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  今回の予告は……

   失ったもの。得たもの。失ってもう一度得たもの。
   珈琲にそそぐミルクのように、すべてが混ざり合っていく。
   苦くても一気に飲み干して、そして歩き出そう。
   砕けたドーナツを靴の下に踏みしめて。



Side DOUGHNUT   最終話 「ホームメイド・ドーナツ」

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 ライトを川面に写しながら、電車がごうごうと頭の上の高架橋を通り過ぎる。
「ドーナツは……どこ?」
 うつろな声でリョウがつぶやいた。
 彼の胸に顔をうずめていた香澄は、それを聞いて嗚咽とともに苦い笑い声をもらした。
 わかっていたはずなのに。彼は私を求めてなどいない。ひとりの人間を心に受け入れる余裕など、今のリョウには、ないのだ。そんなことさえ忘れて、自分の願いだけを一方的に押しつけて。
 私ったら、どこまで自分のことばかりなんだろう。
「こんなことをしてる場合じゃない。さあ、立って」
 香澄はまなじりを決して、立ち上がった。
「どこへ……?」
「ここにいたら、すぐに追手に見つかってしまう。どこか別の場所に隠れるの」
 無理やり彼の腕を引っ張って、歩き出したときはもう遅かった。
 数人の、角刈りで黒い背広を着た男たちが、ふたりを待ち受けるように高架橋の影に隠れて立っていたのだ。
 とっさに反対側に逃げようと身体をひるがえした香澄を、男のひとりが羽交い絞めにした。うむを言わせぬ粗暴な力だった。
「うわああっ」
「リョウ!」
 リョウは男ふたりがかりで壁に圧しつけられ、必死でもがいていた。
「放して! 彼を放して」
 香澄はありったけの声で叫んだ。
「奥さん」
 彼女を押さえていた男が、耳元で低く言った。
「バカやってんじゃねえよ。あんた、会社役員のダンナとか高校生の娘とか、いるんだろ?」
 すとんと内臓が落ちていく。香澄は全身の力が抜けたまま、地面に座り込んだ。相手の凄みさえ含んだ声が、香澄のすべてが調べ上げられていること、抵抗しても無駄なことを告げていた。
 男たちはリョウの両脇に抱え、停めていた車でどこかへ連れ去った。
 ひとり残された香澄は、ようやく我に返ると、そろそろと歩き始めた。
 家までの道、何度も立ち止まった。強くつかまれた身体のあちこちが痛む。けれどそれ以上に、耐えがたい絶望がときおり襲ってきて、家に向かう香澄の脚を崩れさせようとするのだ。
 何もかも失ってしまった。すべてが、一夜にして粉々になってしまった。リョウとの逢瀬だけではなく、勇作とふたりで20年間築いてきた家庭も。
 身体は罪を犯していなくても、魂が罪を犯した。『私を抱いて』とリョウにすがりついたあの瞬間、香澄は確かに夫を裏切ったのだ。
 白い庭園灯を浴びたモノクロの庭や玄関は、他人行儀でよそよそしく見えた。
 香澄はそっとノブを回した。
 その音を聞きつけたのか、廊下の奥から勇作が血相を変えて走ってきた。
 「叩かれる」と、とっさに目をつぶる。だが次の瞬間、彼は香澄の腕をぐいと引っぱって、外に連れ出そうとした。
「行くぞ。由香はもう先に行ってる」
「どこへ……」
「病院だ」
 振り向いた夫の顔は、青ざめて見えた。
「さっき連絡があった。……きみのお父さんが、発作で倒れた」


 病院の長い廊下。香澄は勇作とともに集中治療室に急いだ。
 香澄の父は、晩酌のビールを飲んで風呂に入ったあと、突然苦しみ始め、救急車で運び込まれたという。
 医者の診断は、心筋梗塞だった。
 夫に抱きかかえられるようにして入ってきた娘を見て、母はわっと泣き出した。
「いったい、こんな時間にどこへ行ってたの! お父さんがこんな目に会っているというのに」
「お父さん……は……」
 香澄は、途切れ途切れにうめきながら、父親の寝ているベッドのそばの床に膝をついた。
「お父さん……」
 点滴や電極や酸素マスクを体中にまとった父親は、呼びかけにうっすらと目を開けると、紫を通り越してどす黒く変色した唇をわななくように動かした。
「香澄」
「お父さん!」
 香澄はただ、ぼろぼろと泣いた。「ごめんなさい。……ごめんなさい!」
「香澄……だいじょうぶなのか」
「お父さん、何言ってるの? 私の心配なんてしてる場合じゃ……」
「勇作くん……この子を……よろしく、お願いし……ます」
 勇作は、香澄の肩を後ろからぎゅっとつかむと、はっきりと答えた。
「わかりました。香澄と由香のことはまかせてください」
 当直医が近づいてきて、命に別状はないこと、ただ安静のため当面の入院が必要になることを説明した。
 夫は放心している香澄を廊下に連れ出して、ベンチに座らせた。
「私が悪いのよ……」
 香澄はうわごとのように繰り返す。
「家族を捨てて、勝手なことをしていたから、バチがあたったんだわ。私の身代わりにお父さんが……」
「そんな考え方は、しちゃ駄目だ」
 勇作はゆっくりと首を振った。
「僕はね。お父さんと約束してるんだ」
 隣り合っている夫の低い声が、オーバー越しに伝わってくる。
「最初、お父さんはきみとの結婚に大反対だった。まだ20歳になったばかりで早すぎる。嫁に行く準備などできていない。言下にそう断られた。僕は会社の近くの喫茶店で必死に頭を下げたんだ。香澄さんのことは、僕が一生守ります。決して不幸にしませんってね。そんなクサいセリフを吐けるなんて、僕も若かったなあ」
 彼は小さく笑った。
「20年の結婚生活を経た今、僕は自信がない。本当はきみを不幸にしてしまったんじゃないだろうか。それでも、僕はひとりの男として、お父さんとの約束を破りたくないんだ」
 勇作は香澄を振り向かせて、正面から見つめた。
「覚えておいてくれ。何があっても、きみの気持ちがどこにあっても、僕はきみを一生守るつもりだ」
「でも、私はあなたのことを……」
「待っている。きみの戻る家はあそこだ」
「やめて……。私にはもう、そんな資格ないのよ」
 夫の優しさに耐え切れなくなって、香澄はその場から駆け出した。
 エレベータホールへの角を曲がると、そこには由香が待ち受けていた。
「どうしてなのよ……」
 由香は涙のいっぱい溜まった目でにらみつける。
「どうして……私やパパよりも、あの人なの? 私、あんなに協力したでしょ? ちょっと遊ぶだけのはずじゃなかったの? どうして本気になっちゃうの。どうして、私のお母さんでいてくれなかったのよ!」
「由香……、ごめんね……」
 香澄はホールのひんやりした窓にごつんと額をつけた。何度も打ちつけて、大声で泣いた。
 私は何もわかっていなかった。失うまで、持っていたものの尊さをまるで気づいていなかったのだ。


 それから、香澄は病院と家と職場を往復するだけの毎日を送った。
 そうやって良き娘になり、良き母と妻になりきって過ごすことが少しでも罪滅ぼしになると、頭のどこかで打算的になっている自分がおかしかった。
 リョウのことは、考えてはいけないと自分に言い聞かせていた。
 けれどどんなに努力しても、うまくいかなかった。ときおり彼を想って叫びだしそうになるのを、必死で押さえつけなければならない。
 涼子から電話があったのは、数日後だった。
『日羽物産の息子は家に連れ戻された。ときどき医者や看護師が出入りしてるって』
 ぶっきらぼうなほど淡々と、彼女は報告してくれた。
『うちの亭主もこっそり手を回していたけど、奴らのほうが早かった。あんた、たぶんずっと尾行されてたんだね』
「……リョウはこれからどうなるの?」
『さあ、そこまではわからない。それを知ったところで、あんたどうするつもり?』
「どうするつもりもないわ」
 吐き出すように言った。彼に会いに行く理由すらない。将来を約束したわけでも、なんでもないのだ。
『ちょうどいい潮時だったのよ。あんたがそばにいて何ができた? あのまま逃げ回っていたんじゃ、ふたりとも潰れていただけ。あの子にとっても、医者にかかってきちんと治療するほうがよかったのよ』
「うん……」
『勇作くんは、なんて言ってるの』
「私のこと……待ってるって」
『じゃあ、あんたのすることは決まってるじゃないの。何もなかったようにして、元の生活に戻りなさい』
「でも……」
 すすり泣く香澄に呼応するように、涙が混じった咳払いが聞こえてくる。
『馬鹿だね。いつまでも悲しんだり、変に引け目を感じておどおどしてたら、余計に勇作くんを苦しめるだけよ。笑顔でいることが、あんたの償いだとわきまえなさい』
「うん」
『全部忘れるのよ』
「うん」
『お嫁に行く由香ちゃんのためにも、しゃんとするのよ』
「涼子……」
 香澄は叫んだ。「辛いよ。身体がバラバラになりそうだよ……」
『何言ってんの……香澄、がんばり……なさい……ったら』
「うん……」
 受話器をはさんで、ふたりはただ泣き続けた。


 数週間が経ち、空気はとげとげしい寒さを失い、春の気配をはらんできた。
 実家の父はすっかり体力を取り戻し、わがままを言い始めて母を困らせていた。退院は来週に決まった。
 季節の移り変わりに合わせて、心も変わってゆけばいいのに。そう都合よくは行かないのが人間の心だ。
 香澄の中には大きな錘(おもり)があって、隙あらば苦い過去の中に引きずり戻そうとする。
 由香もだ。あれほど活発だった由香も、すっかり笑顔を失ってしまった。
 勇作とは、いっしょにいても、あたりさわりのない会話しか交わさない。夜も、香澄に触れてこない。
 たぶん心の底では、よその男に気持を移した妻を憎んでいるに決まってる。ただ、優しすぎてホンネが言えないだけなのだ。
(離婚しよう)
 もうこれ以上苦しむのも、夫や由香を苦しめるのもいや。なにもかも、もう終わりにしよう。
 決心して、ソファから立ち上がりかけるが、またぼんやりと腰をおろしてしまう。
(だめ。一生をかけて罪をつぐなうって決めたのに。ふたりに赦してもらうまで頑張ろう)
 毎日がそんな調子で、一歩も踏み出すことができない。
 そして、気がつくといつもの夜が来る。
 キッチンで、遅く帰った勇作の夕食の後片付けをしていると、電話が鳴った。
 テレビを見ていた夫が取り、応対した。
「ママ」
 奇妙な表情で、カウンター越しに受話器を差し出す。
「……日羽遼二くんから」
 受話器を受け取り、どうやって耳に当てたかも、覚えていない。
「もしもし」
『香澄さん』
 思わず、目をつぶった。あれほど聞きたいと願ったリョウの声で全身が振動している。
「はい」
『お世話になった礼を、ひとこと言いたくて』
 しっかりした口調だった。どんな治療を受けているか知らないが、短期間でこれほど変われたということは、きっと成功しているのだろう。
「お礼なんて、私は何も……」
『明日、俺は県外に転地療養に行きます』
「そう」
『最後に……会えませんか』
 心臓がどくんと跳ねる。
「今から――?」
『スペリオルホテルにいます。よかったら来ていただけませんか』
「私は……」
 香澄は息をゆっくり吸って、吐いた。
「行けません。もうお会いすることはありません」
『朝まで、ここにいますから』
 急いで電源をオフにし、そっとカウンターの上に置いた。勇作の視線がじっと注がれているのを感じる。
「行かないのか?」
「行かないわ」
 香澄は、あわてて食器洗いのスポンジをつかんだ。もう何も洗うものがなかったので、シンクを洗い始めた。
「それでいいのか?」
「言ったでしょう、行かないって。もう決めたの」
 じわりと涙がにじんでくる。さらに力をこめてステンレスをごしごし擦った。
「きみはそれで、ほんとうに後悔しないのか?」
 香澄ははっと顔を上げた。少し怒ったような、それでいて限りなく穏やかな夫の顔が見つめている。
「僕はきみに、自分の選択をずっと後悔するような人生を送ってほしくない」
 かすれた低い声で彼は言った。
「行って、ちゃんと選んできてくれ。自分の気持に正直になって。もし僕と暮らすことを選ぶなら、黙ってこの家に帰ってくればいい。何も言う必要はない」
「あなた、でも……」
 勇作はくるりと背中を向けた。
「いいから、行ってこい」
 香澄はためらった末に、うなずいた。エプロンの紐を解き、そして歩き出す。
 ホテルに向かうタクシーの窓から夜の街を見ながら、何も考えていなかった。言うべきことは決まっている。けれど、それを台本のセリフのようには言いたくなかった。自分のそのときの本心を表す言葉として言いたかった。
 フロントで彼の名前を告げると、ボーイに最上階に案内された。
 広い部屋だった。南側がすべて海を見下ろす窓になっている。
 リョウはその窓のそばに立っていた。ブルーのシャツを着てネクタイを締めて。きっと発病する前は、いつもこういう服装をする青年だったのだろう。
「来てくれないと思ってた」
 今まで香澄に見せたことのない、優しい微笑だった。
「ずいぶん迷惑をかけたから、直接あやまりたくて」
「弁護士の崎村さんからも、丁重な電話があったわ」
「それにお礼が言いたかった」
「お礼なんて」
「香澄さんの声のおかげだから。今俺が生きてられるのは」
「え?」
 リョウは照れたように、顔をそむけた。
「ずっと俺に命令する声があるって話したでしょう。『死ね』とか『あれをしろ。これをしろ』といつも命令する。それがちっとも聞こえなくなったんだ。そのかわりに香澄さんの声が聞こえてくる。『ちゃんと食べなさい。薬を飲みなさい』って」
「……」
「ありがとう。いつも話しかけてくれて。俺、だから一生懸命に薬を飲んでる。香澄さんの命令なら素直に聞ける」
 彼に聞こえているのは、『幻聴』というものだろう。それは彼の病気の一症状だ。だが、その幻聴が今の彼にはプラスに作用して、病気の回復を助けている。そんなこともあるのだ。
 彼に必要なのは、現実の私などではない。幻想の中の、肉体を持たない、やさしい声だけの存在。
 ――それで、いい。それで充分だ。
 リョウの隣に立って、窓の外を見下ろした。港湾のライトに宝石のように縁どられた黒い海が見える。
 彼の手に思わず手を伸ばそうとしたが、指先を軽く触れ合わせただけで、すぐに引き戻した。香澄は、痛いほど自分の両手を握り合わせる。
「あした、病院に行くのね」
「ううん、病院じゃない」
 リョウの答えは、ハッとするほど確信に満ちて聞こえた。
「グループホームと言って、数人で生活する。掃除や洗濯も自分たちでするし、外出も自由にできる。何をするにも命令されるんじゃなく、話し合って決める。そこでなら、うまくやれそうな気がするんだ」
「そう、よかった」
 香澄は、零れ落ちそうになる涙を懸命にこらえて、笑顔を作った。
「じゃあ、ここでお別れね」
「もう会えないの?」
 リョウは澄んだ瞳で、彼女をまっすぐに見た。
「私は、リョウのところには声だけしか行けないの。本当の私は、夫と娘のところに帰るから」
 ひとことずつ自分の心をさぐりながら、話す。
「夫はね。私にはじめて愛するということを教えてくれた人なの。20年間ずっと、私のことを守り続けてきてくれた人なの」
 温かいものがあふれ、全身を温かい波で満たしていく。
「私は、これからもずっと彼のそばで生きていたい」
 香澄は、持っていたバッグから大きな紙袋を取り出した。
「だから、これが私からリョウにあげられる最後のドーナツ。家で作っておいたのを全部持ってきたの」
 リョウは、首を振った。
「いらない。それは、俺のものじゃない」
「え?」
「香澄さんの穴をふさぐのは、もう俺じゃないから。ご主人だから」
「……」
「だから、そのドーナツはご主人に返してあげて」
 喉の奥に、ビー玉のような嗚咽がこみあげる。
 この人は、まるで人の心を映す鏡のようだ。病に侵されているのに、いや病に侵されているからこそ、彼は私の心にあるものを鋭く感じているのだろう。
「……ありがとう」
「いつか、俺の穴もふさがる日が来るかな」
「来るわ、必ず」
「なにかが欲しいって、心から思えるかな」
「うん、思える」
「そのときはきっと、ドーナツを食べたくなると思う。香澄さんといっしょに食べたことを思い出して」
「そうだ……ね」
 ふたりは何時間も、黙って海を見つめた。
 少しずつ、少しずつ、すべての想いが溶かされていく。
 陸の灯りは次第に色あせ、海は濃灰色に薄れ、やがて空と海が交わる場所に、淡い光の帯が宿った。
「さようなら。リョウ」
 言おうと決意していたことばは、内側からあふれだすように、自然と口から出た。


 薄明の中を、香澄は家にたどり着いた。
(ほんとうに、私はここへ戻ってきてよいの?)
 空の白さの中で輪郭を取りはじめた屋根を見上げながら、ぼんやりと思った。
(家族を裏切って、さんざん傷つけた。会わないと決めていた相手に会いに行って、結局朝まで戻らなかった。そんな私が、平然と「ただいま」って言えるの?)
 自分の罪のあまりの大きさに、立ちすくむ。
(それでも、私が帰ってくる所はここしかない)
 盗人のように門の扉を押し開けた。
 夫は、庭のデッキのテーブルに頬杖をついて座っていた。
 まるで何かに聞き入っているように目を閉じている。白髪交じりの髪が、朝のセピア色の光に揺れていた。
「あなた……」
 妻に気づくと、勇作は目を開き、にっこり笑った。
「おかえり」
「まさか、……一晩中そこにいたの?」
「いい庭だな。しばらく見ないあいだに、ほんとに居心地のいい場所になった」
「こんなに寒いのに……」
 香澄はふらふらと彼のそばに近寄り、丸太の長椅子に腰を落とした。
「私なんかのために……バカなんだから」
 ぎゅっと夫の腕をつかむと、こつんと頭を押しつけた。
「ごめんなさ……」
 語尾は涙でことばにならない。
 夫は彼女の肩をそっと抱き寄せた。
「香澄」
 名前を呼ぶ声とともに、唇が静かに降りてくる。香澄は、それに静かに応えた。
 軽く触れ合っているだけなのに、全身がお互いのかたちを、匂いを、温もりを、知り尽くしている。心の弦が共鳴を始める。
 激しくはないけれど、穏やかで深みのある性。
 この人が好きだ。
 この人が好きだ。
 二十年経っても、三十年経っても、この人といっしょに日々を過ごしていたい。
「おふたりさぁん」
「うわっ」
「きゃっ」
 窓が突然ガラガラと開き、由香がにゅっと出てきた。いつもの由香らしい笑顔だった。
「お取り込み中、失礼します。夜明けのコーヒーの出前なんぞいかがでしょう」
「あ、ああ。頼む」
 年甲斐もないキスシーンを愛娘に見られて、勇作はしどろもどろで答える。
「じゃあ、いれてきまぁす。遠慮せず続きをどうぞ。ほんじゃかほんじゃか、恋のきせ〜つよ〜」
「続きをどうぞ、ったって」
 香澄は夫と顔を見合わせて、恥ずかしそうに微笑んだ。
「ねえ。ドーナツ食べましょうか?」


   





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企画/高橋京希、アンリミテッド・クローバーズ
制作/BUTAPENN



写真素材: Anemos   師匠小屋