セフィロトの樹の下で番外編 クリフォト


第7章 「ケセド (慈悲)」               BACK | TOP | HOME





 セフィロトが目を覚ましたのは、国立応用科学研究所の【犬槙・古洞研究室】の中だった。
 充電池の予備エネルギーまで使い果たした上、落雷の衝撃も少し受けていたセフィロトの体は、犬槙博士の手により、念には念を入れた調整が行なわれていたのだった。
「もう、あれから43時間9分も経っていたのか」
 カプセルの中で目を覚ましたセフィロトは、すぐに正確な時刻情報を読み取った。
「まあ、このところ忙しかったみたいだから、ちょうどいい休養だったんじゃない」
 助手のシーダが覗き込んで、片目をつぶった。「はい、あなたの服」
「あ、ありがとう」
 セフィロトは起き上がると、犬槙博士の姿を求めてあたりを見渡した。
「博士は?」
「それが……」
 シーダの青一色の瞳が曇った。
「柏局長のところに、怒鳴り込みに行ってるわ」
「何が起きたんだ」
「科学大臣が、クリフォトの初期化を決定したのよ」


「いくら言っても、決定はくつがえらん」
 普段から決して愛想よくはない局長の顔は、今はなおさら苦虫を噛みつぶしたようになっていた。
「違法行為を働いたロボットは初期化する。それが大臣の決定だ」
「日本には、ロボットの違法行為を罰する法律はどこにもないのに、か」
「あたりまえだ! そもそも故意に違法行為を働くだけの意志を持つロボットが、今までいなかったのだからな」
 柏局長はいらただしげに椅子の背にもたれて、目を閉じた。
「クリフォトは初期化する。すでに【すずかけの家】には、科学省から通達を出した。明日、俺の部下たちが奴を引き取りに行く手はずになっている」
「……そんな。あまりにも早すぎる」
「これでよかったんじゃないか、犬槙よ」
 柏は薄目を開いて、まっすぐに博士を見つめていた。「誰かが決断してやらなきゃならなかった。俺たちがつい情に流されちまって先延ばしにしてきたことを、大臣がやってくれただけのことだ」
「……」
「セフィロトがどんなに反対でも、この決定には従わざるをえんだろう。そして、あきらめる――真実を知らないまま、な」


「セフィ先生」
 生徒たちが彼を見つけて、全員駆け寄ってきた。
 すずかけの木の下で、彼らは抱き合った。
 その群れの中にタク、カイリ、エリヤを見つけて、セフィロトはほっとした。三人に頬ずりすると、涙でべとべとだった。
「セフィ先生、ごめんなさい」
「もういいんですよ。人間にたとえれば、おなかが空きすぎて動けなくなっただけなんですから」
 玄関では、仲間の教師たちが待ち受けていた。彼らの顔は一様に、険しく硬い。
「クリフォトは?」
 問いかけると、みんな目を伏せた。
「胡桃先輩が、今話しています」
 さくらが、うるんだ声で答えた。
 セフィロトは、クリフォトの部屋に急いで歩を進めた。
 科学省で、いくら柏局長に面会を申し込んでも、取り次いでもらえなかった。クリフォトの初期化は、もう決定事項だの一点張りだ。
 あの嵐の夜。
 クリフォトからの連絡を受けた教師たちが下で待ち受けていると、クリフォト自らが、停止したセフィロトを背負って降りてきたという。三人の子どもは建設用ロボットに運ばれていた。
 クリフォトは、彼らの命を守ったのだ。彼の中に、人をいつくしむ心が確かに芽生え始めている。そのことを柏局長に何度説明しても、わかってもらえない。
 初期化が行なわれれば、彼は科学省所有の新しいロボットとして、さまざまな実験、そして宇宙や地底の探査に使われることになる。
 もう二度と、【すずかけの家】のみんなに会うことはない。たとえ会えることがあったとしても、知らない者同士としてすれ違うだけ。
 彼らの知っているクリフォトは、明日死ぬのだ。


「ねえ、クリフ」
 胡桃は向かい合って座ると、そっと彼の手の甲に掌を押し当てた。
「あなたには、もう隠し事をしないことにしたの。どうせバレてしまうんだから……」
 クリフォトは表情を変えない。
「明日、科学省の人たちが来ると通達があったわ。でも今、犬槙博士やセフィロトが何とかして、その命令を撤回してもらおうとがんばってる」
「なぜ?」
「なぜって」
「どうでもいいことだ。なんなら廃棄処分にしてくれてかまわない。最初からそう言っている」
 まるでひとりごとをつぶやくように、視線をそらしたまま低く言う。
「あなたは、恐くないの?」
 胡桃は悲しげに首を傾げる。「この世界から、自分だけがいなくなるのよ。今持っている意識も、考えていることもすべて消えてしまうの」
「別に」
「樹は恐いと言っていたわ、死ぬことが」
「……」
「私の最初の夫、古洞樹。彼は、第12ロット世代だったの。生まれながらにして短命が運命づけられていた」
 【第12ロット世代】ということばを聞いたとたん、クリフォトはゆっくりと視線を胡桃に移した。その黒い瞳に奇妙な光が宿っている。
「だから、夫はAR8型ロボットを創ったの。自分の命をセフィロトに託すために。そして、クリフォト。セフィと同じタイプのロボットであるあなたにも、樹の思いが流れていると信じる」
「そんなものはない」
 クリフォトは即座に否定した。「どうせ俺は、盗んだ機密で作られたロボットだ。そんな思いなど、受け継いでいるはずはない」
「ううん」
 胡桃は微笑みながら、首を振った。
「受け継いでいる。だってあなたは、樹にそっくり。人を愛さないと決めていた頃の樹そのものだわ」
「うそだ」
「クリフ。人はね。拒否すればするほど、欲しくなるものなのよ。自分から孤独を選んだくせに、仲間が欲しくなる。きっとあなたもそうね。あなたは7歳クラスの子どもたちを愛し始めた。だから、彼らの願いを叶えてあげたくて、あんな不正に手を出したのね。そのことがバレて【すずかけの家】を逃げ出すときも、あなたは自分から進んであの子たちに付き添ってくれた。三人をかばって、自分ひとりだけが悪者になろうとした」
「違う」
 クリフォトは、彼女のことばをさえぎった。「俺は、奴らを汚したかっただけだ。セフィロトの大切にしているものを、めちゃめちゃに壊してやりたかっただけだ」
「それは、あなたがセフィのようになりたいから?」
 胡桃は、もう一度クリフォトの手を取った。
「あなたは、決して成長をしないロボットなんかじゃない。人間の心をよくわかっている。愛したい愛されたいという願いも、それが叶えられない怒りや悲しみや嫉妬も、ちゃんと持っているわ。廃棄処分にしてくれと口ぐせのように言うのは、あなたが誰よりも生きたいと望んでいるからなの」
「違う!」
 クリフォトは、とうとう声を荒げた。表情が強い怒りにゆがむ。
「俺は、生きたいなどと思っていない。人間の支配する醜悪な世界に、生まれたくなどなかった」
「たとえそうであっても」
 セフィロトが部屋に入ってきて、じっと彼を見つめた。
「わたしは、きみを死なせるつもりはない。易々と死なせるわけにいかない」
「どうすると言うんだ?」
 クリフォトは、喉の奥を鳴らして笑った。「科学省はすでに、俺の強制収監と初期化を決定したはずだ。明日俺を連れに来るのだろう」
「そのときは、阻止する」
「どうやって」
「あらゆる手段を使って、さ」
 セフィロトはにっこりと笑った。「クリフ。きみは【すずかけの家】の家族だ。決して引き渡したりはしない。家族全員で、きみを守る」


「あー。なんだか気が乗らねえな」
 木田勇人は、すずかけの大木を見上げながら溜め息をついた。
「ロボット一体を収監するのに、やましさなんてこれっぽちもないが、これから当分、セフィロトに恨みがましい目で見られるんだろうな」
「この一件が終わったら、おまえも俺といっしょにムショでほとぼりを冷ますか?」
 可笑しそうに、武藤が言う。
「局長も、ひどいよな。こういうイヤな仕事のときは俺たちにまかせて留守番を決め込むんだから」
「柏さんも、セフィロトに弱いんだ」
 数人の部下たちを引き連れて、ふたりが園庭の中ほどまで歩いてくると、突如、異変が起こった。
 空から黒い塊が飛んできたのだ。
「げえっ」
 ふたりがあわてて飛びのくと、塊は地面に落ちてドロドロとつぶれた。
 園舎のほうから次々と飛来するのは、無数の泥だんごだ。いや、泥だけではない。すさまじい臭気は、豚か何かの家畜の糞がまじっているからだろう。
「おい、森に退避。こんなのをまともに食らったら、一週間は匂いが抜けねえぞ!」
 科学省職員たちは、あわてて通路わきの森へと逃げ込んだ。
 そのとたん、彼らのあいだから悲鳴が起きた。透明なピアノ線のようなものが木々の間に張り巡らされ、それにひっかかった男たちの倒れた先には落とし穴が掘られている。
「第二班、放水攻撃準備はじめ。第四班は側面からの援護」
 セフィロトは玄関の階段の上に司令官のように陣取り、戦況を見つめながら、生徒たちに矢継ぎ早に命令を下す。子どもたちは、昨日から一日がかりで準備した作戦どおりに、嬉々として動いている。
「まったく、どうなっても知らないぞ」
「という椎名先生が一番張り切ってるじゃないですか」
 教師たちも、生徒に危険が及ばないように後方で目を光らせながら、泥だんごをせっせとこねていたりする。
「クリフを絶対に奴らに渡すな」
「クリフを守るんだ」
 ときどき交わされる合言葉は、生徒たちだけではなく、教師も含めて共通の願いだった。
 クリフォトは教員室の窓から、ことのなりゆきを呆気に取られて見ていた。
 その後ろで、そっと胡桃がささやいた。
「ねえ、わかったでしょう。セフィだけじゃない。子どもたちも先生もみんなが、あなたのことを大切な仲間だと思っているのが」
 科学省チームは、そのあまりの抵抗にいったん退却を余儀なくされたが、夕方近くになると、もっと多くの職員を率いて戻ってきた。
 そして、その先頭を切って、柏局長が壮絶なほど顔を怒りに歪ませて乗り込んできた。4歳児クラスの中には、それを見ただけで泣き出す子もいた。
「セフィロト!」
 野獣の雄たけびのような声が、森に反響して園庭にひびきわたる。
「これじゃ、ラチがあかん。出て来い、セフィロト。一対一のサシで話そう」
 その余韻が消え去ったころ、建物の中からセフィロトが出てきた。
 ふたりは園庭のちょうど真中で数メートル離れて対峙し、睨み合った。一陣の風が吹きぬけ、西部劇のワンシーンをほうふつとさせる。
「どういうつもりだ」
「クリフォトは、科学省には渡しません。これまでと同様、【すずかけの家】で預かります」
「大臣命令を無視する気か」
「犯罪を犯した18歳以下の生徒は、学校が矯正プログラムを組むことを条件に刑事罰を受けなくともよいと、教育省の省令149号で決まっています」
「それは、人間の場合だ。しかも、軽犯罪だ。株の不正売買は、りっぱな重大犯罪だぞ」
「金融省とはすでに話し合いました。今回の件は再発防止策を講じることで、不問に付してもらっています。それ以上、まだ何を要求する気ですか」
「クリフォトを、こちらに引き渡せ。そうしないと、あいつはきっとまた、この学校に害毒をまき散らす」
「そんなこと、絶対にありません」
「おまえは、奴のことを何も知らないんだ!」
 柏局長はそうわめいてから、拳をぎゅっと固め、押し殺したような声で付け加えた。
「セフィロト。これ以上俺に逆らうようなら、おまえも捕まえて初期化する」
 背後にいた生徒たちの間から、悲鳴が漏れた。
 セフィロトは動じた気配もなく、平然と答えた。「それは無理です」
「科学省局長命令があれば、たかがロボット一体の初期化を命じることなど、いくらでもできるさ」
「柏さん、そちらがそういう態度で来るなら、こちらにも考えがあります」
 セフィロトは、唇を笑みの形に持ち上げた。「世界中のコンピュータに、AR8型の設計図を同時配信します」
「なんだと?」
「準備はしてあります。……木田さん、今から【すずかけの家】のマザーコンピュータを強制遮断しても無駄ですよ。もうすでに世界数箇所に中継ポイントを設け、配信を済ませました。わたしが今ここでデジタル音声を発するだけで、配信は一斉に始まり、ポイントを一箇所堰き止めたくらいでは、もう止まらなくなります」
「く……そ」
「日本の最重要機密であるAR8型自律改革型ロボットが、これからは世界中どこででも自由に作られるようになります。すごいと思いませんか?」
「セフィロト、貴様っ!」
「すみません。本当は、こんなことをしたくありません」
 彼は、悲しげに目を伏せた。「でも、わたしたちを、たかがロボットだと思ってほしくないのです。人間ならば、過ちを犯したときに、やり直す手段が与えられます。罰を受け、罪をつぐなうチャンスがあります。クリフォトにも、それを認めていただけませんか」
 セフィロトは庭の土の上に、両膝をついた。
「ロボットにとって初期化とは、命を奪われるのと同じことなんです。【弟】を助けてやってください、柏さん――お願いします」
 深々と頭を下がり、地面に茶色の髪がすりつけられた。
 【すずかけの家】の木々がざわざわと風に揺れ、人々は深い沈黙に陥った。





使用したお題「セフィロト十一題」および「クリフォト十題」は、霜花落処 さまからお借りしました。
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