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ベリーメリークリスマス








「クリスマスとは、何だ」
 と訊くと、クラスの仲間たちに笑われた。そのくせ、誰も本当のことを知らない。
「サンタが来る日」
「プレゼントをもらえる日」
 と、大方の意見は、実利的な側面ばかりに傾いている。
(祝祭とは、そんなものだ)
 アラメキアにも、精霊祭などという賑々しい祭りがあるが、なぜその日を祝うのかを知っている民は、そう多くないのだ。
 為政者としてのユーラスは、祭りには苦い思い出しかない。ありったけの砂糖や小麦を国庫から供出して、民衆の不満が高まらないように気を配らなければならなかった。
 だが、うまく行けば、彼らはしばらくの間、自分たちの貧しさから目を逸らせてくれた。
(余は、アラメキアのことを忘れたいのかもしれぬな)
 冬休み前の短縮授業とやらで、いつもより早めに校門を出たユーラスは、今の自分の平穏で心安らかな日々を噛みしめながら、道を歩いていた。
 昼さがりの冬の陽射しは弱く、冷たく尖った風が頬に当たり、思わず首をすくめる。
 道の角を曲がると、幼稚園のイチイの垣根の向こうから甲高い歓声が聞こえた。
 確かここには、魔王の娘が通ってきているはず。まだ背がそう高くないユーラスは、垣根の切れ目から、見るともなしに中を見た。
 昼休みらしく、たくさんの幼児たちが園庭で思い思いに遊具遊びや鬼ごっこに興じている。
 どの子も楽しそうに仲間と遊んでいるのに、雪羽だけが園庭の隅にしゃがみこんで、たったひとりで地面に絵を描いていた。


「ユーリお兄ちゃん」
 アパートの外の階段で、足をぶらぶらさせて座っていた雪羽は、彼が近づいてくるのを見て、ぱっと顔を輝かせた。「どうしたの。学校は?」
「今日は、給食なしの四時間授業だ」
「ふうん。雪羽のようちえんは、最後のお弁当だったよ。今帰ってきたところ」
「ああ、見た」
「見たの?」
「余の通学路は、幼稚園のそばを通る。垣根越しにおまえの姿を見た」
 ユーラスは少しうつむいて、足もとのアスファルトをズック靴の爪先でとんとんと叩くと、訊こうと思っていたことを口にした。
「おまえは、いつもああやって、ひとりで遊んでいるのか」
 雪羽の顔から、溶け出すように笑みが消えた。
 その顔は、園庭でしゃがみこんでいたときの彼女と同じく、頑なで、それでいて全身で悲しみを訴えているように見えた。
 部屋の扉ががちゃりと開いて、中から魔王の妻、佐和が現われた。
「母上」
 雪羽は、また元通りの花のような笑みを浮かべると、立ち上がった。「ユーリお兄ちゃんだよ。遊びに来てくれた」
「まあ、ユーリさん。お久しぶりです」
 佐和は目上の者に対するように丁寧に頭を下げた。「今日は寒いでしょう。どうぞ、中に入って」
「公園でブランコをする約束をしていたのだが」
 とっさに彼は嘘をついた。「今から連れ出してもよいか?」
「ええ。もちろんです。雪羽、その恰好で寒くない?」
「はーい」
「じゃあ、お願いしますね」
「ああ」
 ユーラスは雪羽の手をぎゅっと握ると、歩き始めた。
 少年のせっかちさで、ずんずん進んでいく。雪羽はときどき小走りになって、懸命に遅れまいとしている。
 公園に着く少し前、彼は突然立ち止まり、吐き出すように言った。
「魔王の娘。余の隣にいるときは、無理をしなくともよい」
「え?」
「無理して笑う必要はないということだ」
 雪羽はそれを聞いて、つぶらな瞳を大きく開けた。
「どうして? どうしてそんなことを言うの、お兄ちゃん」
「そなたが幼稚園で仲間はずれにされていることくらい、一目見ればわかる」
 少しいらいらした調子で、ユーラスは答えた。「余は九十年生きているのだぞ」
 雪羽は、とことこと公園の中に駆け込むと、ウサギの石像にまたがった。
 聞かなかったことにするつもりらしい。
「そなたが感じている屈辱は、余にもわかる」
 その後姿に、ユーラスはひとりごとのように語りかけた。
「何ヶ月か前まで、ずっと教師から言われ続けていたのだ。
『おまえはみんなと違う。同じことができない』
『こいつがいると、集団行動がそろわない』
『これは、下の学年で当然習っているはずの単元だ』」
 ユーラスは古い悔しさを思い出し、唇を噛みしめた。
 雪羽は、驚いたように振り向き、じっと彼を見つめた。
「どうして、お兄ちゃんは、それでも元気なの?」
「余は周囲に合わせる術を持っていた。多くの人生経験を積んできたゆえに」
 彼は寂しげに微笑んだ。「だが、四歳のそなたには、そのような狡さはないだろう」
「雪羽ね、元気になりたいの」
 少女の瞳が素直になり、みるみる涙で潤んだ。「人魚姫みたいに、どんなにつらくても負けない、やさしくて元気な女の子になりたいの。でも、ダメなの。すぐにダメになっちゃう」
「やさしくなくとも、元気でなくとも、よいのだ」
 ユーラスは、すすりあげている雪羽の頬に指先で触れた。「大声で泣けばよい。そなたには、抱きしめてくれる父と母がいるではないか」
「でも、父上も母上も悲しくなるのは、イヤだよ。雪羽が泣けば、父上も母上も泣いちゃうよ」
 雪羽は、ウサギからすとんと降りると、手の甲でぐっと涙を拭いとった。
「もう、泣かない。雪羽はだいじょうぶ」
「そなたは――」
 ユーラスは奇妙な感動に打たれて、思わず片膝を地面についた。
「生まれついての女王なのだな」
「じょおう?」
「王とは、孤独なものだ。民から理解されることはない。多くの者に非難されても弱音を吐くことはゆるされない」
 まるで王に仕える騎士のように少女の顔を見上げながら、彼は言った。
「どんなに仲間はずれにされても、そなたは女王らしく生きろ。いつでも毅然として、前を向いていろ」
 彼は立ち上がり、手を雪羽の頭に置いた。
「余が見ていてやる」
「うん」
 雪羽は手を伸ばし、少年の手をそっと掴んだ。
「ユーリお兄ちゃんががんばったんだから、雪羽もがんばる」
 つながれた手から、ぐっと力が返ってきた。
 ふたりはそのまま、雪羽の家へと歩き始めた。
 四歳の少女と十歳の少年。ゆっくりと、同じ歩調で。


 佐和は、熱いココアとホットケーキを用意して待っていた。
 こたつの中でジグソーパズルで遊んだあと、たちまち降りてきた冬の夕闇にせかされるように、佐和が雪羽を風呂場に連れていった。
 パズルを片付け、辞する準備をしていたユーラスは、戻ってきた魔王の妻に何と切り出そうか迷った。
 娘が幼稚園でつらい思いをしていることを、親は知るべきだと思った。だが、父母を悲しませたくないという雪羽の願いも、無碍にはできなかった。
「ユーリさん」
 佐和は静かに彼の前に座った。
「雪羽と遊んでくださってありがとう。あの子には……ヴァルさんとあなた以外には、友だちがいないみたいなんです」
 ユーラスは、その暗い口調を聞いて、はっとした。
「知っているのか」
「昨日、幼稚園の先生に呼び出されました。雪羽には、人とうまく人間関係を結べない――なんとかという名前の病気であるという疑いがあると言われました。専門医に見せたほうがいいと」
 ナブラ王はそれを聞いて、自分の内臓が怒りに燃え上がるのを感じた。
「あの娘は、そんな病気ではない!」
 思わず叫ぶ。「ただ、間違っていることを正しいと言えないだけだ」
「ゼファーさんも以前に同じようなことを言っていました。雪羽は小さな頃から、この世界ではない場所に多くの関心を寄せてきて、その分、人の心の真実と醜さをよく知っているのだと」
「そのとおりだ」
「だから、雪羽はこの地球で生きていく限り、多くの苦しみを背負ってしまうのだろう、とも言っていました」
 佐和は、そっとエプロンで涙をぬぐった。
「わかっています。わかっていても、母親としてつらいのです。どうにかして雪羽を守り、その苦しみを代わりに背負ってあげられる方法はないものかと」
「奥方……余は……」
 続けられなくなって、ユーラスは立ち上がった。
「すまない。思わぬ長居をした」
「ユーリさん、お願いがあります」
 佐和は、きらきらと涙のしずくをこぼしながら、顔を上げた。
「どうぞ、ゼファーさんや雪羽には、このことは内緒にしてくださいね。ゼファーさんは工場の再建のことで頭がいっぱいだし、雪羽も、私たちを悲しませてると知ったら、もっと悲しみますから」
 いたたまれぬ心地で外に飛び出ると、ユーラスは走り出した。
 行き先は、ゼファーの働く工場だ。何としても、魔王と直接話をしなければならなかった。
 妻と娘を助けてやってほしかった。
 ちょうど明かりを落としかけた工場の中から、ぞろぞろと工員たちが出てくるところだった。
 門の陰に入り、身を切るような風を避けながら待っていると、建物すべてが真っ暗になり、一番最後にゼファーが疲れきった足取りで、外付けの階段から下に降りてきた。
「魔王」
「ナブラ王か」
 意外な人影を認めて、ゼファーは微笑んだ。「いったいどうした。こんな時間に」
「話がある」
「怖い顔だな。こみいった話をするには、ここは寒い」
 肩をすくめて見せる。「歩きながら話そう」
「忙しそうで重畳だ。工場の経営はうまくいっているのか」
「まあな。この不況下だから注文全体は落ち込んではいるが」
 ゼファーは、くっと息をつめ、低い声で言った。「皮肉なことに、あの乱切り機械が売れ始めた」
「よかったではないか。皮肉とは?」
「人件費の削減のために、あの機械を導入する工場が増えたということだ――それは、つまり」
 白い息が、口からふっと漏れる。「あの機械一台が売れれば、その分だけ、どこかで従業員たちの首が切られているということだ」
「しかし、それはやむなきことだ」
 ユーラスは反論した。「きさまたちとて、生きるために働いているのだ。見知らぬ人間が職を失ったからと言って、気に病む余裕があるのか」
「三日ほど前だったか、そこの暗がりにひとりの男が立っていた」
 ゼファーは立ち止まった。
「そいつは工場を見上げながら、俺に向かって、こう言った。『これが、多くの人間を泣かせている乱切り機械の工場か』と」
 ユーラスは、返す言葉もない。
 魔王は、じっと幻影を見るような目をして笑った。
「ナブラ王よ。俺は自軍の勝利のために敵を容赦なく斬り殺す戦いを、今なお続けているのかもしれぬな」


 クリスマスの前夜祭の日になった。
 ユーラスは、天城研究所のゴミ捨て場からダンボールを拾ってきて、真四角に切った。
 発泡スチロールは削ってドーナツ状に仕上げ、台紙に貼りつける。
 近所をあちこち探し回り、頼んでヒイラギの枝を少し切らせてもらった。マンリョウの赤い実も同じように手に入れた。
 雪羽は粘土の人形をたくさん、こしらえていた。
「これが、父上と母上。これはユーリお兄ちゃんと、あまぎはかせ。こっちはヴァユと理子さんと……」
「おいおい、人形だらけではないか」
「いいの。みんな仲良しなんだから」
 発砲スチロールを茶色く塗り、その上にヒイラギの枝とマンリョウの実を刺し、粘土人形も塗ってリボンで飾った。
 真中には、ベルの代わりにねじねじゴーレムをぶらさげた。
 手作りのリースは振るとカチカチ鳴り、ヒイラギの白い花の甘い香りがした。
 瀬峰家に着くと、佐和がたくさんのご馳走を準備していた。
 クラッカーのオードブル。大きな鳥のもも焼きとフルーツサラダ。もちろん、山盛りのおにぎり。
 ゼファーが駅前で買ってきたのは、とてもささやかなデコレーションケーキ。
「ヴァルデミールは?」
「今晩は、理子さんと四郎会長と三人で過ごすそうですよ。天城博士は?」
「次のアラメキアとの接触が近づいているので、今夜はゆっくりと座標軸の計算をしたいそうだ」
「まあ、残念。せめてユーリさんが来てくれてよかったわ」
 和やかに、祝いのときが始まった。
 暖かい部屋の中、すべてが特別で、すみずみまで幸せが満ちている。
 ゼファーも、佐和も、雪羽も、一点の曇りもない笑顔で笑っていた。
 ユーラスはそれを見て、心の片隅がときどき、ひきつれるように痛んだ。
(悔しいはずなのに、悲しいはずなのに。なぜ、そんなふうに笑えるのだ。なぜ、心に苦しみを隠しながら、そんなふうに互いをいたわり合えるのだ)
 プレゼント交換が終わり、ユーラスと雪羽が作ったリースが壁の一番目立つところに飾られると、雪羽が奥の部屋から絵本を持ってきた。
 それは、ひとりの赤ん坊の話だった。
 王として生まれるべき赤子が、なにを間違ったか、暗く汚い馬小屋で生まれたという。いる場所もなく、牛馬の餌を入れる桶の中に寝かされたという。
 王家からのなんの寿ぎもなく、ただ身分の卑しい者たちだけが集って誕生を祝ったという。
 それなのに、父と母は不運を嘆くこともなく、王になるべきだった赤子を、微笑みながら見つめている。
 そんな不思議な話だった。
 楽しい夜が更け、天城博士が心配したのか、「散歩がてら」と言って迎えに来た。
 風が冬空の曇りを吹き飛ばし、都会にはめずらしく多くの星が輝いていた。
「どうした。悠里」
 ユーラスは歩きながら、声もなく泣いていた。
 だが、その熱い雫は、決して悲しみの涙ではなかった。






2008年のクリスマス企画です。

背景素材: ふるるか


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