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  「EWEN」&「魔王ゼファー」クロスオーバー企画第2弾
きみのそばに…




第3回 ―― 聖




 一瞬、自分に何が起こったかわからなかった。
 さっきまでアラメキアの草原の道を歩いていたと思ったのに、身体の回りの空気がぶぅんと振動して、僕はいきなりコンクリートの車道の真ん中に立っていた。
 目の前にダンプカーが迫ってくる。
「うわあっ」
 あわてて、舗道に駆け込もうとした。
 すると、元通りまわりは緑の草原で、雪羽が目を見開いて僕を見ていた。
「聖……どこへ行ってたんだ!」
「そんな……」
 僕は情けない格好で地面に尻餅をついた。心臓がバクバク言っている。
「自動車に轢かれそうになった……」
「自動車だと?」
「あれは、うちの近くのバス通りの交差点だ」
 僕たちはものも言えずに、互いの顔を見合わせた。
 こんなに簡単に元の世界に戻れた。安堵するよりも何よりも、狐につままれた心地だ。全然メカニズムがわからない。
 僕は立ち上がった。
「じっとして、動かないで」
 そう頼むと、僕は雪羽と向かい合い、慎重に少しずつ半歩ずつ後ずさりを始めた。
 五歩ほど進んだところで、背中にさっきの、空気がざわめくような痛みが訪れた。あわてて、また前に戻る。
「今度は雪羽が、今みたいに後ろに下がってみて」
 彼女は怪訝な顔をしながらも、同じように後ずさった。
 やはり五歩くらい行ったところで、僕の背中にまたあの感覚。
「戻って」
 何度か試してみて、そしてわかったことは、お互いが2メートル以上離れると、僕は元の世界にワープしてしまうらしい。でも雪羽のほうはワープすることはない。
「アラメキアは、雪羽の故郷だから」
 と僕は結論づけた。
「ここにいる資格のない異世界人のオレは、雪羽から離れたとたん元の世界に戻ってしまうんだと思う。雪羽のそばにいる間だけ、ここにいられるんだ」
 もうひとつわかったことは、アラメキアで移動すると、地球でも移動してしまうこと。だから僕は、葺石の庭の雑木林ではなく、バス通りに出てしまった。移動した分の距離や方向もぴったり重なっている。
 まだ想像だけど、どうもアラメキアと地球は、紙の裏と表みたいに重なり合っているらしい。
「それじゃあ」
 雪羽は奇妙な表情をして、僕を見た。「聖は、いつでも元の世界に帰ることができるということだな。私から離れればいつだって」
 ふたりは沈黙した。
 その瞬間、僕たちのあいだに見えない壁が現われたようだった。僕はいつでも地球に戻れるけど、雪羽はそうではない。ことによると、帰る方法は永久に見つからないかもしれないのだ。
 雪羽は自分のことを、ひとりだけアラメキアに囚われた囚人のように感じてしまったのだろう。木立の影が地面に落ちるように、瞳にぬれた睫毛がかぶさった。
「雪羽」
 僕はたまらなくなって、彼女の肩を抱きしめた。
「オレ、絶対に自分だけで帰ったりしないから。帰るときは、雪羽といっしょだから」
「……うん」
 雪羽は額をこつんと僕の胸に押し当てた。
「ありがとう、聖」
「ずっときみのそばにいる。もう決して離れたりしない」
 心の底から、そう誓った。
 しかし、それがどれだけ困難な誓いなのか、そのときの僕にはまだ全然わかっていなかった。


 僕たちを泊めてくれると言ったアラメキア人の小屋は、大きな森を背景にした草原の端にあった。夕日が最後の光で辺りを染めながら、黒々とした森の向こうに沈んでいくところだった。
 小屋は細い木材や枝を、漆喰のようなもので塗り固めた、素朴な作りだった。屋根はなくて、かまぼこ型のドームになっている。隣の納屋は家畜用らしく、時折り甲高い動物の鳴き声が聞こえてくる。
 家の前に荷馬車が停まって、さっきのアラメキア人が荷台から干草の束を降ろしているところだった。彼は僕たちを見ると、にっこり笑って手を上げた。
「手伝います」
 と言ってから、ことばが通じないことに気づいた。
 自分を指差して、干草を指差し、両手で担ぐマネをした。
『頼むよ』
 という調子で、彼は答えた。
 お父さんがいつも言っているとおりだ。通じ合いたいという気持ちがあれば、外国のことばは自然とわかる。
 荷台に走り寄ろうとして、僕は雪羽を置いていきそうになる。
 危ないところだった。
「いっしょに、束のそっちの端を持ってくれる?」
「わかった」
 2メートル以上、雪羽から離れないこと。これを体で覚えるまでは、しばらく慎重に行動しなければならない。
 干草をすっかり納屋に入れ終えると、男は僕たちを小屋の中に招き入れた。
 彼の奥さんらしい女性と、その陰に隠れるように3、4才くらいの幼い姉弟がいた。三人とも、彼と同じ藍色の髪の毛をしている。
 小屋の中は意外と広くて、奥にも部屋がありそうだ。暖炉には火が燃えていて、真っ黒な鍋がかかっている。
 主人は、泥炭みたいな茶色のかたまりを壺から取り出して小さく割ると、食卓の上に天井からぶらさがった大きなランプの底にいくつか投げ入れた。黒い煤を上げて、火は明るく燃え上がった。
 黄色い光を投げかけるランプの下で、夕食が始まった。
 シチューの中身は野菜が主だったけれど、何の野菜かはわからなかった。それと、チーズのようなヨーグルトのようなもの。あとはパン。石のように固いけど、噛んでいるとけっこう美味い。
 昼飯も抜いて腹ペコだった僕は、がつがつと平らげた。雪羽はあまり食欲がないみたいだった。ときどきアラメキアのことばで、夫婦と何か話している。
「今、船のことを聞いてみた」
 雪羽は話を要約して、僕に伝えてくれる。
「精霊の国の首都は『リューラ』というそうだ。南の港から、二日に一度出航する。明日の夕方の便があって、乗れば二日後の朝に着くそうだ」
「二人分の船賃は、いくらか聞いた?」
「ひとり120シタと言っている」
「1シタは、何円なんだろう」
「わからない」
「聞いて。一人分の船賃で、このパンがいくつ買えるのか」
『アニ・タバス・ヌン、タシ・エル・マカ?』
 アラメキア人夫婦は、それを聞いて大笑いした。
「数え切れないくらいだと、言っている」
 雪羽はがっかりしたように、通訳してくれた。
「やっぱり、ものすごく高いんだ」
 実は僕はさっきから、それが気になっていたんだ。この手の独占企業は、暴利をむさぼるものと決まっている。
 主人の話では、精霊の国への巡礼は高くつくので、一生に一度の大イベントなのだということだった。たいていは、年を取ってお金をためてから行くのだ。
『だから、君たちみたいな子どもがふたりで「リューラ詣で」なんて、おかしいと思ったんだ。何も知らなかったんだね』
 と申し訳なさそうに言う。
『船に乗る以外に、精霊の国へ行く方法はないのですか』
 雪羽は、必死に食い下がる。
『なくはないんだ。この森を抜けて、まっすぐ西を目指して歩けば、二日で着くよ』
『本当ですか? では何故みんなそうしないの?』
『そこは、魔族の支配する土地だからさ。奴らに見つかれば、命はない。だからみんな高い金を払って、船でぐるっと、入り江づたいに大回りするのさ』


『魔族……』
 雪羽は、僕に今までの会話を訳して聞かせてから、ぼんやりと考え込んでしまった。
 魔族というのは、雪羽のお父さんが魔王として支配していた種族だ。いつかアラメキアに行きたいと雪羽がずっと願っていたのは、王を失って乱れているという魔族の国に行って、自分の手で平和を取り戻したいと夢見ていたからなんだ。
 その魔族の住む土地が、この森の向こうにある。
「そこを通って、精霊の国に行こう」
 僕の提案に、雪羽は悲しそうに眉をひそめた。
「でも……危険だと、彼らは言っている」
「だって、船賃を払えないオレたちには、それしか精霊の女王に会う方法はないよ。それに、魔族の国はもともと雪羽が行きたがっていたところじゃないか」
 僕らの表情を見て会話の中身を悟ったのか、アラメキア人夫婦は必死に止め始めた。
『何が起きるかわからないんだぞ。魔族に殺されてしまう』
 でも、僕たちの決意は固かった。選択肢は、ただひとつしかないのだから。


 夕食が終わると、家族は暖炉の前に集まり、とろりとした熱い飲み物を飲んだ。真っ赤な色をしていて、甘くておいしい。地球のココアみたいな感じ。
 夫婦はそれからも、何度も僕たちの気を変えさせようとしたが、無駄だとわかるともう何も言わなくなった。この家の小さなふたりの子どもたちは、ようやく見知らぬ客に慣れたらしく、遊んでほしそうに僕の膝に登ってきた。
「聖……あの」
 ふたりに飛行機ごっこをしてやっていると、隣に座っていた雪羽が消え入りそうな声で言った。
「え?」
「あの……実は、トイレに行きたいのだ、が……」
 ……大ピンチだ。
 僕たちは2メートル以上離れられない。したがって雪羽と僕は、アラメキアにいる限り、ずっと連れションに行かなければならないのだ。
 奥さんに耳打ちして、トイレに案内してもらった。カーテンで仕切られた部屋に入ると、木の床に穴があって、そこから用を足す原始的な仕組み。穴の下は朽葉がいっぱい敷かれて堆肥層になっているらしい。匂いもなく清潔な部屋だが、問題は、とにかくやたらと広い。アラメキアの人たちって、こんな広いトイレで何をするんだろ?
 雪羽が中に入り、僕が外で待つと、ワープしないぎりぎりの距離だ。
「お、お願いだ。待ってる間、耳をふさいでおいてくれ」
 雪羽は半泣きになっている。
 僕はカーテンにぴったりと身体を寄せるようにして、そして両耳を指でふさいで、外で待った。
 そんな馬鹿みたいな僕の格好を、奥さんが怪訝そうに見ている。ええい、ここまで来たら、恥ずかしいことなんかあるものか。
 雪羽が出てくると、まったく逆のことを僕もした。
 ようやく試練を切り抜けると、腕まくりをした主人が、にこにこと近寄ってきた。
『疲れたろう。今風呂で湯を沸かしているよ。ゆっくりと身体を暖めてから寝るといい』


 どうしよう。ついたての向こうには一糸まとわぬ雪羽が風呂を使っている。
 想像しただけで、僕の身体はまた反応してしまいそうだった。
 草むらで雪羽にキスをしたときもそうだった。キスだけでは足りない。もっともっと雪羽が欲しいって、下腹がうずいて、血が沸騰し始めた。
 元の世界に戻れるかどうかの瀬戸際の大変なときに、こんなことを考えてしまう自分がイヤになる。
 ここが異世界だからかもしれない。
 地球にいる限りは、お互い中学生だからって僕も必死で自制する。家族の視線も気になる。
 でも、アラメキアにいる限り、誰も見ていない。僕も雪羽もここでは中学生じゃない。ただの男と女――。
 ああ、どんどん妄想がエスカレートしてくる。
 こんなことを考えている僕は、雪羽のそばにいないほうがいいのに。雪羽の裸を想像しながらじっと耐えなければならないなんて、まるで拷問だ。
「聖」
 水の音がして、湯気がふわりと動く気配がした。「いるのか……?」
「う、うん。いる」
「よかった。静かだから、いなくなってしまったのかと思った」
 僕の頭の中身の不埒さに、雪羽はまるで気づいていないみたいだ。もちろん、知られたら生きていけないけど。
 ついたてが開くと、もう服を着終えた雪羽が出てきた。白い顔は上気して薄紅色に染まっている。長い髪が濡れて雫を垂らし、いつもよりずっと黒々として見える。
 ――なんてキレイなんだろう。
「聖は、入らないのか」
「あ……うん、顔と足を洗うだけにするよ。汗、あんまりかいてないし」
 本当は、待たせて雪羽を湯冷めさせたくなかった。風呂場があるのは小屋の軒先で、アラメキアの夜はまるで真冬みたいに、どんどん冷え込んでいた。
 室内に入ると、主人が奥の部屋に案内してくれた。彼らの前では、僕たちは兄妹ということになっている。そうでないと、別々の部屋を宛がわれて2メートル以上離されてしまう心配があるからだ。
 主人は『ゆっくりお休み』と言って、出て行った。
 六畳ほどの広さの部屋には、大きくてやわらかい藁のマットがひとつだけ敷いてある。
「雪羽が寝て」
 僕は言った。「オレはしばらく起きて、番をしてる」
 雪羽は素直にうなずくと、マットの上に横になった。風呂に入った後、急に疲れを覚えているみたいだった。
 無理もない。大変な一日だったものな。僕はその枕元であぐらをかいて座った。
 煤けたガラスのランプが、部屋の上の木の梁に、ゆらゆらと影を投げかける。
「聖」
 ささやくように、雪羽が言った。
「何?」
「聖だけ、地球に戻ってくれ」
 僕は飛び上がりそうになった。
「きっと今頃、ディーターさんや円香さんは、聖のことを心配していると思う。今でちょうど8時間。まだ警察沙汰にはなっていないだろう。私の両親には、聖から訳を説明してほしい。父上なら私の今の状況をわかってくれるはずだ」
「だけど、それは……」
 実を言えば、それは一度は僕も考えたことだった。僕だけひとり戻って、家族に事情を説明する。そしてまたこの世界に戻ってくる。
 だけど、それは大きな危険を伴う賭けだった。
「だめだよ」
 吐き出すように、そう答えた。
「雪羽から完全に離れてしまったオレが、もう一度アラメキアに戻ってこれるという保証はどこにもないんだぞ。そうすれば、きみはひとりぼっちになってしまう」
「私なら、だいじょうぶだ」
 自信に満ちた笑みで、雪羽は微笑んだ。
「でも、魔族の土地は危険だと言ってた」
「魔王であった父上のことを、彼らは覚えているはずだ。父の名を出せば、私ひとりなら危害を加えられることはない。でも、聖はそうはいかないかもしれない」
「……」
「はっきり言って、聖は邪魔だ。ひとりのほうが身軽でよい」
 胸がふさがれるような心地がした。
 平気なはずなんかない。心細くてたまらないはずなのに、雪羽は僕のために強がっているのだ。
「わかった」
 横たわっている雪羽の背中に両手を差し入れ、抱きしめた。
「地球に行くよ。でも、家族に無事を知らせて、要るものを準備して、必ず戻ってくる」
「戻ってこなくても……」
「戻ってくる。それまで、このベッドから絶対に動かないで待っていて。きみさえ動かなければ、ここに戻ってこれるから」
 みるみるうちに、雪羽の目から涙があふれる。
 証印を押すような悲壮な気持ちで、強く彼女の唇にキスした。絶対に、絶対に戻ってきてみせる。僕は、アラメキアで雪羽を守ると誓ったのだから。
 立ち上がった。
「行くよ」
「うん」
 そろそろと、少しずつ下がる。
 本当は、恐かった。またさっきみたいに車道の真ん中に出てしまうかもしれない。断崖絶壁の上に行ってしまうかも(うちの近所にそんな場所はないけど)。もしかすると、運悪く石の塀があるところにワープして、身体がめりこんでしまうかもしれない。
 でも、そんな臆病な思いを振り切った。雪羽が僕を必要としている限り、絶対に死ぬもんか。
 大きく後ろへの一歩を踏み出すと、ぶんと空気が振動し、泣きそうな雪羽の顔が消えていき、僕の視界は真っ暗になった。
 


 
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