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  「EWEN」&「魔王ゼファー」クロスオーバー企画第2弾
きみのそばに…




第6回 ―― 聖




 一族の主だった男たちが、洞窟の入り口まで見送ってくれた。
『我々の中にはまだ、そなたが魔王閣下の御子であることを疑う者もいる』
 族長がまぶしそうに朝の光に目を細めながら、言った。
『じゃが、そなたの身体が銀色の光を放ったとき、わしは懐かしいものを感じた。あれは畏れ多くも魔王のご威光である、暗黒の光輪とよく似ておった』
 雪羽を見る族長の目から最初の険しさが消えて、全幅の信頼が宿ったような気がする。
『精霊の女王さまには、必ず魔族の窮乏を伝えます』
『精霊の国に行くには、ミネアスの河を越えていかねばならぬ。河の渡し守に使いを送った。そなたを無事に運んでくれよう』
『感謝します、族長どの』
 歩き始めた僕たちを、魔族はいつまでも見送ってくれた。
 一時はどうなるかと思ったけど(本当は、洞窟の中で殺されることも覚悟していた)、雪羽の身体から放たれた不思議な銀色の光のおかげで助かった。
 あの銀色の光を浴びたとき、僕は雷に打たれたように身動きができなかった。心の底から揺り動かされ、不安や恐怖や憎しみの感情が煙のように消えていくのを感じた。
 たぶん、あの場にいた魔族たちも同じように感じたのだろう。静かにひざまずいて、雪羽を伏し拝む者もいた。
 雪羽には本当に不思議な魔力があるんだ。こんなすごい人を、僕なんかが好きになっていいんだろうか。
 雪羽と接するたびに身体の奥で覚えていた野放図な衝動を、いつのまにか僕はだいぶコントロールできるようになったみたいだ。だって、雪羽の神々しさを目の前で見てしまうと、彼女を汚してはいけないと抑制する気持ちの方が大きくなってくる。
 それに、正直それどころではないというのも事実。旅に出て三日目。もう僕たちの体力は限界近くまで来ていた。水は魔族の洞窟で補給できたけど、食料は底をつきかけている。
 景色が次第に変わり始めた。
 歩くにつれて、荒野に丈の低い潅木が増えて、それから、ごつごつとした登りの岩地になった。かすかに水の匂いがして、ごうごうと水の流れる音も聞こえ始める。
 族長がミネアスの河と言ったとき、僕の頭に浮かんだのは、武庫川か、せいぜい淀川の下流くらいの、のどかな流れに過ぎなかった。
 しかし、岩地を越えたとき僕たちの前に横たわっていたものは、そんな生易しいものではなかった。
 アラメキアの魔族の地を分断しているのは、砂色の竜が猛り狂っているという言い方がぴったりくるような激流だった。ちょっとでも間違って足をつけようものなら、あっというまに浚われていきそうだ。
 この100年、河は旱魃と洪水を繰り返しているとも言っていた。今は雪解けの洪水の時期なのだろう。
 流れを前に途方に暮れていると、一羽の鳥が飛んできた。と見る間に大きくなって、上半身は鳥、下半身は四つ足の巨大な生き物であることがわかった。
 グリフォン。テレビゲームでおなじみの敵キャラモンスターが、まさか現実にアラメキアにいるなんて。
 彼はふわりと着地すると、まっすぐに僕たちのほうに近寄ってきた。
『マヌカの族長から頼まれている。魔王閣下の使者が来たら、ミネアスの大河を渡してしんぜるようにと』
 王族のように威厳を持ったしゃべり方なのは、グリフォンが魔王や魔族の高貴な者たちの乗り物であったという歴史ゆえなのだと、僕はあとで雪羽から聞いた。
『お願いします』
『それでは、用意はよいか』
 グリフォンは片足を折り曲げてうずくまると、雪羽をその背中に乗せた。僕も引き続いて、その後ろにまたがろうとする。
『ならぬ!』
「え?」
 僕はぽかんとした。グリフォンのことばはわからなかったが、その語調から僕を拒否しているのは明らかだ。
『われが受けし命は、閣下の使者をお乗せすること。人間などに背中を貸すいわれはない!』
『そんな……』
 雪羽は、あわててグリフォンの背中から降りた。
『私たちはふたりでひとつなのです。彼が行かなければ私も行くわけにはいきません』
『そちらが拒否するのは勝手じゃ。そうなれば、われは渡し守の義務から解かれるのみ』
『お願いです。どうしても、ふたりでこの河を渡らねばならないのです』
『無駄じゃ。もしどうしてもとあらば――』
 彼は、ぎろりと僕を見た。
『生命に値するものをもらう』
「ま、待てよ!」
 僕は雪羽の通訳を聞いて、飛び上がってしまった。
「死んだら、河を渡っても何にもならないじゃないか!」
『よく聞け。生命そのものを取るとは言うておらぬ。生命と同じほど大切にしているものという意味じゃ』
「命と同じほど大切にしてるもの……」
 自分の持ち物をしばらく数え上げていると、不思議なことが起こった。
 グリフォンの魔法だろうか、僕にとって一番大切なものが、光り始めたのだ。
 それは、ふたつあった。惣吉おじいちゃんの形見の木刀。そして、首に巻いていた手編みのマフラーだった。
『ふたつ持っているようじゃの。それは、丈長き得物か。木でできているとは珍しい』
「これは……死んだひいおじいちゃんの形見だ。渡すわけにはいかない」
『なるほど。確かにそれをもろうても、飛ぶのに、いささか邪魔になる。では、その青い首巻きをもらおうか。世にも稀な衣、ふわふわと暖かそうじゃ』
「冗談じゃない!」
 僕は即座に強く首を振った。
「これは雪羽にもらった、本当に本当に大切なものなんだ。やることなんかできない」
『人にやれぬほど大切なものだからこそ、価値があるのではないか』
「そんなの、むちゃくちゃだ!」
「聖」
 それまでグリフォンと僕の対話を通訳してくれていた雪羽が、僕を制止した。
「マフラーを渡していい。母上にお願いして、また新しいのをプレゼントするから」
「そうじゃないんだ」
 僕にとってこのマフラーは、新しいものと引き換えにできるものじゃない。
 三年前、雪羽が首からはずして僕に巻いてくれたときのぬくもりは、まだ残っている。この三年間、どんなに離れていても、これがある限り僕は雪羽といっしょだった。このマフラーは僕にとって雪羽だったんだ。
「雪羽」
 僕は心を決めると、彼女の両腕をつかんだ。
「きみだけ、こいつに乗って。そうすれば、きみから離れたオレは地球に戻る」
「え……」
「地球に戻って、この河のある地点を通過してしまう。それから、向こう岸できみと落ち合おう」
「そんなことできるのか? 何百メートルも離れてしまってから、また落ち合うなんて」
「だいじょうぶだよ」
 僕はポケットから方位磁石を取り出した。
「向こうに見える、あの大きな木の下で待っていて。絶対にオレが来るまで動かないで。いいね」
 磁石と目測でだいたいの目的地をつかむと、僕は不安におびえたような目をしている雪羽の頬に指でそっと触れた。
「ずっとオレの名前を呼んでいて」
 僕は数歩後ろに下がった。
 全身が毛羽立つような感覚がして、視界が暗くなった。


 夕暮れの見知らぬ町に僕は立っていた。
 アラメキアで移動した距離を考えると、西宮の西へ60キロくらいにある町にちがいない。明石か、三木を過ぎたあたりか。
 そしてアラメキアで二日ちょっと、つまり50時間過ごしたので、地球で経過した時間は7時間。今は夕方の6時くらいになるだろう。
 磁石を確かめると、一気にダッシュした。心細く感じているだろう雪羽を、一秒だって待たせたくない。
 僕には雪羽に絶対会えるという勝算があった。
 きのう木刀で魔族たちと戦ったとき、一瞬だけ地球に戻った瞬間があった。立っていたのは学校の無人のグラウンドみたいなところで、驚いた僕はあたりを闇雲に見回した。すると――。
「聖」
 かすかに、雪羽の声が聞こえてきた。僕はその声のするほうに踏み出した。そしてアラメキアに戻ることができたんだ。
 近くに行きさえすれば、かならず僕を呼ぶ雪羽の声が聞こえるはず。そう確信していた。
 人気のない住宅街は、静かに土曜の夜を迎えようとしている。
 僕は走った。四つ角を突っ切り、どこかの家の生垣をかすめ、あやうく電柱に衝突しそうになり――。とにかく、目に焼きつけていた距離と方角を忘れないように、まっすぐに走った。そして。
 雪羽が待っているところ、あの河の畔の大きな木の下に相当するところに来た。
(しまったぁ)
 そこにはなんと、一軒の平屋建ての民家が立っていた。
(こんなこと想定外だ。どうしよう。どうしたらいいんだ)
 僕は頭を抱えて道端にしゃがみこんだ。
 でも、すぐにはじかれたように立ち上がった。ああだこうだと迷っている時間はない。
 たいした考えもなく、その家のインターフォンを押していた。
「はい」
「エントシュルディグング!(すみません)」
 僕は、ドイツ語で叫んだ。
 あわてて玄関を出てきたその家の奥さんに向かって、日本語がちっともわからないふりをして、ドイツ語でまくしたてた。
 本当は、外国人のふりをするのが死ぬほど嫌いだった。そうでなくてもこの顔のせいで外国人だと見られてしまう。特別扱いも仲間はずれも、うんざりするほど味わってきたから、たとえどんな理由があっても、自分の外見を利用するのはイヤだった。
 でも、今は雪羽のためだから、何でもできる。
『庭に入ったサッカーボールを取らせてください』
 もし日本語で直接そう頼んだら、きっと「ちょっと待っててね」と門の外で待たされてしまうだろう。
 イタリア人みたいな大げさな手振り身振りを演じたあげく、ようやく彼女はためらうように、身体を少しねじって庭のほうを見た。その隙間をすりぬけて、僕は庭に駆け込んだ。
 このへん。このへんのはずなんだ。雪羽の待っている木があるのは。
 何度庭を丹念に往復しても、アラメキアにワープしない。
 焦った僕は、ふと恐ろしい考えがひらめいて、立ち止まって耳をすました。
 かすかに雪羽が僕の名を呼ぶ声が響いてきた。それは、庭ではなく、家屋の方からだったのだ。
「ヴュルデン・ズィー・ミヒ・イン・デン・ラウム・エアケンネン・ラッセン?」
 僕は感嘆したような叫び声をあげて、家の窓の中を指差す仕草をした。「部屋の中を見せて」と叫んでいたのだけど、そのくせ、そこに何があるかなんて全然見ちゃいなかった。
 とにかく理由は何でもいいから、家の中にあげてほしい。
 奥さんは、「え? あれ? どれのこと?」とますます困惑するばかり。
 僕はとうとう痺れを切らして、アルミサッシの窓に自分で勝手に手をかけた。幸運なことにカギはかかっておらず、窓はするりと開いた。
「あ、何すんの!」
 サッシの敷居をまたいで、靴のまま家の中に踏み込もうとする僕に、奥さんは甲高い悲鳴を上げた。
 けれど、僕の泥靴は家の床を汚さなかったはず……。足が着く前に、僕の身体はたぶん消えてしまったから。
 あの女の人は心臓が止まるほど驚いたはずだと思うけど、僕には謝る時間がなかったし、すまないと思う気持ちすら、たちまち忘れてしまった。
 だって、僕のすぐ前に笑顔の雪羽が立っていて、彼女を抱きしめることだけで頭がいっぱいだったから。


 それから後の旅は、信じられないくらいラクだった。
 緑の木々が目を楽しませ、木陰を作ってくれたし、みずみずしい果実まで提供してくれた。
 咲き乱れる色とりどりの花。小鳥のさえずり。疲れた足を冷やしてくれる心地よい清流。
 雪羽のお父さんが話してくれた精霊の国アラメキアの本当の姿が、まさにここにあった。
 でも、もっと歩いていたいと思う頃に、旅は終わってしまった。
 精霊の国の首都リューラに着いたのだ。
 城壁の代わりに、都の名の起源ともなった薄紫の花の絨毯が回りを囲んでいた。
 建物は透き通った大理石のような石でできていて、いたるところに花が咲き乱れ、水が木の枝垂れを伝って流れ落ちる。
 ところが不思議なほど、人気がない。ここは本当に精霊の国の首都なのだろうかと思うくらい。
 ときどき観光客らしい人間に会うが、話しかけると一様に困った顔をしていた。
『精霊の女王さまに一目お会いしようと、せっかく遠くからリューラ詣でに来たのに、宮殿に行っても追い返されてしまうのですよ。家々の戸口も全部閉まっているし、ひとりの精霊にも会わないのです」
 とうとう宮殿の入り口に着くと、そこにはようやく具合悪そうな顔をした門番が、ひとりだけ立っていた。
『地球から来ました。雪羽と聖と言えばわかってくださいます。どうぞ取次ぎをお願いします』
 と言うと、ふらふらと中に入っていく。僕たちは門の前で一時間ほど待たされたが、待つ時間はとても不安だった。
 ようやく、門の中から侍女だという女性がよろけながら現われ、僕たちを中に招き入れてくれた。
『女王陛下は、おふたりに謁見なさいます』
 先立っていく侍女は、僕たちに青い顔で会釈しながら、そう言った。
『ただし、ごく手短にお願いいたします。お身体に触るといけませんから』
『お身体? どこかお悪いのですか?』
 雪羽が訊くと、侍女は悲しそうにうなずいた。
『陛下だけではありません。この街に住む者すべてがずっと病に臥せっております』
『街に住む人全部!』
『それが……今までに見たこともない、とても奇妙な病なのです』



 
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