新ティトス戦記 Chapter 45 |
建物の奥の部屋への扉を開いたはずだったのに、そこに広がっていたのは草原だった。 「え……」 「なんですか、コレ!」 『太古の昔、ルクラは美しい星でした』 男とも女ともつかぬ声が、柔らかな残響をまといながら、語りかけてくる。その音は両方の耳から直接入ってくるのではなく、全身に沁みこむようだ。 風に揺れる緑の草木、紫にけぶる山々。どこまでも続く青い空。 「これは……幻影じゃない」 エリアルが片膝をついて屈みこみ、瑞々しい足元の草を引きちぎった。「本物だ。私たちは過去に戻されたのか?」 「そう言えば」、とつぶやきながらジュスタンは足を引き、杖を構えた。 「こんなことが以前にもありました。ラディクの歌の力で、アスハ大陸の【西方神殿】が、まるで一万年前に返ったように新しさを取り戻したことが」 【声】は、彼らの戸惑いなどお構いなしに続く。 『人類は文明の発達によって、かつてない繁栄を享受していました。自然エネルギーをエレメントという形に濃縮し、その動力を用いて、機械をことばだけで自在に操るようになったのです』 さまざまな性別と年齢の人間たちの歩く姿が、遠景にシルエットとなって映し出される。まるで、舞台の演劇のようだ。平静なときならば身を乗り出して見入るほど、美しくのどかな光景だ。 『人類は人工交配によって、より優れた能力を獲得していきました。やがて、ことばなくしても直接エレメントを支配する【魔力】を持ち、よりすぐれた肉体を持つ不老長寿の【完成体】が現れ、さらにそれさえも超える【理想体】が誕生したのです。ルクラは神のごとき人類が支配する理想郷へと生まれ変わりました』 「よく言う」 ルギドが嘲るようにつぶやいた。「語らぬつもりか。それまでに覇権争いで、どれだけの旧人類が虐殺されたことか」 『しかし残念なことに、文明は爛熟期を迎えた後に衰退が始まりました。生命に手を加え過ぎたことが災いし、【完成体】から生殖能力が失われていったのです。さらにルクラ全体の自然エネルギーは、長年にわたる過度な浪費により、激減していく一方でした。 だが、この悲劇に人類は英知を結集して、敢然と立ち向かったのです。再生のための【ティトス計画】が打ち立てられました』 「ティトス計画?」 幻の巨大な球体が部屋の真ん中に浮かぶ。 球はゆっくりと回転し、上部の一ヶ所を指し示すように停止した。灰色一色の表面の中で、ただひとつ豊かな緑をたたえる地域。四つの大陸の形には見覚えがあった――アスハ、エルド、サキニ、ラダイだ。 『ルクラに残された自然エネルギーのすべてを、この【ティトス】に集め、原始の状態から生命をやり直させ、自然エネルギーを回復させる。これが【ティトス計画】です。 【完成体】の遺伝情報をふたつに分け、【人間】と《魔族》という原始種族が生まれました。ここから再び【完成体】が誕生し、そして最終的には【理想体】が誕生する下地を作ったのです。 【理想体】がひとり誕生すれば、ルクラの回復は時間の問題です。ご安心ください。我々は期待をもって【ティトス計画】を見守っていきましょう!』 ラディクは仲間たちに背を向けたまま、微動だにしない。 「誰に向かって言ってるんでしょうね」 レイアは口の中で反論するようにつぶやいた。「もうルクラの人間なんか、とっくにいないというのに」 「もういないんですか。ルクラの人たちって」 ゼルは、急に恐くなったらしい。背後に亡霊が出るかという勢いで、きょろきょろとあたりを見渡した。 「もう死に絶えてしまったわ」 「でも、ジョカルはルクラの人間ですよね。ジョカルなら今でも生きて――」 「いや、生きてはいない」 ルギドが、従者の心臓にとどめを指すような言葉で言った。「最後のジョカルは千年前、【氷の殿(みとの)】のチェス盤の上で、守護者に殺された。俺の目の前で」 「ひいいっ」 今度こそ、ゼルは翼を縮こめて、ルギドの首っ玉にしがみついた。 「じ、じ、じゃあ、西方神殿に現れたジョカルは? ジュスタンさんのお父さんやラディクさんに現れたジョカルは?」 「肉体のある幻影と呼ぶべきか。千年前、魔王城で俺が対峙した畏王の幽体と同じ原理だ」 「で、でも、どこかで誰かが、その幻とか幽体を操っていたんでしょう。それって、まだルクラには誰かがいるってことですよね」 「ああ」 ルギドは短く答えると、垂らしていた抜き身の剣の先をじっと見つめた。そして、その剣先をふたたびラディクに向けた。 「え?」 誰よりも呆然としたのは、指された本人だ。 「俺――が?」 「千年前、異世界の畏王を演じて魔王軍を束ねていたのは、おまえだ。魔王城で、俺と戦ったのもおまえだ。クロード・カレルを操り、テアテラを帝国から離反させたのも、おまえだ。西方神殿で転移装置から現われたジョカルも、おまえが作り出した幻だった」 「なんで、そんなデタラメ言うんだよ」 ラディクは、悲鳴に近い声で叫んだ。 「見てきただろう。俺が生まれたのは、スミルナの山村だ。二十年も経っちゃいねえ」 「おまえの親は洞窟に入り、幼児の姿になったおまえを拾っただけだ。実の子どもではない。だからこそ、紅い目を持つおまえを厭い、恐れたのだろう」 「ルギド。何を言っている?」 エリアルは、険悪な雰囲気でにらみ合うふたりのあいだに立ちふさがった。「推測でものを言うな。ラディクが敵だとでも言うつもりか!」 「推測ではない。事実だ」 ルギドの声は沈んではいるが、理性を失っていない。 「おまえは千年前に、俺とアローテの子として、奴らの待ち望んだ【理想体】として、この実験棟ですでに生まれていたのだ。奴らは、用済みの俺とアローテを、ティトスへ追いやった。記憶を奪われていたため、俺たちはそれから、ずっとおまえのことを思い出すことはできなかった」 そうして、後悔を残らず吐きだすかのように深く嘆息した。「すまぬ。ここに至るまで、ずいぶんと……回り道をした」 「俺は……なぜ、そんなことを」 かたかたと歯の根が合わないまま、ラディクはうめきを漏らした。 「操られていたの」 悲しげに、母であるレイアが答えた。 「ルクラの死んでいった民の執念が……生きたいという欲望が、生まれたばかりのあなたを支配していたの。あなたの意志ではなかった」 「俺はだから……ティトスを滅ぼそうとするのか」 「滅ぼすのは、俺たちの役目だ」 ルギドは痛みに耐えるように、紅い目をきつく閉じた。「おまえの役目は、俺たちが滅ぼしたティトスの全生命エネルギーを受け取り、それをルクラの再生に用いること。それが、【理想体】という器の宿命だ」 「ティトスの生命エネルギー……」 ジュスタンは、衝撃のあまり大声で笑いたくなる自分を抑えつけねばならなかった。 「そういうことか。ティトスは【牧場】。牧場で育てたわたしたちの生命と引き換えに、ルクラを昔の姿によみがえらせるというのが、【ティトス計画】の真の目的だったのですね」 「それが、なぜ俺なんだ! なぜ俺でなきゃならない!」 ラディクの絶叫は、むなしく偽りの草原に吸い込まれていく。先ほどから壊れた機械のように、何度も同じ言葉がリフレインされていた。 『【理想体】がひとり誕生すれば、ルクラの回復は時間の問題です。ご安心ください。我々は期待をもって【ティトス計画】を見守っていきましょう!』 「やめろおっ!」 ラディクは、腰のナイフを抜くと、空間の奥に向かって突進していった。 「ラディク!」 エリアルは勇者の剣を手に、すぐに後を追おうとした。 その目の前から、すべてのものがかき消えた。光を通さぬ真闇の世界。そして、そこに忽然と立っていたのは、建物全体を覆い尽くさんばかりにそびえる巨大な樹木だった。 いや、樹木に似せたもの。 「ルクラの民の意志を集約し、永遠にルクラの再生のために働き続ける生体機械――【イオ・ティトス】」 「なんだと?」 ルギドの言葉に、全員が凍りついた。ゼルが、おそるおそる問いかける。 「でも、ルクラの人間は死んじゃったんでしょ。もうティトスを滅ぼす意味なんかないんじゃないですか」 「それを、てめえはどうやって、あの機械ヤローに説明する?」 魔族の王は剣士リュートのぞんざいな口調になって、黒い剣の柄を握り直したかと思うと、瞬速の踏み込みで【イオ・ティトス】に斬りかかった。 キンという鋭い金属音が響きわたる。機械に突き刺さる寸前に、剣は何者かの手に阻まれたのだ。 「もう遅い。ティトスは、ルクラと同じ道を歩み始めてるんだよ」 漆黒の闇の中、燃え盛るばかりに光る紅の瞳がふたつ、ルギドの前に立ちふさがっていた。 「機械文明を発達させ自然を破壊していけば、いつかはティトスも、すべての自然エネルギーを使い果たす。結局早いか遅いかだけの違い。それなら、ルクラの再生に使ったほうがいいよね」 「ラディク……」 ラディクはナイフを手にしたまま一歩下がると、憑かれたような虚ろな笑みを浮かべた。 「俺を手伝って、ティトスを滅ぼしてくれるはずだったのに、お父さんの嘘つき」 「正気に戻れ、ラディク!」 エリアルの必死の叫びにも、ラディクはちらりと無機質な視線を走らせただけだった。そのまま一歩ずつ後ずさり、巨大な機械に、ふわりと背中を預ける。 【イオ・ティトス】は、枝葉のように垂れさがるチューブやコードを左右に退けて彼を受け入れ、その全身を覆った。 ラディクは、まるで巨大な灰色の翼を背負った天使のように見えた。【理想体】は、生体機械の中に完全に取り込まれたのだ。 「あれは、自分の意志じゃない」 エリアルは、うわごとのように繰り返していた。「そうだろう? 操られているんだ。ラディクは悪くない」 「それなのに、戦わなければならないんですか」 ジュスタンがうめくように言った。 「それしか道はない」 ルギドは、もう一度剣を構えようとしたとたん、ゼルは翼を広げて主の前に飛び出した。 「だめです! ラディクさんと戦ってはダメ」 だが、ルギドはあっけなく彼女をわきに掃い落した。 【イオ・ティトス】の表面に剣を突き刺した。見たところ何のダメージも与えてはいない。だが、それであきらめるような剣士ではない。 二度。三度。襲いかかるコードの触手を、飛びのいてはかわしながら、渾身の剣は、正確に同じ場所に向かって振るわれ続けた。 「やはり、父親。息子には甘いようね」 レイアは、安堵のいりまじった声で笑った。「剣に魔力をこめていない。死なせずに助けようとしている。ルギドはまだあきらめてはいないみたい」 「そうか」 絶望にうちひしがれたエリアルの緑色の目に、ようやく微かな光がともった。「ラディクを、あの忌わしい機械の中から生きて助けだせばいい。そうすれば、きっと正気に戻る。やろう、みんな。四方から力を結集するんだ!」 レイアは、攻撃力を上げる【ブレス】の呪文を唱えた。ジュスタンは生体機械の強さを見極めるため、最初は弱い炎の魔法をぶつけることにした ふたりの魔導士の紡いだ魔法陣が展開し、七色の光で部屋全体を満たし、それぞれの目標に向かって吸い込まれていく。 「くそ、全然効いていないか」 「不思議だわ」 レイアは次の呪文を唱える合間に、かつて魔法を教えてくれた【兄】に疑問を投げかけた。 「このルクラには自然はない。魔法をつかさどるエレメントのエネルギーは皆無のはずなのに、どうして魔法が発動するのかしら」 「確かに、そうだな」 ジュスタンは杖を降ろすと、息を吐ききって目を閉じた。そうすることにより、全身で大気の流れ、地の鳴動、火や氷のかすかな響きを探る。 「……エレメントの力は、あの機械から出ている」 「どういうことだ?」 エリアルは、自分の握っている勇者の剣を見つめた。緑色の光がゆっくりと明るさを変えている。その周期と、ラディクが取り込まれている生体機械のランプの明滅の周期が一致するのだ。 「あの機械が、エレメントの根源なのか?」 「あれは、もともとはエネルギーの集約装置だった」 ルギドがそっけなく答えた。 「【理想体】の力を幾倍にも増幅して、他の生命エネルギーを集めるための。それによってルクラは無限のエネルギーを得て繁栄を極め、同時にまっしぐらに滅びに向かった」 内心に膨れ上がる苛立ちをこめて、剣をぐっと握りなおす。 「何人もの【理想体】が、この中に取り込まれた。今は、ラディクがその媒体だ。そして、ティトスの全エネルギーをここに集めようとしている」 「集めるとは……」 「吸い取るということだ。生命エネルギーを吸い取られた生物はみな死ぬ。直接に奪い取るよりは時間がかかるが、放っておけば数年で、ティトスの植物、動物、人間、魔族、すべての生きとし生けるものが死に絶えるだろう」 「そんな!」 ゼルが驚きのあまり、バランスを崩して落っこちそうになった。 「冗談じゃない。ラディクさん、聞こえますか。そんな機械に協力なんかしちゃダメ! 中で暴れまくって、こてんぱんにしちゃって出てきてくださいよう」 ラディクの全身はもはや完全に覆い尽くされて、もはや彼自身が機械の一部と化したかのようだった。紅い目が固く閉じられているのが、機械のヴェールの向こうにかろうじて見える。その恍惚とした表情は意識すら手放しているのか。 「ラディク!」 エリアルは、声も枯れよとばかりに叫んだ。「何をしている、戻ってこい!」 そのときラディクの口が開かれた。 喉から出てきたのは、歌。ことばもない緩やかな旋律だった。 だが、それを耳にしたとたん、仲間たちに異変が起こった。 「う……」 「ああっ」 立っていられない。耳をふさごうとしても、【音】は目から鼻から口から、毛穴のひとつひとつから侵入してくる。 臓器は固く委縮し、血液はゆるりと循環を遅らせ、細胞は分裂をやめて急速に老化を始める。 この場に立っている盟友たちからも、容赦なくラディクは生命を奪い始めたのだ。 ことに、【完成体】であるルギドとレイアから放出されるエネルギーはすさまじかった。ゼルは、あっけなく気を失い、地面に落ちた。 「ラディク!」 魔族の王は吠えた。気の奔流をかきわけるように【イオ・ティトス】に近づくと、ルギドはチューブやコードをむしりとり、ラディクの胸めがけて剣を突き立てようとした。 機械がさながら近衛兵の盾となって、一瞬にして剣をふせぐ。 ラディクは、かっと目を開けた。その眼球は炎一色に染まっている。怒りと憎しみの色だ。 「お……れを……ころす……の」 「だとしても、おまえひとりでは逝かせぬ」 ルギドは剣を捨てると、手に魔力をこめて、もう一度機械の盾を取り除こうとした。そのあいだにも容赦なく力は奪われ続ける。まるで怒涛の中で翻弄されながら、思う方向に泳ぎ着こうとするようなものだ。 ようやくラディクの左腕に手が届いた。 その瞬間、ルギドの全身を暗黒の気が包んだ。鎧が吹き飛び、衣服はちぎれ、その背中からは、天井まで届くほどの巨大な黒い翼が生え出た。 全身全霊をかけて、ルギドは己の持つありったけの魔力を生体機械に注ぎ込もうとしている。 うねうねと蠢く機械の枝葉は、凍りついたように動きを停めた。あまりの膨大な魔力を一度に受け止めきれずに、マヒしかけているのだ。 「ラディク」 レイアも、それにならって鮮赤の気を放出しながら、よろめくような足取りで近づいた。 「千年ものあいだ、こんな機械の中で……ひとりで。それなのに私たちは、あなたのことを思い出しもしなかった。あなたを見捨てた私たちを赦してちょうだい」 滂沱と涙を流しながら、母は手を差し伸べ、息子の右腕をつかんだ。 機械が停まった。 体を押さえつけていた力が弱まり、呼吸ができる。地面に突っ伏していたエリアルとジュスタンは、ようやく荒い息を吐きながら立ち上がった。 「ジュスタン」 ルギドは、そのままの姿で振り返り、口元に微笑を浮かべた。「【イリブル】を唱えてはくれぬか」 「……イリブルを?」 「このまま、私たち三人を……お願い」 レイアが夫の翼に頭をもたせかけて言った。「ごめんなさい、ジュスタン。……あなたにまた、つらいことを頼むわね」 「そんな……」 「ティトスを守るためだ。そして俺たちの罪をつぐない、ラディクを救うための唯一の方法だ」 「急いで。迷っている暇はないわ」 「冗談じゃない……」 エリアルはもう一度膝をつきそうになり、かろうじて剣の鞘を杖に体を支える。 「冗談じゃない。この結末は、おまえの望んでいた結末だったのか、ラディク! これがおまえの歌いたかった叙事詩なのか!」 その絶叫は漆黒の部屋に幾重にもこだまする。 「私たちは、ともにティトスをめぐったではないか。おまえはそのたびに美しい声で歌って、私たちを慰めてくれた」 やはり、返事はない。 「おまえは、ティトスを心から愛していた。空飛ぶ鳥を仰ぎ、木々の葉擦れに耳をすませ、小さな花の一輪にさえ歌をささげた」 皇女は両の眼から涙を流すにまかせて、異世界の兵器と融合した若者に向かって、震える手を延べた。 「おまえは、私たちの誰よりも戦いを憎んでいた。ユツビ村の四十人の子どもたちのために子守唄を歌い、トスコビで幼子の失われた命に慟哭し、パロスの皇宮では和平条約のために駆けずり回った。……偽りとは言わせぬ。おまえは確かにティトスの民を心から愛していたはずだ! それなのに……おまえが守ろうとしていた命さえも奪うというのか。とうの昔に滅びた古の民のために!」 垂れた頭(こうべ)から、ぼとぼとと水滴がしたたり落ちた。 「ラディク。ラディク。約束したではないか。ずっと私のそばにいてくれると。……約束を違える気か。また私をひとりにするのか」 「エリアル……さま」 ジュスタンは、彼女の体を支えていた手を思わず離した。恋人の心の奥底にあった真実に気づいたのだ。 「心を取り戻してくれ。もう一度おまえの歌を私に聞かせてくれ……ラディク!」 【イオ・ティトス】の幹に、上から下までぴりぴりと亀裂が入った。ルギドが何度も執念深く剣を突き立てた場所から、ひび割れたのだ。 中から声が聞こえる。 初めはかすかな、次第に大きく、ついに耳を聾するほどの反響をともなった壮大な歌へ。 広遠なる大地 朝もやの中で まどろむ 一条の光 射し 鳥はねぐらから舞い立つ ものみな黄金に輝き あなたの微笑は それにまして麗しい 美しきかな わがティトス 美しきかな わがティトス 永久(とわ)に 栄えん 「ラディク……」 エリアルは、ほとんど意識を失い、朦朧と四つん這いになりながら近づいた。 ラディクはうっすらと目を開け、まるで生まれたばかりの赤子のように、機械のゆりかごの中から腕を伸ばした。 両側に立つルギドとレイアが、彼女を助けて立ち上がらせた。 「エ……リア……ル」 無邪気な微笑とともに、ラディクの口から彼女の名がこぼれた。 「ラ……ディク」 エリアルは、彼の腕を支えにして胸に飛び込み、ふたりはそのまま機械の中に姿を消した。 「姫さま!」 「案ずるな、ジュスタン」 振り向くと、ルギドは妻とおおらかな笑みを交わした。「もう大丈夫だ」 数分の静寂の後、【イオ・ティトス】の内部から、白い光が漏れ出で、すぐにそれは、まばゆいばかりの閃光となって八方に広がった。 もうもうたる粉じんを上げて、機械が地面に崩れ落ちる。 その煙幕の向こうから、ふたりの男女の影が寄り添うように歩いて出てくるのが見える。女の手には緑色に光る剣が抜き身で握られていた。 それは、生き物の急所である【核】を見つけ出して正確に突くことができるという、初代皇帝アシュレイから伝わる【勇者の剣】だった。 実験棟の中から外に逃れ出た彼らは、回りの変化に気づき、感嘆の声を上げた。 「……美しい」 外の荒れ野は、一変していた。見渡すかぎり、地面には草が生い茂り、見たこともない花弁を持つ花々が咲き乱れていた。 「これが、ルクラの在りし日の姿なのか」 「【イオ・ティトス】がわずか作動していた間に、周囲の自然が復活したのですね」 「反対にティトスでは、どれだけの被害が出たのだろう」 「いいえ」とレイアは、なごやかな笑みをうかべた。「あれくらいなら、平気。せいぜい、何百人かが目まいを起こして寝込んだくらいよ」 「もう、あんな恐ろしい機械は二度と復活してほしくありません」 ジュスタンは実験棟を振り返った。 中心の核を破壊され、ぼろぼろに崩れたかに見えた生体機械だったが、念のためにジュスタンは【イリブル】をかけて、永久に封印したのだった。 カレル家の誰かが解呪の呪文を唱えない限りは、目覚めることはないだろう。そして、ジュスタンは子孫の誰にも、もう【イリブル】を教えるつもりはない。 たぶん、テアテラにいる兄ユーグも賛成してくれるだろう。 エリアルは風に乱れる金色の髪を丁寧にまとめて、ふたたびサークレットに押しこむと、草原に座り込んでいる吟遊詩人のもとに近寄った。 ラディクは正気を取り戻した後も、ほとんど口を利かずに、竪琴を抱えながらじっと衝撃に耐えているようだった。 無理もない。機械に操られていたとは言え、自分が千年ものあいだティトスを滅ぼそうと、歴史の闇に暗躍していた張本人だったことがわかったのだ。 皇女は無言のまま、彼の肩にそっと手を置いた。 「あーあ、なんだか悔しいなあ。ふたりが抱き合っている決定的瞬間を見逃しちゃったなんて」 ゼルが舞い降りてきて、頭上を飛び回りながら、ぶつぶつと文句を垂れた。 「おまけに、ルギドさまとレイアさまも、すっかりらぶらぶになって、あてられっぱなしだし。おいら結局、あぶれたジュスタンさんのところにお嫁に行くことになるんでしょうか?」 「さあ、それはどうかな」 ルギドとレイア、そして、とんでもないところで名前を出されて渋い顔のジュスタンも近づいてきた。 「では、そろそろ行こう。長居は無用だ」 エリアルは、わざと明るい声を出し、立ち上がった。 「いったん帰ろう、ティトスへ。このままルクラの地平の彼方を探検してみたいという気もするが、早く戻らぬと、【うるわしのティトス】号の船員たちが、やきもきしているだろう」 「そのことだが」 ルギドは、妻の肩にかけていた手に力をこめて、引き寄せた。 「俺たちはこのまま、ここに残ろうと思う」 「ええっ」 若者たちは、驚愕に言葉を失った。 「俺たちがティトスに戻れば、またいつか、無用な戦乱を巻き起こしてしまうことになろう。俺たちは、戦うために生まれた、そういう種類の生命なのだ。ティトスにいては害になるばかりだ」 「ですが、ティエン・ルギド」 ジュスタンは、なんとか翻意を促すように試みる。「ここは生き物が住めるような環境ではありません。第一、どうやって食欲を満たすのですか。お好きな生肉も何もないのですよ」 「そう思うか?」 ルギドは、ひょいと足もとの草を引きちぎった。「わずかな生命エネルギーで、これだけの草花が芽を出した。ルクラという星は、まだ完全に死んだわけではなかったのだ。この大地のどこかに、生き物が生き延びている場所が、きっとあるに違いない」 「私たち、それを探して、旅をしようと思うの」 レイアも穏やかに微笑んだ。かつて「アローテ」と呼ばれていたころの清楚な佇まいそのものだ。 「見つけたら、野を耕し、動物たちを育て、そこで増え広がることができるかもしれない。新しいルクラを作ることだって、できるかもしれないわ。焦る必要はない。そのための時間が、私たちにはたっぷりあるもの」 「で、では、おいらもお伴にお連れ下さい」 ゼルが決して離れまいとでもいうように、ルギドのマントの肩をぎゅっと鉤爪でつかんだ。 「おまえは、今日かぎり従者を解任する」 ルギドは彼女のぷっくりした腹をつかんで、そっと引き離した。「飛行族の男を見つけて、子を生せ。ゼダの血を決して絶やしてはならぬ」 「ルギドさま……」 「泣くな。またいつか、おまえの子孫にめぐり会える日も来よう」 ルギドは若者たちに振り返り、厳しい表情に戻って命じた。 「ひとつだけ言っておく。ティトスに帰っても、ルクラの歴史は誰にも話すな。書物にも書き残すな」 「真実を広めてはいけないのか?」 「ああ、永遠の秘密だ。ティトスの平和のためには、互いの存在を知らぬほうがよいのだ――今はまだ」 「だが……」 彼の決意が固いことがわかると、エリアルは沈んだ声で言った。「ルギド。あなたがいない帝国は立ち行くだろうか。もっともっと未熟な私たちを導いてほしかったのに」 「俺など、もう無用の存在だと思うが。エリアル、おまえが皇帝エセルバートを助けて政を行えば、新ティトス帝国は必ず昔日のように栄える」 それから魔導士に向き、「ジュスタン」と呼んだ。「おまえはユーグに協力して、テアテラを再興してくれ。ティトスの自然を守り、機械文明と魔法文明が調和する理想の世界を、作り上げてほしい」 「……はい」 「ラディク、おまえには魔族をまかせる。エグラとオブラに……」 「待て、俺は」 ラディクは小さく、しかしきっぱりした声でルギドのことばを遮った。「俺も、ここに残る」 「え?」 「もう、ティトスには帰れない。俺はティトスに住む資格がない」 「ラディク」 エリアルは、すうっと蒼ざめた。「あれは、決しておまえのせいでは――」 「好きにするといい」 ルギドはそっけなく答えると、くるりと背を向けた。「帰る者を舟のところまで送っていこう」 ラディクも後に続いて歩きだした。エリアルのほうを決して見ようとしない。その完全な拒絶の意志に、エリアルも目を曇らせて口をつぐむだけだった。 沈黙のなか、岐路はあっけないほど、すぐに終わった。数日前につないだロープが、まだそのまま残っており、それを伝って崖を降りる。 舟にジュスタンとエリアル、そして荷運びの家畜を引いてゼダが乗り込んだ。 「元気で」 ラディクは、ジュスタンの別れの言葉に固い表情で「ああ」と答えただけだった。 そして、隣の皇女にようやく視線を向けたとたん、表情を変えた。 エリアルの頬に、とめどもなく涙が伝っていたのだ。 「ラディク」 「……」 声も出ない。その困惑ぶりを見ていたジュスタンは、とうとう堪え切れなくなって、ラディクの腕をグイと思い切り引っ張った。同時に、ルギドが後ろから、ものすごい力でドンと押す。 まるで、打ち合わせでもあったかのような、みごとな連携だった。 ラディクはあっけなく体勢を崩し、舟の底に転げ落ちた。 「阿呆。蜜月の邪魔だ。少しは気をきかせろ」 ルギドは、ぐいと足で船の艫(とも)を蹴り飛ばしながら、深みのある大声で叫んだ。「親父の命令だ。てめえはティトスで生きていけ」 「お、おい」 ラディクがあわてて飛び降りようとしたとき、間髪を入れずジュスタンが呪文を唱えた。 『蒼きラガシュ、天駆ける御者(のりて)なきいくさ車よ』 雷がとどろき、狭い海峡を突風が駆け抜けた。小さな舟は、まるで蒸気機関を載せているかのような猛烈ないきおいで疾駆を始めた。 「ジュスタン、そいつらを頼む」 「まかせておいてください!」 ルギドとレイアは声を合わせて笑いながら、離れていく息子や娘たちに大きく手を振った。 姿が見えなくなってからも、水面にふたりの笑い声がいつまでも響いていた――楽しげで、そして晴れやかな。 |