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  「EWEN」&「魔王ゼファー」クロスオーバー企画第2弾
きみのそばに…




第4回 ―― 聖




 ここは、どこだ?
 僕は、おそるおそる目を開けた。
 見知った風景であることは、なかば予想していた。あのバス道の交差点から、それほど遠くに行っていなかったから。
 だけど、ここが小学生の頃よく遊んだ「三角公園」であることを知ったときは、たまげてしまった。
 ここは、家からほぼ真西に、直線距離にしてほぼ500メートル。確かにアラメキアで移動したのも、同じくらいの距離だった。
 しかし驚いたことに、どう見ても今は昼間だった。
 甲山へのピクニックらしい家族連れが、背中にリュックを背負って通り過ぎていく。リトルリーグのユニフォームを着た小学生が、自転車を漕いでいく。いつもの土曜日そのままの景色。アラメキアでは日はとっぷりと暮れていたはずなのに。
 僕は、公園に立っている時計塔の先っちょを見上げた。
「10時30分?」
 まだ朝なのか。まさか、あれから1時間しか経っていないなんて。もしかして、何日も経ったあとの午前10時30分なのか。
 落ち着け。よく考えるんだ。僕は手近なベンチに座り込んで、頭を抱えた。そのへんの法則が納得できないと、僕はこの場所を動けないと思った。万が一にでも、雪羽のところに戻れないということがあってはならない。
 ない頭をしぼって僕が考えついた結論は、こうだった。
 地球とアラメキアは、確かに紙の裏表のように隣り合っている。しかし、それは三次元の話だ。時間の流れ方は違うのだ。
 アラメキアで8時間過ぎている間に、地球では1時間しか過ぎていない。
 もしこれが本当なら、ここでぐずぐずしている間に、アラメキアでは八倍の時間が経ってしまうことになる。
 向こうが朝になるまでに戻るとしたら、ここで許された時間は1時間。1時間以内に、僕はこの三角公園に戻って来なければならない。
 自分が最初に立っていた位置を目に焼き付けると、一目散に家に向かって走り始めた。
「藤江おばさん!」
 まずしたことは、葺石家の台所に飛び込むことだった。
 惣一郎おじいちゃんのお姉さん、僕の大伯母にあたる藤江おばさんが、昼食の支度のために、お米を研いでいる最中だった。
「ああ、おかえり」
 おばさんは何事もなかったように、のんびりと返事をした。やっぱりあれから1時間しか経っていないのだ。僕たちが消えてしまったことを誰もまだ気づいていない。
「お父さんは?」
「さあ、ファティは出かけたみたいやで。昼までには帰ってくる言うてたから」
 なんてことだ。
 会っていろいろと相談したかったのに、これでは間に合わない。
「おじいちゃんは」
「診察室にいてるで。午前の患者さんが今帰ったとこや」
「ありがと」
 僕は診察室に向かおうとして、足を止めた。
「おばさん、今からきっかり1時間で、お弁当作れる?」
「そりゃ、昼ごはんの支度するつもりやったから、ついでに作れるけど?」
「オレと雪羽のお弁当、作ってくれへんかな。おかずは何でも、ありあわせでええから」
「ふたりだけで、おデートか。どこ行くねん」
「た、ただ、夙川べりに散歩するだけやって」
「ふうん、桜も終わって今は新緑がきれいな季節やからな。家にくすぶってるよりかは、ええかもしれん」
「そしたら、頼むな」
「あ、聖」
 おばさんは意味ありげに、にたあと笑った。
「清く・正しい・男女交際やで」
「わ、わかっとう」
 なんだか自分の邪心を見破られたようで、どきっとする。
 次に、祖父の診察室に駆け込んだ。
「お、聖。どないしたん」
「聞きたいこと、あるんやけど」
 僕は、ふかふかのソファに座りこんで、しばらく息を整えた。
「日本と全然文化の違う外国に行って、値打ちのあるものって何かな」
 なるべく何気なく、一般論を装って訊いてみる。
 惣一郎おじいちゃんはお父さんと同じく、若い頃世界中をあちこち旅して回ったそうだ。こういうときには頼りになるはず。
「そやな。どこの国でもたいてい、金(きん)が普遍的な価値を持つもんやけどな」
「金? もっとうちに、たくさんあるようなもので何か」
「陶磁器。漆器。そんなんやったら、蔵に腐るほどあるで」
「て言うか、もっと持ち運びが楽なもの」
「『愛』っちゅうのは、どないや。器を選ぶが、重さはゼロやで」
「おじいちゃん、真面目に答えてくれる?」
 ……やっぱり人選を間違ったかも。
「それやったら、塩はどうや?」
 祖父は頭をひねりながら、やっと真剣に考えてくれた。
「今の日本では塩なんて安いが、昔のローマ帝国では兵士の給料の替わりになっとった。『サラリー』は「塩」が語源やからな。人間の生命維持に絶対必要なもの」
 そう言って、祖父は塩の効能をとうとうと話し始めた。
「わかった。塩が大切なのは、わかったから」
 僕はあわててさえぎる。「そのほかには?」
「そういう意味では、砂漠なら水がもっとも価値がある。厳寒の地では毛皮が宝石よりも大切や」
「要するに、行く土地の気候や風土によって、ものの価値は変わるってこと?」
「そうそう。聖もうまい台詞が言えるようになってきたやないか」
「わかった」
 僕は立ち上がって、それから祖父の真っ白な頭を見下ろした。
「あのね。雪羽とオレ、今からちょっと、冒険の旅に出てくる」
 茶化したような口調で、僕はほんとうの真実を打ち明けた。
「ずっとずっと遠くなんや。帰ってくるのが少し遅くなるかもしれへん」
「ほう?」
「だから、もし遅くなっても、全然心配せんといてな」
「そやな。そのときはおじいちゃんからムッティに、うまいこと言うといたるわ」
「じゃあ、行ってくる」
 胸がちくんと痛むのを感じた。もしかすると、僕は当分帰ってこれなくなるかもしれない。これから精霊の国に向かうにつれて、気軽に往復できるような距離ではなくなるし、何よりも、雪羽といっしょでないと地球に戻らないと、もう決めているから。
 そのとき、祖父ははじめて、僕が今の言葉にこめた本当の意味を知ることになる。
「あ、聖」
「何?」
 祖父は顔を寄せると、そっとささやいた。
「避妊具、ちゃんと持ってるか」
「……」
 ……僕は家族から、いったい何だと思われてるんだ。
 診察室を出て、自分の部屋に行った。
 押入れをかき回して、替えの下着とリュックサック、冬物のセーターとウィンドブレーカーとヤッケを取り出した。
 雪羽は半そでのTシャツだけで寒そうだった。二人分の防寒具を用意していかなければ。
 雪羽から三年前にもらった手編みのマフラーも出てきた。ちょっと考えて、それも持っていくことにした。
 勉強机の引き出しからは、懐中電灯と方位磁石を取り出して、リュックにしまった。お年玉の福沢諭吉を持っていこうかどうか迷ったけど、小銭入れだけにした。紙幣はアラメキアでは何の値打ちもないし、日本の穴あきコインは外国では珍しいって聞いたことがあるんだ。
 洋服を全部着込んで、マフラーを首に巻いて、次にエリンの部屋に向かった。エリンはいなかった。僕たちに置いてけぼりにされたと思って、友だちのところへでも遊びに行ってしまったのだろう。
 エリンにひとめ会っていきたかった。お父さんとお母さんにも。
 でも、感傷にふけっている暇はない。妹の部屋に置いてあった雪羽のリュックを持ち出すと、今度は仏間に向かった。
 仏間の床の間に、ひいおじいちゃんの形見の木刀が飾ってある。
 僕はまだ、木刀を使うことをお父さんから許されていない。木刀は、下手に使えば凶器になりうるからだ。道場の戸棚にしまってあるため、僕が今持ち出せる木刀は、これしかない。
 僕は正座して、木刀に向かって手を合わせた。
(惣吉おじいちゃん、これを使わせてね。そして僕を見守っていてください)
 それから玄関に行って、雪羽と自分の靴を忘れずに持って行くことにした。これで歩きにくいサンダルともお別れだ。
 木刀が外から見えないように青い防水シートを巻きつけると、台所に取って返した。
 藤江おばさんは、それはそれは豪華絢爛な弁当を作ってくれていた。
「すっごーい」
「ふふん。聖の未来のお嫁ちゃんに、ひもじい思いをさせとうないからな」
「雪羽は、鮭のおにぎりが大好物なんや」
「はいはい、それもまかしとき」
 本当に助かる。アラメキアで食べるものは、できるだけここで調達して行きたかったからだ。僕はチョコレートや飴をできるだけポケットに押し込み、冷蔵庫の野菜や缶詰もいくつかリュックに入れた。マッチや百円ライター、ビニール紐や水筒、折りたたみナイフに蝋燭にクッキングシートと、思いつく限りのものを詰め込んだ。それから、祖父の言ってた塩も一袋。
「なんや、あんた、けったいなもの持ってくんやな。科学の実験でもするん?」
「まあ、そんなとこかな」
「それに、その冬服。そないなもん着て、暑くないんか」
「浜風は、けっこう冷たいんや」
 弁当を入れた僕のリュックと雪羽のリュックを両肩に背負うと、ずっしりと重かった。だけど、これくらいの装備は絶対に必要だ。これからは、本物の冒険が待っているのだから。
「晩御飯までに戻ってきいや」
 という藤江おばさんの声を背中に聞きながら、玄関を出る。
 ごめんね、おばさん。晩御飯までには帰れないけど、行ってきます。
 僕は三角公園に向かって、全速力で走り出した。
 公園に着くと、僕は仕残していた大事なことがあるのに、気づいた。
 借りておいた雪羽の携帯を、ポケットから取り出して、ゼファーさんの携帯にかける。
 しかし電話はつながらなかった。たぶん今、雪羽の両親は羽田から神戸に向かう飛行機の中なのだろう。
 返事を待っている時間はない。僕はメールを打った。
『雪羽はアラメキアにいます。僕も今から行きます。心配しないで  聖』


 ぶうんという空気のうなりが止んで、目を開けると、そこは元通りアラメキアの森の小屋だった。
 天窓から夜明けの予兆が静かに忍び込んで、部屋の中をぼんやりとした浅黄色に染めている。
 藁のマットの上で雪羽が上半身を起こし、真っ赤な目に涙をためて僕を見た。
「聖……」
 きっと、一睡もしていなかったのだろう。僕にとってはあっというまの1時間でも、雪羽にとっては長い長い8時間。
「ただいま」
 僕は雪羽と抱き合って、長いキスを交わした。
 そしてマットの上に並んで、朝が来るまで短い眠りをむさぼった。
 邪念が入り込む余地はなかった。ふたりとも、泥のように疲れていたから。


 朝になって、僕たちはアラメキア人一家の見送りを受けて出立した。
『ほんとうに、行くんだね』
『はい』
『無事にたどりつけることを祈っているよ。精霊の祝福を』
 僕たちの旅の用意にと、彼らは水を入れた皮袋とパンを持たせてくれた。
 その代わりにお礼になるものを、とテーブルの上に地球から持ってきたものを広げた。昨日は何も持っていなかったはずなのにと、目を丸くされたけれど。
 泥炭みたいな燃料をランプに使っているから、きっと蝋燭をあげれば喜ぶと思ったのに、使い方がわからないと断られてしまった。
 そのかわり、彼らは意外なものを欲しがった。木刀を包んできたビニールの防水シートだ。
『雨どいが壊れて、修理に手間取ってね。これを敷けば、水が漏れずにすむよ』
 本当に意外なものが、異文化の中では珍重されるんだ。
 僕はふと思いついて、小銭入れから穴あきの50円玉と5円玉を取り出した。そしてビニール紐を通して、ペンダントを作り、子どもたちの首にかけてやった。
 子どもたちは、おおはしゃぎだった。これからもずっと、アラメキアのどこかで日本のコインを首にかけている人がいると思うと、楽しくなる。
 雪羽が白いヤッケを着て、僕はウィンドブレーカー。手編みのマフラーは、結局僕が首に巻いた。
 それぞれのリュックを背中に背負い、僕は腰に木刀を差す。
 いよいよ、この森を抜けると、魔族の領域だ。そしてその向こうは精霊の国。何が待っているのだろう。
 僕たちは、決して離れないように互いの手をぎゅっと握ると、森の奥に向かって歩き始めた。
       


 
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