インビジブル・ラブ


雑踏3


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Chapter 5-1



「あー、暇」
 愛海は持っていた雑誌を放り出し、ソファに寝ころんで、手足をこれでもかというくらい伸ばした。
「ぜいたくなヤツだなあ」
 俺は苦笑しながら、愛海の体の上にふわりと浮かんだ。
「五秒に一回息をして、メシを食って、トイレや風呂にも入って、寝て、毎日それだけすることがあるんだから、文句を言うな」
 死んでみて、俺はようやくわかった。生きてるって忙しいことなのだ。暇だなんて言ってたら、バチが当たるぞ。
 今日は非番の日。のどかな平日の昼さがりだ。しばらく休みも返上で、殺人事件の捜査にたずさわっていた愛海は、久しぶりの非番を少々もてあましているみたいだ。
「ね、せっかくこんないい天気なんだから、外へ行こ!」
 目を輝かせて、愛海は上半身を起こした。
「買い物なんか、どう?」
「やだ」
「なんで?」
「おまえの買い物は長い。待つだけでうんざりする」
 意地悪で言ってるんじゃない。実際、幽霊にとって、買い物に付き合うほどつまらないことはないのだ。
 なにせ、買いたいものが何もない。
 服も靴も酒も食い物も、歯ブラシ一本だって、自分のために買う必要がないのだ。
「うーん、じゃあ散歩とか?」
「それもいやだ。町の奴らにヘンな目で見られる」
 歩いてるときも、やたらと俺にしゃべりかけてくるから、愛海がひとりでブツブツ言ってるように見えるらしい。
 朝の出勤途上では、公園のラジオ体操から帰ってくる年寄りたちが愛海をよけて通るし、集団登校中の小学生たちが手を振ってくれる。
「じゃあ、今から何をしたらいいの」
「こんなのは、どうだ?」
 浮いていた俺は、愛海の上にゆっくりと体を沈めた。
「や、やだ。淳平、目がすっごく、エロい」
「悪かったな。生まれつきだ」
 俺は霊指の力で愛海のヘソのあたりを、つつつと撫でた。
「ひゃあ」
 愛海はソファの上で身をよじる。
「こんな昼間っから、何を考えてるのよ」
「夜だと、もっとすごいことを考えるぞ」
「あふ……」
 俺に唇をふさがれて、愛海は完全に脱力してしまった。
 ケンカ別れしてからというもの、俺たちは離れ離れのときを過ごしたのだ。たまの休み、これくらいイチャイチャしても、赦されるだろう?

 結局、愛海の懇願に負けて、俺たちは外へ出かけることになった。
 ショッピングの後は、映画を見て、レストランでディナー。デートの定番コース。
 だが、普通の人間カップルと違うのは、どこに行っても、愛海が連れもなく、ポツンとひとりでいるように見えてしまうところだ。
「ねえねえ、彼女。ひとり? 誰かと予定あんの?」
 黙って歩いてれば極上の美女の小潟愛海は、繁華街を歩くだけでナンパの嵐に会ってしまう。
 実は、俺が外に出たくないのは、これが最大の理由なのだ。
「ひとりじゃないよ。カレといっしょ」
「え、どこに? どこにもいないじゃん」
「見えないけど、ちゃんとここにいるの」
 能天気な愛海は、いちいち、こういう会話を繰り返すのが苦にならないらしい。
 相手はその答えを聞くと、愛海のことをイカれた女だと思い、ますます舌なめずりして寄って来る。
「えー。だって、見えないカレなんかより、見えるカレのほうが、いいじゃん」
 ごもっともなご高説だが、生憎、見えない恋人にだって、いいところがあるんだよ。
 腹を立てた俺は、「お茶しよう」としつこくまとわりつくナンパ男の尻を、霊指の力で蹴り上げてやる。
「ぎゃああっ」
 もんどりうって地面にころがる男を残して、俺たちはまた歩き出した。
「淳平ったら。騒ぎになったらどうすんの」
「警察手帳を出せばいい」
「私、今日は非番だよ」
 と言いながら、楽しそうに笑っている。
 久しぶりの買い物とあって、愛海は買いたいものがたくさんあるようだった。
「ねえねえ、このジャケット似合う?」
 鏡の前で服をとっかえひっかえしては、俺にたずねる。
「肩のあたりが、浮いてる。おまえの体型には合わないな」
「あ、じゃ、やめようっと。じゃあ、こっちは?」
「色がイマイチだな。タンクトップは黒のほうが、すっきりとまとまるぞ」
「あ、じゃあ黒にするよ」
 店員がぽかんと口を開けて、愛海のひとり舞台を眺めていた。

「淳平はファッションセンスがいいから、いてくれると、服選びがすごく楽だよ」
 大きな袋を抱えて、愛海は意気揚々と店を出た。
「きっと、生きてるときはブランドものばっかり着てたんでしょ」
「とんでもない」
 俺は即座に否定した。
「俺はそんなもの、絶対に着なかったぞ」
 ブランドものをひけらかすのは、結婚詐欺師だと宣伝してるようなもんだ。着るヤツが着れば、一張羅のスーツだって上等に見える。
「そういえば、淳平の遺品って、服とか靴もすごく少なかった」
「いつも、各地を転々としてたからな。持ち物はなるべく少なく、身軽なほうがいい」
「じゃあ、詐欺でだまし取った金を、いったい何に使ってたの?」
 愛海は好奇心まるだしの顔をしている。
「木下さんとも、よく頭をひねった。六年間で八千万ものお金をだまし取って、その使い道は何だったんだろうって。ギャンブルか何か?」
「そんなんじゃねえよ」
 俺は憮然として答えた。
「金はほとんど、次の詐欺に回した」
「え?」
 会社の社長や金持ちの御曹司を演じるために、俺は気前よく金を使った。ターゲットの女に食事をおごったり、ドライブに行ったり、ホテルのスイートに宿泊したり、プレゼントを買ってやったり。
 そのための軍資金として、いつもかなりの大金が必要だったのだ。
 愛海は、それを聞いてひどく驚いている。
「じゃあ、淳平って、詐欺のために詐欺をしてたわけ?」
「そうなるかな」
「なんか、変」
 別に変でも何でもない。俺は金がほしいから詐欺をしてたわけではないんだ。
 詐欺が成功して金を得るときの達成感がほしかっただけ。
 犯罪者の勝手な言い草かもしれない。だが、俺は何よりも、俺という男の値打ちを証明したかった。今から考えれば、ちっぽけでバカなプライドだけどな。
 俺は、低く雲が垂れ込めた空を見上げた。
 冬の前触れの色だ。十二月に入って、東京は急に寒くなり始めた。
「今年も終わりだね」
 愛海がぽつりと言った。
「ああ」
「もうすぐ二年になるんだ。淳平が殺されてから」

 そうだった。
 俺が路地裏で何者かに刺されて死んだのは、厳寒の1月のことだったのだ。
 そして、一周忌の日に初めて愛海と出会ったのだから、俺たちの付き合いも、もう一年近くになる。
「ごめんね。もう二年になるのに、犯人をまだ捕まえてあげられなくて」
 愛海はしごく神妙な顔つきで、舗道を見つめながら歩いていた。
「事件の解決なんて、どうでもいいって言ったろう?」
 わざと茶化したように答える。
「犯人を逮捕しても、俺は成仏なんかしないからな。この世でずっと幽霊として、やっていくつもりだ。だから、そんなこと気にするな」
「でも……イヤなの」
 わかっているのだ。いくら気にするなと言っても、愛海は気にしてしまうのが。
 俺の三十数年の人生を突然終わらせてしまった凶行。
 犯人は誰なのか、殺した理由は何なのか。その最後の謎が解けなければ、水主淳平という人間を全部理解したことにはならないと、愛海は固く信じている。
 真実を解き明かしたいという願いは、愛海が持っている刑事としての本能だが、同時に、俺に対する愛情の証でもあるのだろう。
「おまえの気持だけで、うれしいよ」
 俺は、愛海の肩をぎゅっと抱き寄せた。
「おまえとめぐり合えて、俺はしあわせだ――たとえ死んでからでもな」
 愛海はぽっと頬を染めた。
 ヘタな結婚詐欺師だって言わない、歯の浮くようなセリフだが、本当にそう感じているのだから、しかたがない。
 道行く人が仰天して振り返る。俺の霊指の力に体を預けている愛海は、まさしく、歩くピサの斜塔だった。
「ねえ、淳平には、やっぱり犯人の心当たりはないの?」
 この一年の同居生活の中で、何十回訊かれたかわからない問いだ。
 俺の頭の中からは、殺されたときと、その前後の記憶がすっぽり抜け落ちてしまっている。ずっと思い出す努力はしているのだが、ダメなのだ。
 自分が殺された現場へ行ってもみた。
 愛海に手伝ってもらって、殺人の状況を再現した。いわゆるショック療法というヤツだ。
 もっとも、効果はさっぱり。かえって愛海のほうが、血だらけの現場を思い出して気分を悪くした。
 こうなると、もう俺には打つ手がない。だいたい脳細胞なんて、とっくに灰になっちまった身だ。どうやって記憶を呼び覚ませばいいかも、わからないもんな。

 予定どおり、俺たちは映画館に入った。
 ちょっと前に視聴率が高かったTVドラマの映画バージョン。刑事モノだ。
 テレビのスペシャル版で事件の発生部分を描いておいて、いいところでちょん切る。あとは映画館で解決編を見てくれという作りだ。
 愛海は子どもの頃から刑事ドラマが大好きで、それで刑事を目指した女だ。この手の映画を見たがらないはずはない。
 ひとりの料金を払って映画館に入ると、愛海は紙バケツ入りのポップコーンをふたり分買った。並んで空いている席を見つけて、肘掛けのホルダーにそれぞれを置く。そうすると、もう愛海の隣には誰も座れない。
 そうやって、俺の座る席を確保するのだ。俺は空中に浮いていてもかまわないが、それだと愛海が落ち着かないらしいからな。
 もちろん、ふたり分のポップコーンをたいらげるのは、愛海の役目だ。
 映画は、まあ悪くなかった。海外ロケシーンがあるということは、金がかかってる。さすがにヒット作の映画化だ。
 愛海は終始、身を乗り出してストーリーにのめりこんでいた。こういうのを見せると、今度は刑事の海外出張なんて夢を持っちまいそうだ。
 昔のドラマみたいに、俳優の顔ぶれを見れば、すぐに犯人がわかるというチャチな作りではなく、けっこう意外な大物俳優が犯人役だった。
 今の時代は、犯人役や悪役のほうが、主人公を演じるよりもオイシイのかもな。――悪人の俺が言うのも、おかしな話だが。
 そう思いながら、エンドロールが流れるのを眺めていると、俺の目はある一箇所に釘づけになった。
 俳優たちのあとに映し出される製作スタッフの名前。その中に、見覚えのある女の名が載っていたのだ。
 それを見たとたんに、すっかり忘れていた悪夢のような記憶が呼び覚まされた。

「――ねえ、淳平ってば」
 気がつくと、観客たちがぞろぞろと出て行くところで、愛海も隣の席から立ち上がっている。
「もう、映画終わったよ。寝てるの?」
「……いや」
 外は、もう真っ暗になっていた。きらびやかな町の雑踏をしばらく歩いてから、俺は低く言った。
「思い出したかもしれない」
「何を?」
「俺を殺す動機を一番持ってる女のことだよ」
「ええっ!」
「高見プロダクションって知ってるか?」
「うん、けっこう有名な俳優専門のプロダクション」
「そこの社長、高見リカコ」
 まるで苦い薬を吐き捨てるような調子で、俺はその女の名前を発音した。
「有名な人じゃない。こないだも、報道番組のコメンテーターとしてテレビに出てたよ」
「ああ」
 高見リカコは、女優だった経験とコネを生かし、俳優プロダクションを立ち上げて成功した女だ。
 もう40をとっくに過ぎているが、若い頃の美貌はいまだに衰えていないし、独特の辛らつなコメントも定評を得ている。
「その高見社長が、どうして淳平を殺す動機があるの?」
「俺は昔、高見プロダクションの新人女優をカモに、詐欺を働いたことがあるんだ」
 愛海は、それを聞いて「へっ?」とすっとんきょうな声を出して、舗道で立ち止まった。
「初耳だよ」
「もうかれこれ七年も前の話だ。俺もすっかり忘れていた」
「新人女優って誰?」
「工藤麻季」
 愛海は、「ひゃあ」という悲鳴を上げて、両手でバンザイのポーズをした。
「有名な女優じゃない!」
 道の真ん中でひとり騒いでいる愛海を避けるように、往来の人波がざざっと分かれた。

 とりあえず俺たちは、ゆっくり話ができる店に入ることにした。
 選んだのは、パスタ専門のカジュアルレストラン。駅の構内にあって、BGMがそこそこ大きく、愛海がひとりでぶつぶつ言っていても、誰も気味悪がらない。
 愛海は刺身スパゲティ・パイナップル風味という珍妙なメニューをオーダーした。
 いつも思うんだが、こいつの食べ物の好みは、ときどき俺の理解を超えている。
 ウェイターがいなくなると、「さあ」と俺を怖い目でにらんだ。
「あらいざらい、しゃべってちょうだい」
 愛海が必死になるのもわかる。事件から二年も経って、捜査が暗礁に乗り上げようとする今、まったく新しい容疑者の名前が浮かび上がってきたんだからな。
 このことは、できれば俺も思い出したくなかった。俺の詐欺師人生の中で、一番の屈辱であり汚点だからだ。
 今から七年前――殺されたときから数えると五年前になるが、俺はまだ駆け出しの結婚詐欺師だった。
 何人かの女から金を巻き上げ、その成功に酔っていた。
 ここらあたりで一発、でかい勝負に出てやる。自分の力を過信した俺は、大きな獲物を釣ろうとした。
 それが当時、大型新人として高見プロダクションが売り出していた工藤麻季だ。
 大会社の御曹司になりすました俺は、自分の会社のCFに出演してほしいと、ことば巧みに持ちかけながら、麻季に近づいた。
 芸能界の荒波をまだかぶっていない18歳の娘を虜にするのは、ほんとうに簡単だった。麻季は他愛なく俺の手に落ち、『あなたと結婚するためなら、女優をあきらめる』とまで言い出した。
 もちろん、俺との交際は、すぐにプロダクション社長の高見リカコに知れるところとなった。清純派として売り出すはずだった新人女優が、男にのぼせ、女優を辞めようと思いつめていると。
 しかも、少し調べれば、某企業の御曹司だというのは真っ赤な嘘だとわかり、詐欺だということは、たちどころに見破られてしまう。
 だが、平気だった。俺はもともと、ぽっと出の新人女優から直接、金を盗ろうだなんて思っていない。
 俺の狙っていた交渉相手は、はじめから社長の高見リカコだったのだ。
 少し揺さぶれば、リカコはスキャンダルを恐れて、すぐに手切れ金を積むだろう。あさはかにも俺は、そう高をくくっていた。
 ところが、簡単に金を巻き上げられるなんて、とんでもない誤算だった。
 俺は滞在していたホテルをつきとめられ、踏み込まれる寸前に危険を感じて逃げ出した。
 リカコは、その筋の男たちを雇って、俺を始末するように命じたのだ。あとでそのことを知り、まさに九死に一生を得た心地だった。
 高見リカコは俺と同じ、いや俺以上に闇の世界の住人だった。こんな恐ろしい女を相手に戦うつもりなど、さらさらなかった。
 ほとぼりを冷ますまで、それからしばらく東京には絶対に足を踏み入れないようにした。
 だが、時間が経つにつれ、いつのまにか警戒心も解けてしまっていたのだ。
「じゃあ、高見さんが淳平を殺そうとしたと思うわけ?」
 愛海は、くりぬいたパイナップルの中に盛られた「刺身スパゲティ」を、口いっぱいに頬張りながら、たずねた。こういう薄汚い世界の話を聞いてもビクともしないところは、やはり刑事だ。
「リカコ本人か、もしくは、誰かを雇ってな」
「でも、五年前の恨みで、そこまでできるものかな」
「けっこう執念深い女だぞ。あれからしばらくは、俺の行方を捜していたというからな」
 俺は渋面を作って答えた。
「東京に舞い戻った俺を、たまたま、どこかで見かけ、昔の恨みを思い出したのかもしれない」
「また工藤麻季さんをゆすりに来たと思ったのかな」
「いや、それはないと思う」
 工藤麻季は、今では汚れ役も引き受けるし、バラエティ番組で下ネタもしゃべる。
 もうデビューした頃の清純派ではない。良い意味で、何でもこなす女優になっていた。
 たとえ昔のスキャンダルが発覚しても、笑いのタネにしてしまうだけの実力と度胸が、今の麻季にはある。
「五年前の遺恨というのは、殺人の動機としては弱いなァ」
 人差し指でトントンとテーブルを叩きながら、愛海は眉間にシワを寄せた。
 芝居がかったセリフと仕草は、どう見てもドラマの名探偵気取りだ。
「でも、はじめて淳平の口から、容疑者の名前が出たんだもんね。絶対にこの捜査、モノにしてみせるよ」
 レストランを出ると、さっそく愛海は携帯をつかみ、同じ専従捜査員の木下警部補に連絡を取った。
 せっかくの非番の日なのに、こいつの刑事根性には感心する。
「今すぐ署に来いって」
 愛海は俺にふりむいて、嬉しそうににっこりと笑った。
 自分に笑いかけられたと思ったのか、通行人の若い男が狼狽のあまり、舗道沿いの生垣の中に突っ込んで行った。
 やれやれ、ヒマだと思ったのもつかのま、またコンビニ弁当の日々が始まるらしい。




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