第5章 「昨日と明日のはざまで」(2)             BACK | TOP | HOME




「保育施設をクビになったって?」
 入ってきたセフィロトを見つめるとき、柏所長はほんの少し、いたわしげな目つきになった。
「しかも、俺の与えた任務のせいで、ロボットであることがバレたのが、クビの理由だそうだな」
 どうして知っているのかという無言の問いに、柏は肩をすくめた。
「あの未亡人が、犬槙博士を問い詰めたらしくてな。やっこさん、すごい剣幕で怒鳴り込んできたよ」
「そうでしたか。いえ、辞めたのは事実ですが、ロボットであることがバレたからというわけではありません」
「どちらにしろ、今のおまえは、子どもたちに近づかないほうがいいだろうからな」
「そうかもしれません。お願いしていた件はどうなっていますか?」
「【すずかけの家】と、その関係者の警備は、第一級体制で固めてる。もちろん、おまえの大事な未亡人もな。絶対に組織には手をださせん」
「それを聞いて、安心しました」
「保育園がどうのこうのなんて、そんなことはどうでもいい」
 木田の苛立った声に、セフィロトはふりむいた。
「それより、けさ送ってきた解析データの説明を早くしてくれ」
「わかりました。スクリーンを出していただけますか」
 部屋が暗転し、所長机のすぐ後ろのパネルが前方にスライドして、3Dスクリーンになった。
「【ユエ・コンツェルン】のコンピュータ・システムから読み出すことができたのは、これだけです」
 セフィロトはコンソールを触ることなく、瞬時に必要としているデータを取り出した。
「そして、これが最も深層にあった機密データ群……残念ですが、時間が足りなくて、個々のファイルネームしか読み取ることができませんでした」
「【シリル計画】? 国防省のマザーコンピュータの、あの【シリル】か?」
 木田が叫んだ。柏も武藤も、息を詰めている。
「そうです」
「なんてことだ。奴らの最終目的は、【シリル】を乗っ取り、日本の国防システムのすべてを掌握することだったのか」
「それだけでは終わりません」
 セフィロトは冷静に、説明を続けた。
「彼らの最終目的は、日本国内にあるすべてのロボットの軍事化だと思われます」


 柏たちはしばらく、茫然とセフィロトを凝視していた。
 軍事コンピュータ【シリル】の乗っ取りまでは予測の範囲内だった。だが、次にセフィロトの言い出したことは、あまりに荒唐無稽にすぎると思われたのだ。
「日本国内のすべてのロボットだって?」
 武藤がめずらしく、声を荒げた。「そんなバカなことあるはずないだろう」
「いえ、他のデータとの相関係数を見れば、そうである確率は92%を越えます」
「日本にあるロボットを一体ずつ改造するっていうのか。IQ50以上の人工知能を有した二足歩行タイプだけでも、有に二百万体は越えるんだぞ」
「有り得ない。今稼動しているロボットにはすべて、暴力への絶対禁忌が刷り込まれているはずだろう」
「どういう手段を用いるのかは、わたしにもわかりません。でも、【シリル計画】の次に来る目的は、これです。と言うより――」
 セフィロトは、ことばを口に含んでから、一気に吐き出した。
「【シリル計画】はむしろ前段階で、本当の目的はこちらにあります」
「な……」
 木田は反論しようとして、絶句した。それほどに、セフィロトの態度は確信に満ちていた。
「あまりに突飛なことで、すぐには信じられんが……」
 柏所長は、苦いものを何度も飲み込んでいる。
「もし、それが本当だとすると、大変なことになる。二百万のロボットが蜂起し、いっせいに軍事行動を起こせば、日本はあっというまにクーデタの渦の中に飲み込まれちまう」
「ロボットのひとりとして、絶対にそんなことはさせたくありません」
 セフィロトは、悲しげに柏の顔を見つめた。
「お願いです。柏所長。なんとかして、彼らを止めてください」
「関係者の名前はひとりでも出てきたか?」
「いいえ、これ以上のことはわかりません」
「この計画の遂行予定日は?」
「近いうちに、としか」
「おまえがこのデータをコンピュータから読み出したことは、奴らに知れているか?」
「いえ、その痕跡はまったく残していません」
「くそう。いったいどこから手を打つか」
 柏は、いまいましげにつぶやきながら、それでも頭の中はフル回転して、目をぎらつかせていた。
「武藤。木田。とにかく、このことを国防大臣に報告しろ。【シリル】を特別警戒体制に置くようにと。あとは、科学省の専門班に、今のデータを徹底的に分析させてくれ」
 そして、自らもコンピュータに飛びつき、ものすごい勢いでキーを叩き始めた。
 もう、ふたりの部下やセフィロトの存在すら、見えていないようだ。
 所長室を出て行こうとしたとき、武藤が彼を呼び止めた。
「そう言えば、すっかり忘れていた。さっき、ジョアン・ローレル博士から所長室に電話があったんだ」
「え?」
「おまえが来たら、帰りに自分の研究室に来るように伝えてくれと」
「はい。わかりました」
 セフィロトは首をかしげた。ローレル博士が、いったい何の用だろう。
 それに、どうして、わたしが今日所長室に来ることがわかっていたのだろう。


 朝の授業が一段落したとき、私は教員室に飛び込み、つかつかと副園長の机へ向かった。
「栂野先生。お話があります」
 教員室にいた先生方がいっせいに、固唾を飲む音が聞こえたような気がする。
 栂野教諭はあわてて、目の前の書類に没頭するふりを始めた。
「なんでしょう。今は聞ける話と聞けない話がありますが」
「セフィ先生のことです」
「それは、聞けない話です。ご覧のとおり、教育省に提出する書類の期限が迫っていますので」
 堪忍袋の緒がプッチリ切れてしまった私は、バンと机を叩いた。
「【すずかけの家】の教師の命に関わる問題より、書類の〆切なんかが大切なんですかっ」
 空気が凍りついた。
 栂野先生は、椅子から転げ落ちそうになって、あわてて机の両端をつかんだ。
「わ、わかりました。会議室へ行きましょう」
 会議室のコの字に並んだテーブルをはさんで、私たちは対峙した。
「命に関わる問題とは、いったいどういうことですか」
 わざと憮然とした表情を保ちながら、栂野先生は尋ねた。
「セフィ先生が、落ち込んで病気になられたとか? ロボットだから、故障と言ったほうがよいのでしょうか?」
「栂野先生」
 私は、話し合いをなんとか最初の土台に乗せようと、必死に叫んだ。
「先生は、セフィにとって【すずかけの家】がどんなに大切な場所であるか、ご存じありません」
「そうでしょうか。わたくしはむしろ、彼には別の職場のほうが適性があると思いますが。教師のかたわら、スパイのような仕事もなさっていたというじゃありませんか」
「職場として、という意味ではないんです」
 私は、開け放たれた会議室の窓から園庭を見やった。樹齢百年のすずかけの木を通り抜け、濃い緑に染まった風が吹きわたる。
「セフィは、もうすでにご存じのように、私の夫が作ったロボットです。研究室の中で生まれてから、まだ一年半しか経っていません。けれど、この一年半のあいだに、彼はここで、多くのことを学びました。子どもたちといっしょ喜ぶこと。悲しむこと。驚くこと。悔しがること。いっしょに給食を食べて、サッカーをしてころげまわって、小鳥の観察や、教師相手のイタズラさえも、いっしょに楽しみました」
 あまりにもなつかしい多くの思い出に取り囲まれたような気がして、私は知らず知らずのうちに涙ぐんでいた。
「セフィはここで、子どもたちといっしょに人間というものを学んでいました。形は補助教師でしたが、本当は彼自身が、ここの生徒だったのです――41人目の生徒」
 栂野先生は、しかめ面で耳を傾けている。
「そして子どもたちも、彼らと同じ目線に立つセフィを慕ってくれました。セフィはここで、子どもたちに対する深い愛情を学びました。たとえ、先生の目にどう映ったにせよ、彼の愛情は、私たち人間に比べて決してひけを取ってはいません……そのことは誰よりも、彼を育てた私が保証します」
 副園長はくるりと背を向け、苦々しげに言った。
「わたくしは、自らの考えを変えるつもりはありません。セフィ先生が戻ってくることを皆が望むなら、わたくしが退職いたします」
「それでは、何の意味もありません。副園長先生。先生とセフィが立場の違いを越えてきちんと和解をすることこそ、子どもたちに対する最上の教育ではないでしょうか」
「古洞先生。あなたは確か、セフィ先生と結婚なさるつもりだとおっしゃっていましたね」
「……はい」
「どうして、そんなことが考えられるのですか? 彼は機械なのですよ。生命を持ってはいない」
「……」
「わたくしは、それが赦せないんです!」
 突然の激情に駆られて、彼は怒鳴った。
「心の狭い男と笑ってください。あなたのことは、既にキッパリとあきらめたつもりでした。でも、そのことを想像しただけで、気が狂いそうになるんです」
 両手を頭につっこみ、髪の毛をかきむしる。
「生命のある【者】が、生命のない【物】と結婚する。身体を合わせる。そんな恐ろしいことは、あってはならないんです。――あなたは、間違っておられる」
「そうかもしれません」
 私は静かに答えた。
「私は、神を冒涜しているのかもしれません。たぶん私も、立場が変われば同じように感じたでしょう。
――ただ、こう申し上げるしかないんです。私は、セフィロトを心の底から愛しています」
「あなたたちの結婚が自然の摂理に反していても、ですか」
「はい」
 肯定のことばが自分の口から出た瞬間、私はひとつの苦悩がピリオドを打たれたのを感じた。セフィロトを愛し始めたときから続いていた、長い苦悩が。
 私たちはもう何があっても、お互いへの愛情を止めることはできない。
「本当は、子どもが授けられることを長いあいだ願ってきました。でも、私たちにそれは許されない。命を産み出すことができないなら、せめて命を育みたいのです。私たちは【すずかけの家】の子どもたちを、自分の子どもだと思って育てたいのです」
「……」
「お願いです。セフィをここに帰してください。ここは私たちの【ホーム】です。彼と私のいるべき場所は、ここしかないのです」


 シーダによってジョアン・ローレル博士の研究室の中に通されると、セフィロトは人工皮膚の表面がチリチリするような不快感に襲われた。
 いったいこれはなんだろう。
 研究室の中にあったのは、見たこともない部品ばかりだった。
 ロボットを作る部品は、【国際ロボット統括機構】の認証を受けたものばかりだ。AR8型を作るために犬槙博士と古洞博士が発明したニューロンチップでさえ、きちんと手続きを経て認証を受けている。
 ロボットが人間社会のすみずみに入り込むようになって、およそ八十年。
 早い段階から科学者たちは、このような認証システムが必要であることに気づき、そのための組織を作り上げた。
 ロボットが、暴力の道具に使われてはならない。
 ロボットが、戦争の武器となってはならない。
 理想を現実にするために、多くのロボット工学者が知恵を結集して作られたのが、暴力禁忌プログラムのチップである。
 だが、この部屋にあったのは、見覚えのある認証部品ではなかった。
 いや、暴力禁忌チップに似たものは、確かにあった。しかし、それは別のものに作り変えられていた。
 それは、まるで……
 驚愕の目で作業台を見つめながら、先ほど所長室で交わしたばかりの会話が、脳内でリプレイされる。
『彼らの最終目的は、日本国内にあるすべてのロボットの軍事化です』
『有り得ない。今稼動しているロボットにはすべて、暴力への絶対禁忌が刷り込まれているはずだろう』
 ジョアンの声が、それにかぶさるように響いてくる。
『あの子には、それはなかった。だから、ダグは天才だったと言ったでしょう。あの子には、強制停止コマンドは効かなかったの』
 部屋の隅から、じっとシーダが彼のことを観察しているのに気づく。
 思わず彼女のほうを見ると、そのブルーの瞳は、まるで当惑しているように見えた。
「AR8型セフィロト」
 彼女は消え入るような声で言った。
「あなたは、早くここを出たほうがいい」
「シーダ、教えて。もしかして、ローレル博士が作っているのは……」
 セフィロトのことばは、そこで途切れた。そのジョアン・ローレル博士が部屋に入ってきたのだ。
「真実を知ってしまったようね」
 彼女は形だけの微笑を浮かべて、近づいてきた。
「はやく試してみたいわ。イツキとカイトが作り上げた世界最高のロボットのあなたに、ダグの遺した技術が通用するのか――」
「ローレル博士……」
「だいじょうぶ。暴力禁忌プログラムが解除されても、あなたの大切な人たちには危害は及ばないから」
 冷酷なことばに反して、その目には激しい懊悩の光が宿っている。
「セフィロト。あなたが【処理】するのは、不必要な情報を知りすぎた人間だけよ」
 セフィロトは、ドアに向かおうとした。
 だが、そのときはもう遅かった。
 部屋を入ったときに感じていたチリチリした感覚は、激しい痺れとなり、セフィロトはもうすでに指一本動かすこともできなかった。
 



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