Subterranean Homesick Blues ホームシックブルース


           (2)


 女は若いコーカソイド(白人)だった。漆黒の髪は縮れて背中まで伸び、愛らしい顔立ちで、まだ二十歳にもなっていないように見える。
 寝かされたソファの上で薄目を開け、四人の男たちが自分を覗き込んでいるのに気づき、超音波のような悲鳴を上げた。
「人殺し、痴漢! 寄るな。あっち行け」
 顔に似合わぬ口の悪さだ。
「錯乱してるようだな」
 ロボットが最初に身を起こした。「まあ、この顔ぶれに囲まれては無理もないが」
 熊のようなヒゲを生やしたマスターと、むくつけき中年男のタオをチラリと見てから、彼はレイに向き直った。
「おまえが代表して、話を聞いてやれ」
「僕?」
「この中では、一番マシだ」
 そう言い残し、彼はさっさとカウンターの隅に陣取った。それに倣い、マスターも機関長もしぶしぶ、各々の定位置に戻っていく。
「ええと……」
 レイは途方に暮れながら、ソファに身をすりつけて怯えている女の前に、片膝をついた。
「こわがらなくていい。ここは、【ポンチセ】というバーだ。あそこの人が、この店のマスターで他の三人は客。僕の名はレイで、あの男がタオ。その隅にいるのが――」
 航宙士は言葉を切って、ロボットのほうを振り返る。「あんたの名を聞かせてくれないか」
「……クリフォトだ」
「クリフォトだそうだ。彼がきみを最初に見つけてくれた。バーの前の階段で倒れていたらしい」
 女は少し警戒を解いたらしく、もじもじとソファの上で座りなおした。「あたしの名前は……マルギット」
「マルギット?」
 レイは軽く目を見張る。なぜか名前に興味を惹かれた様子だ。
「ねえ。ここは、なんという街なの?」
「地下十キロポイント地区だ」
「地下十キロポイントって何?」
 女は恐怖に目を見開いた。「ここは地球じゃないのかい」
 男たちは顔を見合わせたあと、レイが静かに言った。
「ここは、火星のクリュスシティだ。知らなかったのかい」
「火星……」
 女は放心したように、しばらく黙り込んだ。
「あ――あたし、騙されたんだ。シップは空気が薄いからって、ずっとコンテナの中の睡眠装置で眠らされて」
「密航したんだね?」
 女は航宙士の制服を着ているレイを見つめてから、おずおずとうなずいた。「お願い。チクらないで」
「大丈夫だ。決して言わない。手引きしたのは誰だ?」
「名前は知らない。【サテライト】であたしがウェイトレスしてた店に、男の客が来て、地球で働きたくないかって誘われて」
 【サテライト】は、地球の公転軌道上に点在する、巨大な五つの人工都市衛星だ。合計すると、およそ四百万の移民が暮らしている。
「あたし、親が第一世代移民で、【サテライト】生まれなんだ。一度でいいから地球に行きたかった」
「それで、男の誘いを受けたのか」
「有り金全部はたいて渡したんだよ。それなのにシップから降りたら、すぐ狭い部屋に閉じ込められて――変だと気づいて、それで隙を見て逃げて、ごみごみした通路をめちゃくちゃ走ったら、急に気が遠くなって」
「いきなり走るなんて無茶だな。サテライトと違って火星の都市は0.8気圧しかない」
「今でも息苦しいよ」
 レイは立ち上がり、男たちに振り向いた。「どうする?」
「ほとぼりが冷めるまで、どこかに潜んでいては?」
 マスターが提案した。「密航業者も、今はこの子を必死に捜しているはずです。安全な場所で二、三日じっとしてから行動するべきだと思います」
「ううむ、安全な場所と言ってもなあ」
「僕たちのホテルはどうだろう。タオ」
「いや、地上に登れば、今度は逆に警察の目が厳しい」
「やだ! サツはいやだ。強制送還されちまう」
 女は、髪を振り乱してわめいた。
「落ち着いて。きみにとって一番良い選択を考えてるんだ」
 レイがあわてて、なだめにかかる。「考えてみてくれ。結局は【サテライト】に戻ったほうが良くはないか? そこには、親兄弟も友だちもいるんだろう。きみにとっては火星にいるより、ずっと暮らしやすいはずだ」
「いや。あそこにはもう戻りたくない――」
「どうも、故郷にいられぬ理由があるようじゃな」
 タオが背後から耳打ちした。
 レイはもう一度体を屈めて、事情を尋ねようとした。
 そのとき、片隅で石のようにじっとしていたクリフォトが弾かれたように、止まり木の上から飛び降りた。
 「しっ」と指を口に当てる。「ふたり来た。武装している」
 そして、ソファから掬い取るように軽々と女を抱きかかえると、他の三人が呆気に取られている中、カウンターの後ろに放り投げた。
 それと同時に、バーの扉が開く。
 ひとめで、裏社会の人間とわかる男たちが、じろりと店内を見渡した。
「いらっしゃいませ」
 マスターが愛想よく声をかけた。「なににいたしましょう」
「長い髪の若い女をひとり、見なかったか」
 カウンターで思い思いに酒を飲んでいた客たちは、興味なさげにちらりと振り向いた。
 マスターが「いいえ、お見えになっていませんが」と首を振った。
 後ろにいた男が許可なく、ずかずかと入り込んで、トイレや通用口を調べ始め、戻ってきて、くいと肩をすくめた。
 ふたりは黙って扉を出て行った。
 しばらくの沈黙の後――。
「よくも、モノみたいに放り投げてくれたね!」
 女はカウンターの後ろからようやく起き上がり、クリフォトに向かってすごい剣幕でわめいた。
 クリフォトは平然と答えた。「俺はおまえを、モノだとは認識していない」
「怪我したら、どうする気だったんだよ」
「怪我をしないように、着地点と落下速度を計算して投げている」
 そのやりとりを聞いていたタオはいきなり、愉快そうに笑い始めた。
「これで、決まりだな」
「何が?」
「この子の潜伏先だよ。これ以上安全な場所はないというところを思いついた」
 そして、タオはくいと指を突き出した。「あんたの家だ」
「え?」
 クリフォトは、口をぽかんと開ける。
 【AR8型】ロボットが表情を変える貴重な瞬間を、レイ・三神は幸運にも目撃することができた。