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The New Chronicles of Thitos

新ティトス戦記


Chapter 44



 ひとりずつ慎重に、ロープを伝って上陸した後、徒歩での進軍が始まった。
 水や食糧などの大量の荷物は、島に放し飼いにされていた四足の大型動物、【イオ・バラル】が運ぶ。ゼルはすっかり気に入ったようで、【バラちゃん】と名づけて何くれとなく世話を焼いている。
 似たようなジャングルが延々と続き、うんざりしかけていた行程は、呆気なく終わりを告げた。
「これは……」
 突如、景色が変わった。今までの豊かな緑は、まるで舞台の書き割りか何かででもあったかのように姿を消し、今や行く手には見渡すかぎり、荒涼とした原野が広がるばかりだ。
 ときおり土埃が舞い上がる白茶けた地面には、草一本、木一本生えてはいない。
「ここが、真のルクラの姿だ」
 ルギドは感情を殺した平坦な声で言った。
「生命のない世界。どこまで行っても、これと同じ景色が続いている」
 エリアルは慄然として、思わず問いつめるような調子で叫んだ。
「ルクラとは、ポワムのような球体全部。そのほんの片隅がティトスだと、以前に言っていたな」
「ああ」
「……ということは、この世界で、生命のある地はティトスだけだというのか」
「そうだ。この星で生体エネルギーが存在するのは、ティトスから【実験体の島】までの、わずかな地域だけ。ルクラ人が地表に残されたエレメントの力をすべて、そこだけに注ぎ込んだからだ」
「ルクラの人々は、何故そこまでして」と、ジュスタンは混乱した思いでつぶやいた。
 もしそれが真実なら、ジョカルたちは、ティトスの生き物たちを生かすために自らを犠牲にしたことになる。その考えは、今まで漠然と抱いていた「ティトスを滅ぼす敵」という想像から、あまりにもかけ離れている。
「説明するより、自分の目で確かめたほうが早い」
 ルギドは、尖った爪を左手の地平へ向けた。
「村……?」
 白い漆喰塗りでできた集落のようなものが、はるか遠くに見える。
「あれが、俺たちふたりが一万年の時を過ごした場所」
 ルギドの後ろで、レイアはきゅっと身を固くした。
「【はじまりの地】だ」


 まるで巨大な積み木のような四角い建物が、数区画に分かれて整然と並んでいた。窓もなく、接ぎ目もないなめらかな壁。家と呼ぶには、あまりに冷たい外観だ。
 だが、よく見れば、ところどころ壁がはがれたり、崩れ落ちている。途方もない年月の風化を感じさせた。
「こんなところにルギドとレイアは暮らしていたのか」
「暮らす?」
 レイアは皮肉げに、くすりと笑った。「そんな暢気なものじゃないわ。私たち、実験のために飼育されていたのよ」
「飼育……」
 絶句する彼らを残して、ルギドは建物の扉らしき場所に近づいた。
 壁にはめこまれた板を滑らせると、文字盤のようなものが現れる。
「扉の開閉のための装置でしょうか」
「どうやって使うのだろう?」
 興味津津で眺めている若者たちの前で、魔族の王はいきなり拳を振り上げて、文字盤を粉々に打ち砕いた。
「……おい。それでいいのかよ」
「もう誰も文句を言う奴はおらぬ」
 指を差し込むと、扉は何の抵抗もなく、するすると開いた。
 ゼルは、荷運びの家畜の手綱を、崩れた瓦礫にくくりつけると、あわてて飛んできてルギドの肩に止まった。
 中は、思わず鼻を押さえて数歩退くほどの腐臭で満ちていた。しかも床には埃が分厚い堆積を成している。
「……な、何年使われていなかったんだ」
 怖気づく仲間たちにお構いなしに、ルギドは中に入った。
 まっすぐに正面の卓に歩み寄ると、その表面を覆う無数のボタンは、【転移装置】についていたものとよく似ている。ルギドは腕組みをして、しばらく考え込んだ後ひとつのボタンを押した。さっと卓全体に明かりが灯る。記憶を取り戻したのか、指をあやつる速度は少しずつ速くなっていった。
 次々と壁の明かりが灯った。次いで、天井全体が淡く温かい色の光を放ち、内部は陽光に照らされたように明るくなった。どこかでゴウッという音が響き始め、床に積もっていた塵が、みるみる減っていく。そして部屋の中を清浄な空気が巡り始めた。
「何が始まったんだ」
「電源を回復した。空調が作動したので、もうすぐ異臭も消えるはずだ」
「デンゲン……クウチョウ」
 エリアルは背筋に怖気が駆け抜けるのを感じた。「あなたがこれほどルクラの科学に精通しているとは知らなかった」
「何千年もここにいれば、いやでも、ひととおりのことは覚える」
 ルギドは肩をすくめ、尊大な彼にしては殊勝なことばを吐いた。「もっとも、そこの女は、はなから覚える気がなかったみたいだがな」
 レイアは、ふんと鼻を鳴らした。「そんなもの、覚えたってしかたないわ」
「何千年……」
 ジュスタンは、その途方もない長さに気が遠くなりそうだった。「では、伝承で畏王が閉じ込められていたという【異次元の牢獄】とは、すなわちここのことだったのですね」
 ルギドは返事の代わりに奥の部屋への扉へと向かった。今度は何の操作もなく、扉はひとりでに開いた。
 中は不思議なことに、照明もないのに、ほの明るい。
「【牢獄】とは、よく言ったものね」
 レイアが暗がりの隅で、笑いとおびえを同時に含んだ声をあげた。
 奥の部屋にあったものは、床から天井までつながった、いくつもの円筒形の機械だった。壁はどれもガラス状で蒼白く、中が透けて見える。もし横向きに置けば、まさしく【転移装置】そのものだ。
 その装置が光っているのだ。中は空洞で扉のようなものも見当たらない。けれど、これは確かに何かを入れていた容器だ。何かを――いや、もしかすると誰かを。
「ルギド?」
 返事はない。
 その完璧に整えられた横顔には、もはや氷のような頑迷しか浮かんではいなかった。紅い目は、焦点を合わせるべきものを見出せないというように、半分閉じられている。
 かつて【畏王】と呼ばれていた男が、そこに立っていた。
 ティトスの歴史でたったひとり、奇跡的に人間と魔族の血が自然に混じり合うことによって生まれた生命。その特異な肉体と能力ゆえに、誰にも愛されず、誰かを愛することも知らなかった――たったひとりの女性を除いては。
[亜麗]
 ぽつりとつぶやく声を聞いたとき、レイアはぶるっと身震いした。まるで今までとは別人のようにうろたえ始め、踵を返し、部屋を飛び出そうとし、入口に立っていたジュスタンとぶつかった。
「いや、いや、ここはいや!」
「レイア?」
 崩れ落ちる寸前でジュスタンの腕に抱きとめられ、黒髪の少女は喉からしぼりだすように言った。「ここは、亜麗が死に……私が生まれたところなの」


 あの頃、彼は、自分が永劫の時を過ごしているとは考えたこともなかった。
 時間の密度が今とは違う。朝から晩まで、何もせず、誰とも言葉を交わすことがない日々は、微睡の中にたゆたっているようだった。
 無論、連れられてきた最初の幾日かは、力の限り透明な檻から抜け出そうと試みた。自分の体が傷つくこともいとわずに、拳を振るって壁を壊し、体に張りめぐらされているチューブを引き抜こうとした。
[無駄なことはおやめなさい]
 ひとりの男が近づいてきて、穏やかに笑いかけた。うろこのある皮膚に、人形のように作り物めいた笑顔。[いくらあなたでも、それを壊すことはできません]
 やがて、言われたとおりに、暴れるのをやめた。
 突然、気づいたのだ。今までと何も変わってはいないではないか。壮麗な宮殿の一室が、囚人用の檻に変わっただけだ。話す相手も、行く宛てもない孤独の代わりに、強いられて閉じ込められているだけだ。
 そう悟ったとき、何もかもどうでもよくなった。
 おのれの意志で食べることをやめ、呼吸をやめても、不思議なことに、この空間の中では餓死も窒息もしなかった。
 外の男は、何かを話しかけることも命令することもせず、ただ機械を操作し、生命のないモノを見つめるように、ときおり彼を観察していた。彼は透明な壁にもたれて、一日じゅう男のすることをぼんやりと見つめ返した。
 そうやって、どれくらいの時を過ごしていただろうか。
 隣の【カプセル】にひとりの少女が連れられてきた。
 その顔を見たとき、思考を停めていた彼に、何十年かぶりの衝撃が訪れた。まるで凪いだ水面の上に一滴の水が注がれたかのような。
 膝をついて、壁ににじりよる。声を出すことも、そのために肺に空気を吸い込むことも、何ヶ月ぶりだっただろう。
[亜麗]
 ずっと昔、彼が殺したはずの少女。
 だが、そんなはずはない。呪われた魔族の血を持つ自分ならともかく、人間がこんなに長く生きていられるはずはない。
[アナタハ……ダレ?]
 少女は、鈴がころがるような高い声で、そう問うた。
 彼を見つめる大きな真っ黒な瞳には、おびえの影はない。亜麗は盲目だったが、この少女は目も見えているようだ。
[彼女は、亜麗ではありませんよ]
 その男――【ジョカル】とは、【管理者》という意味だと自己紹介したことがある――は、無慈悲に宣告した。
[亜麗の細胞をとり、模(かたど)って作ったものです]
[亜麗の人形――]
 だが、彼はそれを聞いても、悲しいとは思わなかった。
 無垢な人形ならば、彼が畏王だと知っても、恐れることも、離れていくことも決してないのだ。
[アナタハ、ダレ?]
[おれは、畏王]
[ワタシハ、ダレ?]
[おまえの名は、亜麗だ]
 ひとかけらの歓びが、無味乾燥な日々に明かりを灯したようだった。
 彼はカプセルの壁越しに、根気よく彼女に語りかけ、ことばや知識を教えた。海綿が水を吸収するように、日々賢く、美しく成長する彼女を見つめることは、背筋がしびれるような快感だった。
 畏王自身も、おのれが変化していくのを感じていた。他人に何かを教えるとき、人はおのずから規範であるようにと努めるものだ。
 人の上に立つ者、主たろうとする者。ルギドの人格の下地ができたのは、このときだった。


 ジョカルの寿命は短かった。わずかニ年から数年。それぞれ寿命を迎えると、次の代のジョカルに記憶を移して、使命をゆだねて死んでいく。
 代替わりするときを狙って、まだ警戒がゆるいうちに、彼はジョカルたちに巧みに持ちかけ、ルクラ人の科学と魔法の体系を少しずつ伝授させた。まったくの文盲だった畏王にとって、それは新鮮な驚きだった。彼の中に、とめどもない知識欲が生まれた。
 ある日、彼はカプセルの入口が開いているのに気づいた。鍵をかけ忘れたのだろうか。
 実験室にはジョカルの姿は見えない。そのときは罠だとは思わなかった。たとえ罠だとしても、取るべき行動はひとつしかなかった。
 彼は、はじめてカプセルの外に出て、彼女のもとに走り寄った。
[亜麗!]
 開かないのを見てとると、ジョカルがいつも触っていた卓に屈みこみ、彼が操作していたとおりに正確にボタンを押した。
 カプセルは開き、ころがるように彼女が飛び出してきた。
[イ……オ」
 彼は、その小さな体を抱きしめ、担ぎ上げた。実験室の外へと飛び出したが、それを咎める人影はない。
 実験棟の外は、当時はまだ深い緑に覆われていた。
 ふたりは手をつないで、密林の中を走った。
 途中、何匹もの動物がのし歩いているのに出会った。彼らと同じく【実験体】として、研究の対象にされている動物。
[イヤ。コワイ。モウ、ハシレナイ]
 彼女は体を強張らせて、それ以上先に進むことを拒んだ。彼は彼女の体を木の根元に横たえた。
[亜麗]
 どんなに、この瞬間を待ちわびていたことか。
 牙を立てないように、そっと唇を当てた。同じ唇に、うなじに、そして、もっと柔らかでひそやかな場所に。
 野生の動物のように本能のまま、ふたりは落ち葉の重なりを褥(しとね)として愛し合った。葉にたまる露や樹液を飲み、木の実をもいで食べ、寝ているとき以外はすべて、互いを求めることに耽った。
 至福のときは、そう長くは続かなかった。
 ある朝起きると、彼女が死んでいた。[亜麗!]と叫びながら体を揺すぶっているうちに、いつしか彼も意識を失った。
 目を覚ますと、何ごともなかったかのように、彼は元通りに実験棟の中に戻されていた。
 だが隣のカプセルはからっぽだった。ジョカルがカプセルに近づいてきて、事務的に説明した。
[受胎に対する拒否反応に、母体が耐えきれないようです]
 そして、優しい表情に見えるものを浮かべながら、なだめるように付け加えた。
[残念ですが、今回の実験は失敗しました。またよろしくお願いしますよ]
 数ヶ月して、隣のカプセルに新しい住人が入れられた。
 彼女とまったく同じ顔、まったく同じ体。まったく同じ声でこう言う。
[アナタハ、ダレ?]


 エリアルが、部屋の外に飛び出した。悪寒に耐えきれなくなったのだろう。残った男たちも同じ思いだった。
「それが……ずっと続いたのか」
 ラディクのうめくような問いかけに、ルギドはようやく我を取り戻したのか、うなずいた。
「ああ。百年間続いた」
「百年……」
「亜麗のクローンは、受精卵が着床する瞬間に、魔族と人間の混じり合う血に耐えきれずに死んだ……何度やっても同じだった」
「そんな実験は……生命への冒涜だ!」
 ジュスタンは、レイアを支えながら、ぼとぼとと涙を落した。「どんな理由があろうと、そんな……そんなふうに人をいたぶることが赦されるはずはない」
 外にいたエリアルが戻ってきて、レイアを抱きしめ慟哭している想い人の背中をぼんやりと見つめた。
「それで、死ぬことがわかってても、あんたは亜麗を抱き続けたのかよ」
 ラディクは荒い息の合間に叫んだ。「……なんで、やめなかったんだ!」
「彼女を愛していた」
 ルギドは泣いているかのように、声をかすかに震わせた。「愛しているなら、抱くべきではなかった。だが、愛しているから、抱きたかった。いや……抱くしかなかった」
 レイアはジュスタンの腕から離れて、静かに立った。涙に濡れた瞳を毅然と上げて、ルギドを見つめた。
「いいえ、あなたは亜麗を愛すると同時に憎んでいた。だから殺したいと思っていたのよ」
「冗談じゃねえ! そんなバカな話があるか」
 ラディクは、やりきれない拳を竪琴の腹に叩きつけた。弦が震え、悲鳴のような音を立てた。
「すまない。ラディク」
 ルギドは、ひどく憔悴した声で続けた。
「すべては、俺たちの――いや、俺の罪から始まったことだ。おまえをこの世に産み出した絆が、もっと美しいものであれば良かったのに。おまえには詫びる言葉がない」
「亜麗が産んだ子が、レイアなのか? じゃあ、もしかするとレイアは、あんたの娘ということになるのか」
 ルギドの銀髪が、肯定のしるしに揺れた。「娘と言えば、言えるのかもしれん」
「でも、魔族では父親と娘が夫婦になるのは、よくあることなんです。ですからそれほど気にすることは――」
 ゼルは少しでもラディクの受けたショックを和らげようとしたが、彼はそれを、いらだった口調で遮った。
「それから、どうなった!」
「……あとは、歴史が示すとおりだ」


 ある日、ジョカルとともに現われたのは、亜麗にそっくりな美貌の少女だった。
[これは……]
[【アローテ】と呼んでいます。亜麗から生まれた者、亜麗よりもっと美しいでしょう]
[なんだと……]
[ついに、あなたと亜麗の受精卵が着床に成功したのですよ。そこから特定の遺伝子情報だけを精選して、ふたたび亜麗のクローン胚に植えつけたのです。ですから彼女はあなたと同じ、魔族と人間の混血です。長命で強靭で、限りなく不老不死に近い【完成体】。ともに永遠を分かち合うことのできるパートナーです]
[亜麗は……どこだ]
[もう用済みになったので廃棄しましたが、何か?]
 畏王が狂ったのは、そのときからだった。
 その夜、彼はジョカルの隙をつき、【転移装置】を奪ってティトスへと脱走を試みた。百年ぶりの故郷で彼の為したことは、生命を片っ端から抹殺することだった。

 生命は害悪だ。ティトスは滅びねばならぬ。ティトスの生きとし生けるものは、すべて滅びねばならぬ。

 手こずったジョカルたちは、長い年月をかけて人間にルクラの言語を魔法の体系として伝授し、ついに彼を捕らえることに成功した。ふたたび実験棟に連れ戻された彼を待っていたのは、文字どおり一万年の牢獄だった。
 アローテは、いつも彼の隣に寄り添おうとしたが、畏王はそれを頑なに否んだ。
[イオ・ルギド]
[俺に近づくな]
[だって私には、あなたしかいないのに]
[おまえなど消えてしまえ、アローテ。俺たちは存在してはならない生命だ」
[なぜ、そんなことを言うの。生まれたくて生まれたわけじゃないのに。それじゃ、何のために私は生まれたの。どうすればいいの]
[ティトスのすべての生命は滅ぼす]
[じゃあ、私もあなたを手伝うわ。いっしょにティトスを滅ぼしましょう]
 憎しみと愛情のあいだを絶えず揺れ動いた。その中で唯一の絆となったのは、「ともにティトスを滅ぼす」という約束だった。ふたりにとって、一万年のあいだに生きる目的へと昇華された、悲しい呪文だった。


「ジョカルたちは、しばしばティトスの歴史に介入し、魔族と人間という二つの種族の均衡を保っていた。あるときは片方に肩入れをし、あるときは竜や召喚獣を使って増え過ぎた人口を間引く。そうしてティトスの生命エネルギーの総量を極限まで高めていたのだ」
 だが、それさえも制御不能になるときがあった。最終手段として、彼らは巧みに魔族と人間をそそのかし、戦争を起こすようになった。
「ティトスの戦記は……そんなふうに綴られてきたのだな」
 エリアルがぽつりと呟いた寂しそうな声が、全員の気持ちを代弁していた。
 やむをえぬ、正義のための戦争だと思いたかった。生きる道を懸命に模索した結果の戦いだと思いたかった。
 それが、外部の異世界人の操作によるものだったとは信じたくなかった。
「そのあいだにも、ルクラの生命エネルギーはますます衰退していった」
 ルギドは、自分の目で見てきた一万年の歴史を、まるで一夜の夢であるかのように淡々と話した。
 実験棟を囲んでいた密林も、ことごとく姿を消し、荒野と化した。ジョカルたちの寿命も、それにつれて短くなり、代替わりが頻繁に起こるようになっていった。結界に守られたティトスだけが、かろうじて生き物を生かす自然を保っていたのだ。
「当時の【管理者】ジョカルは、俺たちふたりとともにティトスに移ることにした。遺伝情報の限定によって俺たちの魔力を封印し、幼い人間の姿を取らせて」
「なぜ、わざわざそんなことを?」
 エリアルの問いに、ルギドは首を振った。「わからぬ」
「私がそうジョカルに頼んだからよ」
 部屋にいた全員が、一斉にレイアを振り返った。
「おまえが?」
「すべて忘れさせて。初めからやり直させて……そう願ったの」
 尊大な女王を演じていた少女はそう言って、嗚咽をこらえて唇を噛みしめた。
「あなたに愛してほしかった。記憶をなくして、素のままになれば、きっと私に対する憎しみを忘れてくれるって……そう思ったの。人間にしてと頼んだのも、私。……強い力なんか要らない。普通の人間として、ティトスの片隅で普通の恋人のように出会いたかった」
 剣士リュート・リヒターとして。
 白魔導士アローテ・ルヴォアとして。
「私たちは、出会って一目で恋に落ちた。でも、それはすべて定められていたこと。私が……自分の身勝手のために、ティトスのすべての生命を彼らに売り渡したのよ!」
 エリアルが、横からそっと彼女の肩を抱いた。
「そんなことはない」
 皇女の目にも、大きな涙が光っていた。「あなたは、それほどまでに彼を一途に愛し続けたのだ。誰もそれを咎めることはできない」
「ごめんなさい……」
 彼女の肩に頭を預けて、泣きじゃくるレイアに、ルギドは歩み寄った。
「アローテ」
 限りなく優しい声で妻の名を呼ぶと、彼は長い爪で彼女の額にかかった前髪をはらった。
「俺は、おまえを憎んだことなど一度もない。どうして、そんなことができるはずがある? おまえは永遠に、俺の妻。すべてを犠牲にしても守りたかった唯一の女だ」
「あなた……」
 レイアはすべての虚勢をかなぐり捨てて、夫の胸に飛び込んだ。
「ああ、やっと、おふたりは元の居場所に戻られたんですねえ」
 ゼルも大きな目を満杯の池にしながら、翼を打ち鳴らした。「やっぱり、この組み合わせが最高ですよ。これでルクラ人どもの陰謀も潰えて、ティトスは万万歳……」
 ゼルは「あれ?」と首をひねった。「なんかまだ、大事なことを忘れているような気がしてきた」
「待ってくれ。では、なぜジョカルはリュートを途中で人間から魔族に転生させて、アローテと敵対させたのだ?」
 アシュレイの書き遺した手記を読んでいるエリアルは、まだ解き明かされぬ疑問を提示した。
「そうだ。彼らは、ティトスを滅ぼさぬよう細心の注意をはらって歴史に介入していたはずです。それなのに、一方でティトスを滅ぼそうとしていたとは、どういう意味なんですか」
 ジュスタンも、納得がいかない様子だった。
「【理想体】とは、結局何なんだ!」
 ラディクの苛立ちは、頂点に達した。
「答えを知りたければ」
 ルギドはいきなり剣を鞘から放った。「その奥へ行けば、わかる」
 彼の視線の先にある扉を見て、ラディクは体を強張らせた。
「何があるっていうんだ」
 進みたくとも、体が前に進もうとしない。
「おまえは、そのためにここへ来たのだろう」
 黒い剣の先は、油断なく、まっすぐラディクを指している。
「わかった」
 吟遊詩人は大きな息を吐いた。唇を湿し、竪琴をまるで盾のように握り直した。
 何があるとしても、自分の目で見なければならない。そのために、はるばるこの地まで来たのだから。ティトスの叙事詩の最終楽章を紡ぐために。
 ラディクは、扉を押し開いた。








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