第4章「想い出はタンパク質のせいですか」

(6)

 その日の夜更け、城門から一頭の馬が静かに旅立った。その鞍には、ひとりの老人が縄でくくりつけられていた。白き髪、白き瞳、白き衣で覆われた干からびた身体に、あの力に満ちあふれていたころの面影はない。
 丘を下ると、はるか向こうの森の中に、数千のオスマン・トルコ軍が陣を敷いている。
 その日、森の中で阿鼻叫喚の地獄絵図が描き出された。言い伝えでは、白い着物を着た化け物がトルコ勢の前に立ちはだかり、刃向かう者の首を手折り、木の枝に串刺しにし、流れ出る血をすすっては、狂気したように嗤(わら)っていたという。
 ちりぢりになって逃げだした生き残りの兵たちは震えながら、化け物はいくら剣で斬り裂き、槍で突いても死ななかったと証言した。
 それ以降、レオニード大公の姿を、この地上で見た者はいない。

 レオンは、ほどなく正式に大公の座に就いた。
 名前のない孤児だったため、彼は先代の名をそのまま受け継いで、レオニード大公と名乗った。
 大公から戯れに『金髪のレオン』と呼ばれていたあの若者は、本来の名であるアレクサンドル・ニコラエヴィチ・ミハイロフ伯爵となり、城から去って行った。
 彼に与えられた所領は、彼の故国ロシア。当時はまだ歴史の浅く貧しい新興国家にすぎなかった。大公を継いで世界を支配することを夢見ていた者にとって、それはどれほど屈辱的な領土分配だっただろう。
 その秘められた憎悪が、やがて一族を二分する争いを引き起こすとは、このとき、まだ誰も予想していなかった。

 戦乱は止み、トランシルヴァニア公国は、ふたつの巨大帝国の間に挟まれて危うい均衡を保ちながら、自治国家として歩み始めた。
 表面上の君主は幾度も変わったが、真のトランシルヴァニア公は、レオンだった。不死の一族に加わった後も、髪と瞳の色が漆黒のまま変わらなかった彼は、『黒の大公』と呼ばれていた。
 彼は先代のレオニード大公のやり方を引き継ぎ、より巧妙に推し進めた。
 ハプスブルグとオスマントルコの双方に、莫大な金銭を貸し与えることで、陰からあやつった。
 信教の共存をはかり、ローマ・カトリック諸国にもプロテスタント諸国にも、影響力を広げた。
 政治の駒を動かすことにのめりこんでいた彼の熱が冷めたのは、数十年が経った後だった。
「いったい、俺は何のためにこんなことをやっているのだ」
 玉座の上で物憂げにつぶやくレオンを見上げながら、リュドミラは悲しげに微笑んだ。それは、まるで先代の『白の大公』の言葉そのままだったから。
「わたしたちは、人間の上に立つ存在。強者が弱者を導くのは当然ではないかしら」
「強者が弱者を滅ぼすのが、世の理だろうに」
「でも、滅ぼしてしまったら、私たちも飢えてしまうわ」
 レオンは、声を殺して笑った。
「所詮、俺がやっていることは、人間が食べ物に満ち足り、たくさんの血を生産するためか? 結局、俺は豚飼いと同じなのか」
「あなたには、相談相手が必要だわ」
「あなたがいるではないか」
「私はダメ。政治の相談役なんて、荷が勝ちすぎるわ」
 リュドミラは紫の瞳を悲しげに伏せた。稀なる美貌も、今はやつれて見る影もない。そう言えば、最近はあまり血も摂っていないようだ。
 先代の大公の死以来、何十年も彼女は深い悲しみに沈んでいる。
(死ぬつもりなのだろうか)
 生命の喜びを分かち合う者がいなければ、永遠など地獄と同義語だ。リュドミラにとって、それは白の大公だった。
(俺ではだめなのだ)
 苦い思いを噛みしめながら、玉座を離れ、外に出る。夜の庭は、バラのねっとりと甘い芳香に包まれている。
 散策の途中にも、誰の姿も見えない。
 突如として、足が進まなくなった。膝が震えている。孤独の恐怖がバラの香りより強く、髪に、肌に、喉の奥にしみこんでいく。
(俺たち一族は、本当はもう死人なのかもしれぬ。決して強者などではない。死すべき人間より弱くもろい存在)
 次の日、レオンは恐怖に駆り立てられたように、急使を立てて、ひとりの男をトランシルヴァニアに呼び寄せた。
「アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ミハイロフ伯爵」
 肩に剣を当てたのは、かつて大公の座を争った片割れ、『金のレオン』と呼ばれていたあの男だった。
「そろそろオスマン・トルコが目ざわりになってきたゆえ、追い出すことにした」
 懐疑と憎悪をむきだしにしている男をひたと見据えながら、レオンは命じた。
「その役をそなたにまかせる。ロシアをあやつり、東欧に進出してこい」
「なぜ、わたしを?」
 驚きと疑惑に、彼は形の良い金色の眉をひそめた。「ロシアのツァーリは、オスマントルコを追い出したとて、おとなしく宮殿に引き返したりはせぬぞ。トルコの次はスウェーデンを襲い、ロシア帝国の下地を作る」
「それでよい。俺はハプスブルグ王朝を率いて、おまえを迎え撃とう」
 壇の上と下で、ふたりの貴公子たちは、互いをにらみつけ、凄絶な笑みを浮かべた。
「待っているぞ、時間はいくらでもある」
 レオンは、満足げに玉座に体を沈めた。
 チェスよりも何倍も面白い、知略を傾けて熱中するゲームを、彼は手に入れたのだ。身を斬るような孤独に比べたら、宿敵から憎悪を浴びることのほうが、どれだけましだろう。
「待っているぞ、アレクサンドル。おまえが俺を滅ぼしに来るのを」

 ミハイロフ伯爵は、約束をたがえなかった。時のツァーリ、ピョートル一世は、オスマントルコ軍を撃破して黒海を手に入れたあとは、スウェーデンとの戦争に勝ち、バルト海の制海権を握った。
 ロシアは、ふたつの海への出口を手に入れ、巨大帝国としての道を歩み始めた。
 百年が、瞬く間に過ぎていく。
 十九世紀、レオンはウィーンにいた。
 当時のウィーンは、ゲルマン、スラブ、マジャール、ラテンなど、十もの民族が入り乱れる混沌とした都市だった。
 そして、そういう多国籍都市の常として、食いつめた者たちがどっと流れ込み、混沌とした一画に肩を寄せ合うようにして住み着いた。
 古の城壁に沿って巡らされた堀の周囲には、掘っ立て小屋が、箱からこぼれ落ちた積み木のように建ち並び、狭い路地には娼婦や飲んだくれた日雇い労働者が行き交う。
 ある夜、町の路地で、レオンはひとりの幼い少女を拾った。
 子だくさんの貧農の親に、泣く泣く捨てられたのか。
 それとも、産み落とされたときから、要らぬものと定められたのか。
 ぼろ雑巾のような衣服を体に巻きつけた、垢だらけの少女の目の奥に、よどんだ憎悪を見つけたとき、レオンは「昔の俺と同じだ」と思った。
 誰からも顧みられず。
 誰からも愛されず。
 ただ漠然と、この世のすべてを憎んでいた、あのころの俺に。
「俺といっしょに来るか」
 彼は、異臭を放つ少女を、上等な黒い毛織のマントでくるんだ。
 少女は呆気にとられ、警戒心を持つことすら忘れ、ただぼんやりと、見知らぬ高貴な男の顔を見上げた。
「そなたの名は?」
「……」
「名もつけてもらえなかったのか。ならば、今日から、そなたをローゼマリーと呼ぶことにする」
 ローゼマリー。
 城に連れ帰り、薄紅色の絹のドレスを着せ、その皮肉なほど美しい名にふさわしく、あのバラの園の中に置こう。


…………。

――この子が。

 この子が、ローゼマリー。
 ご主人さまが愛された、ただひとりの女性。やがて奥方になられる、ローゼマリーさま。
 ご主人さまとローゼマリーさまは、こんな出会いをなさったんだ。ご自分と同じ境遇の孤児を拾って、御自らの手で育てられたなんて。
 まるで光源氏と若紫みたいに、自分の好みの女性になるように。それって、究極の愛じゃない?
 まいった。まいったなあ。
――絶対に、かなわないよ、こんなの。

 頭の中でシャボン玉が破裂したみたいに、突然、私は意識を取り戻した。
 私、だれ? ここ、どこ?
 ああ、そうだ。ここは21世紀の日本で。
 私は、ご主人さまに仕える、ただのコックで。
 ルイさまのお屋敷の広縁で、私はご主人さまの腕に抱かれていたんだった。
 抱かれて……唇……キスされて……

「ひゃあ」
 私は、あわてて籐の寝椅子から跳ね起きた。
 その拍子に、ぐらりとご主人さまの体が倒れてきた。目を固く閉じて、すっかり深い眠りの中に陥っておられる。
 まだ、あの夢の続きを見ていらっしゃるんだ。ローゼマリーさまと出会ってからの楽しい日々を。
 意気地なしの私は、それを見ることが恐ろしくて、ひとりだけ戻ってきてしまった。
 そうっと、寝椅子の上に横になっていただく。頬にかかった長い髪をはらい、青ざめた唇に静かに指で触れた。
 乱れていた髪やスカーフを整えると、私は部屋を出た。
 みんなは、食堂に隣接した応接間に、思い思いの方向を向いて腰をかけていた。
 まだ窓の外は暗く、夜が明けるにはほど遠い。夢の中では百年以上が過ぎていたはずなのに、現実は、さほど時間が経った様子はなかった。
 私の姿をまっさきに見つけたのは、来栖さんだった。「榴果さん!」
 はじかれたように、マユが駆け寄ってきた。その目に、みるみる涙があふれる。それくらい私は、幽霊のように青ざめて、憔悴しきっていたのだろう。私は彼女を抱きしめ、やわらかい髪の中に顎をうずめた。
 なんだか、みんなの顔がなつかしい。百年ぶりに会ったみたいだ。
「どうだったの?」
 ルイさまのやさしく労わる声に顔を上げた。そう言えば、夢の中もお会いしたんだっけ。でも、リュドミラさまだった頃のこの方は、もっと弱々しくて、もっと不幸せそうだった。
「ご主人さまの夢の中に、行ってきました」
 頬の筋肉がひきつって、うまくしゃべれなかった。それでも、なんとか報告する。
「ご主人さまが子どものころからの過去の思い出を、ずっと見てました。でも途中で、私だけ夢から覚めてしまって……」
「途中って?」
「戦争で大騒ぎのウィーンの街……」
 ルイさまは、短い吐息をもらした。「1805年。ナポレオンのアウステルリッツの戦いのときね」
「ご主人さまがローゼマリーさまと初めて出会われて、城に連れて帰ろうと決意なさるところで、私は……」
「なんで、そこで帰ってきてしまうの!」
 ルイさまの焦れたような絶叫が、応接間に響きわたる。「あなたに見てほしいのは、そこからなのに!」
「無理……です」
 私はうなだれて、硬い声で反論した。「見ていられませんでした。だって――」
 ボロきれを脱いで、体を清めたローズマリーさまは、玉のように愛らしいに違いない。
 きれいなドレスを着せてもらい、いっしょに夜の庭を散策し、ご主人さまの慈しみを受けながら美しく成長される。
 やがて妙齢になったころ、一族に加わる儀式を、ご主人さま自らが授ける。それからプロポーズして、一族の前で壮麗な式を挙げて、ふたりだけの初夜を――。
 もうダメ、そんな場面、正気じゃ絶対に見られない。
「何を、ひとりで、勝手な妄想にふけってるの?」
 ルイさまは、私の顎をぐいと引き上げると、真正面から睨みつけた。「本当のことを見る勇気を持たなくて、どうするの」
「だって……」
「それは、無理難題というものではありませんか」
 貴柳神父が、穏やかな笑顔を浮かべて、援護射撃をしてくれる。「わたしだって、あなたが天羽男爵のことを思い出している、せつなげな顔は、できたら見たくはありませんね」
「な、何を言うの」
「ほら、自分のことはすぐ棚に上げる。あなたこそ、真実を見る勇気が欠けているのでは」
「私もイアニスさまが、先代のククラのことを話すときは、死ぬほどイヤでした!」
 マユも、小さな肩をいからせて叫んだ。
「そんなの、話したことあったか」
「何度でもあります! 前のヤツのほうが血がたっぷり吸えて、すごく美味しかったって」
 まったく、ルイさまも、イアニスさまも。一族の人ってどれだけ罪作りなんだろう。
 何百年も生きて、たくさんの人間との思い出を持っているから、私たちが余計に苦しむってこと、全然自覚していない。
「それくらいなら、まだマシなほうです」
 来栖さんは平坦な調子で言ってのけた。「わたしなど、毎日、現在進行形で見せつけられているのですから」
 私をちらりと見るしぐさに、
「やっぱり、そうなの?」
「まさかっ。来栖さんって、ルカさんのことが好きだったんですか?」
「そうだよな。ニブいのは、こいつらだって同じだよな」
 とたんに、一族の方が勢いを盛り返して、お屋敷の応接間は大騒ぎだ。
 さっきから漂っていた陰鬱なムードがすっかり吹き飛んでしまって、私はその中にひとり、呆然と立っている。
 この人たちの中で、心の痛みに静かにひたるのは、無理みたいだ。
「それよりも」
 ルイさまが、ほころんでいた顔を、にわかに引きしめる。「問題は、全然解決していない。レオンが今のままなら、私たちはあの子抜きで態度を決めなければならないわ」
 とたんに、部屋の空気が重く沈んだ。
「態度を決めるったって」
 イアニスさまが、少し投げやりな口調で言う。「俺たちに選択肢なんかあるのかよ」
「ないでしょうね」
 ルイさまも薄く笑いながら、皮肉げに答えた。「あるとすれば、死か服従か、ふたつにひとつ」
「そんなに、強い相手なんですか?」
 これは、うじうじと嘆いている場合じゃない。「イアニスさまのふてぶてしさも、ルイさまの美貌も、貴柳司祭さまの退魔の呪文も、来栖さんの意地悪も通用しないような相手なんですか」
「あのねえ」
 来栖さんがため息をついた。「なぜ、わたしまで同じまな板の上に乗せるんですか」
「ああっ、混乱して、つい日頃のうらみを」
 ぷふっとルイさまが吹き出す声が聞こえた。
「考えてても、しょうがないわね」
 と優雅に立ち上がられる。「ルカさん、おいしいお茶を入れてくれるかしら。手伝うわ」
 厨房に向かう廊下の途中で、ルイさまは私の肩を抱きしめた。
「さっきは、ごめんなさいね。怒鳴ったりして」
「いいえ、そんな」
「ローゼマリーが、どんなふうにあの子を縛っているか、あなたに知ってほしかったの。でも、それはむごいことだったかもしれない」
「やっぱり、私には無理でした」
 思い切り泣いたあとの静かな虚脱感を覚えながら、私は言った。
「ウィーンの街の道端で、ご主人さまがローゼマリーさまを抱き上げた光景を見たとき、わかったんです。誰からも愛されず、見捨てられた孤児どうし。ご主人さまは、ご自分と同じものをローゼマリーさまの中に見出されたんだなって」
「待って、ルカ、それは」
「だから、まるでひとつの魂の片割れのように、ご主人さまとローゼマリーさまは互いを理解できたのだと思います。私には全然わからない、ご主人さまの苦しみや孤独を、同じ立場の奥方さまだけがわかっておられた」
「それは、違う」
 ルイさまの穏やかな声の中に、おごそかなほどの力がこめられていた。
「人は、自分と同じものを恐れ、嫌うのよ。闇は闇を引き寄せるけれど、結局は互いに沈んでいくだけ。光だけが、闇を救うことができる」
 その言葉に、私は思い出した。かつてルイさまがこうおっしゃったのを。

『あなたはいつか、あの子の光になるわ』

「でも、私はやっぱり、光になんかなれません。恐くて夢の中から逃げ出してしまうような、意気地なしの私なんか」
 ぐしと手の甲で涙をぬぐうと、私はてきぱきと身支度をととのえ、ヤカンに水を入れてコンロにかけた。
「すぐに、お茶を淹れます」
 飴色をした食器棚からカップとソーサーを取り出していると、厨房の小窓からは、濃い闇とともにほのかな夜明けの予兆が漂ってくる。
 おやすみ前のお茶は、ミルクティーにした。アイリッシュクリームのリキュールを見つけてしまったのだ。そればかりじゃない。戸棚の中は、ロシアのウォッカから鹿児島の芋焼酎まで、ずらりと世界津々浦々のお酒の宝庫だった。
「ルイさま、こんなにたくさん、どうしたんですか」
「ふふ。夜勤のあとで眠れないときは、かたっぱしから順番に飲んでるの。たいてい端から十杯くらいで眠れるわよ」
「うわあ。酒豪なんだあ。……でも」
 さっきの晩餐のとき、ルイさまご自身もおっしゃったはず。一族の方は、人間の食物からは栄養はとれないと。
「……酔えるんですか?」
「酔ってないわね。たぶん」
 ルイさまは、少女のような軽やかな笑い声をあげた。「でも、なぜだか、ふわふわと気持ちが良くなるの。忠孝が酔って楽しそうに笑っていたのを、体が覚えているの」
「……」
「だからこそ、ルカ」
 しゅんしゅんと湯気が立ち上るヤカンの口を見つめていた私の背中に、ぬくもりのある手が触れる。
「あなたの作る料理が、レオンを変えたのよ」
 温めたガラスのポットにお湯を注いだら、中でアッサム茶のリーフが踊った。その控えめで自己主張のない香りに、アイリッシュクリームのカカオの甘い芳香が加わると、ゆるゆると疲れた体がほどけていくのを感じる。
 喉がその味を覚えていて、飲みたいと切望している。
 ああ、そうなんだ。
 料理が人を癒すというのは、このことなんだ。
 私はずっと、ご主人の体に少しでも良いものをと考えて献立を作っていた。けれど、いつのまにか、ビタミンDとかアミノ酸とか、食物の効能ばかりを優先していた。
 きっと、どこかで見失っていたんだと思う。料理の力は、栄養素を越えたところにあることを。
 人間は物質だけの存在じゃない。
 そして、思い出は、タンパク質の作用なんかじゃない。
 人の心の奥深い密室に、その宝物は息づいていて、私たちを鎖に縛りつけもするし、勇気づけてもくれる。
 料理は、その宝物を自在に取り出す鍵なんだってことを、私は忘れかけていた。
 ルイさまは、それを教えてくれようとしたのかな。
「わかりました。もう一度、やってみます」
 ポットにティーコゼをかぶせ、お盆を両手でグイと持ち上げた。
 いったい何をもう一度やってみるのか、自分でも曖昧なままだったけれど、ルイさまは「うん」とうなずいた。
「ありがとう、ルカ」
「いいえ、私こそ」
「ポット、持つわ」
 私たちは連れ立って厨房を出て、応接間に向かった。
 扉を入った瞬間、みな強ばった面持ちで、こちらを振り返いた。イアニスさま。マユ。貴柳神父。来栖さん。
 そして、その場にもうひとりいることに気づき、私は立ち止まった。
 奥の暗がりに立つ、高く気品のある人影。一瞬、ご主人さまかと喜びかけた私は、そうではないことに気づいて、もう少しでお盆を落としそうになった。
 金色の髪に金色の瞳。夢の中でよく見知った顔。
『金髪のレオン』
 ご主人さまを追い落として、一族の長の座についたあの人が、私たちの前に立っていたのだ。


   第四章 終



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