第八話  うつつに惑うもの(1)                   back |  top | home




「……で。すぐにこの家を出ろ、俺のところに来いって啖呵を切っちゃったわけですね」
 あきれ果てたように、久下尚人が腕組みをして見下ろしている。
「止めようとするご両親を、「うるさい!」のひとことで威嚇して、身の回りのものを詰めたカバンひとつで詩乃さんを連れ出してきたと」
「まあ、まさに、的確に、寸分違わず、そういうことじゃな」
「それって、もしかして、いや、もしかしなくても、誘拐ですよ。未成年略取誘拐」
 はああと大げさにため息をついてから、憮然として「久下心霊調査事務所」のソファに座っている統馬と、小さく縮こまっている詩乃をかわるがわる見つめた。
「とりあえず、すんでしまったことは仕方ありません。私から、詩乃さんの親御さんに電話を入れておきます、統馬の叔父ということにでもして。もし、先方から警察に届けられたとしたら、鷹泉のお嬢さんに揉み消してもらうしかありませんね。
統馬。あなたには戸籍すらないんですよ。現代の日本には存在しないはずの人間なんです。学校の手続きだけなら、なんとかなりますが、それ以上の行動は慎まなくてはなりません。そのことを忘れてもらっちゃ困るんです」
「……わかった。すまない」
 正論を吐かれて、統馬も自分の非を認めるしかない。
 事務所の奥のデスクに戻ろうとする久下の肩にぴょんと、草薙が飛び乗った。
「あまり、責めてやるな。あの場では、ああするしかなかったわい」
「わかっています」
 久下は椅子に腰をおろし、草薙は机の上から彼と向き合う。
「ご両親から捨てられようとしている詩乃どのが、どれほど統馬のことばに救われたか。わたしでも同じことを言いたかったぐらいじゃ」
「でも僕が董子だったときは、鷹泉家から勘当されたことさえ統馬は無関心でしたよ。詩乃さんとは大違いです」
 背もたれに頭を預けた久下は、くすくすと笑った。
「草薙、僕は詩乃さんにやきもちを焼いてるのかもしれませんねえ」
「まあ、その気持ち、わからんでもないが」
 白狐も、苦笑いしている。
「それより、久下よ。気になることがあるのじゃ」
「統馬のことですね」
「毘灑迦を倒してから、感情の振幅が激しい。いつも夜叉八将と戦う前は気持ちが苛立つのが常じゃが、今回は倒した後も同じ状態が続いておる。……それに、霊力が以前とはくらべものにならないくらい、高まった」
「私もそのことは、京都御所にいたときに感じました」
「詩乃どのを想う気持ちをもてあまして、混乱しておる。確かにそういう一面もあるのじゃが。問題は、夜叉八将のほうも妖力が増し加わっていることじゃ」
「そう言えば、毘灑迦の金剛鈴の術も聞いていた以上のものでした。まったく太刀打ちできなかった。僕は自分の霊力がこれほどまでに弱くなってしまったのかと思いましたよ」
「わたしもじゃ」
 数百年来の友は、ふーっと大きなため息をつき合った。
「まあ、愚痴っていてもしかたないわい。先に進むことを考えぬとな」


「詩乃さん」
 あちこちに電話をかけ終えた久下が応接スペースに戻ってきたとき、詩乃はあわてて口に人差し指を当てた。
「矢上くん、寝ちゃったの」
 見れば、ソファの上に斜めに崩れかかるようにして、統馬が前後不覚に陥っている。
「今回は半遮羅から戻ったあと丸一日、修学旅行で寝る暇がなかったからのう。この調子じゃ4日は起きぬな」
「明日から高校は旅行休みだから、ちょうどいいんですけど」
「それより、詩乃さん、これからのことをお話したいのです。学校や、住む場所のことなど」
 詩乃は覚悟を固め、ソファの隅に座りなおした。
「はい」
「詩乃さんのご両親にはとりあえず電話をして、こちらでしばらくお預かりするということで、ご了承いただきました。なかば無理矢理にですが。ご両親としても、とても納得できる話ではないと思いますが、しかたありません」
「すみません、久下さんには本当にご迷惑をかけてしまって」
「そこで相談なのですが、詩乃さんはこの事務所に、住み込みで働いてくださる気はありませんか?」
「え?」
「実は、このビルのオーナーに前から頼まれていたのですよ。この上の階のワンルームが空いているので、借りてくれないかって。優良テナントの僕たちなら破格の賃料でいいって言うんですよ。風呂もエアコンもついて、統馬のあのぼろアパートの家賃プラス一万円ですよ。すごいでしょう」
 久下はもうすべて決定したという素振りで、てきばきと話を進める。
「今の体制だと、僕が出張のたびに事務所を閉めなくてはならなくて、大きなビジネスチャンスを逃してるなあって以前から思っていたんです。夜叉追いの仕事は本来、昼夜なく24時間体制で依頼を受けるものだと思うんです」
「……」
「詩乃さんに、ここの電話番と事務、それからときどき夜叉追いの仕事の手伝いをお願いできると、とても助かります。お給料は少ないかわりに、ワンルームの家賃はこちらで負担します」
「い、いえ。家賃は自分で払います。そんな迷惑をかけるわけには」
 所長はそのことばを、さえぎる。
「いいえ。統馬のアパートを解約すれば、わずかな負担ですみますから。
あ、もちろん、ふたりとも高校には行っていただいていいですよ。電車通学になってしまいますから30分早起きしてもらわなければいけませんけど」
「あ、あの久下さん、それで矢上くんはどこへ……」
 詩乃はうろたえて問いかけた。一瞬、頭の中に「同棲」という古めかしい二文字が燦然と浮かび上がる。
「それは当然、今みたいにこの事務所のソファで寝起きしてもらいましょう」
 詩乃の妄想を知ってか知らずか、久下はいたずらっぽくウインクした。
「今回の騒動は全部こいつのせいなのだから、それくらいは当然です。心配しなくても、昔から穴ぐらや木の根元で寝ていた男です、どこで寝ても平気でしょう。夜間の電話番にもなるし、一石二鳥というものです」
「でも久下さん、私何の役にも立たないのに。おことばに甘えてしまっていいんでしょうか」
「いいんですよ」
 彼は、深い慈愛に満ちた笑みをたたえた。
「あなたは、自分を過小評価しすぎです。己の秘めた力がわかっておられない。
詩乃さんのおかげで、どれだけ僕たちが力を与えられているか。……何よりも統馬が、どれだけあなたといることで慰められているか。きっと想像もつかないでしょう」
 顔を赤らめてうなだれている詩乃と、その隣で爆睡している統馬を見比べ、久下はくすくす笑った。
「目が覚めて、帰る場所がなくなっていると知ったら、こいつはどんな顔をするでしょうね」


「お母さん、こっちよ」
 駅前ビルの2階の喫茶店の窓際の席から、詩乃は手を振った。
 スーツを着た中年の女性が、前の席に座る。
「荷物は、届いた?」
「うん、全部届いたよ。ありがとう、新しいテレビまで買ってくれて」
「ううん、それくらいのこと」
 近づいてきたウェイトレスに注文を告げたあと、母親は何か言いたそうに視線を落としている。
「お母さんと会社帰りに待ち合わせてお茶するなんて、生まれて初めてかもしれないね」
 詩乃は柔らかく微笑みながら、窓の外を見つめた。
「詩乃……。生活はだいじょうぶなの?」
「うん、だいじょうぶよ。家賃のほかにアルバイト代もくれるって言うし、貯金もあるから」
「でも……」
「それに、別に矢上くんといっしょに住んでるわけじゃないから」
 心配を察して明るくつけ加えると、母親も表情をゆるめた。
「あの子、不思議な子ね。お父さんは無礼だと怒っていたけど、お母さんはなんだか信じられる気がする」
「あたりまえよ。私が好きになった人なんだもの」
「……あの子と将来の約束、してるの?」
「ううん」
 詩乃は首を振る。
「矢上くんは、とても大きな運命を背負っている人だから……。たぶん、結婚とかそういうのは、できないと思う。でもそれでいいと思ってる。そばにいられるだけで、幸せだから」
「詩乃ちゃん……」
 ウェイトレスがコーヒーカップを置いて立ち去るまで待ってから、詩乃の母は両手をテーブルの縁にかけて頭を垂れた。
「赦してちょうだい。子どものときからどんなにあなたに寂しい思いをさせていたか、あなたに言われるまで気づこうとしなかった」
「……もういいよ」
「沙織ちゃんが死んでから、私たちはあなたを見ているのが辛かった。詩乃ちゃんを見て、沙織ちゃんのことを思い出すのが怖かったの」
「違うの、悪いのは私」
 涙をたたえた瞳で、詩乃は母親を見つめた。
「結局、私が拒否していたんだもん。お父さんとお母さんの愛はいらないって、拒否して生きてきたんだもん。ほんとはもっと、抱きしめてほしいって叫べばよかったのに。寂しければ寂しいほど、本心を悟られないように、やせ我慢してがんばった。……それって、逆だよね」
「……」
「でも、遅いね。私たち家族は、もうやり直すことなんてできないよね。いったん狂った歯車はもう元には戻らない」
「ごめんなさい……」
 母子は、それ以上話すことばもなく、向き合って座っていた。
「ひとつだけお願いがあるの。お父さんと結婚したこと、間違いだったって、あんまり言わないでほしい。そしたら私が生まれたことも間違いだったってことになる。
私は生まれたことが幸せだと思ってる。こうして生まれて、大きくなって、矢上くんと出会えたこと、ほんとに感謝してる。だから、お父さんもお母さんも私を生んだことを、絶対に後悔しないでね」
 返事の代わりに、詩乃の母は項垂れたまま、ぽとりとテーブルに水滴を落とした。


 ワンルームに引っ越してから、詩乃は夜9時を過ぎると近くのコインランドリーに来るのが日課となった。
 学校から飛んで帰ってすぐ、「久下心霊調査事務所」の電話番をする。8時ごろ部屋に戻って夕食をとり、風呂に入ったあと、洗濯物を紙バッグに入れてここに来るのだ。その時間なら空いていて、たいてい誰もいない。
 独り暮らしを始めて、3週間。とりたてて寂しいとは思わない。草薙もいっしょにいてくれる。もし寂しいとすれば、それは統馬が彼女を避けているような気がすることだ。
 もともと、あまり話をするほうではない。毎日同じ電車で通学して、夜までいっしょの事務所で過ごし、なまじ以前より長い時間そばにいられるだけに、そう感じてしまうのかもしれない。
「おまえは、俺が見てやる。一生、俺が見ていてやる」
 あの言葉を聞いたときは、嬉しかった。もうこれだけで生きていけると思った。でも、甘いことばを覚えた心の貪欲さは際限がない。もっともっと、その先をと期待してしまう。
 誰かが入ってきた気配に、詩乃は雑誌から顔を上げた。
「あ……」
 統馬が顔をあわててそむけ、奥に入っていくところだった。
「ほっほう。洗濯板を数百年愛用しておったおまえも、いよいよコインランドリーデビューじゃの」
 待合所のテーブルの上にちょこんと座っていた白狐が、からかうように話しかけた。
 統馬は無言で、洗濯物を乱暴に機械に放り込んでいる。
「詩乃どの、統馬のやつはこないだ、詩乃どのの家で服を洗濯して乾燥機にかけてもらったじゃろう」
「あ、そうだったね」
「あの時のふんわりふかふか感が忘れられず、「洗濯機を使うのはどうしたらいい」とこっそりわたしに尋ねてきおったのじゃぞ、うわっはっは」
「まあ、そうなんだ」
「洗濯機が発明されて何十年経つと思っとるのじゃ、前近代的なやつめ」
 統馬は真っ赤になって草薙をわしづかみにすると、動き始めた洗濯槽の中にぽいと放り込んだ。
「ひゃああっ。錆びる、錆びるわい!」
 詩乃の真向かいの丸椅子に腰を落とすと、統馬はしばらく無言で壁の注意書きなどに目を向けるふりをしていた。
「弓月」
「はい?」
「この前、俺が言ったことだが……」
 詩乃の心臓がトクリと音を立てた。
「おまえを一生見ていてやると言った、そのことばに偽りはない。だが……」
 一語一語を選びながら話しているのが、伝わってくる。
「普通の男が言うような、意味ではない。俺の中には夜叉の血が流れている。夜叉が人間の女と交わるのは、魂を食らうのと同じだ。やがて死に至らせてしまう――」
「でも……」
 努めて平静に、詩乃は答えた。
「矢上くんは、夜叉の将を全部倒せば、人間に戻れるんだって言ったでしょ。もう五人倒した。あとたったのふたりじゃない」
「残りのふたりは、今までの奴らとは違う」
 統馬は苦しげに、顔をしかめた。
「副将の満賢と大将の宝賢は、今までの五将とは格が違う。あと何年、何十年かかったとて、倒せるかどうかわからん。人間に待ちきれる年数ではない」
「……」
 奥のほうで、洗濯物の回るカラカラという音が聞こえる。
「前にも言ったが、俺にも男の欲望というものがある。これからはできるだけ、おまえのそばにいないほうがいい。おまえのことは、少し離れたところから一生見守る。董子や孝子のときのように。
そっちも、俺の言ったことはそういうことだと承知しておいてほしい。そして、できれば……他の男と添って」
「やめてよ!」
 詩乃は聞きたくないことばを途中で遮ると、キッとにらんだ。
「卑怯だよ、矢上くん。何もかもひとりで決めて、私の気持ちなんか全然考えてないじゃない」
「考えるから、言ってるんだ!」
「嘘よ! 自分の都合しか考えてないくせに」
 涙を振り払うと、詩乃はとっくに音を止めていた乾燥機のほうに向かった。
 やっぱり、以前と同じだ。何も変わっていない。彼は私のことを、受け入れてくれる気などないのだ。
 統馬は唇を噛んでしばらく項垂れていたが、ふと気がつくと、詩乃が奇妙な表情を浮かべて、彼の前に立っている。
「統馬くん、なんだか、ヘン」
 あえぎながら、切れ切れに訴える。
「奥の一番大きな乾燥機、様子が変なの。誰も使ってないし、からっぽのはずなのに、中から何かが聞こえる。
うなり……ううん、うめき声のようなものが」
 統馬は即座に立ち上がり、そばに置いてあった天叢雲を掴んだ。
「あれ……何なの?」
 天井の切れかけた蛍光灯がジジと音を立てて、明滅する。突き当たりの乾燥機の丸窓から、確かにただならぬ気配が漂ってくる。
 ガラスの向こうの暗黒に何かがいちどきに蠢(うごめ)いたかと思えば、扉がバッと内側から開き、無数の異形の者たちが飛び出した。



                                     

                   
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