見れば、硝石を運ぶ魔族の馬車と護衛の魔導士、という図に見えただろう。だが馬車の中は、実際はからっぽだ。
 軽やかに、しかも堂々と、一行はテアテラの公道を進む。
 ミワナの炭鉱は、【炎の頂】から日の沈む方角に位置する西の山脈地帯にある。
 少し前まで黒く沈んでいた森の景色は、村に滞在していたわずかな間に趣を変えた。
 枯木はレースのようなやわらかい若葉をまとい、針葉樹は先端を明るい色に縁飾りされ、はるか向こうの低い山稜も、けぶるような春の緑に染め分けられている。
 とても長い世界戦争に疲弊した国とは思えない、豊かな山河だった。
 途中、谷を渡ってしまえば、あとはずっと緩やかな丘陵が続く。急げばその日のうちに到着するほどの距離だが、その手前で日が暮れた。
 夜の戦闘はなるべく避けたい。いや、今回の戦闘は永久に避けたいという気持が、ルギド以外の者たちの顔にありありと出ていた。
 夜風と敵の目を避けるために岩陰で起こした焚き火を、一同は寄り添うように囲んだ。
 竪琴の弦の調子を確かめていた吟遊詩人に、エリアルが話しかけた。
「ラディク、おまえはいつから、歌に特別な力をこめられるようになったのだ?」
「もの心がついたころには」
 まばゆいほど金髪を輝かせて自分を見つめている皇女に、むっつりとラディクは答えた。
「歌詞のことばに、何かの意味があるのか」
「ない。声さえ出せば、用は足りる」
「詞がなくても?」
「そう。ただ、詞があると、俺自身が念を集中しやすい。そのために歌うだけで、別になにを歌ってもいい」
「その点は、魔法とはまったく違うな」
 川まで水を汲みに行っていたジュスタンが、興味を引かれた表情で近づいてきた。
「魔法は、言葉そのものに意味があり力がある。もちろん魔導士の資質も必要だが、言葉の正確な発音なくしては、魔法は発動しない」
「一度聞こうと思っていたが」
 ゼルを腹に乗せて岩にもたれていたルギドも、話に加わった。
「千年前に比べ、魔法の詠唱時間が短い。これはなぜだ」
「それも、大魔導士ギュスターヴの功績なのです」
 と熱心に語り出したジュスタンは、先祖ギュスターヴ・カレルに対する子どもじみた崇拝を、いまだに捨てていないと見える。
「千年前までは、すべての魔法には上級、中級、下級というランクづけがありました。そしてそれぞれ固有の長さを持っていました。より高度な魔法には、巨大な魔方陣を構築しなければならず、そのためには、より多くのことばが必要なのだと考えられてきました」
「そうではないのか」
「ギュスターヴが発見したのは、その中で【鍵】と呼ばれることばの存在です」
 ジュスタンは、ローブの裾を広げて地面に胡坐をかくと、両手を宙に上げた。
「たとえば、炎の呪文は長い間、正確にこう唱えるように教えられてきました。
『燃え立つ炎よ。おまえの赤い舌が谷を舐めるとき、川は煙と化す。願わくば、キル・ハサテの水を焼き尽くし、その轟音を天空に鳴り響かせよ。エウリムの上流まで溯りて、水源を焦がせ』」
 彼の両手のあいだには、暗闇にキラキラと輝く小さな立体魔方陣が表われる。
 戦闘のときには魔導士の手元をいちいち眺める余裕はないが、魔法には本来すべて、このような立体魔方陣が出現しているのだろう。
「しかし、実戦において、これはあまりに長すぎるのです。最前線に身を置く魔導士のあいだではいつのまにか、その省略形が使われるようになりました。
『燃え立つ炎よ。キル・ハサテの水を焼き尽くし、エウリムの川を焦がせ』」
 ジュスタンは先ほどから奥歯を食いしばるようにして発音している。
 正確な発音をともなわない魔法は、本来の威力を生まない。実際にこの場に大きな炎を出現させないための配慮だった。
「つまり、呪文で唱えられることばの大半は、本来必要のないものであり、付け足しに過ぎない。このことをギュスターヴはずっと研究してきました。そしてこの魔法の【鍵】は、キル・ハサテとエウリムという言葉だと発見したのです」
 一同は息をひそめて、ただ耳を傾けている。
「あとは魔導士が、集中力をその一点にしぼる訓練をすること。そうした厳しい訓練の結果、炎の呪文はもっと短い形へと変化してきました。
『燃え立つ炎よ。キル・ハサテ・エウリム』」
「あ、ほんとだ。前にくらべてずいぶん短い」
 ゼルが感心したように、叫んだ。
「なるほどな」
 ルギドは、ジュスタンの手が操る魔法陣を物憂げに見つめている。
「それで、あの機関車工場での戦闘で、短時間に次々と魔法が繰り出されたわけだ」
「はい」
 ジュスタンも表情を暗くして、答える。
「より短い間に、より強大な魔法が詠唱可能になる。だが、これは危険なことでもあるのです――術者の生命にとっても、この世界の均衡にとっても。一万年前の古代ティトスの魔法の発明者たちは、そのことを恐れていたのかもしれません。そして、強大な魔法ほど詠唱に時間がかかるように、必要のないことばを余分に付け足した」
「なぜ、言葉そのものに、それほどの魔力がこもっているのだろう」
 エリアルが問いかけた。「キル・ハサテやエウリムとは、古代ティトスの湖や川の名前だと思っていたが」
「それが、そうではなかったのです」
 ジュスタンは首を振った。
「ガルガッティアにある古代図書館の蔵書から、古代ティトスの地図がいくつも見つかりました。しかし、探しても、キル・ハサテや、エウリムという地名は発見されていないのです」
「……」
 ルギドは、それきり黙りこんだ。
 若者たちも欠伸を始め、それぞれの寝袋にもぐりこんだ。しばらくは木々のざわめきがするたびに、暗がりの向こうから魔族たちが襲撃してくるのではないかとびくびくしていたが、やがて寝入ってしまった。
 ルギドひとりが、なにごとか考えに耽りながら、いつまでも闇に目を凝らしていた。


 遠くから見ると、緑に覆われた段丘の一角が、そこだけ茶色い肌をむき出しにしている。
 その岩肌にうがたれた無数の穴は、ミワナ炭鉱の坑道だった。手前に露台のように張り出している階段状の岩棚には、地底族が住む村がある。
 翌朝早く、一行は目指す敵地へ、もう引き返せないところまで来ていた。
 




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