第四話  地より叫ぶもの(6)                   back |  top | home




 あの惨事の夜から2日が経った。
 古びた暗い六帖間には統馬のほかに、袈裟から普段の派手な服装に戻った久下尚人と、その隣で毛づくろいをしている草薙の姿があった。
「矢上くんは、まだ目覚めないの?」
「ああ、半遮羅の姿に戻ったあとは、いつもこうなんじゃよ。3日は起きない」
 白狐は、横たわる統馬の後頭部をくすぐるように鼻先を押しつけた。だが統馬は身じろぎもしなかった。呼吸は、していることもわからないほどに深く静かで、仮死状態とさえ思える。
 詩乃は彼のそばににじりより、むきだしの背中にそっと指先を触れた。
「矢上くん…・・・」
 背中に現れていた4つの種印は、午後の北向きの室内では、痣とほとんど見分けがつかないほど薄くなっていた。
 しかもそのうちひとつは、完全に消えてしまっている。婆多祁哩の種印だ。婆多祁哩が滅び、その妖力とともに消滅したのだろう。
「おうちのほうは?」
 久下の問いかけに、詩乃は頭を巡らした。
「ええ、うちのあたりは火事も略奪もなくて。国道周辺に比べたら、比較的無傷だったみたいです」
「まる一日帰らなくて、ご両親はさぞ動転してらしたでしょう」
「一応、心配はしていたみたいです。……ちょっと涙声になってたのが、うれしかったかな。でも、無事が確認できたら、すぐに元に戻って、また昨日はそれぞれの恋人のところに行っちゃいましたけどね」
 穏やかに、他人事のように話す詩乃の笑顔が、久下の目には痛々しかった。


 T市に起きた一連の騒動は、昨日からテレビのワイドショーの格好のネタになっていた。評論家たちは、「真夏の夜の不快指数と人間の精神状態の関係」や、「噂によってパニックに陥りやすい近郊型都市住民の不安と孤立」などについて、泡を飛ばして激論している。
 結局、暴走族の騒音に怒った一般市民の一部が暴徒化したための集団ヒステリー事件、ということに結論が落ち着いているようだ。
 T高の場合は、また別の騒ぎが起きていた。
 校舎の火災自体は、騒ぎに便乗しての放火と見られていたが、家庭科室の焼け跡から、切断された形跡のある大量の人骨が発見されたのだ。それらの骨はただちにDNA鑑定が行われるが、焼け焦げているため誰のものかわかる可能性は薄いという。また、家庭科担当の澤村ミツコ教諭(36)も行方不明であるとニュースでは報じている。
「やっと終わりましたね」
「ああ、終わった」
「残る夜叉八将は、あと三人」
「ここまで二百年かかった。長かったな……」
 久下と草薙は、窓から家々の屋根の平和な景色を見晴らしながら、しみじみと言い交わしている。
「久下さん」
 詩乃は、居住まいを正した。
「いろんなことが、わからないんです。まず一番目。久下さんて、いったい何者なんですか?」
「は……はは。そいつは答えるのがむずかしいな」
 久下は、困ったように金髪頭を掻いた。
「久下さんも、夜叉なんですか?」
「いや、そうではない。僕は普通の人間ですよ」
 そう言って、観念した吐息をつくと、胡坐を組みなおす。
「統馬に初めて会ったとき、僕は慈恵という名の年老いた密教の僧侶でした。それから二百二十年間、そのときの記憶を持ったまま現在まで、……そう、5回転生を繰り返しています」
「転生……ですか?」
「信じられないでしょうが、そうなのです。だから僕は統馬に5回めぐり合っている。いつも統馬のほうから僕を捜し出してくれたわけですが」
「長い、長い因縁じゃったのう」
 草薙が彼の傍らで尻尾を垂れて、しぱしぱと黄金の目を瞬いている。
「統馬はそのあいだ、ずっとこの姿のまま年を取りません。数えきれないほどの夜叉を祓いつつ、夜叉八将の残りの者を追いかけてきた。それが、多くの人間を殺戮した自分の罪を償うことだとわきまえて。僕と草薙以外にはことばを交わす相手もなく、ただひとり数百年の時を生きてきたのです。詩乃さん、あなたに会うまでは……」
 肩を丸めて、視線を畳に落とす。
「あなたが統馬に親切にしてくださって、優しいことばをかけてくださって、僕たちは本当に嬉しかったのです。こいつにはこれまで、そんな安らぎはありませんでしたから。
でも、……でももう、これきりにしてくださいませんか。残酷なようだけど、あなたと統馬は決して結ばれることはできない。こいつには、今は封印されていても、紛れもなく夜叉の血が流れているのです。それに、またこれから何百年と生き続けて、夜叉どもと戦わなければならない。互いを求めれば求めるほど、あとに来る別れが辛い。おわかりくださいますか」
 久下は胡坐をほどいて座り直し、深々と頭を下げた。
「私たちは、次の夜叉の将を追わなければなりません。例の事務所は畳んで、すぐにこのT市を離れます。ほんとうにお世話になりました」
 詩乃は少し濡れた、だが低くしっかりとした声で訊ねた。
「最後に、ひとつだけ教えてください。――「しの」というのは、誰なんですか」
「それは……」
「矢上くんは、最初に会ったときから私のことを、同じ「しの」という名前の誰かの身代わりとして見ていると感じてました。だから多分彼は、私のことが好きなんじゃなくて、その人のことが忘れられないんだと思う……」
 彼女の目に、新しい涙が浮かぶ。
「それを聞けば、もしかして矢上くんのこと諦められるかもしれません。聞いたって、やっぱり諦められないかもしれません。でもどうしても知りたいんです。せめて、そのことだけでも最後に話してはいただけないでしょうか」
「信野は……」
「草薙!」
 制止しようとする久下に、草薙は頭(かぶり)を振った。
「久下よ。すべてを話したほうがよいと思うのじゃ。たとえ、詩乃どのにとって残酷な話であろうとも。この女人は、それが受け止められるだけの強さを持っている」
「ナギちゃん、お願い!」
 詩乃も必死で食い下がる。
「どんな話だろうと、覚悟はできてる!」
「長い話になるぞ」
「その準備もお弁当も、できてる!」
 詩乃は、持って来た袋の中から、いそいそと大きなプラスチックの重箱を取り出した。
「精進料理だし、久下さんも食べられます。お泊りセットも持って来たから徹夜になってもだいじょうぶ」
「はは……。詩乃さん、あなたは」
 久下は降参した証に、くすくす笑い出した。
「たいした人だ。統馬がぞっこん惚れこむわけです。
――でも、僕が知っていることは、そう多くはない。最初に会ったのは、すでに半遮羅になった後ですし、あの通り、肝心なことは何も言わない男ですから」
「久下の知らぬ部分は、わたしが補足しよう。代々の矢上家に祭られてきた神刀として見てきたことを」
 草薙が部屋の中央に進み出ると、おごそかに髭をぴんと立てた。しかし、さすがに最初のことばは、言い澱まざるを得ない。
「信野は、……統馬の妻となった女じゃ」
「え?」
「矢上一族を滅亡に導き、統馬を狂気に追いやったのは、統馬の実の兄・誠太郎。そして統馬の妻・信野だったのじゃ」
 ぶるぶると膝の上の拳を震わせている詩乃から悲しそうに目をそむけると、草薙は時の彼方を見つめながら、ことばを継いでゆく。


「すべての災厄は四百年前の、あの炎に包まれた祝言の夜から始まった…・・・」




                                      第四話    終  


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