「満賢の魔鏡」 一の巻 「撫子」(1)
back | top | home 満賢の魔鏡の中で、人は過去に戻る。 後の記憶をなくして、まるで元からその日々を過ごしてきたように、生きるのである。 貞観11年(869年)。平安と呼ばれる時代に、都の朱雀大路をひとりの男が歩いている。 一風変わった男であった。 浅緋の衣を着けなければならない正式な出仕の折りにも、いつも目の覚めるような薄緑の狩衣を着ている。春の若草の色である。 第一、貴族であるのに牛車を使ったことがない。供も連れない。どこに行くにも徒歩ですましてしまう。道行く庶人からは『徒歩の大夫』などと陰でささやかれている。 人目を引きながら同時に、自分のまわりに人を寄せつけぬ雰囲気をまとっている。 従五位上行陰陽助 藤原光季 というのが、彼の呼称である。 『従五位上』というのは位階であり、昇殿を許される殿上人の資格を得ていることを表わす。 『陰陽助』というのは、陰陽寮という役所の副長官職にあることを意味する。 すなわち彼の職業は陰陽師である。 ただし、歴史上もっとも有名な陰陽師である賀茂家の忠行・保憲父子や、土御門家を開いた安倍晴明とは、生きていた時代が異なる。彼らが活躍する時代までは、この後さらに数十年を待たねばならない。 藤原という姓は、藤原鎌足と不比等を祖とする有力一族の系図に連なることを示している。 実際のところ、彼の父親は正三位参議という要職に就いている。その嫡子である光季には、黙っていても上の官位が、年を追うごとにころがりこんでくるはずだった。しかし、それを嫌がってとっとと内裏から逃げ出してしまい、陰陽寮に納まったまま今に至っている。 出世にあくせくする者たちから変わり者と評されても、意に介さない。 藤原光季。 この男こそ、霊剣・草薙が千百年前の昔、人であったときの姿なのだ。 朱雀門をくぐって宮城の中に入ると、天皇の御住まいである内裏を囲むように、諸省・役所が所在する。 現代風に言えば、皇居の回りに霞が関の省庁が軒を連ね、さらにそれらをぐるりと塀が取り囲んでいるという図になる。 そして陰陽寮は内裏のすぐ南側に位置している。 陰陽寮は、天武天皇の治世、暦と天文を司る部署として創設された。 大宝令にも 『天文・暦、気象に異変があれば、密封文書にて天皇に奏聞する』 と定められ、いわばトップクラスの技術職としての色合いが濃い。 主な仕事は、暦の作成、気象観測、時刻の管理などであったが、中国から伝わった陰陽五行説に基づき、吉兆を占う占術や呪術も行ない、むしろ後代になるにつれて、その秘術の側面が強くなってくる。 この日、光季が登城したのは昼過ぎであった。 「遅いではないか。光季どの」 陰陽寮の長官に当たる陰陽頭、賀茂峯雄が、彼が部屋に入ってきたとたん顔をしかめた。 賀茂峯雄は、賀茂忠行の父に当たる。一説には「竹取物語」の作者とも言われ、その前年まで上野権介や越前介も兼任していた切れ者でもある。 ただし位階は光季より下の従五位下であり、身分的には上である部下は、普通ならば彼にとって、さぞや煙たい存在だったろう。 「申し訳ござりませぬ。このところ夜が心地よく誘ってくるので、明け方まで散歩をしておりました」 光季は、しゃあしゃあと悪びれずに言い訳する。 「誘っているのは、どこかのやんごとなき姫君ではないのかな。帝の想い人に手をつけてご不興を買い、参内を差し止められておられるのは、どこのどなたじゃったかな」 こちらも、負けてはいない。毎日のように行われる言い合いを、本人たちも回りの者も楽しんでいる風すらある。 「まあよい。それより、客がおる」 「ほう。どなたですか」 「会えばわかる」 ふたりは東に面した板の間に入り、円座に腰を据えた。 庭に面した簀の子縁に、烏帽子に直衣姿のひとりの男が頭を下げて侍っていた。 「お待たせ申した、矢上どの」 賀茂峯雄が声をかける。 「隣におわすのが、陰陽助、藤原光季どのじゃ」 「お初にお目にかかりまする。矢上直明と申します」 男は簀の子に両手をつき、光季に向かって深々とお辞儀した。 「直明どのは、夜叉追い、矢上一族の総領であられる」 「夜叉追い? 耳慣れぬ言葉ですが」 「はい。真言を用いて夜叉を祓うことを、なりわいとしておりまする」 「さすれば、真言宗密教の法師どのか」 「いえ、われら、僧侶とも異なります」 男が顔を上げた。四十歳ほどで色は浅黒く、身分はそう高くないと見えるが、凛とした気品のある面立ちをしている。 (代々の総領が名乗る『統馬』という通し名は、この時代はまだ使われておらぬのじゃな) 光季は、心の中で呟いた。 なぜそのように不可解なことを思ったのか、彼自身にもわからない。もともとが、生まれつき突飛な考えを思いつく性分なので、ことさら気にも留めない。 「夜叉とは鬼に似ておりまする」 矢上直明が説明を始めた。 「ですが、鬼は自分の欲や恨みのままに行動します。徒党は組んでも、一致することはありませぬ。しかしながら、夜叉には、上下の位が存在し、上位の夜叉が下位の夜叉を束ねてひとつの集団となし、あれこれと指図します」 「鬼にも位階ができたとは、この宮城のようだな」 直明は、口元に皮肉な笑みをのぼらせた。 「はい、しかも武士の郎党のごとき団結がございます。だからこそわれら夜叉追いも、剣を帯び、仏にたまわった真言を修め、一族郎党を挙げて夜叉に立ち向かうべきだと考えております」 「さて、光季どの。直明どの」 陰陽頭は、そろそろ雑談を終え本題に入ろうとしていた。 「今日集まってもろうたのは、このたび執り行われる祇園社の御霊会の件でな」 「そのことなら」 光季も聞いていた。 このところ、都におそろしい疫病がたびたび流行る。飢饉や災害も、あまねく国中に絶えない。 災害というのは、この世に恨みを残して死んだ死霊たちのしわざだというのが、当時の人々の考え方である。その怨霊や疫神たちを鎮めるために、夏から秋にかけて「疫神祭」や「御霊会」を催すのが、毎年の慣例となっていたのだ。 このたび行われる祇園御霊会は、六月七日、都の河東にある八坂の地で、諸国六十六カ国にちなみ六十六本の矛を建てて祈願するというものであった。 「だが今回の神事を行なうのは、祇園社と、その神子たちと聞きおよびましたが」 「たしかに、勅を奉じたのは、祇園社司の卜部日良麻呂どのであるのだがな。われわれ陰陽寮も、直明どのたち夜叉追いも、陰ながらお手伝いをするようにとの密勅を受けておる」 「いったい、何ゆえに?」 峯雄はいったん口をつぐむと、あたりをはばかるように声をひそめた。 「このところ、不穏な空気が宮城を包んでおるのだ」 公表されてはいないが、右大臣と近衛大将が突然の病に倒れ、更衣のひとりが流産し、民部卿の屋敷が火事になった。 宮中を突然襲った凶事に、帝や中宮をはじめ内裏は恐怖におののいているという。 そうなると忙しいのが陰陽師たちで、公卿や女房たちの夢解きに、物忌みに、方違えにと走り回らなければならなかった。 内裏にはびこるその怪異を祓うために、今回の『祇園御霊会』が奉ぜられるのであって、民の疫病のための祈願という表向きの理由などは、実は二の次なのである。 (結局、陰陽師とは、あいつらの度を越した野心の尻拭いをさせられているだけか) そう考えるたびに、光季は仕事に身が入らなくなっていく。 公卿たちが恐れているのは、自分が蹴落としていった政敵の祟りなのだ。 政争に敗れ去って無念のうちに死に、怨霊になったと言われる者の代表は、これより十数年ほど後代の菅原道真であろう。 彼の出世を妬んだ者たちの陰謀により、道真は流刑に処され、大宰府で無念の死を遂げた、その死後、清涼殿が落雷により焼失するなどの数々の変事が都に続き、宮廷は彼を北野天満宮に祀ることによって祟りを鎮めようとしたと言われる。 だが、歴史からは抹消されているものの、それに類する政争はいくらでも起こっていたのである。その中心となっていたのが、みずからの父であり、その属する藤原氏であることが、光季にとっては一番やりきれない。 矢上直明が辞したあと、 「相模守・源 冷さまの屋敷に行ってはくれんか。物忌みで屋敷に篭もられたとたんに、すさまじい悪寒がして床に伏せってしまわれたそうだ」 陰陽頭からそう命ぜられた光季は、露骨な仏頂面をした。 「気が進みませんな。わたしでなければなりませぬか」 「ならば、わしの代わりに清涼殿に参内してくれてもかまわぬが」 「承知しました。行きます。国守様のお屋敷のほうが、幾分ましですよ」 という具合で、その午後、光季は市中に徒歩で出かけることとなった。 京の都は朱雀大路を境に、西と東に分かれており、西側を右京、東側を左京と呼ぶ。 右京は荒れており、貴族の邸宅のほとんどは左京の町にあった。 源の屋敷は壮麗な檜皮葺の寝殿造りで、東門をくぐった光季が訪いを入れると、入り口近くの廊で長い時間待たされた。 やがて家人に案内され、寝殿の奥の間で伏せっている相模守と、ようやく格子戸と御簾越しに対面することができた。 任地相模の国には代理人を送り、自身は都に留まる。いわゆる「遥任の国守」であった。 「陰陽寮からまいりました。卿には、お加減はいかがでござりまするか」 奥の間より二段低い簀の子の広縁で、光季はひれ伏した。 「うむ。ようはならぬ。この数日、なんとも言えぬ悪寒に襲われておる」 「典薬寮の侍医の見立ては、なんと」 「原因はわからぬそうじゃ。呪禁師にも悪気を払わせたが、効き目がない。陰陽師。そなたの占術が頼りじゃ」 「心得ましてござります」 光季は、顔を上げ居住まいを正すと、ふところから六壬式盤を取り出した。 「物忌みを始められた日と刻は?」 「卯月の六日、夕刻であった」 六壬とは、十年ほど前に訪れた遣唐使が伝えた占いを改良したもので、天盤・地盤ふたつの盤を組み合わせた式盤を、時刻に合わせて回転させる。盤には十干、十二支、十二天将、四門、二十八宿などが彫られており、これらの意味を読み取ることで、ものごとを占うのだ。 「わかりました」 「して、その占断は?」 「何者かの呪詛でござりまするな」 「なんと、呪詛とな」 相模守が、夜具をはねのけ飛び起きた気配がする。よほど肝をつぶしたのだろう。 「恐れながら、ただちに寝所をお移りになられたほうがよろしいかと存じます。この建物に呪詛の気が集まっているようです」 「う、うむ」 国守が西の対に移ったあと、光季は家人に木の台と香炉を持って来るように命じ、それを主の寝所に据えさせた。 また墨と硯も用意させ、紙に文字を書きつけた。 その紙を、呪をとなえながら香炉にくべる。 紙はめらめらと燃え上がり、普通ならばその煙は上に立ち昇るはずであった。 しかし、煙は降り始めたのである。床の上でたゆたって、まるで吸い込まれるように消えていく。 光季はこの家の家人を呼び、床の一点を指差した。 「この真下の地面を掘ってください」 ほどなく、下働きの男が目指すものを掘り当てた。 桐の板でできた呪いの人形。そこには、源冷の名と生年が記されていたのである。 next | top | home Copyright (c) 2004-2008 BUTAPENN. |