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  「EWEN」&「魔王ゼファー」クロスオーバー企画第2弾
きみのそばに…




第5回 ―― 雪羽




 霧がひたひたと流れる朝の森を、大好きな人と手をつないで歩いている。
 まるでポエムのような情景。これ以上望む幸せなんて、ないはずだった。
 でも、同時に私は大きな緊張と不安を抱えていた。だから、どうしても足は速くなる。
 ここは未知の国。今向かっているのは、人間に長く敵対して住むという魔族の土地――そして、父上のふるさとなのだ。
「雪羽」
 聖の声で我に返った。
「肩にすごく力が入っている」
 彼は、私の腕をいたわるように軽くさすった。
「こんなんじゃ長旅はできないよ。少し休もう」
「だいじょうぶだ。早く森を抜けたい」
「だめだ。身体を休めなきゃ、途中で倒れてしまう。ここで休む」
 有無を言わせぬ口調で言うと、聖は倒れた大木の苔むした幹に腰をかけた。私もしかたなく隣に座った。
 聖は水の皮袋を私に差し出し、上着のポケットからチョコレートを出して、銀紙をむいてくれた。
 冷たい水で潤された喉に、甘いチョコレートがゆっくりと降りていく。
 自分の肺がどれだけ焼けていたか、そのときやっと気づいた。
「すまない。私は迷惑をかけてばかりだな」
「長い間夢見ていた場所に来たんだもの。気持ちが逸るのは当然だよ」
 自分の弱さがほとほとイヤになる。聖がそばにいて、見ていてくれなければ、私はどうなってしまうのだろう。
 ぼんやりと座っていると、上空のもやに霞む光が、ときどきくるりと丸まって、森の梢のあたりを漂っている。そういえば聖の家の庭で最初に見たのも、こういう光だった。正体はわからないけれど、地球にはない、アラメキアだけの光景。
「私は物心ついたころから、父上にずっとアラメキアの話を聞かされて育った」
 私は漂う光の球を振り仰ぎながら、言った。
「だから、父上はアラメキアに帰りたいんだろうって、思っていた。でもそうじゃなかった」
「違うの?」
「一度訊いてみたんだ。もし今、アラメキアに戻るゲートが開いたらどうするかって。決して帰らないと、父上は答えた。俺の生きる場所はここだからって。母上を愛し、私を愛し、自分の周囲にいる大切な人たちを守るのが、自分の役目だからって」
「……うん」
「でも心の底では、父上はアラメキアに残してきた魔族たちのことが気になっているんだ。父の起こした戦争のせいで、彼らはずっと人間と精霊に憎悪を燃やし続けている。
だから、父上の代わりに魔族を助けるが私の役目だと、ずっと思ってきた。
私は小さい頃から、人の見えないものが見えたし、感じないものを感じた。少し変な子だって、みんなに言われ続けてきたし、自分でもそう振舞うのが自然だった。いつかアラメキアに行く。地球には私の居場所はないと思い込んできた。
でも――」
 私は言いあぐねて、ことばを途切れさせた。
「でも、雪羽は地球に帰りたいと思っているんだろう?」
 聖が私の言いたいことを代わりに言ってくれた。
「うん」
「地球かアラメキアか、どちらかひとつを選ぶ必要なんてあるのかな。どっちも好きでいいじゃないか。どっちもが雪羽の居場所で、いいじゃないか」
「それでいいのかな……」
「それでいいんだよ」
 聖は私の頭をくしゃくしゃと撫でて、笑った。私の心に光の球を作ってくれるような笑顔だった。
 人生には、こんなにひとりの人を好きだと思う瞬間があるんだ。
 もっともっと聖に近づきたい。聖の身体の中に自分を埋め込んでしまいたい。聖の一部になりたい。
 馬鹿げたことを考えている自分に気づいて苦笑する。こんな気持ちが知られたら、きっと恥ずかしくて死んでしまうだろう。
 この休憩は、私の身も心も癒してくれた。
 新しい気持ちで、私たちは歩き始めた。


 森を抜けたところは、荒涼とした原野だった。枯れかけた草や丈の低い潅木があちこちに点在するだけの、何もない風景。土の表面はひび割れて乾いているように見えるが、その下は粘土層で、ずぶずぶと足を取られる。
 生き物の気配はなく、涼やかな水の匂いも、目を楽しませる豊かな緑の木々もない。こんなところに魔族は住んでいるのか。
 私と聖は、時折休憩や食事を取る以外は、ほとんど歩き続けた。
 藤江さんが作ってくれたというお弁当、特に鮭のおにぎりは、本当においしかった。
 トイレは……思い出すのもイヤだが、潅木の両端に分かれて、お互いが見えないように用を足した。
 とかげに似た小動物にときどき行き会うほかは、誰にも会わない。父上から聞いていた、花が咲き乱れるアラメキアとはおよそかけ離れた光景だった。
 沈んでいく太陽を目指して歩き続けると、やがて東の空に星がまたたき始める。東京の下町で暮らす私は、星座の違いなど全然わからないが、見ていると吸い込まれそうなほどの深さを持った星空だった。
 私たちは枯れ枝を集めて、百円ライターで火を点けた。
 聖は、クッキングシートを広げて、その上にナイフでジャガイモを薄くスライスして乗せた。ツナ缶の中身を全部空け、葺石家の冷蔵庫から持ってきた他の野菜もちぎって、仕上げに塩をぱらぱらと振った。
 シートの両端をキャンディーみたいにひねって包み、遠火であぶる。
「ほんとはさ、マヨネーズをかけるともっとうまいんだけど」
 紙を広げると、中からじゅうじゅうと湯気を立てながら現われたのは、荒れ野の真ん中で作ったとは思えないようなご馳走だった。
「おいしい。聖って料理が上手だな」
「実は、料理クラブに入ってるんだ」
 聖は、得意そうに答えた。
「中学校は全員入部が原則なんだけど、オレは道場の稽古があるから、普通の運動部には入れない。料理クラブなら、週に一回の調理実習に参加するだけでいいって言うし、いろんなものが食えるし。男の部員は2人しかいないけど」
 女子ばかりのクラブで、彼がどんな熱い視線を浴びているのか想像してしまう。本人はきっと気づいてないのだろう。
 聖の恋人になると、いつもこんなヤキモキした気持ちを抱えることになるのだろうな。
 食べ終わると、暖を取りながら、ふたりで交替で眠った。
 朝になると、また西を目指して歩き出した。もうこの頃になると疲れきってしまって、ただ黙々と機械的に足を運んでいるだけ。もちろん、絶対にお互いから2メートル以上離れないように気をつけるのは常に忘れなかった。
 その頃から聖はちらちらと後ろを振り返るようになった。
「なんだか、ずっと誰かの気配を感じるんだ」
 立ち止まって、あたりを見回す。
「こんな野原の真ん中に、誰かがひそんでいるというのか」
「気のせいなのかな」
 残り少なくなった皮袋や水筒の水を飲み、軽くなったリュックを背負い直して、ふたたび歩き出そうとしたときだった。
 地面がボコッと凹んで、いきなり何者かの手が現われて、私の足首をつかんだ。
 私が大きな悲鳴を上げたのと、隣にいた聖が木刀を腰から放ったのは、ほぼ同時だった。
 木刀の先で足首に巻きついていた手を突くと、手はあわてて地面にもぐってしまった。
 気がつくと、どこから湧いて出たのだろう。6人ほどの魔族が私たちをぐるりと取り囲んでいた。


 魔族というのは、どんな姿かと聞かれても困る。それぞれの姿はいろいろな種族ごとに異なっているからだ。
 羽を持つもの。岩のようにずんぐりとしたもの。熊のように大きいもの。犬のように小さいもの。二本足。四本足。
 その異形の姿に、私は嫌悪感を覚えた。
 昔ヴァルデミールが一度だけ、私の目の前で本来の魔族の姿に戻ったことがあって、まだ幼かった私はそれを見て大泣きしてしまった。そのときの恐さは今でも忘れない。それ以来、ヴァルは一度も元の姿を私に見せていない。
 なんと情けないことだろう。父上も彼らと同じ魔族だったというのに。私もその血を半分受け継いでいるのに。
「雪羽。ぴったりくっついて!」
 聖は私を背中でかばうように立つと、木刀を構えた。
 そうだ。聖がどんな動きをしても、私は半径2メートル以内についていかなければならないのだった。
 私たちの左側のひとりが、身体中のとげを鋭く逆立てて襲いかかってきた。
 聖は左足をさっと後ろに引くと、矢のような一閃を相手のわき腹に浴びせた。
 そして、今度はぐいと前に踏み出すと、前方の敵に向かって刀を払い上げた。
 私はそのたびに、彼の動きに合わせて移動する。
 背後に私を抱えて、聖は戦いにくかっただろうと思う。しかも相手は6人なのだ。必死で防戦したが、劣勢なのは否めなかった。
 ウインドブレーカーが大きく裂け、血の匂いが漂う。
 魔族のひとりが後ろに回りこんで、私につかみかかって聖から引き離そうとしてきた。聖はとっさに身体をよじって、相手を突いた。敵はぐっとうめいて離れた。
 でも、私を助けたことで、聖の前方はがら空きになってしまった。これ幸いと、彼らのうちふたりが、一斉に聖に身体に取り付き、爪や牙を立てようとした。
 聖がやられてしまう。
 考える暇はなかった。私は後ろに大きく跳ね飛んだ。聖の身体がかき消すようになくなった。
 ふたりは、いきなり攻撃目標が消えたので、勢いよく前につんのめり、互いの身体をぶつけてしまった。
 彼らはうろたえながら体勢を立て直し、獲物を求めて今度は私に向かって来ようというそぶりを見せたので、私はまた前に大きく踏み出した。
「聖!」
 聖の姿がまた現われた。聖は、とっさの状況にも素早く反応し、磐石の構えで、彼らの背後から剣を浴びせた。
 ひとたまりもなく、彼らは地面に伸びてしまった。
「怪我はだいじょうぶ?」
「だいじょうぶだ」
 私たちはまた身体を寄せ合うと、敵から十分な間合いを取り、残った4人の敵と相対してにらみ合った。
 聖は肩であえぎながら、叫んだ。
「なんでいきなりオレたちを襲うんだ。何も悪いことはしてない。ただ、この土地を通り過ぎようとしていただけだろ!」
 彼のことばが理解できない魔族たちは、ただ私たちを憎憎しげににらみつけるだけ。
 彼らも痛めつけられてかなり疲労しているのか、うかつには襲ってこない。
「雪羽。なんか持ってないのか。魔王の印みたいなの。『控えおろう、この紋所が目に入らぬか』、ってヤツ」
「そんなもの、あれば苦労しない!」
 と答えながら、私は聖の言っている意味に気づいた。
 黄門さま一行が印籠を出すタイミングを戦いの中でいつも量っているように、今の膠着状態は相手に話を聞いてもらうチャンスなのだ。
『魔族の同胞よ。聞いてほしい』
 私は聖の隣に一歩進み出ると、両手を広げて話し始めた。
『私は、魔王ゼファーの使いでこの世界に来た。ゼファーはあなたたちの平和のために、私を遣わしたのだ』
 彼らの顔に、驚きの表情が浮かんだ。まさか人間の口から、ゼファーの名が出てくるとは思わなかったのだろう。
 ちらりちらりと互いの顔を見交わしてから、ひとりの魔族が静かになじるような口調で答えた。
『まやかしを言うな。閣下は150年も前に精霊の女王によって遠い異世界に放逐されてしまった。今さら使者を送られることができようはずもない』
 父上が地球に追放されてから、18年の月日が経っている。そのあいだにアラメキアでは150年近い歳月が流れたのだ。聖の説によれば、アラメキアは8倍の速さで時間が経つらしい。
 それだけの長い間、何の音沙汰もないとすれば、彼らが私のことばを信じないのも無理はないだろう。
『人間め。閣下の名を騙って、わしらを油断させようとしても、そうはいかんぞ』
 彼らは火に油を注がれたように怒りを募らせ、ふたたび向かってこようと身構えた。
『待ってくれ。本当なのだ』
 私は必死で、食い下がった。
『その証拠に、あなたたちが地球に遣わした使者は、今異世界で私とともにいる。ヴァルデミールという名の従臣だ』
『なん……だと』
 聖の刀を受けて、地面に倒れ伏していたふたりのうちひとりが、むくりと身体を起こした。
『ヴァルデ……ミールと言ったか。それは俺の従兄弟だ』
 確かにその男は、ヴァルにどこか似た風貌だった。四足で、猫のようにしなやかな身体をしている。
『従兄弟は閣下を連れ戻しに行くと言い残して、異世界の不思議な装置を使い、旅立った』
 「異世界の不思議な装置」とは、アマギ博士の転移装置のことだろう。
 魔族たちは、当惑したように顔を見合わせた。
『もしおまえの言うことが本当だとしたら、なぜ従兄弟が帰ってこない? なぜ、かわりに人間が使者として立てられたのだ』
『それは、私がゼファーからもっとも信頼される者だからだ』
 私は恐れを抑え込み、虚勢に胸を張って宣言した。
『私は、魔王ゼファーの娘だ』


 山にうがたれた深い洞窟。
 暗く湿った内部は、いくつもの奥行きの狭い部屋に分かれ、そこから赤ん坊を抱いた女や子どもたちがこちらを覗いていた。元気そうな子どももいたが、大部分は、子どもらしくない疲れたような目をしていた。
 この荒野のあちこちに魔族のコロニーが点在し、ここはそのひとつらしい。
 中央の広場らしい大きな空間には、武装した男たちが集まっていた。もし、一斉に襲いかかられたら、私たちはひとたまりもないだろう。今さらながら、恐怖が募る。
 一族の長に会わせるという彼らのことばを信じ、聖と私は、私たちを襲った6人に率いられて来た。彼らに私たちを騙そうという悪意はないと、私は感じた。
 魔族の本拠地に行って、彼らがどんな生活をしているのか見てみたい。好奇心を、どうしても抑えられなかったのだ。聖は私のワガママに、ひとことも反対しなかった。
 彼らの視線を浴びて居心地悪く立っていると、ひとりの魔族が奥から進み出て、しつらえられた段の上に腰掛けた。
 アボカドのような黒緑の皮膚をした背の低い老人。このコロニーを束ねる族長だと名乗る。
『魔王閣下の王女と名乗っておられるのは、そなたか』
『はい、族長どの』
『おそれながら、長よ。この方が閣下につながりのある者であることは、疑いないと存じます』
 ヴァルデミールの従兄弟という男が、進み出て言った。
『120年前に遣わされたわが一族の密使の真名を知っておりました。彼は、お仕えする閣下以外には決して名を明かすはずはございません』
 族長は重々しくうなずくと、雪羽のほうにふたたび向き直った。
『して、閣下のご様子は』
『父は、息災にしています。そして、残してきたあなたがたのことをいつも気にかけています。従臣のヴァルデミールも、ともにおります』
『閣下はいつごろアラメキアに戻っておいでか』
『父は――戻ってくることはできません』
 小さな悲鳴と吐息が回りの人垣から漏れた。族長は立ち上がると、うわずった声を張り上げ、洞窟内に響かせた。
『なんと……。閣下はお戻りになられぬのか』
『はい』
『閣下を失ってより150年。我々は窮乏の日々を送っている。精霊や人間に対して幾度となく戦いを仕掛けたがことごとく鎮圧され、今はこの地にへばりつくように暮らしておる。
川は枯渇と氾濫を繰りかえし、大地は荒れ果て、精霊の女王より与えられた家畜も病にかかって減る一方。 子どもたちは腹を減らし、女たちの目の輝きは失せ、戦士も力を失うた。
今は、時折通りかかる人間を襲って、それを食らい、飢えをしのごうとしている有様じゃ』
「に、人間を食べる?」
 私の通訳を聞いた聖が、信じられないようにつぶやく。
 アラメキアの魔族が昔人間を食べていたことを、聖は知らなかったのだ。父上も魔王であったときは、人間を食料としていたという。
 聖は今、目の前の魔族たちを気味が悪いと感じているだろうなと考えると、心がチクンと痛んだ。
『精霊の女王さまに、そのことは訴えたのですか』
 尋ねると、族長は首を横に振った。
『草しか食べぬ精霊どもには、肉食の魔族の気持ちなどわからぬ。何を言うたところで、無駄じゃ』
『そんなことはありません。女王さまはきっと力になってくれるはず』
『偽りだ』
『精霊の味方をするとは、魔王閣下の使いとも思えぬ』
 背後から、失望の声がさざなみのように湧き立った。
『結局のところ、閣下はわれわれを見捨てられたのだ』
『いや、アラメキアにも帰って来れぬのだ。魔力すらも失われたというではないか……』
『魔族は、もう終わりだ……』
 洞窟のあちこちに、女たちのすすり泣きが聞こえる。
 私は、続ける言葉を失った。
 父上がすべての魔力を失ったというのは、本当だった。そして私も何の力も持っていない。王女としての権威も、父から受け継ぐべきはずだった魔力も。
『すみません……』
 アラメキアに行き、魔族を助けたいとずっと願っていたのに、苦しみの中に喘いでいる彼らのために私ができることなど、何もないのだ。こんな簡単なことさえ、今までわからなかったなんて。
 うなだれている私を案じて、聖が手をそっと握ってくれた。
 彼の優しさがますます涙を呼び込む。私の目からは、あとからあとから涙が伝って落ちた。
 その瞬間、身体の中心が熱く燃えるような心地がした。聖とつないでいる手から力が流れてくる。足が宙に浮いているようだ。
「雪羽!」
 聖の驚いた声が遠くから聞こえたような気がした。
 周囲の魔族たちが息をのむ気配も、ぼんやりと感じた。
 そのとき私の身体がゆっくりと銀色の光を放ち始めたことを、私自身は全然知らなかった。





 
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