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四月のねこ




「今日も、よく売れたニャ」
 ヴァルデミールは、ほとんど空っぽのキャリーケースを肩にかつぎながら、弾むような足取りで帰路についていた。
 今日の500円弁当は、相模屋弁当株式会社が満を持して売り出した、新製品の「特大塩鮭弁当」だったのだ。
 読んで字のごとく、特大の塩鮭が弁当箱を斜めに横切るように乗っかっている。
 ぷっくりと、つややかなオレンジの身、ほどよく焦げた皮。つんと効いた塩味で、それはそれはご飯がおいしくいただけるのだ。
 ヴァルデミールが鋭い鼻を武器に、理子といっしょにあちこちの魚市場へ出かけ、とうとう見つけ出して仕入れた逸品だった。
 さらに、甘めの卵焼きにほうれんそうの胡麻和え、カボチャのあんかけが絶妙のバランスをかもしだしている。
「相模屋のおいしいお弁当ですよ。とってもおいしい特大塩鮭弁当。売りたくないくらい美味しいよ」
 客寄せの声を上げるたびに、ヴァルデミール自身が、湧きあがる唾を何度も飲み込まなければならないほどだった。
 そんな真に迫る売り込みを見ては、道行く人々も足を止めずにはおれない。
 真新しいスーツの新入社員。幼稚園のお迎えに行く若いお母さんたち。
 三十分もすると、ケースいっぱいの弁当がたちまち空になってしまった。
 ――たったひとつだけを残して。
「だって、たまには、工場の残り物じゃニャいお弁当が食べたいよ」
 ヴァルデミールは食欲に負けて、こっそりひとつだけを、自分のために残しておいたのだった。
 帰り道の途中で公園に立ち寄り、ベンチに腰を下ろす。
 ズボンのポケットから五百円玉を取り出して、「毎度あり」と言いながら集金袋にしまった。
「いただきまーす」
 割り箸をぱしっと割って、しゃかしゃか擦り、塩鮭の真ん中に突き立てる、その瞬間。
「にゃあん」
 背後の茂みから、すぐ近くにいるかのように猫が一声鳴き、ヴァルデミールは飛び上がった。
 聞き覚えのある声だったのだ。
「ミ、ミカエラおばさん?」
 ベンチの足元から覗き込むと、茂みの中に、まだら模様の猫がうずくまっている。
 ヴァルデミールは、二年前まで公園で寝泊まりしていた。ミカエラおばさんは、そのとき知り合ったメスの野良猫だ。
「ニャつかしいニャあ。少し痩せちゃったみたいだね」
 それもそのはず。野良猫や野良犬は、不況の影響をまともに受ける。景気の悪いときは、腐りかけた残飯さえ取り合いになってしまうのだ。弱い者は飢え、栄養不足のために病気になってしまう。
「おいで。おいしい塩鮭をあげるよ」
 誘ってみても、ミカエラおばさんには人間であるヴァルデミールの言葉はわからない。
「よし」
 ヴァルデミールはキャリーケースの上に、着ていた上着を脱いで丁寧にたたむと、茂みの中に飛び込んだ。
 目を閉じて、思い切り体を伸ばすと、皮膚が黒い毛皮に変わり、なめらかな頬にピアノ線のようなヒゲが生えた。
 茂みから再び現れたのは、弁当会社の専務の青年ではなく、一匹の黒猫だった。
『あら、ヴァルちゃん、久しぶり』
『おばさん、おニャかがすいてるだろう。いっしょに弁当を食べようよ』
『わたしはいいよ。ミトラにおやり。あの子はお腹に赤ん坊がいるのだからね』
『ほんとうかい?』
『ああ。この公園には、ひもじい思いをしている仲間が何匹もいるんだよ』
『わかった。みんニャ呼ぼう』
 ヴァルデミールは喉を震わせると、お腹の底からの大声で歌を歌った。


 四月は ネコの季節
 お日様ぽかぽか あったかいし
 ネコヤナギだって 咲いている
 だから 元気をだそう
 きっと 明日はいいことが待ってるさ


『やあ、ヴァル』
『カールおじさん、ミトラさん。レックスにアビちゃん。みんニャで食べようよ』
 春の陽だまりの中で、にぎやかに猫たちの饗宴がはじまった。
 はらりはらり。
 桜の花びらが暖かい風に舞って、猫のあしあとのように地面をいろどっている。





宣芳まゆりさん主催のエイプリルフール企画に合わせてアップした掌編です。
背景素材: にゃんだふるきゃっつ!

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