セフィロトの樹の下で番外編 クリフォト


第1章 「マルクト(王国)」               BACK | TOP | HOME





「クリフォトというのですか」
 横たわるロボットをのぞき込みながら、セフィロトは小声でささやいた。まるで子どもの眠りを妨げまいとする親のように。
 カプセルの内部は、上下の空間がほとんどなく窮屈そうだ。クリフォトは、セフィロトよりも、だいぶ背が高く作られているのにちがいない。
 肩をなぶる黒く硬い髪。理想的な黄金比に整えられた目鼻立ち。開かれた瞳はやはり黒く、目じりが鋭く切れ上がっている。
 典型的なモンゴロイドの容姿だ。リウ博士は犬槙博士と違って、西洋人の恋人がいなかったに違いない。
 見つめているうちに、セフィロトは次第に気分が落ち着いてくるのを感じた。
 皮膚の表面も、頭髪や眉毛の植毛も、細かく注意深い作業が施されている。リウ博士がありったけの真心と愛情をこめて、彼を作ったことがわかる。
 自分と同じ型式のロボットが生まれたと聞かされたとき、セフィロトは動揺した。ロボットとは、いくらでも粗雑なコピーが作られて、犯罪者の手で利用されうる存在だという事実を、突きつけられた思いだった。
 でも、今彼を目の前にすると、そんな不安はたちどころに消え、同胞を得た喜びがふつふつと湧いてくる。
「日本に着いてから、まだ一度も起こしてはいないのですか?」
 問いかけて返事がないので、セフィロトは後ろを振り向いた。犬槙博士は眼鏡越しに、懊悩のまなざしで彼を見つめた。
「起動してよいか迷っている。実は今、クリフォトの初期化を考えているところなんだ」
「初期化?」
 セフィロトは、意外すぎることばに目を見張った。「いったいなぜ!」
 口ごもる犬槙に代わって、柏局長が説明を引き継いだ。
「こいつは、厄介なロボットなんだ。人間の命令をことごとく受けつけない。しかも過度に破壊的な言動が目立つ」
「破壊的? ロボットに限って、そんなはずはありません」
 と言ってから、セフィロトはひとつの可能性に思い当たった。「……まさか、【暴力禁忌プログラム】が強制的に排除されているということは?」
「それは、ない」
 犬槙は首を振った。「チップは確かに埋め込まれて、正常に機能している。そして実際に、クリフォトは人間に危害を加えるわけではないんだ」
 柏は、その横で肩をすくめる。
「ただ、あらゆる人間の命令に反発する。何を命令しても、何を問いかけても、その答えは虚無的で、非建設的だ。リウ博士の生育方法が悪かったのか、それともリウ博士が作った【人格プログラム】そのものに欠陥があるのか、いずれかだろうな」
 まるで本人から返事を聞きたいと言いたげに、セフィロトは横たわっているロボットをのろのろと見降ろした。
「犬槙博士は、初期化に賛成なのですか?」
 彼はセフィロトの視線を避けるように、横を向いて答えた。「それが一番いいと思う」
「シーダは?」
 彼女は当惑したように口を少し開いた。「わたしは――わからない。自分が初期化されることを考えると、とても恐ろしいけど、彼の場合はその方がいいのかも」
「きみまで、そんな――」
 セフィロトは絶句して、唇を噛みしめた。
「何をためらってる。さっさとデータ全部を消しちまえばいいんだ」
 木田がいらいらした様子で、大声で言い募った。「人間の役に立たないロボットなんて、どんなに優秀だろうと、存在する意味はない」
「……」
 うなだれて考え込んでしまったセフィロトを見て、木田はあわてて付け加えた。
「だって、そうだろう。人間に役立つことが、ロボットの使命のはずだ。それができないロボットが、幸せだと思うか。僕は初期化したほうが、こいつのためだと思う」
 なぜ、よりによって自分がロボットの幸福について懸命に論じなければならないのかと、心の片隅でぼやく木田であった。
「木田さんのおっしゃるとおりかもしれません」
 セフィロトは、顔を上げた。「でも、初期化はもう少しだけ待っていただけますか」
「待って、どうするつもりだ」
「わたしに、話をさせてください」
 セフィロトは落ち着いた眼差しで、一同を見つめた。
「さっき、犬槙博士は『きみの弟だ』とおっしゃいました。わたしと寸分たがわぬ同型のロボット。だとすれば、クリフォトの心を一番わかってあげられるのも、わたしであるはず。わたしが話をしてみます。――それから判断させてください」


 体のすみずみにパルスが行き渡り、周辺の知覚情報の収集を開始する。
 思考回路の人工ニューロンが、超高速の活動電位で緻密な活動を始める。
 見慣れぬ景色。今までいた杭州の研究所ではない。日本政府の特務機関の職員たちに強制的にスイッチを切られてから、意識を取り戻すのははじめてだった。
「目は覚めたかい」
 充電カプセルの開閉部から、茶色の髪の男がぬっと覗き込んだ。
「はじめまして、クリフォト。わたしの名は、セフィロト」
 クリフォトは、無関心な目でじっと彼を見つめ返す。
「わたしのことは、聞いたことがあるかな。AR8型の初代ロボットで、きみは二代目に当たる。いわば、わたしはきみの兄貴分なんだ」
 何の返事も返ってこないことに、彼はようやく気づいたようだった。
「あの……早く、充電装置から出てこないか?」
「なぜだ」
「だって、そこに入ったままだと、回りが見えないだろう?」
「見えている」
 赤外線反応によれば、部屋には四人の人間がいる。ロボットは二体。目の前の男性型と、部屋の隅にいる女性型。それだけわかれば十分だ。
「それに、こんなふうに屈んでいると疲れるし、服を着てくれないと、目のやり場に困るし」
 ――疲れる? 困る? こいつはロボットのくせに、何を言っているんだ。
 セフィロトはぐいと腕を伸ばし、いとも簡単に彼の上半身をカプセルから引っぱり起こした。
 さすがに、すごい力だ。神経ニューロンの結合は、彼よりもずっと発達していると見える。
「ここは、日本の科学省の中。窓がなくて外が見せられないけど、回りの森では初夏の緑が、とてもきれいで鮮やかだよ」
 彼を床に立たせ、前もって用意していたらしい服を着せながら、セフィロトはあれこれと言葉を並べたてる。その顔に浮かんでいるのは、人間の笑顔としか呼べない表情だ。
 ロボット同士の接触には、まったく必要のないもの。
[なぜ、デジタル音声を使わない]
 クリフォトは突然、不必要に延々と続く話をさえぎった。
[デジタル音声で情報を送るほうが、百倍も早く正確だ]
「だって、わたしたちがデジタル音声で話しても、シーダ以外の他のみんなには聞こえないだろう?」
 セフィロトは、さも当然というふうに言った。「みんなでおしゃべりできないじゃないか」
 おしゃべりする? 人間とロボットがみんなで何を話すと言うんだ。
 クリフォトは、無表情のまま部屋の人間たちを見渡す。四人とも、杭州で見た顔ばかりだと認識する。
[そういうことか]
[え?]
[会話をチェックして、ここにいる全員で俺を採点しているんだな]
 今度は人間の言語を用い、挑みかけるように宣言した。
「チェックの必要などない。即座に俺のことを、廃棄処分にすればいい」
「クリフォト」
 セフィロトは驚いたように、目を見張った。「廃棄処分だなんて。わたしたちは、そんなこと全然考えていないよ」
「俺は、日本の機密データを盗み出して作られた。おまえらにとって不必要で、違法で、有害な存在」
 クリフォトは真正面を向き、頑なに繰り返した。
「さっさと廃棄処分にしろ。そうすれば、互いに時間の節約になる」


 シーダを見張りに残して別室に戻った彼らは、しばらくは押し黙っていた。
「どう思う」
 柏局長に促されて、セフィロトは途方に暮れたように首を振った。
「わかりません。ロボットがみずからの意志で廃棄を望むなんて」
「僕も、さっぱりわけがわからない」
 犬槙が沈鬱な面持ちで言った。
「セフィロトのときのデータがまるで役に立たない。セフィロトは誕生してすぐに、親であるマスターへの依存や愛着を示した。喜びや悲しみや怒りといった感情の学習。未知なものに対する好奇心の芽ばえ」
 それは、人間の幼児が成長につれて獲得する心理的発達の過程に酷似していたと、犬槙は説明した。
「クリフォトのデータは、それと完全に逆行してるんだ。成長につれて、彼はますます反抗的で、無感情で、怠惰で投げやりになっている」
「クリフォトは、リウ博士の死を理解できず、マスターから捨てられたと思っているのではないでしょうか」
「捨てられた?」
 セフィロトはうなずいた。「わたしも、胡桃に預けられたとき、犬槙博士に捨てられたのだと勘違いをしました。だから、最初のうち胡桃の命令に従うことができなかったのです」
「だが、きみはすぐに、その状態を理解し、克服した」
「それは、胡桃が教えてくれたからです」
 古洞樹博士と胡桃とのあいだに培われた強い愛情を。
 短命という宿命を背負った博士の悲しみと、生命への限りないあこがれを。
 それゆえにセフィロトに託した永遠の生命という願いを。
 胡桃が伝えてくれたそれらのことを、彼が本当の意味で理解できたのは、もっともっと後のことだ。
 だが、胡桃に最初に抱きしめられたとき、彼はまだ未発達の人工知能の奥底で、はっきりと感じた。
[ワタシハ、ココニイテ、イイノダ]。
「わたしは、ただの機械ではなく、たったひとつの、かけがえのない存在として創られたのだと、あのときにはじめて知りました」
 セフィロトはそこまで言って口をつぐみ、しばらく逡巡した。
 そして、決然と顔を上げた。
「クリフォトを、わたしに預けてくださいませんか」
「ええっ」
「【すずかけの家】で彼を育てたいのです。胡桃といっしょに」
「なんで、そんなことを」
 木田があきれたように叫んだ。「そんな手間暇かけるくらいなら、初期化して一から育て直したほうが、ずっと早いぜ」
「初期化は、今の彼の全存在を否定することです」
 セフィロトは、静かな声で答えた。だが、その声にこめられていたのは、聞く者たちが思わず、たじろぐほどの熱情だった。
「わたしは彼を否定したくありません。時間がかかっても、今のままのクリフォトを育てたいのです。どんな不幸な生まれ方をしても、生み出された生命に罪はない。この世に、存在を消されていい命などありません――たとえそれが、機械の命であっても」


 セフィロトの車から降りたとき、クリフォトは、【すずかけの家】と呼ばれる広大な空間にしばし見入った。
 幼年期の人間が、その中を駆け回っている。
 彼らの口から発せられているのは、知的レベルが低く、あるいはまったく意味のない騒音だ。
「車の中で説明したよね」
 セフィロトは、彼の腕に馴れなれしく触れると、頭上の高い木を指し示した。「これが、この【すずかけの家】の名前の元になった、樹齢数百年のすずかけの木」
 見事な木だろうと、彼は少し誇らしげに付け加える。自分の功績でもないのに、何がそんなに誇らしいのか、彼には理解できない。
「ここには、8人の乳児と40人の児童が暮らしている。あとでみんなに紹介するね。みんないい子たちばかりだから、きっとすぐに仲良くなれるよ」
(あの、騒音だらけの小動物たちと仲良くする? 冗談じゃない)
「わたしは一年前から、ここの副園長をしているんだ。毎日が頭を抱えるようなむずかしいことばかりだけど、人を育てるって、とてもやりがいがある仕事だと思う」
「……」
「きみは今日から、ここで暮らすことになる。先生方には、もう了解を取ってあるからね。充電装置を運び込む部屋も、もう決まっている。だから何も心配しなくて、大丈夫なんだよ」
(そうか。ここはおまえが支配する王国。そしておまえは、マスターとして俺のことも支配しようとしているわけか。冗談じゃない)
 くすりと笑った彼を見て、セフィロトは何を誤解したのか顔を輝かせ、彼に抱きついた。
「クリフォト。きみは、ずっとここにいていいんだよ。わたしはきみと会えて、とてもうれしいんだ。できれば、ずっと一緒に助け合って生きよう。わたしたちは、この世でふたりきりの『兄弟』なのだから」
「セフィロト。おまえは――馬鹿か」
「え?」
 怪訝な表情になったセフィロトをその場に残し、クリフォトは口元に皮肉な笑みを刻みつけたまま歩き出した。
(セフィロト。俺はおまえの王国など、認めない。おまえの支配は受けない。俺は、おまえが大嫌いだ)






使用したお題「セフィロト十一題」および「クリフォト十題」は、霜花落処 さまからお借りしました。
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