第2章 「イェソド(基礎)」 BACK | TOP | HOME 『おい、セフィロトから何か連絡はあったか』 柏局長は、一日と空けずに犬槙博士に通信を入れていた。 「何もありません。第一、あれからたったの三日ですよ」 『そ、そうか』 画面の中の柏は、椅子にどさっと背中を預け、がりがりと頭を掻いた。 『俺ともあろうものがな。どうも気になって落ち着かない』 「何が気になるんですか。クリフォトの内部は徹底的に調べました。爆発物のたぐいも含めて危険なものは一切存在せず、【暴力禁忌プログラム】は完全に正常に働いています」 『阿呆、そんなことはわかってる。そうでなければ、ガキどものいる【すずかけの家】に預けたりはしない』 「まあ、かくいう僕も、似たりよったりの状態ですけどね」 ふたりの男たちはモニターをはさんだ両側で、溜め息をついた。 「とりあえず、胡桃ちゃんとセフィロトに委ねるしかありませんよ。初期化はその後でも可能です」 『まあな』 「ただ、僕が心配しているのは、セフィが彼にありったけの愛情を注ぐことで、傷ついてしまわないかということなんです」 柏は、彼が何を言いたいのかを察した。 『心配なら、あのことを前もってセフィロトに話しておいたほうがいいんじゃねえか?』 犬槙博士は首を振った。 「そんなことをしたら、セフィはますます大きなショックを受けると思いますね」 「それでは次に、208X年に国連で採択された【地球温暖化防止条約】について、その効力と権限について、見て行きましょう」 胡桃は、画面の資料を指し示しながらも、ときどきチラリと教室の後ろに目を走らせた。 クリフォトは、保育教諭たちの協議の結果、男子生徒がひとり不在中で、胡桃の担任でもある7歳児クラスに編入された。今まさに、胡桃が社会科の授業をしているクラスだ。 最初のうちは【すずかけの家】全員が、セフィロトと同じ型のロボットであるAR8型クリフォトを大歓迎した。 セフィロトが「セフィ」と呼ばれているように、彼に「クリフ」という愛称をつけることも決まった。 ロボット嫌いの栂野園長でさえ、「これで、来年か再来年あたりから人手不足が解消されそうですね」と、彼が教師の新戦力として加わってくれる未来に思いを致したほどだ。 AR8型と言うだけで、すべてがセフィロトと同じだろうと考える。成長過程が違えば別々の個性を持つのだということに気づかない。彼らの早とちりは、ロボットに対する一般人の偏見が、まだ完全には消えていないということなのかもしれない。 だが、クリフォトがセフィロトとはまったく違う存在であることに気づき、みんなが肝を冷やすまでには、そう長い時間はかからなかった。 挨拶と自己紹介をうながされたとき、クリフォトは彼のわきにあった椅子を蹴り倒したのだ。 「な、な、なぜそんなことをするのですか」 栂野園長が目をまんまるにして詰め寄ると、彼は無表情に答えた。「うっかり体が触れただけだ」 「そんなはずないでしょう。ロボットなのにウソをつくのですか」 「ロボットが嘘をつかないなんて、誰が決めた?」 その日から【すずかけの家】の保育教師にとって、クリフォトは最悪最凶の41人目の生徒となった。 質問には答えない。 一切のクラス活動に加わらない。 注意すると、手近にあるものをひっくり返す。しかも壊れないように、うまく力を調節しているから、余計にタチが悪い。 罰を与えようにも、彼には一切の罰は通用しない。業を煮やしたある教師が、電磁紙に200回「もうしません」と書くように命じると、1分で書き上げて提出してきた。それを見た教師は、もう二度と罰を命じる気力がなくなったと言っていた。 たとえ廊下に三時間立たせようが、食事を抜こうが、暗い倉庫に閉じ込めようが、クリフォトにはまったく効果がないのだ。第一、そういう体罰を栂野園長が許すはずはない。 「2092年度の教育省通達で、教師による体罰は全面的に禁止されています。相手がロボットであってもです!」 低学年の子どもたちは、クリフォトに近づくことさえ恐がるようになった。 だが、反対に高学年の子どもたち、特に男の子は彼を英雄視し始めたのだ。 クリフォト自身は誰とも結託することはないものの、彼の投げやりな言動を、他の子どもたちが、かっこいいと言って真似するようになった。 彼が編入された7歳児クラスに、その傾向はもっとも顕著に現われた。 今も、講壇のパネルを見ているのは、前列の女の子だけ、後列の男の子たちは、ずらりとクリフォトを見習うように、片肘をついて顔を背けている。 「7歳クラスのみんなには困ったもんだわ」 「あ、胡桃先輩もですか。国語の授業もなんです」 職員室に戻ると、教師たちのためいき混じりの情報交換が行なわれるようになった。 「かたかたと小刻みに床を踏み鳴らしたり、でも、どこでやってるのかって、うずくまって調べると、また別のところで始まるんですよ」 北見さくら先生が、悔しそうに報告する。「みんなで協力して、教師をからかってるみたい」 「授業を聞いてないと叱ると、澄ましてさっと正解を答えるんだ。どうも男子全員で手分けして、当てられた子のモニターに正解を映し出してやってるらしい」 「徒党を組むということが、たまらなく面白いんだな」 小さい頃は男の子としてふるまっていたという伊吹織江先生は、半分愉快がっているような口調だった。 「あの年頃の子どもは、【ギャング・エイジ】と呼ばれる。おとなの干渉をいやがり、同年代の仲間と、他愛ない悪ふざけや遊びに熱中することで、集団のルールや社会性を学ぶんだ。無闇に押さえつけるのは、かえってよくない」 「他愛ない悪ふざけならいい。だが、陰で知恵をつけているのがクリフォトなら、子どもだけでは思いつかないような、とんでもない悪だくみを始める可能性もあるぞ」 数学の小松先生が、意味ありげに声をひそめる。 「とんでもない悪だくみって?」 「たとえば……たとえば……テキストの図版を、全部えっちな画像に変換するとか」 「やれやれ」と教師たちは散っていった。善人の小松先生の考えつく悪だくみは、どうせその程度のことだ。 教師たちが頭を悩ませているのを見て、セフィロトは藤棚の下のベンチで、しょげかえることが多くなった。 「なんだか、先生方に大変な重荷を背負わせてしまったようですね。申し訳ありません」 「何言ってるの。クリフォトの受け入れには教師全員で賛成したんだから、あなたが謝ることはないわ」 隣に座って笑顔で慰めるのは、胡桃の役目だ。 「彼は自分が、機密漏えいという犯罪によって生み出されたことを知っています」 セフィロトは藤棚からこぼれ落ちる日の光を仰ぎながら言った。 「だから自分は価値のない存在だと思っています。早く廃棄処分にしてくれと言われました。わたしはそんなことを平気で言うクリフォトの心が、とても悲しかった。彼は決して間違って生まれてきた命ではないということを、まず最初の基礎として、彼に知ってほしいのです」 「わかっているわ。先生方みんなも同じ気持よ」 胡桃は彼の手の甲を、励ますようにやさしく叩いた。 「それに私は、彼が【すずかけの家】を引っかき回してくれて、かえってよかったと思ってるの」 「どうしてです?」 「【すずかけの家】の子どもたちは、なんとなく悟っちゃってるところがあるでしょう。ちっとも羽目をはずさないし、結果が見えてるから、やってもしょうがないとか」 「確かにそうです」 知能が生まれつき高いせいなのだろう。おとなの気持を先回りして読み取る、いわゆる問題のない【よい子】が、とても多いのだ。 「古洞博士は違いましたけどね」 セフィロトと胡桃は顔を見合わせて、思わず笑った。確かに古洞樹も、この園の生徒だった頃は、投げやりで乱暴で教師の言うことを聞かない、とんでもない問題児だった。 クリフォトの深層で働いているのはリウ博士の人格プログラムだが、もしかすると、AR8型のもともとの創造者である古洞博士にも似ている部分があるのかもしれない。 「ときどき、【すずかけの家】を卒業して中等科へ行った子どもたちが、軽い不適応になることがあるのよ」 胡桃は、「中等科はつまんない」と言っていたカナイとルカの顔を思い浮かべていた。 「ここにいるあいだ、大きなトラブルに会ったことがないからかもしれないなって思うの。クリフォトが来たおかげで、うちの生徒たちは、かえって大事な訓練をさせてもらってる」 「そうだとよいのですが」 セフィロトは、目を細めて遠くを見た。 「平和に慣れすぎたわたしたち教師にとっても、これはいい訓練になるかもしれません」 その予言のことばどおり、セフィロトはすぐに新たな試練に見舞われることになる。 次の授業は、椎名先生とふたりで担当する、7歳児クラスの体育。 今日の単元はラクロスだった。先に網のついたスティックを使い、円形のゴールに硬いゴムボールをシュートする。もちろん、十歳以下の児童用の特別ルールで、怪我をしないように道具も工夫されている。 「おい、おまえら。何をやってるんだ!」 おおらかな椎名先生が、ここまで声を荒げる事態となってしまったのは、クリフォトと三人の男の子たちが、授業の最初から、ことごとく教師たちの指示に従わないのだ。 そればかりか、とうとう三人は歓声を上げながら、スティックを使って次々とボールを森の中に打ち込み始めたのだ。 「やめろ、カイリ、タク、エリヤ! 言うことを聞け」 「やーだよ」 「木に当たったらどうするんだ」 「木は痛いって言わないもん」 ゴムボールとは言え、時速百キロ近い速度である。ボールが当たるたびに、ばさばさと小さな枝や葉が地面に落ちる。 椎名は怒りに震えながら、クリフォトに向き直った。 「クリフ、やめさせろ」 「なぜ、俺が?」 彼の顔は、無表情の上に一滴だけ、スポイドで冷笑を落としたように見えた。「いったい俺が、何をした」 「みんなをそそのかしたくせに」 「何の証拠がある」 「おまえがここに来るまでは、こんなことはなかった!」 「椎名先生」 セフィロトはなだめるように、彼の背中にそっと触れた。 「少しだけ、わたしにまかせてくださいませんか」 そして、おびえている女の子たちに向かって安心させるように笑うと、当の男の子たちに近づいていった。 「おもしろそうなゲームですね。わたしも入れてください」 「え?」 怒られると思って身構えていた三人は、意外そうな表情をした。 「あなたたちは、森をゴールに見立てて、どんどんボールを打ち込んでください。わたしがゴーリーになって止めます。全部地面に落とさずに受け止められたら、わたしの勝ちです」 叱られることもなく、逆にどんどん打ち込めと言われた子どもたちは、ひどく戸惑って、顔を見合わせた。 「でも、セフィ先生が相手じゃ、絶対に勝ち目ないよ」 「じゃあ、ルールを変えましょう。あなたたちはボールをたくさん使って、三人がかりでシュートしてください。森の外からなら、どう打ってもかまいません。うまく息を合わせて三人同時に打ち込んだほうが有利ですよ」 「そ、それなら、オレたち勝てるかも」 「じゃあ、始めますよ」 セフィロトはスティックを手にかろやかに駆けていくと、森の真中に立った。 椎名先生もクラスの女の子たちも、固唾を飲んで見守っている。ひとりクリフォトだけが、興味ないと言わんばかりに、背中を向けて空を見上げていた。 「えい」 まずタクが、森に向かってダッシュすると、その勢いで、ものすごいスピードでシュートした。セフィロトもボールが来る方向に走る。まるで魔法のようにボールは、彼の持つスティックの網の中に吸い込まれた。 子どもたちは、森の回りを必死に走り回って、次々とシュートを放ったが、セフィロトはことごとく受け止めた。 時には、木の幹に当たったボールが大きく軌道を反らしたが、それさえも予測し、回りこんで止めている。 「すごい」 椎名先生がうめいた。「木の幹や枝が網の目のように邪魔をする場所で、三人が同時に放つシュートを、全部セーブできるなんて」 十分もしないうちに、三人はへとへとになった。 「くそう」 カイリが倒れこみながら打った最後のシュートも、やすやすとセフィロトは受け止めた。 「私の勝ちですね」 芝生の上にのびている三人に、セフィロトはにこにこしながら近づいてきた。 「みんなのおかげで、新しいスポーツが発明できました。うちみたいに1クラスの人数が少ない学校では、ラクロスの練習はむずかしいのです。でも、ゴールエリアに木の棒を何本か立ててプレイすると、すごく面白くなることがわかりました。わざと棒にぶち当てて、反射させたボールをふたたび打つというテクニックも使えますね」 「な、なんかすげえ楽しそう」 エリヤが息も絶え絶えになりながら、笑顔になった。もう三人とも、自分たちが教師に反抗していたことさえ忘れている。 「だから、森にボールを打ち込むのは、もうやめましょう」 セフィロトは、持っていたスティックを地面に置くと、着ていたパーカーのポケットから、そっと小さな球形のものを数個取り出した。白く斑模様がある鳥の卵だった。 「木の低い枝に、ホオジロが巣を作っていたんです。もう少しでボールが当たり、巣から落ちて割れてしまうところでした」 「い、いつのまに」 あれだけの激しい攻防の中で、いったいどうやって、セフィロトは卵を救ったのだろう。しかも、懐に入れていた卵をひとつも壊すこともなく。 「ねえ、タクくん、エリヤくん、カイリくん」 セフィロトは卵を両手でそっと包み込みながら、子どもたちの前にひざまずいた。 「さっき、あなたたちは、『木は痛いと言わない』と言いましたね。それは本当ですか? 痛いと口では言えない命が、この地球にはあふれているのではないですか。人間がそういう命の声を聞かなかったことが、今、地球のあちこちで起きている自然破壊につながっているのではないでしょうか」 男の子たちは起き上がって正座し、セフィロトの手のひらにある小さな卵をじっと見つめた。 その目に、みるみる涙があふれてくる。 「セフィ先生、ごめんなさい」 「さあ、みんなで卵を巣に返しに行きましょう。女の子たちもいっしょに」 彼らが森の中に入っていったあと、ひとり園庭に残ったクリフォトは、刺すような眼差しでセフィロトの後姿をにらんだ。 使用したお題「セフィロト十一題」および「クリフォト十題」は、霜花落処 さまからお借りしました。 NEXT | TOP | HOME Copyright (c) 2003-2009 BUTAPENN. |